追悼山行「平標山」
平標山から下山する

 K君が遭難してから、一ヶ月あまり過ぎた。ここでひとつの区切りとして追悼山行を行うこととなった。

 10月25日(土)

 懐かしい顔が再びそろった。今回はK君の奥様と二人の子供も参加して、総勢20人の大パーティーとなった。天気予報では冬型の気圧配置であったが、三国トンネルを抜けて新潟県側に入っても雨が降る様子はなかった。元橋で今回お世話になっている新治山岳会の方と合流して登山口に向かう。

 一ヶ月前と違って山はすっかり秋景色、落葉松の輝くような黄金色の葉が頭上を覆っていた。生花を手に持った人が何人もいるところが、いつもの山行とは違う。Kくんの7歳の娘と5歳の息子は大変に元気で、途中からは先頭を歩いて登りだした。途中でダウンしたら背負って歩こうと、皆で相談していたのだがそんな心配はなさそうだ。それに奥様も大変に元気で、明るい笑顔を常に絶やさず、こちらが反対に励まされるよあであった。

 あのときは、無我夢中でスノーボードを引っ張っていたのだが、ひとつひとつの曲がり角、ひとつの石、ダケカンバの木の一本にも何か思いが残っている。あそこで立ち止まった、あそこの笹原をダイレクトにスノーボートを下ろした事が鮮やかに蘇って来る。

 標高1500メートル付近からガスが濃くなってきた。どうやら山頂からの展望は望めそうにないのかもしれない。途中で写真撮影のために、先回りをして先頭に立ってファインダーを向けたら、息子が半ベソで目に涙をためている。どうしたのかと聞くと、「僕が1番、お姉ちゃんが2番、お母さんが3番で小屋に行くんだ」と言う。なるほどそう言うことだったのかと、息子をなだめて先頭を歩かせることにした。

 そしてついに予定時間を大幅に短縮して、小屋に到着した。もちろん一番は5歳の息子だった。お世話になった「平標山の家」の山口さんに挨拶、Kくんの家族3人がお礼を述べて、早速引き上げ現場に向かうことにした。

 現場へは、歩いて数分の場所だ。振り返るとガスが途切れて平標山から仙ノ倉山の山頂が一気に姿を現した。現場では献花、線香を焚いて全員が笹穴沢に向かって手を合わせた。

それから黙とう・・・・・・・・静かな時間が流れる・・遙か下を流れる沢音が耳に届いてくる。風が笹を静かに揺らしているのがわかる。メンバーの一人が、ツルリンドウの赤い実をひとつ取って、息子に大切にするように手渡した。

 そして全員で、「遙かな友に」を合唱。その歌声は山に響いた。

 小屋に引き上げ、昼食にする。ビールが旨い、メンバーが持ち上げた手作りのチーズケーキ、厚焼き卵、漬け物、などが大変に旨い。ついに満腹で動きが鈍くなってきた。これはイカンと平標山の山頂まで往復する事にした。とにかく空身なので大したことはないだろうと、簡単な気持ちで山頂に向かった。

 山頂までは、なんと立派な木の階段が延々と続いている。これも自然保護を考えれば仕方ないのかもしれない。30分弱で山頂に到着、Kくんの奥様と娘さんはそれから5分ほど遅れて到着。20人中の14人が山頂に立った。展望はそれほどでもなかったが、松手山付近までの山は見えていた。

 山頂で記念撮影後、小屋に戻った。

 小屋の前に繋がれている、秋田犬とチャウチャウの雑種の犬に別れを告げて、その小屋も後にした。

 そして、7歳の娘も5歳の息子も、ついに自分の足で平標山の現場まで道のりを、自力で歩き通した。これからもずっと自分の足で、しっかりと歩いて行くに違いないと思った。


「記録」
 10:08登山口--(1.14)--11:22平標山の家13:01--(.27)--13:28平標山13:55--(.16)--14:11平標山の家14:35--(.50)--15:25登山口

            群馬山岳移動通信 /1997/