秩父側から登る「三ツドッケ」「蕎麦粒山」  






三ツドッケ山頂からの展望(富士山と雲取山が目立つ


三ツドッケ(みつどっけ)標高1576m)埼玉県秩父郡・東京都西多摩郡/蕎麦粒山(そばつぶやま)1473m埼玉県秩父郡・東京都西多摩郡

2010年最初の山はどこにしようかと考えた。当初、県北の山を考えていたが降雪が続いた後だけに、アプローチに不安がある。そんなときに、同僚のTさんが奥多摩の「三ツドッケ」「蕎麦粒山」に行くとの話を聞いた。計画を立てるのも面倒なので、Tさんの山行に便乗することにした。ネットで検索すると三ツドッケはほとんどが多摩方面から登っており、秩父側からの記録は皆無に等しい。2009年版のエアリアでは登山道は破線で標記され、道不詳・危険などと記載されている。不安があるが、群馬からのアクセスを考えると、秩父側から登るのが順当であると考えられる。

1月10日(日)
待ち合わせの秩父市川俣地区に4時半過ぎに到着。すでにTさんは到着していて道路情報を収集していた。私の車を大日堂の対岸に駐車、Tさんの車で天目山林道に通じる道に入る。道幅は狭く人家が途切れると未舗装路となった。路面はわずかながら積雪があり、凍結部分もあるのでゆっくりと走行する。そんなときに目の前に障害物が突然現れた。見れば林道脇にシカが座ったままでこちらを見ているのだが逃げようとしない。よっぽど人に慣れているのか、怪我でもしているのかわからないが、Tさんが寸前でハンドルを切って衝突を回避した。林道は細久保沢に沿って進んでいくが、暗闇の中であることから周囲の様子はわからなかった。どんどん進んでいくと橋がありその先にゲートがあり施錠されている。雪道上の轍はこのゲートの先まで続いているが、我々はこの先には進めない。そこで橋の手前の余地に駐車することにした。しかし、時間はまだ6時前なので周囲は暗闇に包まれている。そこで、しばらく車の中で明るくなるのを待つことにする。これからのコース予定などを話しながら時間を過ごした。しかし、6時になろうとしても空が少し明るくなっただけで周囲は暗いままだ。それでも夜明けは間近なので、ヘッドランプで出発することにした。そこで車のエンジンを止めて出発準備をするのだが、この時期にサイドブレーキを引いておくことは、ブレーキが水に濡れた部分は凍結が考えられる。そこでマニュアル車のTさんの車はギアをバックに入れておくことにする。しかしギアをバックに入れたのに止まるどころか、音もなく前に進んでしまう。暗闇の中を車が勝手に進む・・・目の前には沢の水音が聞こえる。もう少しで沢に落ちるところだ。「おかしい???」もう一度バックに入れてみる・・・「ウワッ〜〜〜同じように音もなく前に進む。沢音がさらに近づいた。「Tさんひょっとしてクラッチを切っていない???」
「アッ!!」声にならないTさんの声。暗闇の中のパニックは無事に解決することが出来た。



営林署事業所小屋がヘッドランプに照らされる

登山道入り口(仙元谷)



ヘッドランプの明かりを頼りにして雪の積もった林道を歩き出す。林道を進んでいくと古めかしい建物が現れる。これがエアリアマップに記載がある営林署事業所小屋であろう。道を挟んで数棟の建物があるが人の気配は全くない。しかし、玄関には正月のものなのか、しめ縄が飾られていることから現在も使われているらしい。この建物を過ぎると左に仙元林道への道を分けてうが、ルートはそのまま直進するのが正しい。このあたりで周囲は明るくなり、ヘッドランプは必要が無くなった。ポイントはこの林道から別れて登山道への入る場所だ。エアリアマップを見ながら慎重に進んでいくと標柱が目に入った。そしてその先には明瞭な道が杉林の中に入っている。標柱には林道の起点と終点である「←シゴー平・川俣2.7km 林道(大平山)」と書いてあった。その中にフェルトペンで小さく「グミノ滝・一杯水へ(荒廃)」と書き込みがある。荒廃の文字が気になったので二人でどうするか考えた。安全を優先するならこのまま林道を歩いていくのがいいだろう。しかし、ただ林道を歩くだけではつまらないとお互いに意見が一致した。そこで躊躇することなく、この荒廃と書かれた道を辿ることにした。


