林道歩きばかり「父不見山」    登山日1994年3月13日


父不見山(ててみえずやま)標高1047m 群馬県多野郡・埼玉県秩父郡
父不見山山頂
 父不見山は神流川右岸にあり万場町を見おろす標高1047mの山である。(コンサイス山名辞典では隣のピーク、三角点のある長久保山の標高1065.7mが記載されている)読み方は地元で「ててめえじ」と呼んでいるので、これが正式な読み方であったのだろう。しかし、どんな経緯なのかは分からぬが、「ててみえず」あるいは「てみえず」と言った呼び方が全国的に紹介されているので、いつの間にかこの呼称は消えてしまっている。これはまことに残念だ。

3月13日(日)

 先週は風邪を患ってしまって山は休んでしまった。何か一週間に一度は山に行かないと調子が悪い。これはあきらかに病気かも知れぬ。今回は地元のRBBSでお世話になっているYさんに同行をお願いしての山行になった。Yさんは殆ど私と同年代ながら、実に落ち着きのある紳士である。体型もまことにスマートなので、これまた私とは全く異なる。
 車で神流川沿いの道を走り、万場町に入る。万場高校前の道を左に曲がり、生利大橋を渡ると、道は山の中に入り、すぐに左に大きく曲がったところに橋があり、更に10m程先に林道沢口線の起点が右にある。この林道は未舗装で幅員も狭そうなので、車はここの起点に駐車する事にした。

 車を降りて林道を歩き始める。小さな沢を渡り林道はそのまま沢の左岸を登っていく。Yさんと並んで歩いてちょうど良い広さだ。軽自動車ならば、かなり楽に通行出来そうだ。所々に雪が残っており、この山の雪もあとわずかで消えて、春が近いと感じられる。それは、道の土がぬかっている事からも感じられる。

 この道はやがて幅の広い林道に、直角に接続する事になる。ここは変形十字路になっており、父不見山の文字の入った標識がある。しかしこの標識は倒れており、果たして設置してあった状態ではどんな方向を示していたのか、さっぱり分からない。Yさんと標識を起こして考えたが分からず、結局は歩いてきた道を、そのまま直進する事にした。(広い林道を横切って渡る)この広い林道は帰ってから解ったのだが、万場町生利から土坂峠に続く道の途中から来ている道であると思われる。

 この十字路からは再び沢沿いに歩き、数100m先で、右に大きく曲がってからは単調な林道を歩く事になる。右に、左にと、気の遠くなるほど何回も曲がり返して標高を上げていく。この林道は木材の運搬に使われているのだろうか、林道の脇には明らかに最近伐採があったと思われる形跡が随所に見られた。Yさんと、よもやま話をしながら歩いたので何とか気が紛れたが、こんな道は話し相手がいなければとても歩けまい。まして泥んこ道は、靴が泥だらけになってしまうので閉口してしまった。

 林道変形十字路から25分歩いたところで、ガイドブックとは全く異なる道を歩いているらしいと気付いた。迷ったのだろうか?気持ちを落ちつける意味で休む事にした。北の方角には御荷鉾山塊が立派に見えている。スーパー林道と、ゴルフ場が山肌を削っておりなんとも痛ましい姿だ。この御荷鉾山塊の西にある赤久縄山は、自分がいる場所の山の尾根が邪魔して見えない。この地図に記載されていない林道は何処まで続いているのか解らぬが、とりあえず父不見山の近くまで行っているだろうと、解釈してこのまま林道歩きを続行する事にした。

 再び単調な林道を登って行く。この林道もやがて傾斜が緩やかになり山を巻くように、切り開かれている。そしてついに道は下り坂になってしまった。ふと南の山側を見ると、父不見山らしきピークが見えている。残された道はこれしかない。そう、ここからピークを目指して、この林道から薮の中に入って行くしかない。

 薮と言っても数年前に、このあたりは山火事があった所らしく、木の根元は黒く焼けた跡が残っている。また、その火事の後遺症なのか下草があまり無く比較的歩き易い。忠実に尾根伝いに歩いて高度を上げていく。所々踏み跡らしきものもあったが、Yさんは「雨水の通った跡ですよ」と、かなり現実的な意見で物事を冷静に見ている。ひたすら高度を上げて行くと、目指す稜線に標識が見えてきた。やれやれ一安心と、思ったが最後の登りで行き詰まってしまった。傾斜が急で私の体重ではかなりの重労働となったからだ。その脇をYさんは私を追い越して先に山頂に達してしまった。少し遅れて私も何とか山頂に到着する事が出来た。

 山頂は南の埼玉県側が桧の伐採が進みスッキリしている。索道も設置してあるところを見ると、現在木を切り出す作業中なのであろうか。遠方には雲取山方面の山が立派に見えている。山頂には松の木が生えておりなかなか趣がある。そしてここには、「三角天」と刻まれた石がある。「点」でなくて「天」とあるのはどんな意味なのか解らない。そしてこの昭和5年と書かれたこの石には「標高千0六十四米」とある。又山頂標識には標高1047mとあり、いずれが正しいのか良く解らなかった。

 山頂では430Mhzで地元の万場町のご婦人とQSOする事が出来た。見通し距離と言う事もあって「RS−59」であった。その後はYさんとシグナル交換をして、カードの交換をJARL経由と言う事で約束してQRTした。何か無線機からの声よりも肉声の方が大きかった様だ。ひとくぎり付いたところで、昼食にする事にした。私が350ccを出したら、Yさんはトリスと日本酒を出して来た。困ったものでまずは乾杯から始まってしまった。Yさんは最後までトリスの瓶を股の間に挟んで、帰るまでチビチビ飲んでいた。そのために、酒の匂いが別れるまで消えなかった。さすがは酒豪である。そんなものだから、山頂に約90分も居座ってしまった。


 帰りは正式なルートを歩いて見る事にした。歩き始めてすぐに私は足元をとられて、しりもちをついてしまった。これはアルコールのためなのかとも思った。Yさんはそんな事は意に介せず、私が転んだ所で白い大きなキノコ(さるのこしかけに似ている)を拾ってニヤニヤしている。Yさんは結局この両手を広げた大きさのキノコを持ち帰った。大したものだ。

 杉の峠は石祠があり傍らには杉の巨木がある。ここは十字路の様になっていた。埼玉県側からのルートとが来ているものと推測された。左にルートを取ると道は又すぐに大きな広い道に出た。ここで今日始めて単独行の登山者にあった。今頃から登るのだろうか?かなりこの山に精通しているらしく、道を聞いたところ、かなり詳しく道を教えてくれた。

 さらに下山を続けるとやっと林道に着く事が出来た。そこはあの変形の十字路だった。倒れた標識が指していた方角は間違ってはいなかったが、これでは解らない。正式には登って来てこの十字路に出会ったら、右に曲がって林道を20m程歩くと、山側に登山道がある。これを登って暫く行くと再び林道に出会う。これを横断して進むのが正式である。

 ここからは林道を忠実に辿って、大きなキノコを抱えたYさんと車を駐車した場所に戻った。

 この山は一度登らないと道が良く解らない山だ。しかし一度登ると、再び登るには躊躇してしまう。今回は同行者に恵まれた事と、地元の方にお世話になった事が、印象に残った。




林道沢口線起点10:44---(.26)---11:10林道変形十字路---(.49)---11:59尾根の薮に入る---(.28)---12:27父不見山14:05---(.16)---14:21杉の峠---(.52)---15:13林道沢口線起点


        群馬山岳移動通信 /1994/