名知良久山塊の薮山を歩く「佛体山(仏体山)」「岩平山」「御坊山(鬼棒山)」
登山日2024年2月17日

名知良久山塊/佛体山(ぶったいさん)標高833m 群馬県吾妻郡・渋川市/岩平山(いわだいらやま)標高921m 群馬県吾妻郡・渋川市/御坊山(おんぼうやま)標高748m 群馬県吾妻郡
【参考資料】
「私が登った群馬300山」 横田昭二・著(上毛新聞社刊)
「吾妻の里山」 後藤信雄・著(上毛新聞社刊)

横田昭二氏は2月5日に97歳にて逝去されました。横田氏の群馬県の山の著作には素晴らしいものがあり、群馬の山を歩く者にとっては必携のバイブルとなっている。そんな横田氏の足跡の一部を辿ってみることにした。そして横田氏と双璧をなす後藤信雄氏の記録は綿密なる調査をもとにしており、ただ山に登るだけが楽しみではないことを教えてくれる。今回はそんな両氏の著作を引用しながら進めていきたい。

2月17日(土)
JR吾妻線小野上温泉駅付近から北に入る林道を進む。この林道は小野子三山の一つである十二ヶ岳の登山口に向かうものである。途中で大規模な採石場を通過すると道は荒れてくる。先日降った雪が凍結して軽トラックの挙動がおかしくなるのでヒヤッとする。地形図で一番なだらかな場所をピンポイントで決めてそこから登ることにする。その場所はヘアピンカーブ駐車場所としてはふさわしくないので、その先の余地に駐車することにした。

さてヘアピンカーブであるがそこには古く曇って見えないカーブミラーと「←JR小野上温泉駅・十二ヶ岳→」の標識があった。薄暗い不気味さの漂う杉林の中に入ると、いきなり細かい小枝野崎がが密生していて顔に容赦なく爪を立ててくる。これはたまらんと逃げようとするが逃げ場所がないほど密生していた。それでも数十メートルすぎると小枝も薄くなり、なんとなく道形が見えてきた。それに好事家がいるのだろう、マーキングテープが程よい位置に取り付けられていた。道はやや左に寄りながら上部に向かっていく。


駐車地点

取付点

藪の中に突入

稜線に到着

佛体山手前のピーク

佛体山手前のピークに有る標石

佛体山の四等三角点

佛体山から伊香保温泉を遠望


歩きはじめて20分程で佛体山につながる稜線に到着。予想通り急な登りもなく順調な滑り出しだ。今日は晴れの予報だったが、空は鉛色の雲に覆われている。周囲を見れば雑木が一面にあり展望は望めないからこんな天気でも気落ちすることはない。そのままひたすら登ること20分で一つのピークに到着する。ここには「山」と書かれた標石があり立木にはなにかの三角形の板が打ち付けられていた。さらに進むと四等三角点の有る佛体山(仏体山)に到着だ。ここも展望はなく樹木の隙間から伊香保温泉街がわずかに遠望できるだけだった。下の方ではJR吾妻線を行き交う電車の軌道音がひっきりなしに聞こえていた。

佛体山を辞して登山口から登り上げた場所まで戻り、今度は岩平山への登りとなる。この急登はなかなかのもので何度も息継ぎをしなければならなかった。さしたる変化もない斜面をひたすら登るのは結構苦しい。しかし、上部に近づくに従って傾斜が緩やかになり岩平山山頂に到達した。ここも同じく雑木に囲まれて展望はなく、先程まで立っていた佛体山のピークも確認できないほどだ。
ここには「名知良久山」の標識が取り付けられていた。その上には岩平山の文字が書かれてあった。後藤信雄氏が高山村に問い合わせたところ「名知良久」は山塊全体の名前でこのピークは「岩平山」で間違いないとのことらしい。山頂でとりあえず菓子パンひとつと白湯を飲んで休憩だ。

