岩と藪と新雪の西上州「社壇の頭〜天丸山〜帳付山〜ブドー沢の頭」
                                                   登山日2002年11月9日


社壇ノ頭(しゃだんのかしら)標高1307m 群馬県多野郡/天丸山(てんまるやま)標高1506m 群馬県多野郡/帳付山(ちょうづけやま)標高1619m 群馬県多野郡・埼玉県秩父郡/ブドー沢の頭(ぶどうざわのかしら)標高1658m群馬県多野郡・埼玉県秩父郡


馬道の紅葉と雪
 いまだに右膝の内靱帯に違和感があり、痛みが取れない。山もすっかりご無沙汰で、このままでは、年内にまともな山に行けそうにない。なんとか同行者を頼めば、もしもの時は心強いし、何よりも安心感がある。そこで前日に連絡をとったのが「山ラン」の無鉄砲サムライであるDJFだった。なにしろ登頂した山座は1000座におよぶ。そうしたらそのDJFが連絡をして呼び寄せたのがIASである。彼はさらに1500座に登頂している「山ラン」屈指の猛者だ。これは本当にありがたいことだが、リハビリでゆっくり山を歩けるか、危惧される事態となってしまった。

11月9日(土)

 上野村の野栗沢を過ぎ、奥名郷の集落を過ぎると舗装路は終わり、ダートの道に変わる。この道は現在工事中で、時間帯によって通行ができなくなる。(正確には工事が中断する休憩時間しか通れないと言うことだ)上部に向かって辿るとやがて道は二分する。左側にはプレハブの作業小屋があり、右には使われなくなった「天丸橋」が手入れもされずに残っていた。すでに登山口に到着しているDJFに無線で誘導してもらう。この分岐を右に折れて道なりに進むと言うことである。道は荒れてはいるが、車で走行するには全く問題にならない。やがてDJFが待つ登山口に到着したが、道はここで行き止まりとなっていた。いまだにIASは到着していないので、それまでの間はゆっくりと身支度を整えることにした。

 ここでDJFから驚愕の計画を聞く羽目になった。それは今日は5座を極めることができると言うのである。私の計画は帳付山だけで十分と思っていたので、これは困ったことになったと思った。なにしろ天丸山に行く前に「社壇の頭」に立ち寄り、「天丸山」を過ぎて「帳付山」を通過、さらに県境を南下して1658mの三角点のある「ブドー沢の頭」まで、そして帰りがけに「大山」に寄ってこようと言うのである。これは参ったな!リハビリのつもりがとんでもないことになりそうだ。

 集合予定時間の6時30分になってもIASがやってこない。ヤキモキしていると無線機から声が聞こえてきた。何でも寝坊して大慌てでこちらに向かっているという。現在地点は携帯電話が通じないので、無線は有効な連絡手段である。やがてIASが到着してメンバーが揃った。IASはなんと登山靴を忘れて、スニーカーでの出発となった。あわてたものだからほかにも、時計やGPSも忘れているらしかった。
社壇乗越への登り熊の爪痕

 登山口には「山火事があったために危険なので、登山はご遠慮ください」と言うような意味の看板があったが、三人とも全くそれに目もくれずに、雑木の斜面につけられた道を登り始めた。先頭はDJFだがハンデを持たせる意味で、12φ×40mのザイルを持ってもらった。西上州の藪山ではいつ役立つか分からないが、急遽撤退するときなどは必需品である。そんな彼のあとをやっとの思いでついていくと、登山口から7分で社壇乗越に到着だ。何という早さであろうか、この先が思いやられる事態となってきた。

 社壇乗越につくとDJFはすぐにザックを下ろして、社壇の頭に向けて歩き出した。IASと私はザックを背負ったまま、そのあとに続いた。やせ尾根を北に向かって息を切らせて登っていく。上空はものすごい勢いで風が吹いているらしく、ごうごうと木の上で音が鳴っている。そんな木の下部は熊の爪痕が生々しく残っており、何とも恐怖心を覚える。社壇ノ頭に着いたが展望は全く無く、数分留まっただけですぐに往路を戻った。

