新型コロナウイルス感染症の関係で不要不急の外出に自粛要請が出ている。とりあえず県内の隣町なら許される範疇だろう。そこで毎日見ている大桁山に登ることにした。大桁山は何度か登ったことがあるが、未登のピークがあることも興味をそそられる。
2月20日(土) 近場の山なので先月に引き続き軽トラックでの移動だ。狭い道を通り「下仁田フィッシングパーク」をすぎて「大桁やすらぎの森」の駐車場に入る。ところがこの駐車場に入るにはいったん入口を過ぎてから、その先で転回して戻らなければ入ることが出来ない。駐車場は広くかなり余裕がある。付近はトイレや東屋、散策路がありそれなりに整備されている。ゆっくりと準備をしてから鍬柄岳の登山口を目指す。途中、「下仁田フィッシングパーク」の釣り池があり水面が朝日を反射してきらきらと輝いていた。ちょうど管理人が出てきて「山登りですか?」と聞いてきた。「(くわがらだけ)から(大桁山)を歩きます」「そりゃすごいや、気いつけて」そんな会話をして先に進んだ。
鍬柄岳登山口には3台の車がすでに駐車してあった。こんなマイナーな山に、こんなにも登山者がいることは意外だった。歩き始めて数分で「石尊大権現」に到着する。周囲は杉木立となっており陰湿な感じを受ける参拝者名簿を記入するノートがあり、見れば今日の日付で2名の名前があった。神社を過ぎて急登をあえぎながら登って行く。道の周囲はイノモトソウが群落を作り目立つ存在となっていた。上部から賑やかな女性の声が聞こえてきて、やがてすれ違うことになった。すれ違った後も賑やかな笑い声は静寂を思いきり破って続いていた。 鍬柄岳の尖塔の基部に到着。岩壁には銀色が眩しい鎖が斜め上方に向かって設置されていた。昔は鎖を掴まらずに登ったのだが、68歳の年寄りはとてもそんな元気はない。左手で鎖を掴まり、右手で岩場のホールドを探しながら登る。足場はかなり豊富にあるが、足がうまく上がらないのがつらい。それにしてもこのルートは見晴らしが良く、御荷鉾山塊のスカイラインが美しい。山頂近くになると傾斜は無くなるが、岩稜が馬の背のように続いており若干緊張する。慎重に鎖を伝って山頂に立つことが出来た。山頂には幟を立てる金属製のポールが立っており、幟はちぎれて地面に伏していた。ここからの展望は素晴らしく、西上州の山々が一望だ。ここから見る大桁山はとても大きく立ちはだかって、これから登ることが出来るのかと不安になるほどだ。展望を楽しんだ後下山に取り掛かる。下山は鎖が無ければとても下降することはできない。下山途中で単独行の男性とすれ違った、岩場の途中でなくてよかったと思った。
尖塔の基部についてルートを探すと、かすかに「大桁山・近道」と読める看板がある。見れば基部を回り込んで進むあまり人が入っていないようなトラバースルートだ。しかしここしか道はないので先に進むことにする。ルートは思ったよりも明瞭で踏み跡もしっかりしていた。基部を回り込むと、意外なほどはっきりした登山道が先に続いていた。これならば問題ないだろうと、ザックに仕舞ってあったストックを取り出した。途中で林道の切通しがあったが、そこには単管パイプで作られた階段が設置されてあり、至れり尽くせりといったところだ。そのうちに鍬柄岳ですれ違った男性が追い付いてきて、一緒に話をしながら歩くことになった。このコロナ禍の時代に話しながら歩くことの楽しさを味わうことになった。人はみないろんなものを背負って、山を歩いていることがわかる。特に単独行の人はそれが顕著に表れているように思う。
かつてはハイキングコースとして整備されたが今となっては老朽化して障害物となった木製の階段を登り詰めると大桁山山頂に到着だ。以前よりも木が育ったためか展望はあまりよくない。北方面に見える白銀の尾根は上越国境から上信国境につながるものだ。ぐんま県境トレイルはあのあたりだろうと思われる。ここで単独行の男性とは別れて、観音山を目指すことにする。 虻田方面の道を辿ると、理由はわからぬが立ち入り禁止のテープが登山道をふさいでいる。もっとも目指す観音山はここから右に折れて北方面に向かうので問題ない。富岡市と下仁田町の区界をトレースして進むだけだ。区界は明瞭であったが倒木や幼木があり夏はちょっと歩く気にはならないだろう。急傾斜の斜面を下降し標高670mの鞍部に降り立ち、ふたたび急傾斜の道を登る。ここも切り開きがしっかりしていて、防火帯のようになっている。標高750m付近から熊棚が目立つようになった。この付近はクマの生息地で間違いないだろう。熊鈴を取り出してザックに取り付けることにした。標高800mの顕著なピークに立ったがここは目的地ではなく、その先にあるピークが観音山だ。 観音山は雑木に囲まれて展望は無い。Gさんの小さな標識が立ち木に取り付けられていた。観音山から西方面は砕石採掘現場で立ち入り禁止の表示が至る所に取り付けられていた。そんな観音山周辺を展望場所を探して散策してから下降することにする。
