一昨年、柄沢山から上越国境を歩こうと計画したが、悪天候で敗退した。今年こそはと、満を持して計画を立てた。当初は連休初日の27日に登ろうとしたが、予報ではこの付近はあいにくの天候となり、一日ずらして28日に登ることにした。  4月28日(日) 前日の農作業疲れを引きずって 、関越トンネルを抜けると越後湯沢は雨だった。それもかなり激しい降り方だ。気象レーダーを見ると、この地域だけ雨雲がかたまって西から東に移動している。そのうち止むだろうと、そのまま 登山口の清水集落に向かう。道路脇に雪が目立つようになり、午前6時頃に除雪最終地点についた。既に道路脇には数台の車が列をなして駐車してあった。どの車も車内ではこの雨が止むのを待っている人たちだった。雨は止む様子はなく激しくなるようにも感じる。しばらく待ったが事態は進まない。周囲の視線も気になるので、この場を離れて出発準備をすることにした。 朝食を済ませふたたび登山口に戻ったが、駐車してある車に変化はなく待機したままだった。しかし、午前8時頃になると雨が小降りになってきた。すると一斉に出発準備をする人が動き始めた。空は相変わらず鉛色で、予報ならば快晴となるはずだがそんな気配は見られなかった。 何となく気合いが入らなくなってしまったが、このまま天気が回復するのならば問題ないと判断して、出発することにした。幕営するとなるとそれなりに重量が膨らんでしまうことは仕方ない。余分なものも持つものだから、ザックの重量は21キロにもなってしまった。背負う際に気合いを入れないと、持ち上がらない重量だ。 さて、ガスが立ちこめる乳白色の世界に突入だ。杉林の中を通り、沢沿いに登っていく。所々雪が無くなり沢音が激しく聞こえるところは緊張しながら通過する。どうやら、麓では雨だったものが、山では雪となっていたらしく、残雪の表面はふっくらとした雪が乗っている。幸い、先行者が踏み固めたトレースが残っており、それを辿る事で体力の消耗は防ぐことが出来た。沢にはデブリが残り、なぎ倒された木々が無惨に散乱している場所もあった。
第一の目標地点であるスリット型の堰堤のたどり着いたのは、出発から一時間ほどしてからだ。堰堤には新雪が積もっていた。ここで少しばかりの休憩、ゼリー飲料と白湯を飲み、あめ玉を口に放り込んだ。前回はこの堰堤に降りたので、ここから尾根に登る予定だった。しかし、先行者のトレースはこのまま沢を登っている。こうなればこのトレースを盗んで追いかけるべきだ。何しろ尾根に登り上げる斜面は傾斜がきつく、ラッセルが必要でとても単独では行けそうにないからだ。 柄沢川を辿って登り高度を上げると、ガスが濃くなってきて周囲の様子が分からない。周囲の木々はエビの尻尾がこびりついて枝が垂れ下がっている。標高1250メートル付近で左の尾根に取り付いた。尾根は明瞭で、先行者のトレースは稲妻形に登っており、このルートにかなり精通しているように感じた。また、新雪につけられたトレースは実に有り難かった。ここで、カンジキを取り付けて踏み込みを少しでも減らす事にした。 何度か休憩を取りながら徐々に高度を上げていく。ガスも途切れがちになり、時折流れる雲の切れ間から青空が現れ、太陽の光が差し込んで雪の斜面をなぞっていくようになった。しかし、風が強くなり始めたことが気になる。しかし、ヤッケを着るほどの寒さにはなっていない。振り返ると柄沢川の雪の上に歩いてきたトレースがくっきりと見えていた。標高1600m付近のちょっとした藪を越えるとあとは雪原となっており、ゆっくりと登ることにする。雪面は堅くなっており、カンジキの爪も跳ね返されるほどだった。
国境稜線が見える頃になると風が強くなり、時折身体が振られるようになってきた。これはイカンと言うことで、薄手のヤッケを取り出して着ることにしたが、風に煽られて袖を通すことが出来ない。袖を通そうとするとバタバタと暴れてうまく行かない。何とか袖を通して一息ついたが、今度は薄手の毛糸の手袋では隙間から風が入り込んで、指先の感覚がなくなってきた。ゴム製の農作業手袋を着けてこれも何とかなった。 国境稜線に付くと、目の前に奥利根の山々が見えた。しかし、風は更に強くなり、雪が舞い上がり雪飛礫(ゆきつぶて)となって顔に連続して当たってくる。薄手のヤッケではどうしようもないので、今度はストームジャケットを着込んだ。これではテントを張ることはかなりの困難を伴うに違いない。時刻は13時半・・・、どうしようか・・・・、決断すれば下山することは可能だ。倒木の陰に座り込んで考えるが、風は衰えない。もう少し待てば天候は回復すると言う自信はあるのだが、それまで待てるか?ふと、トムラウシでの強風による低体温症による大量遭難の事が気になる。それに眼の調子が変で、雪原が緑色に見える時がある。こうなると、急速に気持ちが萎えてくる。 結果的には、下山を選択することにした。今まで苦労した登りも下山となればなんと言うことはない。あっという間に高度を下げてしまい、振り返ると国境稜線は流れる雲も速度が遅くなり、青空が広がっていた。もう少し踏みとどまっていたならば、事態は違っていたかもしれないが、さすがに登り返す気力は無くなっていた。
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この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。 (承認番号 平16総使、第652号) |