最後の詰めが登れなかった「落沢岳」から「しれいた山」     登山日2006年1月28日    


下郷地区よりしれいた山を見る
下郷地区から見る「しれいた山」は、白い板のような岩壁の山だ



落沢岳(おちざわだけ)標高790m 群馬県甘楽郡/しれいた山(しれいたやま)標高641m 群馬県甘楽郡
しれいた山は西上州の中でも登られることの少ない山である。それは知名度が少ない事もあるが、何よりも近くにある鹿岳、四ッ又山と言った特異な姿の山があるからかも知れない。エアリアマップを見ると「しれいた山」と「落沢岳」は同じピークとなって表記されている。しかしここに来て「群馬300山」に紹介された記録では「しれいた山」と「落沢岳」は別のピークとなっている。今回はこの記録を参考にしてトレースするように登ってみる事にした。
1月28日(土)


林道入り口に駐車

下仁田町から南牧村に向かい、宮室地区の手前で南牧川に架かる「風口橋」を渡る。対岸に渡り細い道を左折、しばらく行くと道は右に曲がり林道に入る。すぐに四ッ又山の鍾乳洞への道を分けるが、そちらには行かずに直進する。すぐに道は未舗装となり沢沿いに登っていく。今日は周回コースを考えているので林道入口に近い、小橋を渡った先に駐車した。
鬱蒼とした杉林の中に付けられた沢沿いの林道を歩き出す。沢に水は凍り付いていかにも寒々としている。頭上の杉の木は風あおられてゴウゴウと音を立てている。杉の幹には持ち主の名前なのだろうか、白墨で文字が書かれてある。古ぼけた石祠はまだ信仰の対象となっているのだろう、幣束が取り付けてあった。

 歩き始めて10分ほどで右の山道に入り込む作業道が分岐する。標識には「関係者以外立ち入り禁止・・・」と書いてあった。ここを登れば「しれいた山」に通じることは予想できるが、とりあえず「落沢岳」からの周回を考えているのでこのまま進むことにする。林道は途中に崩壊した場所があり、車の通行は不能となった。そのまま進むと沢の対岸の「四ッ又山」の斜面の杉が伐採されているところを通過する。ここを過ぎると、林道はすぐに行き止まりとなった。

 行き止まりとなった林道の先は明瞭な道がさらに続いていた。その道を10分ほど歩くと、炭焼き窯の跡がポッカリと穴を開けていた。さらにその先には大きな岩が、あたかも運んできた如くお椀を伏せたようになっていた。沢は2本が合流しており、なにやら赤テープのようなものも見受けられた。おそらくここは「四ッ又山」と「鹿岳」の鞍部のマメガタ峠から来るものと推定した。コピーしてきた「群馬300山」を見ると、著者の横山さんはこの分岐を見逃して、さらにこの先に進んでいた。それならここは違った道を辿ってみることにした。すなわち、ここから稜線に登り上げて稜線に到達すれば時間的にも短縮できると考えたからだ。

 そう決めて北側の斜面を登りはじめた。しかし、すぐに岩場に突き当たり断念してしまった。しかたなく道に戻り炭焼き釜跡からさらに20m程戻ったところから再度登り上げることにした。かなりの急傾斜で、足元は腐葉土が堆積しているため、かなり柔らかい感じがする。やっとの事で登り上げたが、再び大きな岩壁に阻まれてしまった。岩場をなんとか越えようと挑戦してみたが、危険を感じてすぐに断念した。

 「今日は早くも敗退かな?」いやな予感がしてきた。岩壁の基部に戻りルートを探そうと東方向に進んだが、そこは下まで続くルンゼが待っていた。これでは進むことが出来ない。今度は西方向に移動しながら上部を観察する。すると岩場が途切れている場所を発見した。希望を持って近づいてみるとなんとかなりそうだ。さらに近づいてみるとなんと足元に妙なものが落ちている。手に取ってみると枯れた竹で、よく見れば斜面にかなりの本数が散乱していた。不思議に思い岩場の上部を見ると、そこには青々とした竹林が風に葉を揺らしていた。竹と言えば里山の低山を連想するが、ここは標高700m近い山の上である。なにか不思議な感じがするし、岩場を前にしている割には妙な安心感を受ける。足元の落ち葉をかき分けながら慎重に斜面を登りその竹林に、なんとか踏み込んだ。近づいてみると孟宗竹で、これは人為的に持ち込まれたものではないかと感じた。竹林の中はいたるところが掘り返されているが、おそらくイノシシが、タケノコを狙ったものなのだろう。しかし、この高地のタケノコを一度味わってみたいものだと思った。竹林を直登するのは大変なので、西に向かってトラバース気味に登っていくと東西に延びる稜線にたどり着いた。稜線の北側は雑木林で明るい感じがする。そして間近には特異な形の「鹿岳」が迫って見えていた。稜線には明瞭な踏み跡が付けられており、こんなマイナーな山でも歩く人がいることを示していた。