杉林の中の道は良く踏まれており迷うこともなさそうだ。程なく標柱が現れて再び「シゴー平」への案内がある。しかしこれも書き込みがあり「昔道廃道ナリ」となっている。たしかにここから下降する道はただの崖に近い斜面で、とても踏み込む感じにはなれない状況だった。登山道は細久保谷に沿って上流に登っており明瞭だったが、所々にかかる橋の老朽化が激しく、そのほとんどが使えるような状態になかった。仕方なくその朽ちた橋を迂回して歩かなくてはならないので、そのアルバイトはかなりの負担となった。なにしろ迂回するにしても足場は悪く、雪が乗っているから滑りやすい状態だった。変化のない道をひたすら歩くのみで時間が過ぎていく。こんな時は二人で話しながら歩くので幾分かは気持ちが落ち込むのを紛らわせることが出来る。しばらくは変化に乏しい左岸の斜面に切り開かれている道をひたすら歩くのみだ。



朽ちた橋・こんな場所が10カ所くらいある

恐る恐る渡るが結局断念



歩き始めてから1時間半程度で道は対岸に渡ることになる。水量はそれほどでもないが、場所を選んで慎重に渡らなくてはならない。何しろ落ちたら氷が張っている冷たい水の中に入ることになる。とにかく焦らずに慎重に慎重に足場を確認することに集中した。対岸に渡ってから、そのまま直線的に歩いて、再び沢の方角に戻るように折れて歩く。大きな岩の横を通り過ぎて、今度は直線的に登ると石積みの残骸が有る場所に着く。これはおそらくワサビ田の跡なのだろう。その上部には朽ちた廃屋が、不気味な姿で建っていた。廃屋は屋根がしっかりとしているらしく、囲炉裏の灰は乾燥しているように見える。それにしても、ここでワサビを育てながら過ごす生活とはどんなものなのだろう。外界と離れて孤独と恐怖に耐えなくてはならないので、その精神力の強さは私の想像をはるかに超えていたに違いない。


小屋を過ぎるとすぐに標柱があり、「一杯水・三ツドッケに至る」の表示がある。そして朽ちた橋が沢に架かって対岸に延びているが、これを渡る気にはなれない。それよりもここまで来たのだから、近くにある「グミノ滝」を見に行くことにする。道は雪に覆われているものだから、ハッキリとしない。とにかく沢の上流に向かって歩いていく。ほどなく先行していたTさんの歓声が谷間に響いた。そこにはゴーゴーと水量豊かに流れ落ちる「グミノ滝」が目の前にあった。水は青くその周りは上から下まで縁取りしたように氷が岩に貼り付いていた。しばしその光景に見とれていたが、あまりの寒さに早々に退去せざるを得なかった。