 社壇乗越しからはすでに盛りの過ぎた、落葉広葉樹林の尾根を歩くことになる。道にはわずかばかりの雪が残り、初冬の寒々とした風景が終始続いた。登山禁止の割には道はよく踏まれており、登る分には間違いは起こりそうになかった。しかし、下山時は枝尾根に迷い込む危険性は十分にある。たしか以前この山に登ったときに、道に迷った事が思い出された。しかし、そのとき登った風景が記憶に残っていないのは不思議だ。

 道なりに登っていくと、第3岩峰と呼ばれる崖の上に飛び出した。そして、目の前には今まで見たこともないようなピークが、屹立して聳えていた。これがまさしく天丸山の本峰に間違いなく、その岩峰は草木が見られず石灰岩の塊そのものであった。そしてその白い岩肌は、朝日を受けてなにやら艶めかしいほどの輝きを放っていた。
P3から見る天丸山の岩峰天丸山の岩場

 第三岩峰の崖は思ったほどの困難さはなく、立木につかまりながら慎重に降りれば問題はなかった。そして最後はしっかりとフィックスロープがあり、難なくコルに降り立つことができた。これならば登ることはそれほど難しい事ではなさそうだ。

 コルからはいよいよ天丸山の本峰に向かって登ることになる。山火事からすでに7年が経過しているのに、いまだにその焼け跡は回復していない。たしかこのあたりは苔が密生して、布団の上を歩いているような感覚があったような気がする。しかしいまはその面影は全くない。コルからは倒木を跨いだり、くぐり抜けて歩きやすそうな場所を選んで登り出す。登山禁止と言うだけあって、フィックスロープのたぐいは全く見られない。DJFが先頭でルートを開拓しながら迫り上がっていく。そのあとはIASがサポートしているが、私はすでにバテ気味で、さらにずっとしんがりを登って行くのがやっとだ。それにしても軍手だけでは、何とも指先が凍えて思うように動かない。それだけ今日は気温が低下しているのだろう。
天丸山での無線運用天丸山山頂で記念撮影

 岩場は思ったよりもあっけなく登ることができた。しかし、ここを降りるとしたらロープでもなければそんな気にはとてもなれないだろう。まして天候が悪化していたら、命がけになることは間違いなさそうだ。傾斜が緩やかになり、展望を楽しむ余裕が出るようになると、三角点のある天丸山の山頂に飛び出した。山頂に到着すると、早速DJFとIASは無線機を取り出して交信をはじめた。私はすでにここでの交信は済んでいるので、眼前に広がる大展望を楽しんだ。西の諏訪山方面と、神流川を取り巻く山塊が山座同定もできぬほど頂をいくつも見せていた。そして大福をひとつ頬張ると、すでに二人は交信も終了してザックをまとめはじめた。え〜〜〜!まだ5分しか経っていない!!しかしそんなことは当たり前のような様子で二人は立ち上がった。「ちょっと記念撮影」と言って三人で揃ってカメラの前に座った。(結局はこれが唯一の三人揃っての記念撮影となった)さすがは山ランのエキスパート、ピーク以外は全く興味が無いらしい。
天丸山の岩場下降
 わずか8分の天丸山での山頂滞在を終えて、県境稜線に向かうことにする。切り立った岩場が待ちかまえていたが、こちらは山火事の被害が少なかったのか、灌木がかなり残っており、その分下降もいくらか易しい。そうはいっても気を抜いたらタダでは済みそうにない。寒かったために毛糸の手袋に替えたのだが、邪魔になったのでそれを脱いで岩に掴まった。

 なんとか下部に到着、県境稜線までは薄い笹藪で道はしっかりしていた。展望は先ほどまで登っていた天丸山のピークも見えぬほど灌木が密生している。ゆるやかな登りを一列になって登ると、ほどなく大山から帳付山に続く道に行き当たった。ここが県境で上州と武州を分けていることになる。さてここからは道を西進して帳付山に向かって歩くことになる。道は思っていたよりもしっかりとしており、よく歩かれているのか、整備されているのかトレースが残っていた。

