あこがれの山頂に立つ「錫ヶ岳」  登山日1999年5月2日


錫ヶ岳(すずがたけ)標高2388m 群馬県利根郡

賽の磧への登り
 錫ヶ岳は、日光白根山の南西方向の群馬・栃木県境にある。その山頂に立つことは、藪山に登るものにとって、ひとつの勲章とも言えるような山である。いままでは山中で一泊をしなければとても登れない山と考えられていた。しかし去年、QZWが紹介したコースを利用すれば、日帰りが可能とのことである。しかし、今回私が歩いたところこのコースはさらに劇的な変化を遂げていた。そのことによって錫ヶ岳はさらに簡単に登れることになりそうである。

 5月2日(日)

 いくら日帰りと言っても、夜明けと同時に歩き出さないと予定を消化出来そうにない。そこで自宅を3時に出発、丸沼高原スキー場の第5駐車場に着いたのは5時をまわっていた。早速支度をはじめて、歩く準備を整えた。


***賽の磧へ***

 スキー場は早朝のためか、まだひっそりとしている。それでも一人のスキーヤーがしきりにターンの練習をしている。その横を抜けて、ピッケルを使いステップを切りながら登っていくのは何か妙な絵柄だ。残り少ない雪を商売にする、ゲレンデの中を横断するのは申し訳ないので、一番左端の第7リフト沿いを登ることにした。このコースは日光白根山に登るときに使う道で、六地蔵のある賽の磧に直接通じるコースである。歩き始めから標高差約350mを登るもので、斜度30度と言う上級者向けのゲレンデだ。

 初めは緩やかだったがだんだん傾斜が増し、キックステップで登ることが困難になってきた。そこで用意してきた6本爪の簡易アイゼンを装着する。こんどはかなり楽になって直登で行くことが出来る。しかし傾斜は急で汗がすぐに噴き出した。なにしろ、今日のコースは人が滅多に入らないし、未知のコースと言うこともあり、装備を完全に整えた。そんな訳でビバーク覚悟の装備、燃料、水と食料を準備した。それに雪の状況を考えてアイゼンとワカンを用意して置いた。したがって、いつもの装備から見るとかなりの重装備となってしまった。

 振り返ると四郎岳と燕巣山の間に燧ヶ岳、そして至仏山、笠ヶ岳の三角形が目立つ、そして近くの上州武尊山が大きく横たわっていた。なんとか賽の磧に着くと、どっと疲れが出て溢れる汗をふき取り、座り込んだ。しかし今日の目的はここではない、さらに先があるのだ。


***迷路の樹林帯の先***

 賽の磧で休憩後、左に延びるツアーコース用の道を登る。カーブを大きく曲がり尾根の頂上に着いた。この先は下り坂になっており、なにやらスキー場の施設らしきものが見えていた。せっかく登ったのに下るのは癪なので、尾根に沿って山道に登ることにした。そこの入り口には赤テープがあり、しっかりした道が出来上がっていた。

 少し歩くとちょっとしたピークに立った。道はここで途切れて、赤テープは左の藪の中に消えている。薄暗いシラビソの樹林の中は、方向も定まらない迷路だ。ところが途中で赤テープが消えてしまい、いくら探しても最後の赤テープ以後は見つからない。仕方ないちょっとした露岩が見つかり、その頭上は幸いにも開けている。GPSを取り出して位置を確認すると、螢塚山ピークの東1キロの地点にいることが分かった。

ともかく螢塚山の方向に向かわなくては行けない。コンパスをその方向にセットして、それを頼りに歩くことにした。樹林の中の雪の上にはやはり迷ったと思われる、足跡が時折現れては消えている。そしてコンパスに従って真っ直ぐ歩いていくと、突然とんでもない場所に飛び出してしまった。
おおひろリフトの下から見る錫ヶ岳
 そこは、丸沼高原ゴンドラの「山頂駅」だった。迷った果ての突然の立派な施設を目の当たりにして、思わず立ちつくしてしまった。今までの苦労は何だったのだろう!!ともかく立派な施設はレストランまで完備されている。今後ここにくるときは、片道1000円で早ければ朝の7時にここにくることも可能だ。今の時間は7時半だから、今までの1時間半におよぶ苦労はしなくとも済むわけだ。

