またもや忠次郎山断念 登山日2012年4月28日
例年ならばGWの連休は残雪の山を求めて一泊で山歩きが多かった。しかし、今年は様子が違っていた。1ヶ月前の滑落時の膝が完治していないのと、最近は右足の裏にしびれがある。歩くと痛みが走るときもあり、どうも体調がすぐれない。まして、仕事の忙しさも加わって山に行く気力がなくなっている。そんな調子で過ごしていたら、あっという間にGW突入が間近となってきてしまった。日帰りで往復が条件ということで、2006年に登ったが途中で断念した、上越国境の「忠次郎山」に再び挑戦することにした。しかし、どうしても気持ちが盛り上がらない。 27日とりあえず早めに帰宅して、準備を整えて20時に自宅を出た。苗場スキー場の脇から湯ノ川に沿って上ったところにある広場に駐車して、仮眠を取ることにした。(トラブル防止のためこの場所は駐車することはやめた方が良い。実際、帰ってからトラブル発生) 4月28日(土) 車中泊の寒さはたいしたことはないと考えていたが、やはりそれなりに寒く、熟睡とまでは行かなかったが休養はとれた。4時に起き出して準備を始める。この時期は瞬く間に明るくなっていくので、手早く支度を整えなくてはならない。4時半と思っていたが、それよりも10分ほど遅れての出発となった。国道353とは名ばかりの林道に近い道は、除雪がされておらず旧三国スキー場までは歩くしかない。かなり暖かくなっているのだろう、雪が積もっていない路面は雪解け水が流れとなって下っている。5時ともなると周囲はすっかり明るくなり、今日の晴天が約束されたように空は、吸い込まれるような深い青色となって夜明けを迎えていた。 旧三国峠スキー場は6年前とは全く様子がちがっていた。駐車場の標識はなく洒落たレストハウスもゴンドラリフトも撤去されて跡形もない。しかし、整地された斜面が上部に続いていることから、ここがスキー場だったとわかる。ここでアイゼンを装着することにした。カンジキも持ってきたが、ツボ足になるようなことはない、むしろスリップによる体力の消耗のほうが辛いと感じたからの選択だ。(結局最後までカンジキの出番はなかった)以前、ここを歩いた経験のあるということは、大きな自信となっていた。かまわず何も考えずにこの斜面を登り上げればいいわけだ。思った通りでアイゼンの選択は正しかったようで、斜面の登りは順調に高度を上げていくことが出来た。振り返ると稲包山の三角形が思ったよりも目立つ。それに間近に見える平標山のなだらかでふくよかな女性的の山容は、実に魅力的である。 ひたすら歩くとスキー場の上部に到達、ここからは目の前の枝尾根を辿って東に登っていくことになる。 しかし、その前にちょっと一休みする。さすがに1時間以上の登りは堪えた。6年前に登った時よりもかなり疲れを感じるのはやはり体力不足と体調不良が効いていることは間違いないだろう。腰を下ろしてあんパンとゼリー飲料で一息ついた。 枝尾根を東に辿って目の前の顕著なピークを北側から回り込むことで、顕著なピークを巻くことが出来る。ここは迷いやすいところなので、巻いたところで木の枝を×の形にして雪の上に刺しておいた。この付近から展望が開け一気に気分が良くなってくる。目の前の西沢ノ頭は山頂付近に雪が見られず、登るのが難しく感じる。振り返るとピラミダルな山容の稲包山が見えている。稲包山はあんなに尖っていたのかとここから見るとそう思う。その奥には赤城山まで遠望することが出来る。眼を右にずらすと、山頂部分が栂ノ頭から水平に延びて最後に鋭峰となるコシキノ頭は空母の艦橋のようだ。 予想通り西沢ノ頭の山頂付近は雪が少なく藪になっていた、どうも西側は急斜面でいやらしいので、右の藪の中を登ることにした。ストックとアイゼンが邪魔だが岩場を越えて何とか山頂部にたどり着いた。東方面には苗場スキー場の高層ホテルと平標山から仙ノ倉方面が大きく立派に見えていた。眼を北西に移すとこれから行かなくてはならない忠次郎山が見えているが、時刻はすでに8時で予定よりも1時間以上遅れている。どうやら今回も敗退かなと言うことが頭の中に浮かんできた。