 稜線を分岐から下ると馬道のコルに出る。ここは十字路になっていて秩父方面の道もしっかりしているようであったが、どうなっているのかは情報が無いので不明のままだ。コルからは再び登りとなり、振り返ると天丸山が灌木の間に見えたが、それもわずかの間に見えなくなってしまった。

 県境稜線の道は相変わらずしっかりしており、踏みあとは確かなものだ。しかし、岩場に突き当たると、それを直進するのか右か左に巻くのかの対応が難しくなる。先頭を行くDJFは的確にルートを捉えて難なくスピードを上げていく。そのあとのIASもそれに追従して歩いている。私はそれを追いかけるのがやっとで、しばしば二人の姿を見失う事になった。
帳付山山頂標識
 分岐から1時間ちょっとでなんと帳付山に到着してしまった。エアリアマップのコースタイムの半分だ。それだけコースが良くなったのか、急いだのか分からないがとにかく疲れた。山頂は樹林に覆われて展望は利かない。手製の山頂標識がひとつ立木に掛かっていた。西側の崖の上に出ると諏訪山が間近に見られ、遠くに目を向けると半分が雲に隠れた浅間山が見られた。しかし、風が強くとても山頂からの展望を楽しむ余裕は無かった。すぐに物陰に隠れたいところだが、なかなかその場所は得られなかった。寒いのでフリースを着て見たがあまり効果は無かった。二人は相変わらず無線機を取り出して、相手を捜し出している。こちらは疲労困憊で、無線機は出したが奥の手QSOしかする気になれなかった。

 そのうちにDJFが「これから先に行ってこそ、価値があります」と言って、私を急き立ててザックを背負い込んだ。(おいおい!もう行くのかよ!!)と思ったが、ブドー沢の頭に行ってみたい欲望は抑えられなかった。相変わらずしんがりで、二人のあとに続いた。ところがここで両足が攣ってうまく歩けなくなってしまった。しかし、我慢してなんとか歩いてみたが、二人からはどんどん離れるばかりだ。それでも何とか歩いているうちに、なんとか左足は回復したが、右足は痛めた靱帯に痛みが走り、思うように膝が曲がらなくなってしまった。もうこうなると気力の勝負になってきた。
深い笹藪の道
 この帳付山からの県境尾根は複雑で、下降点を見逃したらとんでもないことになる。はじめは笹のない樹林帯からはじまったが、下降するに従って笹が深くなり、ついに先行者の姿もすぐに視界から消えてしまうほどになった。こうなると本格的な藪こぎとなるが、笹があまり太くないのであまり力はいらない。しっかり笹の根元を見れば、それなりの踏みあとがあるので、まんざら未踏のルートでもなさそうだ。しかし、岩場にさしかかると、踏みあとは極端に不明瞭になり、ルートを失ってしまう。それは帳付山までのルートとは明らかに違い、難易度が増していた。岩場を巻くと、そこには決まって窪んだ場所があり、座って休んだら気持ちいいだろうと思われた。そんな誘惑に駆られながらも痛む足を引きずって前に進んだ。

 1609mのピークあたりにさしかかると、上空からの雪が激しくなってきた。見る間に笹の上には雪が積もり、あたりを銀世界に変えていった。目指すブドー沢の頭あたりは、雪で見えなくなっている。時折スニーカーを履いているIASが、雪が入ってしまうので立ち止まっては雪を靴から掻き出した。せめてスパッツでもあれば何とかなるのだろうが、あいにくそれもつけていなかった。それでも何事もなかったように歩くところは、超人の域に達していると思った。