 だれもいない広場に陣取って、眼前に広がる広大な風景を眺めて過ごした。なんと言っても盟主白根山は大きく迫っている。それに連なって目指す錫ヶ岳が、残雪を輝かせてなだらかに横たわっていた。

 いよいよこれから目指す仁下又沢に向かって下降だ。再びGPSで位置を確認してから、その方向に向かって樹林の中にもぐり込んだ。適当に歩きやすいところを選んで歩く。下降だから比較的楽だが、方向だけは確認しなくてはならない。時折コンパスを振って方向だけは失わないようにする。

 すると今度はどうだ、なんとスキーリフトの下に出てしまった。リフトの下は刈り払いがなされて、下まで一直線に道が出来上がっている。そこで一気にその道を辿ってあっけなく下までたどり着いてしまった。

 着いたところで、リフトの名前を見ると「おおひろリフト」と書いてあった。するとゴンドラを利用して、ここまでくるとしたら、たいした時間もかからずにここに来ることが可能だ。今後ここに来るとしたら絶対にこれらを利用することが良いと思った。



***錫ヶ岳山頂を目指す***

 おおひろリフトの最下部からは車道が仁下又沢まで続いている。しかし、落石があり実際には車は通ることは出来ないだろう。沢にたどり着いたところで、道は下から登ってきた林道と合流する。この付近は平地となっており、なにか上高地を彷彿させるようなたたずまいだ。ここは広河原の名称のついた場所で、名前そのままの風景だ。ここでアイゼンを外して、ザックにくくりつけた。

 林道は水の全くない仁下又沢に沿って登っていく。周りは見渡す限りのダケカンバの林で、芽吹きはまだ始まっていない。おそらく芽吹きの時は、美しい風景が広がるに違いないと想像出来た。

 林道は車の轍もあり、それに除雪したようで雪が道の脇に積まれている。何かの目的でこの林道は頻繁に通行がなされているに違いない。ともかくひっそりとして、風と自分の息づかいと足音だけの世界を無心で歩く。こんな状況がとてつもなく好きで、こんな世界を求めて山に入っているのかもしれない。ともかく至福の時間が過ぎていった。

 やがてその静寂を破るように、水音が聞こえてきた。前方には小さな堰と緑色の人工物が視野に入った。近づいてみると標識があり「ここは丸沼発電所の重要設備です。係員以外立ち入らないでください。東京電力(株)沼田工務所」と書いてある。

 これで、全てが納得できた。ここまでの道はこの取水口の維持のための道だったのだ。そして仁下又沢に水がなかったのはここで水を全て取水したからなのだ。堰の中にはパイプが2本入っておりものすごい勢いで水を飲み込んでいる。もしこの中に落ちたら、脱出は不可能だろう。思わず足がすくんで、緊張してしまった。それでも、その堰堤を利用して左岸に渡った。

 ここからは水量も多く、沢のせせらぎを聞きながら沢登りとなった。そして連続して現れる砂防堰堤を、ひとつひとつ越えていくことになる。プレートを見ると昭和63年の施工だからすでに10年以上経っている事になる。堰堤は左右どちらからでも簡単に越える事が出来る。しかし、気温が低いので、日当たりの良い左岸を主に歩くことにした。

