秘境の山は日没と競争、奥秩父「和名倉山(白石山)」   登山日2008年1月19日



千代蔵休ン場


和名倉山(わなくらやま) 標高2036m 埼玉県秩父市 「別名:白石山(はくせきさん・しらいしやま)」



秩父の三峰山付近を歩いていたときに、大洞川の谷を挟んだ対岸にある大きな山が気になった。そのスケールの大きな山容は迫力を感じた。地図で確認するとその山は「和名倉山(白石山)」であることが判った。早速ネットで検索すると、この山に登るには、かなりのエキスパートでなければ登れないことが判った。ルートがハッキリせずに、途中敗退や遭難などの文字が目に付いた。ところが、最近この和名倉山に登ったという報告が目立つようになってきた。まして、ネット上で親交のあるYamaKazuさんのHPでは「すでに秘境にあらずか、和名倉山」とまで言われてしまっている。こうなると、どうしても気になる存在だった和名倉山に登りたいという気持ちが芽生えてきた。

YamaKazuさんが登ったのは1ヶ月前なので、早速情報をいただくことにした。すると、埼玉県から見ると頂上部が白くなっているので積雪がある。もしかすると秩父湖に架けられた吊り橋は季節風で大きく揺れ、橋を渡ったあとの幅30センチ程度のコンクリートの道は凍結。足を踏み外したら湖面に真っ逆さま。なんて恐怖心を煽るアドバイスをいただいてしまった。


1月19日(土)


秩父湖から三峰山に向かう道に入ると、すぐに公衆トイレがある駐車スペースが目に入る。ここに車を停めることにする。時刻は7時になるところなので、周囲は明るくなり始めている。まずは車の中から装備を引っ張り出して出発の準備にとりかかる。積雪の状態が判らなかったので、念のためにワカンを持つことにした。アイゼンは迷ったが、軽アイゼンをやめて12本爪のアイゼンを持つことにして、ストックのほかにピッケルもザックにくくりつけた。さらにアクシデントに備えて、ツェルト、ガスコンロ、防寒具、着替えも詰め込んだ。それに印刷してきたYamaKazuさんの山行記録もズボンのポケットに忍ばせて、いつでも見られるようにした。


埼玉大学秩父山寮吊り橋(大洞橋)
吊り橋を渡ると心許ない狭い道がある。杉林の中の分岐



駐車地点から車道を登っていくと、右側に赤い屋根の「埼玉大学秩父山寮」にたどり着く。その建物の左側には標識があり、湖面に向かって細い道が斜面を下っている。道を下っていくと、様々な標識が乱立している。標識にはフェルトペンで書き込みがあり、「白石山まで5.5〜7hr、頂上から4〜5hr」とある。どんなにかかっても12時間なので、19時には帰れると思った。道はここから水平に続いており、やがて古めかしい感じのする吊り橋(大洞橋)にたどり着く。ここにも標識があり、5人以上が同時に渡ることを禁止していた。体重が重いものが乗ったとしても、一人なら十分に余裕があるはずだ。全長100m以上あると思われるこの橋は、対岸まで一直線に延びておりこの姿は美しいと感じる。吊り橋を渡りはじめると、外観とは違って振れもなく安定していることに驚き、不安感など全く感じない。薄青緑色の湖面を眺めながら、気持ちよく対岸に渡ることができた。

対岸に渡ると、ここにも標識が乱立していた。左の道は柵が設置されて封鎖されている。ここは左のコンクリートの歩道を進んでスギの植林地に入ることにする。YamaKazuさんのアドバイス通り、ここに雪が乗って凍結したら怖い場所だ。しかし、今日のところは落ち葉が積もっているだけで、全く問題ない状態だった。杉林の中は弱い朝の光は差し込まず、暗い状態のままだった。吊り橋から100mほど進むと、そのまま水平に行くものと、上部に行くものに分岐した。分岐には地主が設置した「立木にテープを巻かないでください」の立て札が設置してあり、傍の切り株にはテープが幾重にも巻かれていた。YamaKazuさんの記録の通りであったので、迷わずここは上部に向かう道に入る。

スギの植林地内の道はわかりやすくしっかりとしており、不安感は全く感じられない。電光形に登っていくと、高度が徐々に上がっていくが、風景はちっとも変わらず植林されたスギが整然と立っているだけだった。単調な風景も尾根に近づいていくと、明るさが増してきた。それは尾根を挟んだ反対側は、明るい天然の広葉樹林だったからだ。広葉樹林から眼下を見ると、荒川に沿って集落が点在しているのがわかる。スギの植林地と天然林の境を忠実に辿って登っていく。踏み跡は濃くないもののわかりやすい。植林もスギからヒノキに変わり、再びスギに変わるとやがて植林はカラマツになり、そして天然林に変わった。それとともに道は積雪が多くなり、小動物の足跡が無数に見られるようになってきた。それに、日時が経過してしまっているが、先行者のトレースが残っていた。このトレースと赤テープの痕跡を確認しながら登っていくことにした。