 そんな二人が突然立ち止まった。そして山頂が近いから、私にブドー沢の頭の山頂を先に踏むように、先頭を譲ってくれるという。ありがたい言葉なので、痛む足を何とか気力で動かして先頭を進んだ。ところが、先頭は雪をかぶった笹が密生しており、笹をかき分けるたびに頭の上から雪が落ちてくる。見る間に体中が雪まみれとなってしまった。え〜〜〜い!もうヤケクソだ。かまわずどんどん笹をかき分けて進んだ。

 すると突然、笹が刈り払われた場所に出た。その中心には待望の三角点が見えていた。まさにここがブドー沢の頭であった。山頂標識もなく展望もなく、そこはタダの藪の中の一角に過ぎないところだった。まずは3人で握手をしてから、DJFが持参してきたビールで乾杯となった。雪が降りしきるような寒さだったが、ビールは思いの外うまかった。そしておきまりの無線運用であるが、3人で結城郡の局と代わる代わる交信した。(本当はここで持参してきたラーメンを食べたかったが、とてもそんな雰囲気でなかったので持ち帰ることになった)15分ほどの滞在ですぐに山頂をあとにした。時間は12時を回っているので、急がないと日没に間に合わなくなる可能性がある。
ブドー沢の頭 山頂三角点雪が激しくなってきた

 帰路の道は雪が積もってきた関係で、印象がずいぶんと変わってきた。それよりも、雪が靴底にくっつき歩きにくいことと言ったら無い。当然スリップしやすくなるので慎重に歩いた。ところが斜面でついにスリップしてしまった。そのときに右足の痛めた靱帯を再び決定的に伸ばしてしまった。二人からはどんどん遅れる一方だ。時々遅れるのを心配して立ち止まってくれるのだが、今日の山行のお荷物となった自分自身が、その度になにか情けなくなった。しかし、岩場の登りでは膝を曲げる事が大変な苦痛になっていた。痛みを通り越して、痺れるような感覚にさえなっていた。

 なんとか馬道のコルまで来たときに、ついにギブアップしてしまった。ここで分かれて私は馬道経由で戻ることを二人に告げた。どうしても登りに耐えられなくなってしまったからだ。二人もそれを察していたらしく、同意して大山に向かってコルから登りだした。
馬道をゆっくりと歩く
 馬道は幅が広く予想通り登りも少なく快適な道だった。気分的にも落ち着き、自分のペースでゆっくりと雪の舞う中の紅葉を眺めながら歩いた。順調に行けると思ったのだが社壇乗越の場所を勘違いして、わざわざ広い道を外し、妙な尾根に迷い込み30分も彷徨してしまった。(GPSをまともに確認しなかったこともある)

 何とか登山口に戻ったとたんに、分かれた二人から無線で連絡が入った。大山から無事に下山して林道に到着したと言うものだった。聞けば大山から直接下りたのだが、ザイルは使わなかったそうで、同行しなくて良かったと胸をなで下ろした。私は二人を迎えに天丸橋まで車で雪道を急いだ。

 それにしても、今回はエキスパート二人に何とか追随して歩こうかと思ったが、それが叶わなかった。やはり1000山や1500山と言うのは尋常では出来ぬものだと思った。しかし、山ランの仲間には2000山を越えるメンバーがいることを考えると、めまいがするような数だとあらためて感じた。

 この次は、体力をつけて靱帯を回復させて順調に歩けるようになりたいと思う。(しかし、あと一ヶ月で50歳そんなこと出来るかな)

登山口から見た大岩と天丸山(右の岩峰)

「記録」

奥名郷登山口07:15--(.07)--07:22社壇乗越--(.10)--07:32社壇ノ頭--(.05)--07:37社壇乗越--(.44)--08:21第3岩峰--(.34)--08:47天丸山08:55--(.21)--09:16分岐--(1.04)--10:20帳付山10:40--(1.13)--11:53ブドー沢の頭12:10--(.59)--13:09帳付山--(.53)--14:02馬道のコル--(.54)--14:56迷う15:29--(.25)--15:54社壇乗越--(.09)--16:05登山口


群馬山岳移動通信/2002/