無線機から煙が出た「天丸山」   登山日1994年11月5日


天丸山(てんまるやま)標高1506m 群馬県多野郡
登山道より山頂部分
 群馬県多野郡上野村を貫く、国道299号線を車で走ると気になる標識がある。それは「天丸山」と書かれた立派なものである。ここが天丸山へ続く道なのかと、横目でにらみながら何度か通過した。

 11月5日(土)

 下仁田町から塩ノ沢峠を越えて、毎度お馴染みの道路工事に閉口しながら上野村にはいる。国道299号線を中里村に向かい、新要橋を渡ると「天丸山8km」の標識がある。ここを右折して沢沿いの道を進む。「すりばち荘」の脇を通り、右折して山道を登る事になる。道は狭い部分もあるが、舗装されており走り易い。しかしこの舗装も奥名郷の集落を抜けるとダートに変わる。しばらく進むと、カーブの所で車が2台駐車してある場所に着いた。さてはここが登山口かと思い、車を駐車しようとしたが、ここには適当な空地がない。しかたなくさらに50メートル程進んだ所に適当な場所があったので、ここに車を駐車した。当然路上駐車である。

 登山口は林道の入り口ともなっていた。しかし、この林道の荒廃はものすごい有り様だ。それでもまがりなりに、入り口には鎖が掛けられて、一般車の進入を防いでいる。脇には朽ち果てた標識があり、わずかに天丸山探勝路の文字が読み取れる。もしここに車が駐車していなかったら、私自身ここが登山口と気付かなかったに違いない。

 荒廃した林道は身の丈ほどの草が生い茂り、わずかに登山者が歩いた形跡の場所だけ道筋が出来ている。そんなものだから、キンミズヒキなどの実が、衣服におびただしいほどくっついた。それでもなんとか草をかき分けながら歩くと、立て札があり、「わさびの採取禁止」と書いてある。何処にわさびがあるのかと、沢のあたりを見ると、たしかに緑の色もみずみずしい、わさびの葉が水の流れの中にあった。これでは、ここにわさびがありますよと言っているようなものだ。なんとも親切な立て札だと思った。

 先ほどから気になっていた、機械の音の正体が何となく分かってきた。前方の目指す山腹にガードレールが見え、さらにひっきりなしにダンプが往来しているのが見える。さらに目を凝らすと、ショベルカーが盛んに動いているのが見える。なんだか情けなくなってきた。なにしろはるか上部には立派な道があり、自分が歩いている道は下草に行く手を阻まれながら歩いているのだから。それでもやがて自然林の中に入るようになると、下草が少なくなり歩き易くなった。所々には霜で黒ずんだオヤマボクチがドライフラワーになっていた。

 林道に出るとその道は立派な林道だった。標識には「民有林道開設工事/上野大滝線/6.7.6−7.2.28」と書いてあった。ここまで30分あまり歩いたので、この林道を利用したならば、かなりの時間短縮が可能だったと思うと悔しい。それにしても、ここは群馬県の自然環境保護地域に指定されている筈なのだが、行政とは自分で規則を作っておいて、勝手に解釈するのが得意なようだ。

 林道を横切り、道は再び山道にはいる。今度はヒノキの植林された歩き易い道であり、気分的にも気持ち良い。尾根に着いたところが社壇の乗越と呼ばれるところだ。右からは不二洞から来た道、左は馬道と呼ばれる尾根を巻く道と尾根道に二分する。馬道は道が平坦なのだが薮漕ぎが多いらしいので、尾根道を登る事にする。設置された立派な標識は、馬道を指していた。

 尾根道はやはり薮が多く、あまり歩き易いとは言えない。それでも葉が落ちる季節なので、若干まわりが見えるので気分的には楽だ。しかしこの薮では、夏に登る事は絶対に不可能であろう。忠実に尾根筋を辿り、道を失わないように歩く。しかし落ち葉が深くなっているので、所々分かりにくいところがある。時折現れる変色した赤テープがあるので、このルートが正しいのだろうと思わせる。索道に使ったと思われる、錆びたワイヤーの束を見送るとそこが1307mのピークだった。さしたる展望もなく、石柱と赤いプラスチックの杭が打ち込んであるだけだった。