 砂防堰堤を5つ越えるとその先には堰堤は無くなった。そしてその5つ目の堰の上部は平らな広場になっていた。そして一升瓶の残骸が無数に散乱していた。おそらくこの堰堤工事の時に飯場になっていたところなのだろう。開けて気持ちの良いところなので、柏餅とポットの暖かいお茶を口に運び腰を下ろして休憩をした。
仁下又沢上部(錫ヶ岳東鞍部まで雪のルートが続く)
 飯場跡からは索道の錆びたワイヤーがちょっと続いたが、それもすぐになくなった。そしてここからは積雪が多くなり、再び簡易アイゼンを装着する事にした。沢に沿って登っていくのだが残雪は時折無くなり、右岸と左岸を頻繁に渡り返さなくてはならない。それは残雪の下は水音が聞こえて、いつこのスノーブリッジが崩壊するか分からないからだ。なにしろ単独であるので、ブリッジの崩壊で沢に落ちたらタダでは済みそうにない。そんなわけで慎重にならざるを得ないのである。

 周囲の風景は残雪が多くなった分、太陽が眩しくなってきた。つくづくサングラスを忘れたことを後悔する事になった。雪の上に顔を出したダケカンバの木々は徐々に無くなり、シラビソと熊笹の緑が多くなってきた。

 標高1980m付近で残雪が沢を埋めたために、完全に沢の水音は消えてしまった。そしてここで沢は何方向からか合流していた。直接、錫ヶ岳に登っていく沢は雪が詰まって、歩きやすそうだったが、遠望するとどうやら落石も多そうなので敬遠した。そこで、山頂の東にある標高2220mの鞍部を目指すことにした。ここはゴンドラ山頂駅からも確認できた、目立つルートで雪も多そうだ。

 雪が多そうに見えたこのルートも上部に行くに従って、条件が悪くなってきた。それは雪がシラビソの上にうっすら乗っているところが多く、よほど注意していてもズボッ!と踏み込んでしまうのだ。うんざりするほどの、この悪路を泣きそうになりながら徐々に登った。よっぽど持ってきたワカンを使おうかとも思ったが、この状況ではむしろ危ないと感じて、ついに使うことはなかった。

 なんとか頑張って、目的の2220mの鞍部に到着した。すると時を同じくして、白根山方向から来た2人のパーティーと合流した。
「そちらの道はどうですか?」
そう聞かれたのだが、息が弾んで言葉にならないので指で丸を作って合図した。
「どちらからですか?」錫ヶ岳東鞍部より燧ヶ岳方面を見る
「避難小屋に泊まって、6時に出発して来ました」
すると、自分が出発した時間とほとんど同じと言うことになる。時間だけ考えればこちらの方がやはり有利と言うことになる。カメラのシャッターを頼んでから、彼らとは別れた。私は腰を下ろして、展望を楽しみながらオニギリを口に運んだ。ゴンドラ山頂駅は遙か彼方にあり、良く歩いてきたものだと自己満足の世界に浸った。

 さていよいよ山頂に向けて最後の登りだ。滝沢さんの資料によればここから30分ほどである。元気を出して、足を踏み出した。初めは順調に登り始めたが、後方の景色が気になってしかたがない。奥白根山の山頂部分しか見えなかったのが、次第にその雄大な姿が現れた。さらに中禅寺湖と大きな男体山の姿に圧倒されてしまう。ちょっと春霞に邪魔されているが、カメラのレンズを向けてみた。

 樹林帯に入ると、スキーツアー用の目印がベタ打ち状態だ。ここまでしなくともと思うのだが、不思議なもので肝心なところは無くなっているので、あまり当てにするととんでもないことになる。それでも傾斜が緩くなり歩きやすくなると、人の話し声が聞こえる。そして樹林の藪をくぐると三角点の鎮座する山頂に飛び出した。

 山頂には先ほど会った2人と、先着の3人がいるだけだった。三人組は帰り支度をして腰を上げるところだった。山頂標識は無数にあったが、GWVgirlの標識が比較的落ち着いていたので記念撮影をした。展望は南側が少しだけ恵まれており、そちらの斜面の笹の上に腰を下ろして休んだ。そして仰向けになって伸びをすると、とても気持ちよく眠ってしまいそうだった。

