忘れ物で2回登った「秩父槍ヶ岳」  
                                                              登山日2008年12月27日







槍ヶ岳(やりがたけ) 標高1431m 埼玉県秩父市/コンサイス山名事典では1430mの地点を指している




2008年の年末は未曾有の大不況の幕開けとなってしまったようだ。さまざまなところで、その影響が出ている。せめて、年末の締めくくりは、そんなことを考えずに過ごしたいと思っていた。そんなときに、Kさんから嬉しい山の誘いが飛び込んできた。猫吉さんも一緒とのことで、気の置けない仲間との山行何事にもかえがたいものだ。


12月27日(土)

前日の職場の忘年会は適当に切り上げて、朝5時に起床して集合場所に向かった。自宅から秩父には何度か通っているが、どうも道がよく解らない。そこで、正攻法で関越自動車道の花園ICまで行き、皆野寄居有料道路を使って行くことにした。特徴的な滝沢ダムのループ橋を渡り、中津川大橋の手前で右に折れて相原橋に向かう。相原橋には8時ちょっと前に到着。猫吉さんはすでに準備完了で、アイゼンを付けたままで気合い充分だ。Kさんは、いつも通り付近の偵察に余念がない。遅れてはいけないと、早速準備に取りかかる。路面の状況からアイゼンは欠かせないから、6本歯の軽アイゼンをザックにしまい込んだ。慌ただしく準備を終えるとすぐに出発となった。


中双里集落から槍ヶ岳
登山口
整備された道
沢に沿って登る
観察小屋



Kさんを先頭にして、登山道に入る。入り口にはさまざまな注意書きと標識が乱立し、登山届けを入れるポストが設置されていた。どうやらここは「野鳥の森」の遊歩道になっているらしい。それが証拠に、相原沢に沿って歩く道は、柵が設置されてそれなりの整備がされている。落ち葉の積もった道をガサゴソと雪道のラッセルのように進んでいく。程なくログハウス調の立派な野鳥観察小屋に到着。まあ、谷沿いのこの小屋で息を潜めて、野鳥を観察するには、気合いが必要かも知れない。


観察小屋の先には「老人・子供は危ないから歩くな云々」という意味の標識が置いてあった。まあ、どこからが老人なのか線引きが曖昧なのであるが、本日のメンバー3人は問題ないだろう。歩道は次第に沢から外れて、スギとヒノキの混在する植林地を九十九折りに登っていく。途中で崩落した場所があり、登山道が切れているが、迂回路が設定されているので問題はない。しかし、この崩落箇所のおかげでこの場所は谷を挟んだ対岸の斜面が見えるので気分が良かった。見えているのは対岸の北斜面なので、雪がべったりと付いている。しかし、今歩いている植林地の斜面は雪はほとんど見られず乾燥しているようにも感じる。


注意書き
崩壊地の迂回路
崩壊地
迂回路を過ぎると立派な道がある



標高1140m付近で尾根に乗り、ここは展望のあるちょっとした広場の様な場所になっていた。標識には「野鳥の森終点750m」の表示が見えていた。ここからは上部に向かって尾根を登っていくことになるのだが、猫吉さんの姿が見えないために、しばらく待つことにした。猫吉さんは数日前に黄熱病の予防接種をしたばかり。どうやら軽度であるが発症しているようだった。黄熱病と言えば野口英世博士が自ら感染して命を落としている危険な伝染病だ。猫吉さんの言うには、昨日登った山の記憶が全く消滅しているという。黄熱病なのか年齢によるところのボケなのか解らぬが、調子は良くないようだ。


そんな心配をしていると、やがて鼻歌混じりに快適な様子で猫吉さんが登ってきた。よかった、調子が良さそうなので、Kさんと胸をなで下ろした。その上、なんと我々の前で、石につまずいて見せるパホーマンスを演じた。しかし、しきりに左肩の防接種の痕を撫でている。大げさなマウンテンコートと高所帽を被ったままなので、体調は完璧でないことは明らかだった。


わずかな時間休んでから、尾根の道を登り始めた。この付近からわずかな積雪が見られ、帰路は困難が予想された。展望は相変わらず無いが、時折ドーム状の槍ヶ岳が見えていた。いつしか、植林地も終わり落葉樹中心の天然林となった。「終点まで250m」の標識が現れると、次第に風が強くなり気温も低下したように感じた。そして、風が強くなり今まで開けていたシャツのボタンを閉じる頃に、「野鳥の森終点」のピークに立つことが出来た。このピークは1450mで本日の標高最高地点である。猫吉さんは相変わらずマイペースなので遅れている。Kさんはこのピークに立ち止まることもなく、先に進んでいった。