再び廃屋近くの標柱まで戻り、対岸のルートを見極める。すると対岸の雪が乗った斜面の、斜め右方向に道形らしきものが確認できる。「よし何とかなりそうだ」と判断して対岸へ飛び石伝いで渡った。対岸に渡るとハッキリと道と確認することが出来、しっかりしたルートであることを確認した。道は一旦斜め右に登り、その後崩壊地のような斜面をひたすら上部に向かって登っていく。所々にテープがあることが安心感につながった。道はやがて方向を変えて左にトラバース気味に進み樹林帯の中に入る。するとすぐに崩落地に突き当たり進路が絶たれてしまった。地形図では明瞭な沢の表現(青い線)になっているが、実際は沢と言うよりも土砂崩れで崩落した斜面といった感じだ。道はなくなっているので、慎重にその崩落地に向かって崖を降りていくのだが、ストックが邪魔なので下に向かって放り投げた。するとストックは石に当たって跳ね返り、あわや崖下に落ちる寸前で止まった。やはりこんな事はしてはいけないと反省した。(ストックの収納で良い手だては無いのだろうか)沢の中に降りたってこれからのルートを探る。しかし道はなかなか見つからない。そこで上部に少し登ってみると赤テープを発見、明瞭な道をそこに確認することが出来た。ここで左下の谷を見ると水量豊かな滝が望めた。Tさんが「グミノ滝では?」と言ったが、にわかには信じられなかった。しかし、位置的には「グミノ滝」に間違いない。そう考えると、グミノ滝基部から苦労して登ってきた30分間は結局は滝を登るための迂回路を辿る時間だったようだ。



なかなか陽がさし込まない

廃屋

登山道はここを徒渉する

グミノ滝



道はやがて石積みで区画を仕切ったワサビ田跡に到達した。かなり広い施設で、この山奥での管理作業はたいへんだったと思われる。時刻は8時半であるが、深い谷間は陽が差し込んでこないので暗くて寒い。歩き始めて2時間半なので休憩をとっても良いのだが、この状況で休むことは身体を冷やすことにもなり、疲れも感じないことからこのまま歩くことにする。上部に行くにしたがって踏み跡が怪しくなってくるのだが、日が当たり始めた稜線が間近に見えるのでそれほど不安感はない。赤テープにしたがって九十九折りに登って行くと都県境の稜線の登山道に合流した。時刻は9時半なので歩き始めて3時間半かかったことになる。この合流地点には標柱があり札が取り付けられていた。そこには「昭文社発行のエアリアマップ奥武蔵・秩父に載るグミノ滝・川俣方面の赤破線登山コースは荒廃著しく2010年度版から削除する予定です。 平成21年7月16日 地図担当=奥武蔵研究会=」と記載されていた。すると我々が歩いてきたルートはこれからは消えゆく運命にある道だったのだ。たしかに登山道の橋の老朽化、さらに道の崩落による消失を考えると、エアリアマップに記載したままでは事故を誘発する危険性をはらんでいると思う。まあ、妥当な処置と思うが荒廃した道がさらに通行が無くなることで荒廃し、消えていくのは寂しい限りだ。



ワサビ田跡

2010年版よりエアリアマックから道が削除される



さて、ここからは立派な登山道を辿って三ツドッケに向かうことにする。ほぼ水平に付けられた道は歩くスピードも速くなってくる。沢の上部から引かれたホースが置かれた「一杯水」は枯れていた、ここに札があり、涸れていた場合は、さらに下降すれば水を得られると書いてあった。しかし、往復30分はきついと感じた。さらに歩を進めると明るい日差しの中に立派な「一杯水避難小屋」が建っていた。内部を見ると清潔感にあふれて気持ち良い板の間が広がっている。救急箱もありなかなかのものだ。つい最近までは達磨ストーブがあったらしいが、火災防止のために撤去されたのは惜しい気がする。小屋の外に付けられている温度計はプラス10度を示している。ともかく小屋の中に入って休憩することにして、早速ヤキソバパンと大福を食べた。Tさんはここで締め具を改造したアイゼンを披露してくれたが、なかなかの労作であると感心した。しかし、今日はアイゼンは必要なさそうだ。私もアイゼンとピッケルを持ってきたが、どうやら無駄な荷物になったようだ。