西沢ノ頭からはほんの数メートルなのだが藪が出ていて実に歩きにくい。ここでザックの横につけておいたペットボトルを失ってしまった。(帰りはこの藪でとんでもない苦労をさせられることになった)西沢ノ頭を過ぎるところから北西に向かう稜線は、このコースでもっとも快適な場所だ。大展望を得られながら登る雪面は何という素晴らしい場所なのだろう。それに今日は何という絶好の登山日和なのだろうか。快晴で無風、暑さも寒さもそれほど感じない。それに恐ろしいほど無音の世界を歩いているのである。風の音はもちろん、自分の足音さえもこの空間に吸い込まれているようで耳に入ってこない。時折、空気を切って上空を滑空するイワツバメの羽音が耳に聞こえるくらいだ。時間が止まったような世界にいるようだが、確実に時間は進んでいく。標高1780mは地形図上では目立たないが、重要な三叉路となっている分岐である。北東に向かえば苗場スキー場の筍山へ、西に向かえば上越国境に続くのだ。この分岐からは目の前に1852mの独立峰がそびえている。藪のうるさい斜面を下って鞍部に出ると、ここからはひたすら登るだけだ。雪は乗っているものの、南側は雪庇が張り出しいつ崩れてもおかしくない状態だ。ましてこれだけ気温が上がれば雪はかなり緩んでいるだろう。実際大きな割れ目も所々に口を開けているので、一層慎重にならざるを得ない。場所によっては笹藪の斜面を登ることが必要と判断せざるを得ない場所もある。そんなときはアイゼンが引っかかって邪魔になる。ましてカンジキでは歩くことは出来ないであろう。 このピークは意外と手強く、何度も何度も山頂と登って来た風景を振り返って眺めた。すると1780mの分岐点に人影が見えるではないか。どうやらこんな辺鄙な山に登る人がいるようだ。 1852m標高点は名前が欲しい、そんな大展望の山頂で360度遮るものなし。もし名前をつけるとしたら「湯之沢ノ頭」なんてのが良いと思う。とりあえずザックをおろして大休止とする。時刻は9時で、予定よりもやはり1時間は遅れており取り戻してはいない。どうやら忠次郎は完全に諦めるしかないだろう。今はあまり問題ないが、足の状態がいつ急変するか解らない不安がある。それにしても素晴らしい展望で、ここでゆっくりと時間を過ごして、帰っても良さそうだなあと考えた。ましてここから見る上越国境までの稜線は藪も多く、雪庇も多く張り出しており不安感ばかり感じる。まして忠次郎山は、まだまだ遠くに見えている。しばし、そんなことを考えていると、単独行の長身の大型ザックを背負った登山者がこのピークに登って来た。 「どこまでですか?」 「上ノ倉山までです」 「私もそこまで行きたいと思っています」何となく忠次郎山とは言えない状況だったからそう答えてしまった。 すでにザックを背負ってしまった私は引き返すことも出来ず、退路を断たれた感じで前に進むしかなくなってしまった。 確かに国境稜線までの道は条件が良くなかった。気温が上がったためなのか。雪の中の隙間に足を踏み込む事も多くなってきた。また稜線南側の雪庇は今にも崩れそうでルートの選択が難しい。かなり疲労してきたらしく、足が攣ってきた。途中であわてて水分補給とストレッチを繰り返して、なんとか歩けなることは回避することが出来た。この嫌らしい稜線は1850mの小高いピークで終了となる。ここから見ても上ノ倉山はかなり遠くに見える。あのときあんなことを言わなければ良かったと後悔した。このピークから鞍部に降りてわずかに登ればそこが国境稜線で、南下すれば稲包山までいけるのだが、小ピークが多くとても歩きにくそうだ。国境稜線の歩きはなだらかに登っており、快適な場所だった。日焼けを恐れてタオルで顔の周りを覆っていたのだが、割と息苦しく時折外すと新鮮な空気が心地よく肺の中に入ってきた。サングラスを外すととても眼を開けていられないほど強烈な光が眼球を射抜いた。 セバトノ頭は顕著なピークもなく、針葉樹の林の中の高見だった。6年前はここまで来て諦めて敗退している。今回は後ろから登山者も来ていることだから、もう少し先に行ってみることにする。ところがすぐにルートを失ってしまった。GPSを取り出して国境に沿って歩いてなんとか修正した。樹林を縫っていくと、ちょっとムジナ平と呼ばれる広い場所に出た。ここで休んで、登るルートを検討することにする。それにしてもかなり長い登りで、ざっと見ただけでも1時間半は必要だ。そう考えるとザックを軽くして一気に登るのが良いだろう。防寒着、ツェルト、カンジキをサブザックに入れてデポしておくことにする。 それにしてもどこが大黒ノ頭なのかさえもハッキリしない。とりあえず急斜面を我慢して登るしかないだろう。地形図を見ながら考えていると、後ろから単独行の男性が追いついてきた。彼もザックをおろして、ここにテントを張って、山頂を往復するという。羨ましいと思いながら雑談をして過ごす。私の今回のルートは旅人さんの記録を基にしている。