尾根は植林地と天然林に分かれる電波反射板跡から秩父湖を見る
森林軌道跡の道なんと右側から読むのだ



さしたる展望もなく、ひたすら歩くことだけを考えながら登っていく。ふくらはぎのヒラメ筋が悲鳴を上げるような勾配である。歩き始めて2時間ほどでやっと電波反射板跡に到着した。この場所は整地されて眼下には秩父湖がわずかに見えた。それに武甲山あたりが遠望できる気持ちの良いところだ。ここでザックを放り投げて、休憩することにする。あんパンとゼリー飲料、ポカリスエットで腹を満たした。さて、ここからYamaKazuさん作成の地形図を見ると、左に向かって行くようになっている。その付近を探すと赤テープが巻かれているのを確認できた。あらためて、地形図を見ると、このコースは各ピークを結ぶ稜線を歩くことはなく、ほとんどが山腹を巻くように登っていくことに気が付いた。

電波反射板跡からは、水平に広い道を進んでいく。これはかつての森林軌道の跡だと言うことだが、廃止されてかなりの時間が経過しているのだろう。藪がかなり深く、すべてが自然に戻りつつある様に見える。歩き始めるとすぐに右上に続く道が分岐する。ご丁寧に赤テープも取り付けられている。ここで迷ったが、この森林軌道跡をそのまま辿ることにした。広い道は所々倒木があったり、崩落しているところもある。崩落場所は雪が乗っているので、通過はかなり慎重にならざるを得なかった。この森林軌道跡の道は展望もなく黙々と歩くのみだった。標高は1300m程度なので、まだまだ山頂までの標高差は700m以上ある。時間は刻々と過ぎていき、YamaKazuさんのタイムから遅れが目立つようになってきた。ちょっと焦りが心の中に現れてきた。雪の中からワイヤーが伸びるように出ている場所を過ぎると、錆びた森林軌道のレールと車軸が放置されている場所に着いた。ここがおそらく造林小屋跡なのだろう。みればワイヤーにウインチなども放置されている。先人の苦労が忍ばれる場所である。さらにレールに沿って歩くと、一升瓶が散乱され、波板が放置されている場所を通過した。さらに進むと沢に出会った。傍の立木には「遭難が多い」と言うような文字が書かれた、ラミネート加工した紙が貼られていた。そして、赤テープが点々とルートを示しながら上部へと導いていた。


車軸が木の根に取り込まれているここからスズタケの薮が始まる
スズタケの薮は積もった雪が煩わしいもうすぐ薮が終わるかな?



赤テープを辿りながら進んでいくが、時折不明瞭になることがある。こんな時はじっくりと落ち着いてマークを探すことにする。やがて、大きな赤布がぶら下がった立木が目に付いた。近づいてみるとその赤布には文字が書いてあったが、読み取る気になれなかった。ここからが、いよいよスズタケの藪の始まりとなるようだ。とりあえず灌木に掴まりながら登り、途中で斜め右の斜面にはい上がる。すると、スズタケが密集した中に道ができあがっていた。明らかに、刈り払いが行われたようで見事に切り開かれていた。しかし、この道は苦難の道となって、登るものを苦しめる道だった。周囲の笹の上に積もった雪が垂れ下がり、そのまま進むと全身が雪まみれになってしまうのだ。仕方なくストックで雪を払いながら進むしかない。この作業が延々と続いて行くのかと思うと気が重くなる。それに雪は毛糸の手袋を濡らして、保温性を低下させた。カメラのシャッターを押すために手袋を外すと、凍えて指先がすぐに動かなくなってしまった。そういえば今日の寒さは格別で、ストックに付けられた紐は凍って柔軟さを失い、針金の様だ。しかし、この作業をやめるわけに行かないので、気持ちを高めながら進んだ。


標高1700m付近でやっとススタケの藪から解放されると、何となく気持ちが楽になった。しかし、これからは岩場が多くなり、雪に足を取られる場面も多くなった。これは下山の時に苦しめられそうだ。馬酔木とシャクナゲの木が目立つようになると道の傾斜は緩やかになり、ちょっと開けた場所に着いた。ここには造林小屋から沢に向かったときにあったものと同じ、ラミネート加工した紙が立木に貼り付けられていた。目指す和名倉山山頂が木々の間から顔を見せている。しかし、先はまだまだ遠いようで、時間はすでに正午近くになってしまった。休むことは許されないので、このまま先に進むことにする。