岩平山ちょっと下ると尾根が明瞭に分かれる。次の御坊山方向の尾根に乗り更に進むと再び分岐となる。直進は深い谷への斜面なのでこれを行くことはできない。尾根のどちらを辿るべきか、真剣にルートを考える。どうやら左の尾根を辿るほうが得策と考えられる.尾根はかなり明瞭なのでルートはそれほど難しくはない。しかしその傾斜は半端ではなくとても直線的に行けるものではなく、時には踵を踏み込むような場所となっている。これは帰り道がかなり心配だと不安を感じながらも下降していった。すると杉の植林地となり、何を勘違いしたのかこの尾根を外れて左の方向に進んでしまった。杉林の中の斜面とときおり現れる作業道を辿ってなんとかルートを修正しようと彷徨った。それでもなんとか御坊山の下の鞍部に到着することができた。ここは下方から広い道の痕跡があり峠のようになっていた。


岩平山のピークを目指す

岩平山

名知良久山の表示もある

御坊山に向かって下降

鞍部

御坊山に登る

大天狗・小天狗の石祠

天狗の由来碑


鞍部から御坊山山頂までは10分程で到達することができた。山頂にはこんな薮山に相応しくない立派な石碑と石祠があった。石祠の側には正月の供えたのだろうか、紙垂としめ飾りがあり、缶ビールが置いてある。缶ビールの消費期限を確認すると去年のものなので、無縁の石祠ではないらしい。石碑の文字を観ながら、菓子パンで大休憩だ。

表面には以下の文言が彫られている(原文に近い形で転記する)


天狗の由来碑

 寛政十年下尻高の百姓釼持武右衛門夫婦は金毘羅詣
りを思い立ち途中幾つかの泊まりを重ねて讃岐へ渡る舟中
の出来事であった 遙か西の空に一点の黒雲現れしと見
る間一瞬にして全天を覆い風起こり山の如き波に舟は木の
葉の如く揉み苛なまれ舟中の者皆生きた心地も無く唯神
佛の加護を祈るばかりであった此の時舟頭曰くこの舟中
に竜神に見込まれたものがあるその者が入水すれば他の者
たちは助かるのだと其の者は誰か 武右衛門であると聞く
より武右衛門驚愕放心されど氣を取り直し日頃信じる大
天狗の神を念じこの災難を逃れさせ給い無事歸國出来得
られば聖地を卜して宮を建て崇め奉ると一心に念ずる事し
ばし不思議や急にあたりは明るくなりさしもの荒海も波
静まり無事参拝歸國出来たと このお山の頂上に建つ石
祠こそ霊験灼かなる大天狗小天狗であり武右衛門の本願
に依って建立されたのである   ここに百九十年来下
尻高に語り傳えられた天狗の宮の由来を記す

裏面には

西暦一九九〇年
平成二年十一月吉日 茂木義一 建立
撰文 群馬県教育委員会 石造物調査員
剱持輝男

(養は旧字体で羊+良 Shift JISでは表示できない)
五代 釼持武右衛門 養子        武兵
             妻武右衛門長女 ちよ 
                        茂木庄太郎 
             妻武兵二女    みの
             長男        延太郎 
             妻          つる
             長男        義一
             妻         和喜



大字平
二区
三区
四区
  村人助力
小池 三木松刻
吉田 明春書




どうも時系列でわからないことが有るが、釼持武右衛門なる人物が建立した大天狗小天狗の石祠がここにある。その子孫と村人がそれを顕彰してこの碑を立てたとのことだ。

帰路は往路を修正しながら直線的に尾根を辿って元の場所に戻った。

さらに往路を辿るのも癪なので地形図を確認しながら、登山口を目指しピンポイントで戻ることができた。

久しぶりに道のない山を地形図を観ながら歩くということに、充実感を覚えた山行となった。


群馬山岳移動通信/2024

取付点07:37--(.21)--07:58稜線08:08--(.25)--08:33佛体山08:47--(.59)--09:46岩平山09:58--(.45)--10:43鞍部--(.12)--10:55御坊山11:14--(.03)--11:17鞍部--(.56)--12:13分岐12:36--(.30)--13:04取付点



この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)