1140m付近にあった岩の上に立つブナの巨木
1140m付近
槍ヶ岳が見える
終点直下



この最高点からは雪が乗った急傾斜の痩せ尾根だった。ストックを慎重に使って足元を確かめるように下った。アイゼンを出そうとしたが、Kさんは何の困難もなく下降していくので、私も自身の技量を顧みずそれにならった。それにしても厳しい道だったが、帰路に確認するとピークの北東に巻き道があったので、これを使えば何の苦労もなかったのだ。痩せた稜線尾根を積めていくと、再び小さなピークに到達した。ここでKさんが立ち止まっていた。「このピークがコンサイス山名事典に載っている秩父槍ヶ岳1430mです」「標高点の1341mはさらに下降して行かなくてはならない」まだ先があるのかと、この言葉にちょっとだけへこんでしまった。ともかく、このピークで遅れている猫吉さんを待つことにする。


30分ほど待ってようやく猫吉さんが到着、顔は笑っているがかなり疲れている様子である。猫吉さんはこのピークがコンサイス山名事典に記載された場所であると言うことで、すっかりと満足している。ここで、猫吉さんのサプライズイベントが始まった。それはKさんの2000山+αの登頂記念イベントだった。手作りの横断幕とワインを持ってきたのだ。横断幕を三人で抱えて記念撮影したが、ナント猫吉さんが中心に陣取ってしまったのは、次回3000山記念の予行演習だろうか。ともかく、2000山、3000山というとてつもない記録を持つ人と、一緒に記念撮影する私は端の方で、身体を小さく折りたたんだ。


終点ピークからの下降
1430m山頂の達筆標識



猫吉さんはこのピークで、休憩するというので、Kさんと私はこの先の1341mの標高点を持つ槍ヶ岳に向かうことにする。今度は軽アイゼンを装着したので雪の乗った下降もあまり不安はない。Kさんはアイゼンも着けずにどんどん先に行ってしまい、灌木の中に消えてしまった。まあ、急いで怪我をするのも嫌なのでマイペースでそのあとを追った。途中で赤岩尾根が見える地点と、出発点の相原橋付近が見える場所があったが、総じて展望はなかった。TV共聴アンテナのピークも展望は無かった。このアンテナ施設の手前を西の斜面に下降して進んでいくと中津川集落に行くと思われる道を分けた。さらに進んで今度は小ピークの登りに取りかかる。すると、Kさんが戻って来るではないか。展望がないので数十秒で戻ってきたという。すれ違って、私は寂しく登って山頂に立った喜びを味わった。山頂には、場違いのような標識があり、その先は「行き止まり」という表示がロープにぶら下がっていた。


TV共聴アンテナ
赤岩尾根
1341mの山頂



猫吉さんの待つ1430mのピークに戻り、今度は3人が列をなして登ってきた道を辿りながら相原橋に戻った。相原橋に着くことに、私は忘れ物をしていることに気がついた。それはアクリルの毛糸で編んだ、定価500円ほどの帽子である。きっとズボンのポケットに閉まったのが何処かで落ちたのだろう。この帽子、どうしても諦めきれないままで、野宿の夜を過ごした。






12月28日(日)

帽子を探しに再登山となった。
一人で登ると、今まで見えなかったものや音が聞こえてくる。
静かな山は素晴らしい。
帽子を紛失したおかげで、なにか得をしたような気がした。

帽子は1140mの「終点まで750m」の標識の近くに落ちていた。
今度は無くさないように、ザックの中に詰め込んで下山した。


帽子発見


12/27
相原橋08:07--(.19)--08:26観察小屋--(1.17)--09:43休憩(1140m)09:59--(.43)--10:42野鳥の森終点(1459m峰)10:45--(.11)--10:56槍ヶ岳(コンサイス)11:55--(.06)--12:01TVアンテナ--(.13)--12:14槍ヶ岳12:17--(.23)--12:40槍ヶ岳12:58--(1.19)--14:17相原橋

12/28
08:13相原橋--(1.03)--09:16帽子発見(1140m)09:28--(.36)--10;04相原橋



群馬山岳移動通信/2008




GPSトラックデータ
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平16総使、第652号)