涸れていた一杯水

避難小屋内部

一杯水避難小屋



休憩後、「三ツドッケ」山頂に向かって登っていくことにする。休憩直後と言うこともあり、急傾斜の道はなかなか手強い。途中単独行の男性とすれ違い、さらに喘ぎながら最後の斜面を登ると山頂に到着だ。山頂には三等三角点があり、数枚の標識が立木に付けられていた。展望は数年前に立木を違法伐採したと言うことで、たいへん優れた良いものとなっていた。何よりも目に付いたのは白い富士山だったが、あいにくと霞んでいて薄いシルエットでの確認に留まった。そのほかは雲取山、筑波山、男体山、赤城山程度しかわからない。山頂には我々の他に二人の単独行者がおり、そのうちの1人が詳しそうだったので、お願いして山名を教えてもらった。奥秩父・奥多摩の山名は聞いたことはあっても、未知の山なので興味を持って次々に質問してしまった。展望を楽しんでいると時間の経過を忘れてしまう。20分ほど滞在してザックを背負って立ち上がった。さきほど説明してくれた登山者は三角点の傍に座ってカメラを取り付けた三脚を置き、お弁当を広げて食事の準備を始めた。私はフト、三角点に触っていないことに気が付いた。三角点に触れて写真を撮影したところで座っている登山者が「三脚が邪魔ですね」と言って三脚を座ったまま移動した。
その時に悲劇は起こった!!!
なんと手に持っていたコンビニ弁当を落としてしまったのだ。それもパックに入っていた、おいなりさん、のり巻き、おにぎりが全て土の上に転がって泥だらけ。一瞬その場の雰囲気が凍り付いた。その登山者は涙目でそれらを拾い集めてパックに戻した。当方に責任は無いのだが、善意で三脚を移動したために起きた事件なので、Tさんと思わず絶句してしまった。

気まずい雰囲気で山頂を辞して、「一杯水避難小屋」から次の目的地である蕎麦粒山に向かった。この稜線の登山道は余分なピークを巻いているのでほぼ水平に近い。ただ樹林の中なので展望が無く面白味がない。時折吹いてくる寒風が頬を刺すように痛い。そんな中、トレランの格好をして歩いている男性とすれ違った。見れば、なんとふくらはぎの部分が露出しているではないか。そんなに若くはないと思われる年齢に見えたのだが、寒さは相当なものだったに違いない。



富士山がかすかに見えた

三ツドッケの三角点(この撮影の後で悲劇が)



一部登山道が崩壊している場所を過ぎると、棒杭尾根を下降する道を分ける。さらに進むと仙元峠へ登る道があるが、これはパスして巻道を進むと、程なく蕎麦粒山の山頂に続く道と、巻道の分岐に突き当たる。ここは山頂に直登することにする。正午の到着を目指していたが、わずかに遅れて12時10分に山頂に到着した。山頂には若いカップルが仲良く食事をしており、ちょっと眩しいと感じる。山頂には人の背丈ほどの三角錐の岩があり印象深い。蕎麦粒山の由来は、遠望すると山頂部分が蕎麦のタネに似ていることらしい。しかし、この大岩も蕎麦のタネに似ているから、これが由来としても良さそうだ。ここから東に延びる尾根は防火帯だろうか、木々が切り取られてカヤトの原が延びていた。南方面には展望があり遠く新宿の高層ビル群が遠望できる。さて、ここで昼食にすることにして、風を避けて岩陰に陣取った。ちょっとキジ場のような雰囲気もするが、まあ気にしなければ良いだろう。実は今日はTさんの誕生日で、年齢を重ねると誕生日祝いも見捨てられるのが中年おじさんの常である。そこで、今回はサプライズとして私がロウソク付きのイチゴショートケーキと銘酒秩父錦を持ってきた。ロウソクに火を付けてみたが、すぐに風に消されて、記念写真は火が消えたケーキが写ってしまった。その後、Tさんは先月の私の男山の山行記録に刺激された鍋焼きうどん、私はインスタントのカレーうどんをつまみにしてビールで祝杯を挙げた。そんな事をしていたら時間はすぐに過ぎてしまい13時になろうとしている。慌てて支度をまとめて立ち上がった。山頂の人の賑わいもそれなりにあったが、この時間では千葉から来た単独行の女性がいただけだった。