下降しながら途中から左に折れる場所を探す。すると立ち木にピンクのテープが巻き付けられて「作業道」の文字がかすかに読み取れた。自信は無いがここを左に折れて標高695mの標高点を通過して回り込むと林道が現れて、重機が入ってきたような轍も見られた。場所によっては舗装された場所もある。ここで確信をもって道を進むことが出来た。道は予想通り「川後石峠」につながっていた。川後石峠は5本の道が交差する場所で広場のようになっていた。ここでお湯を沸かしてカップラーメンを食べることにした。 休憩後荷物をまとめていると単独行の登山者が大桁山方面からやってきた。「鍬柄岳が予想外にきつかったので、疲れ果てて帰ります」と言って千平駅方面に向かっていった。こちらはまだまだ切り上げるわけにはいかない。剣ノ峰方面に向かって林道を歩き始める。途中で尾根から外れそうになったので、林道途中から尾根に登り上げて、そのまま尾根を進んでいくことにする。かすかな踏み跡を辿って上部に進んでいく。この付近アカマツが多く、おびただしいほどの松ぼっくりが落ちている。登り上げたピークが剣ノ峰で、名前からは想像できないようななだらかな山頂だった。別名の半鐘山のほうがふさわしいように思える。ここにはすかいさんの標識が目立つところにつけられていた。
剣ノ峰から北方面に下降する。この付近は伐採が進んだのか見晴らしが良くなっており、荒々しい妙義山から白くなった浅間山までが見える。ここから見る東大桁山はかなり遠くに見える。あそこまで行けるだろうか?ちょっと不安が頭の中によぎる。降りきったところで舗装された林道に出た。林道を横断して東大桁山に行くのだが、道が3本上部に向かっている。右端はチェーンが掛っており、真ん中は水が流れた後のようで樋のようになっている。左は道幅が広くなだらかな様子だ。疲れてくると安易なほうを選択するようで左の幅広い道を選択した。ところがこの道は意図した方向からどんどん遠ざかっていく。これは修正しなくてはならないと、適当なところで右の斜面を登り上げた。すると明瞭な道に突き当たった。どうやら真ん中の樋のような道を選ぶべきだったようだ。ここにはTVアンテナがあったが、ケーブルはつながっていない。いったいどこでテレビを見たのだろうか。
明瞭な道は意図した方向に向かっている。途中に石祠があり造林記念碑も建てられていた。さらに進むと左からの道と交わるが、そのまま上部に向かっていく。傾斜が無くなったところで、再び左からの林道に突き当たる。この先は道が分岐しており再び選択を強いられる。何となく左が良さそうに見えたので、そちらに向かって歩を進めた。しかし、目的の場所からどんどん離れていく。これはまずいと先程の分岐に戻り、今度は右の道を進んでいく。今度は大丈夫そうで目的地に進んでいるのがわかる。 東大桁山は二等三角点があるが設置当時とは違って杉が育ったことから展望は無い。もっともこの三角点の点名はずばり「大桁山」である。できれば早期に伐採を進めていただければありがたいと思う。山頂には石像が3体並んであり、両端は首が取れてなくなっている。これが自然とそうなったのか人為的なものなのかはわからない。あまり長居をするような場所ではないので早々に退散する。
安全を見て往路を辿り林道に戻った。林道を何の考えも持たずに進んでいくと大きな林道に出た。その先にはかつての林業試験場の研修施設の建物が風景に溶け込んでいた。ここから10分足らずで川後石峠となる。
川後石峠からは林道を千平駅に向かって進んでいくが、途中で林道から右下の沢に向かって下降するところで若干迷った。大桁やすらぎの森に到着したのは陽が傾き始めた時間だった。 帰ってから軌跡を見ると、もっと効率よく歩くことが可能だったのではないかと思われるところが多数ある。里山歩きはルート選びがパズルを解くような面白さを持っているのかもしれない。 「記録」 08:13大桁やすらぎの森--(.13)--08:26鍬柄岳登山口--(.06)--08:32石尊神社--(.24)--08:56岩峰基部--(.15)--09:11鍬柄岳山頂09:21--(12)--09:33岩峰基部--(1.16)--10:49大桁山10:57--(.49)--11:46観音山12:14--(.12)--12:26尾根を離れる--(.24)--12:50川後石峠13:20--(.17)--13:37剣ノ峰13:41--(.11)--13:52林道--(.40)--14:32東大桁山14:36--(.22)--14:58林道--(.10)--15:08大桁森の家--(.09)--15:17川後石峠--(.25)--15:42大桁やすらぎの森 群馬山岳移動通信/2021
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