 お湯を沸かして、袋入りラーメンを作り玉子を落とした。これが山頂での定番の食事だが、一向に飽きないのが不思議だ。やがて二人組も山頂を去り、一人だけ取り残されてしまった。これで気兼ねなく無線の運用が出来る。それに今日はGWの日曜日なので、相手には全く不自由はしなかった。
錫ヶ岳山頂付近から見た日光白根山

***下山も苦しんだ***

 山頂で聞くラジオの情報によると、午後は曇ってところにより雨が降るという。そんな気配は感じられないが、時間を早めて山頂を後にすることにする。

 アイゼンをつけた足下は、雪が団子状態になり歩きにくい。そのうちにちょっとした斜面でスリップ、その拍子に立木に右腕を思いっきりぶつけてしまった。見れば傷口からは血が伝わって指先にまで来ている。打撲もあるようで傷口は腫れ上がっていた。まあ痛みはあるが、気にするほどではない。しかし、もうこんな事はゴメンなのでアイゼンを外しての下山となった。

 帰路は忠実に登ってきた道を辿った。

 そして、嫌だと思っていたスキー場に到着してしまった。さてどこを登ろうかと考える。ゴンドラの下もあまり能がないので、ゲレンデを登ることにした。ゲレンデは既に雪もなく、土埃が歩く度に舞い上がる最悪の道だった、それにいくら登っても変化の無い景色にちょっとうんざりしてしまう。

 やっとの思いでゲレンデの上部にたどり着くと、なんとゴンドラが頭上を往来しているではないか。それに山頂駅からは最近のヒット曲が絶え間なく流れている。しかし、ここはどこなのだろうか?ゴンドラの下をくぐって先に進むと林道が見える。そこでその樹林帯の中の道を上部に歩くことにした。何度か大きく曲がり、無駄な道を歩いた気分になってなんとゴンドラ山頂駅に着いてしまった。

 山頂駅に着いたが、さてここからどこを辿れば良いものかサッパリ分からない。地形図を出してみたが、この変化に対応していない地形図は役に立たない。しばらく途方に暮れて考えていると、男が近づいてきて声をかけた。

「道が分からないのかね」
「そうなんです。どこが道なんでしょうか?」
「道はねえから、このゲレンデをおりた方が良い。ところで白根山から来たのかい?」
「いいえ、錫ヶ岳です。」
「そりゃあすごい」

そう言ってから、観光用のパンフレットを持ってきて説明をしてくれた。おそらく、途方に暮れた中年登山者が哀れに見えたのだろう。ともかくありがたい、礼を述べてその場から歩き出した。

 ところがゲレンデの下りはとにかくきつい。最後は下でスキーヤーが楽しんでいるので、落石をするわけに行かないので、慎重にならざるを得ない。それに傾斜が急なのだが、巨体の私が転倒でもしたら笑いものになりそうである。

 ともかくゲレンデ下部の雪のあるところにたどり着き、今度は端っこを小さくなって歩くことになった。華やかな娘の横を汗まみれでピッケルを持った中年の姿はどう目に映ったのだろうか?

 ともかく最後はやっとの思いで下山となった。車にたどり着いたが、帰りの渋滞を敬遠してゆっくり着替えをしてから帰路に着いた。それにしても行動中は、あまり人に会わずこのGWになんと言う贅沢な静かな山歩きが出来た。何という幸せな時間だったのだろうと感じた。





「記録」

 第5駐車場05:30--(1.03)--06:33賽の磧06:42--(.30)--07:12ゴンドラ山頂駅07:25--(.14)--07:39おおひろリフト乗降場--(.13)--07:52広河原--(1.13)--08:05丸沼発電所取水口--(.27)--08:32飯場跡08:43--(1.29)--10:12錫ヶ岳東鞍部10:26--(.38)--11:04錫ヶ岳山頂12:10--(.15)--12:25錫ヶ岳東鞍部--(1.12)--13:37取水口13:50--(.18)--14:08広河原--(.20)--14:28おおひろリフト乗降場--(.32)--15:00ゴンドラ山頂駅15:30--(.23)--15:53第5駐車場


            群馬山岳移動通信/1999/








     丸沼