 ここからは露岩の多い道になった。落ち葉に隠れた岩に乗って思わず、転びそうになりながら歩いた。紅葉は今が盛りであるが、天候が今ひとつすっきりしていないので、その輝きは半減だ。ところでこの尾根道は展望が無く、アップダウンが多い。調子良く歩いていくと、突然切り立った岩の上に出る。そこで少し戻って、道を探すと言った事の繰り返しを行いながら歩くので、時間の割には距離ははかどらない。時には岩登りの真似をさせられたりする場所もあり、久しぶりに岩の感触を楽しんだ。しかし手の甲に擦り傷、薮をくぐったので目の下に切り傷を作ってしまった。

 P3と呼ばれる岩峰に着くと、天丸山のピークが、バナナを半分にして立てたような姿で、立っていた。天丸山があまりに見事な姿なので、この岩峰の上でしばらく休んでその勇姿を、眺めて過ごした。

 腰を上げて先に進もうとしたが、この先は岩壁で落ちている。左にまわってみたが薮で道らしきものはない。右に行ってみたが、踏み跡らしきものがある割には、かなりの角度で岩壁が落ちている。はたしてどうするべきか考えてしまった。良く目を凝らして見ると、何やら立木にロープが掛けられているのが見えた。なにしろまわりの岩や泥の色と同じで、分かりにくいので発見が遅れたのだ。ロープにつかまり何とか下に降りたが、このロープが無ければかなり緊張した、ルートを取る事になったに違いない。

 天丸山の最後の登りは、かなりの急勾配だった。コメツガの根につかまりながら、息を整えながらゆっくりと登る。時折一面に広がっている苔に触れる度に、その柔らかな感触を楽しんだ。その内に傾斜も緩くなり、人の話し声が聞こえだした。

 天丸山山頂は六畳ほどの狭い場所だけが潅木が無く、土がむき出しになっていた。三等三角点が裸土の隅に設置されていた。そしてKUMOがなんと、そこのいちばん記念写真に向く一等地に設置されていた。これではKUMOはここに来た人が記念撮影する度に、必ず写し込まれるに違いない。それから少し離れた東側には「K・A」氏の山頂標識が打ち込まれていた。これはかなりの力作で立派なものだった、気が引けたが裏に落書きを施した。

 山頂は既に中年の登山者が三人休んでいた。場所を空けてもらい、山頂の一角に陣取った。ガスコンロに火をつけ、カップラーメンの準備をしたが、なんとコンビニで箸を入れてくれなかったらしい。カップラーメンの蓋を利用する奥の手もあったのだが、幸いに立木が多かったので、その枝を利用した。何気なくまわりを見ると、やけに緑の濃い木がある。季節外れの花の芽を付けているのだが、それがアセビの木であると気付いたのは、かなりの時間がかかっていた。そして自分が手にしている箸が、アセビの枝である事に気付いた時は。もうカップラーメンを食べ終わった時だった。何となく舌が痺れるような、感覚がした。

 山頂で先に来ていた登山者と一時間ほど、話し込んで楽しい時間を過ごした。その後、いよいよ無線機を取り出し、運用に取り掛かる。いつものように外部電源にコードを接続した。しかし、どうも様子がおかしい、LCDの表示が出ないのだ。そのうち何やら無線機の下部から煙が立ち上がったので、思わず電源を取り外した。良くみるとプラスとマイナスを逆に接続したのが原因のようだ。再び正規につなぎ直して、やってみたが今度もLCDは何の表示もしない、完全に壊れたようだ。それでもと思い、付属のバッテリィーパックをセットしてスイッチを入れると、幸運な事にこちらは使える。これで、三局QSOして閉局となった。

 帰りは往路を忠実に戻ったつもりだったが、P2あたりで枝尾根に迷い込んで、ちょっと緊張した。ここのところ迷う事には馴れてきたのと、時間が早かったので、あまりパニックにはならずに済んだ。


「記録」

 登山口09:27--(.26)--09:53林道--(.10)--10:03社壇の乗越10:06--(.15)--10:211307mピーク--(.36)--10:57岩峰(P3)11:01--(.21)--11:22天丸山山頂13:58--(.21)--13:19戻る--(.06)--13:25登山道--(.59)--14:24登山口


                     群馬山岳移動通信 /1994/