旅人さんはこのルートで忠次郎山はもちろんその先の上ノ間山まで足を伸ばし、返す刀で大黒山もピストン、20時間を歩き通しているのだ。 単独行の人に旅人さんの記録を話すと 「私も知っています。とても、あんな歩き方は出来ない。参考にしようとしてもとっても無理、人間を超えている」 私は「旅人さんを個人的に知ってますよ」と返したら。 「ひょっとして、かしぐねさんですか?私あにねこです」 そんなわけで、旅人さんのつながりで思わぬ自己紹介となりました。 あにねこさんの先鋭的な山歩きは、HPでいつも拝見していただけに思わず感激して、握手をしてしまいました。 あにねこさんはとても謙虚にお話をする、紳士とお見受けしました。 それにしてもこんな山で遭遇する人はただものではないと思っていたのですが、思わぬ人と会うことになりビックリだった。 時刻は11時を回ってしまった。 しかし、あにねこさんに面が割れてしまったからには、登らなくてはいけない状況に追い込まれてしまった。もう覚悟を決めて行くしかない。もし、敗退したらHPで書かれるのは明白だ。ともかく時間がない。13時には山頂を発たなければならないのだ。
それにしても気持ちの良い斜面である。周りの景色も最高だ踏み出す一歩が確実に高度を上げていくのが実感できる。最後の急斜面をどうやって登ったらよいものか、終始ルートを考えながら登っていく。もしも滑落すれば停止することなく確実に谷底まで行ってしまうだろう。慎重にキックステップで高度をあげる。そこになんと言うことか救世主が現れた。それはカモシカで悠然と山頂を目指して登って行くではないか。カモシカの足跡は大きなダケカンバの根本から始まっているので、休んでいたところを思わぬ登山者に追い立てられて動き出したに違いない。こちらとしては、この付近を縄張りにしている、カモシカのトレースは安全なルートと考えて良いだろう。カモシカのトレースを辿りながら、真っ白な斜面を青空に向かって順調に登っていくことが出来た。 大黒ノ頭はただの通過点に過ぎない。目指す上ノ倉山はもうすぐだ。休まずにそのまま歩くことにした。時刻は正午になろうとしているので、この分なら予定通りだ。上ノ倉山への稜線は南側の雪庇がいやらしいので、どうしても北側のルートを選択することになる。しかし、近くに見えた上ノ倉山は意外に手強く、雪面の踏み込みに難渋することになった。小ピークを越えてさらに先の最高点と思われるピークを目指して我慢で歩いていく。そのピークにたどり着いたときはすでにへとへとになっていた。しかし、どうもおかしい??標識のたぐいが全くないのだ。GPSを取り出して見ると、なんと上ノ倉山はすでに過ぎているのだ。あのときの小ピークが上ノ倉山だったのだ。標高もこちらの方が13mほど高いので、こちらが上ノ倉山としても良いのではと思ったが仕方ない。目と鼻の先にある忠次郎山を振り返って、背を向けて上ノ倉山に戻った。 上ノ倉山はGさんの小さなプレートが一枚あった。とりあえずわずかな時間ザックをおろして休憩する。大福餅とゼリー飲料それからたっぷりと水分補給。展望もそこそこ楽しんで山頂を辞することにした。大黒ノ頭との鞍部であにねこさんとすれ違い挨拶、再会を祈りながら別れた。 それにしても、あにねこさんがいたから意地で登った上ノ倉山だった。しかし、またも忠次郎山は敗退となってしまった。 いずれテント泊でゆっくりと周辺を歩き回ってみたいと思う場所だった。
「記録」 苗場スキー場外れ04:39--(.47)--05:26旧三国スキー場入り口05:39--(1.16)--06:55スキー場上部07:10--(.44)--07:54西沢ノ頭08:00--(1.02)--09:021852m峰09:30--(.58)--10:28セバトノ頭--(.14)--10:42休憩11:06--(.44)--11:50大黒ノ頭--(.23)--12:13上ノ倉山--(.10)--12:232120m地点12:25--(.06)--12:31上ノ倉山12:42--(.13)--12:55大黒ノ頭--(.15)--13:10デポ地点13:17--(1.15)--14:321852m峰14:44--(.40)--15:24西沢ノ頭15:36--(.34)--15:58スキー場上部16:07--(.23)--16:30スキー場下部16:42--(.48)--17:30駐車地点 群馬山岳移動通信/2012 |
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号) |