崩落地

イチゴショートと秩父錦

蕎麦粒山山頂の大岩

蕎麦の種(高嶺ルビー)



蕎麦粒山を辞していよいよ下山にとりかかる。登ってきた道を戻り、仙元峠に向かって登っていく。地形図の仙元峠の位置と実際の仙元峠の位置は違っていて、現地では1444mの標高点がある場所が仙元峠となっている。ここには石祠があり、「木花咲耶姫命」が祀られているとの事が書かれていた。石祠に向かってTさんは10円を供えて手を合わせた。見ればこの石祠に置かれている賽銭のなかで10円は最高額である。きっとご利益があるに違いない。我々がこの仙元峠に着くと同時に同じ方角に向かって下山したパーティーがあった。我々はそれに遅れること数分だったように思えるが、見通しのきく登山道上にそのパーティーの姿は見えなくなっていた。



仙元峠の石祠

仙元峠の由来



標識は「浦山」と示す方向に向かって下降していく。かなりの急傾斜で凍結部分もあり緊張しながらストックを支点として慎重に歩いていく。さしたる変化もなくただひたすら歩くだけの忍耐力の勝負である。途中で「明治神宮」が管理しているのかと思われる標識があった。この辺はその管理地なのだろうか?すると明治神宮の普請の時にはこの辺の材木が使われるおだろうか。突然に新秩父線の鉄塔が姿を現した。どうもこのあたりの道の整備状況が良いと感じていたのだが、送電線巡視路を兼ねていたのだ。この」巡視路は、第60鉄塔まで巡視路はつながり、その後大日堂に向かって一直線に下るのみだった。

大日堂に到着すると、対岸に駐車した車の人たちが出発するところだった。明らかに仙元峠で数分前に出発した人たちだ。見れば年齢は私たちよりも上である。しかし、ついにこのパーティーには追いつくことが出来なかった。いやむしろ水を開けられたいたことは間違いない。どうやら修行が足りないようである。今年最初の反省材料となってしまった。



新秩父線送電鉄塔

秩父十三仏霊場 大日堂



さて、Tさんの車を回収に行くことにする。林道起点から歩けば1時間かかるところだが、車を2台使うと言うことでこの時間を短縮できるのだ。林道を充実した気持ちで登っていくと、その途中で荷物を持たない普段着の男性が歩いていた。「変だなこんなところを日暮れも近いのに1人で歩いているなんて」、そう思いながら追い越した。Tさんの車に到着し、お互いに着替えをはじめると先ほどの男性が挨拶をしてそのままゲートを跨いでどんどん行ってしまった。これは営林署の関係の人なんだろうと解釈した。Tさんは先に着替えが終わって出発した。私はそれから数分かかって着替えが終わった。ところで、あの男性はどこに行ったのだろうと、気になり林道を振り返ったが人影を確認することはできなかった。車に乗り込みエンジンを掛けて、ルームミラーで後方を確認すると、今まで人影もなかったのに突然、あの男性が必死の形相でこちらに向かって雪道を走ってくる。私は反射的に恐怖感を抱き。車を急発進させて男が視界から見えなくなるまで走らせた。いったい何だったのだろう?あそこから林道入り口まで1時間かかるから、途中で暗くなることも考えられる。いったいあの出来事は、なんだったのだろうか?



天目山林道ゲート06:05--(.10)--06:15営林署事業所小屋--(.24)--06:39登山道入り口--(1.07)--07:46廃屋--(.09)--07:55グミノ滝07:58--(.33)--08:31ワサビ田跡--(1.05)--09:36稜線--(.05)--09:41一杯水--(.05)--09:46一杯水避難小屋10:04--(.30)--10:34三ツドッケ山頂10:50--(1.20)--12:10蕎麦粒山山頂13:03--(.14)--13:17仙元峠13:21--(1.11)--14:32新秩父線57鉄塔--(.45)--15:17大日堂



この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)