台形の山容を持つ「子檀嶺岳」
登山日2017年11月27日 子檀嶺岳から浅間山を遠望する 野暮用続きでなかなか山に行く時間が作れない。なんだかんだと慌ただしく時間が過ぎていく。月末になりなんとしても山に行かなくてはと、義務感?を持ちつつ予定表と天気予報をにらめっこ。なんとか時間を作って出かけることが出来た。 11月27日(月) 今回も、会社を休んで平日の山行となった。標高の高い山では雪が見られる頃になり、重装備での山行は体力的に難しいので長野県上田付近の気になる山に向かった。子檀嶺岳(こまゆみだけ)これを読める人はいるだろうか。この山はかつては真田氏の城砦があったという事で、その山容自体が目立つ形をしている。 この山は周回コースをとっている記録もあるが、今回は簡単に当郷地区からの往復コースを辿ることにする。駐車する場所は「子檀嶺岳登山者休憩所」の手前にある駐車スペースにすることにした。この休憩所は土足禁止となっており、内部はきれいに整えられていた。また、休憩所の横にはウサギ小屋があり、なにか口に含んで食べていた。休憩所の前では羊がのんびりとくつろいでいた。
支度を整えて歩き出すと、後方から差し込んでくる朝日がなんとなく暖かい。道の両側にある民家は動きが見られず、閑散としている。獣除けのゲートを開けて先に進むと道は分岐する。標識に従って左の道を選択してから橋を渡る。ぬかるんだ部分には無数のビブラム底の足跡が残っている。しかし、今日はこの山に登るのは一人だけだろう。孟宗竹の林を抜けるとアカマツの林になる。張り紙があり「畳石山 茸止山 平成二十九年 買主」と書いてある。どうやらここは「止山」となっているらしい。それなりの時期にこの山に登るのは緊張するだろうと思う。11月も終わりのこの時期はその心配もいらないだろう。
アカマツ林は延々と続き、その中を縫うようにして登って行く。展望は落葉の済んだこの時期でも全く得られず足元だけを見ながら歩くだけだ。歩き始めて30分ほどで「強清水(こわしみず)」の標識を見る。これらの標識は地元の「当郷育成会」が整備したものらしく、わかり易いものなのでありがたい。清水まで20mとのことなので立ち寄ってみることにする。 20mとはいうものの、道は落ち葉で滑りやすく、斜面のトラバースなので滑落したらただでは済みそうにない。強清水は、この渇水期でも水量は豊富で表面水でないだけ安心して飲めるだろう。 この水場を過ぎるとアカマツ林は終わり、林道に接続する。林道の周りはヒノキの植林地で中に入ると、暗く夕暮れのような錯覚を感じる。林道と言っても通行は少ないのだろう、車の轍は見られなかった。ほとんど水平に林道を辿ると、標識は山に登るようになっている。その場所にはベンチが置かれ、近くには幹に特徴のあるウリハダカエデが目立っていた。
林道から離れて斜面を登るとすぐに根元が腐って倒れてしまった鳥居が放置してあった。鳥居があったと思われる場所には幣束を下げておいたと思われる荒縄が頭上を横切っていた。ここからは我慢の急斜面の登りの連続だ。立ち止まっては息を整えてジグザグに登って行く。高度を上げるにしたがってガスが立ち込めてきて展望が無くなってきてしまった。山頂に行っても展望が無いと思うとなんとなくテンションが下がる。 展望台のような場所を過ぎると傾斜は緩くなり、稜線歩きのような状態となる。灌木の小枝は霧氷がこびりついて寒そうだ。葉っぱだけになってしまったコイワカガミの群落を過ぎると、すぐに山頂に飛び出すことが出来た。 山頂には祠があり、薪がストックされていた。しかし、この薪は元旦登山で使用するので使わないこととの注意書きがあった。三角点はなぜか角が欠けて鉛筆を立てたように先細りになっていた。期待していた展望はガスが目の前を通過するので遠方を見るのは厳しい。それでも眼下の集落や一部に雪をまとった浅間山を見ることが出来た。パンを一つ食べてから山頂を辞することにした。次は独鈷山に登ることにする。
登山者用休憩所07:32--(.29)--08:08強清水--(.10)--08:18鳥居--(.45)--09:03子檀嶺岳山頂09:31--(.44)--10:15登山者用休憩所 群馬山岳移動通信/2017 |
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号) |