山腹をトラバースするように続く道は実に辛い道だった。展望はなく、足下は倒木と岩場に雪が乗って不安定となり、歩くのが困難だった。時折、立ち入り禁止と書かれた黄色いテープが張ってあるところもある。それだけここは危険地帯と言うことなのだろう。時間を見ると、12時15分過ぎてしまっている。YamaKazuさんの記録を見ると、この時間にはすでに笹ツ場と呼ばれる場所を通過している。ここに来て、ちょっと危険を感じ始めていた。それは日没までに帰着できないのではないかと言う不安だ。せめて明るさが残る17時までに帰るならば、時間に余裕がないことは明らかだ。しかし、ここまで来て山頂に到達しないのは情けない。ヘッドランプもあるし、最後のスギ林の中は危険も少ないと思われるので、何とか頑張ることにする。


笹ツ場二瀬分岐付近



12時25分突然周囲が開けて、一部分が草原状になっている場所に到達した。ここが、各HPに紹介されている笹ツ場と呼ばれる場所だ。ここで休みたかったが、時間の余裕がないので、写真を撮影して再び樹林の中の道に入った。樹林の中の道ははじめはなだらかだったが、徐々に右斜めに方角を変えてトラバースしながら進んだ。このあたりは雪も深くなってきたが、それほど歩くのが困難な状態ではなかった。先行者のトレースがかすかに残っているので、それを頼りに先に進んだ。YamaKazuさんの記録から見れば、もう山頂に着いている時間なのにこちらは情けない状態でシラビソの雪の中をもがいている。時間とともに焦りが芽生えてきた。

なんとか、カラマツの疎林に入ると、そこは明るい日差しに満ちていた。すぐに将監峠からの道と合流する地点に着いた。ここが二瀬分岐で、地形図の表記は上部に登るようになっているが、赤テープとトレースは山腹を巻くように、続いていた。これにしたがって、このトレースを辿ることにした。明るいカラマツ林は実に心地いいのだが、眺めている余裕はなく急ぐ事だけを考えていた。ひたすら雪道を辿ると、突然目の前が大きく開けた。広大な場所に樹木が無くスキー場かゴルフ場にも見えるのだ。こんなところでのんびりしたいと思ったがそうも行かない。この千代蔵休ン場をまっすぐに進んで、ダケカンバの疎林の中に入ると山頂が近くなったことを予感させる。

和名倉山山頂の手前は裸地になっているようだが、雪のために確認できなかった。わずかに植林されたのだろうか、幼木が植えられているのを確認した。三角点のある場所はここから樹林の中に入って、先に進まなくては行けない。赤テープを頼りに、倒木を乗り越えて先に進むと、わずかな空間が開けており、三角点がそこに設置されていた。たいした感慨もなく記念撮影をして、この展望もない場所から逃げるように逃れてしまった。

先ほどの裸地まで戻り、時間を見ると13時15分だ。急いで昼食の準備に取りかかる。お湯を沸かしてサッポロ一番みそラーメンを作る。紙パックの日本酒を呑んだが、寒さでちっとも温まらない。出来上がったラーメンも箸が思うように使えずに、おいしさ半減だ。忙しく昼食をとっていると、頭上にはひっきりなしに飛行機が行き交っている。その機影もはっきりわかるのは、この山の標高が関係しているのかもしれない。それだけ、空に近いということなのかも知れない。

帰るために立ち上がったのは、13時45分、日没に間に合うかは微妙な時間となった。
うんざりとするような雪道を、何度もスリップしながら吊り橋にたどり着いたのは、かろうじてまだ明るさの残る時間だった。


千代蔵休ン場山頂が見えてきた
和名倉山山頂頭上の航空機が近くに見える



今回はピッケル、ワカンはまったく必要なかった。12本爪アイゼンは装着してみたが、不安定でスピードが出せないので使用しなかった。簡易アイゼンのほうが使えそうである。

YamaKazuさんの山行記録は完璧で役立ったが、コースタイムは私には全く当てはまらず、総計で1時間以上も差を付けられてしまった。



埼玉大学秩父山寮07:12--(.03)--07:15吊り橋--(.06)--07:21分岐--(.59)--08:20 1007m標高点--(.56)--09:16電波反射板跡09:23--(.39)--10:02造林小屋跡--(2.23)--12:25笹ツ場--(.21)--12:46二瀬分岐--(.04)--12:50千代蔵休ン場--(.15)--13:05和名倉山13:38--(.29)--14:07笹ツ場--(1.10)--15:17造林小屋跡--(.40)--15:57電波反射板跡16:02--(1.04)--17:06埼玉大学秩父山寮

この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平16総使、第652号)
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