炭焼き窯跡竹林に通じる岩場のルート
竹林から見る四ッ又山稜線の道は快適だった



 稜線をそのまま東に向かって進むことにした。最初のピークは恐ろしく急な登りだった。真冬というのにたちまち汗が噴き出して来るのがわかる。このピークは標高740mでなかなか展望が良いが、とにかく風の吹きつけが激しく、休む気にもなれない場所だった。

 740mのこのピークからは、さしたる変化もなく、いくつかのコブを越えながら快適に距離を延ばすことになる。振り返るたびに「鹿岳」「四ッ又山」が小さくなってくるのがわかるほどだ。やがて鋭鋒に近い「落沢岳」の山容が見えてきた。「落沢岳」は実に立派なピークで、烏帽子の様な形をしている。その形からは想像できないほど簡単にそのピークに立つことが出来た。
「落沢岳」のピークには図根点があるだけで、標識などは見られなかった。わずかに赤と黄色のリボンが小枝にまとめてあるのが山頂を示すのかも知れない。展望はすばらしく、木の葉が落ちているこの季節では360度が見渡せる。また近くの「鹿岳」「四ッ又山」が大きく見えていた。展望が良いだけに風当たりが強く、とても休むことは出来ない。あんパンをひとつ頬張って「しれいた山」に向かうことにした。


落沢岳から見るしれいた山人の顔のような木




 「群馬300山」の記録によれば、東端峰で下降できなくなって、右の斜面を下ったと書いてある。そこでピークを巻くときは右側に巻くことにした。しかし、いくつかのコブはそのまま乗り越えて行くことが出来た。むしろいつ下降出来なくなるのかが気になってストレスとなった。その東端峰と言うところはどこなのか、尾根筋はどんどん下降してしまうので、ついに我慢できずに 標高700m付近で杉林の場所を選んで下降することにした。杉林の中はかなりの急傾斜で立木に掴まらなければ容易に下降できない。途中で先ほど下降した尾根に戻ろうとしたが、その間にはルンゼ状の岩場があり、その下部は深い沢につながっていた。これでは先ほどの尾根に戻ることは不可能である。諦めてこのまま下の沢まで下降することにした。途中には不気味な人の顔に見える大きな木があり、ドキッとしてしまった。この顔から逃げるようにさらに下降すると崖の上に出てしまった。こんな事もあろうかと今日は40mザイルを持ってきたので、ここぞとばかりにそれを取り出した。懸垂下降を2回繰り返して沢に降りることが出来た。これで安心、ほっと一息ついてお茶を一口呑んだ。

 この沢からは再び尾根に登り返すことになる。植林された杉林の中を登ると、ところどころに荷造り紐のマーキングがあり安心した。ふと足元を見ると薬莢が落ちているので、拾ってみるとずっしりと重い。「空じゃあない!!」慌てて遠くに投げたが、よく考えたら投げた途端に暴発したらとんでもない事になっていたと反省した。当然登るスピードは速まった。
杉林を登り上げると稜線に到着した。間伐が最近行われたのだろうか?切り株が新しいものが多く転がっていた。稜線を左(北方向)に向かって登ることにした。杉林を離れて雑木の道となった。5分ほど歩いて振り返ると後ろに「」しれいた山」が見えている。アレッ!!方向感覚がおかしくなったようだ。GPSを見ると確かに逆方向に歩いているようだった。「よかった早く気がついて」そう呟いて方向を修正した。


しれいた山の山頂部分



再び植林の中を歩くことになった。なだらかに歩いていくと、いつしか杉林から離れて再び雑木林に入った。そして目指す「しれいた山」の基部に着くことが出来たが、山頂を見て驚いた。それは全くの岩の塊だったからだ。しばらくここで考えてしまった。そこに登るには狭い岩場を抜けなくてはならない。それは裏妙義の「丁須ノ頭」の上部の雰囲気だった。しかし、一歩が踏み出せない。ザイルがあるから片端を立木に縛り付けることも可能だが、それでも落ちたらどうしようもない。何よりも風が強く、立っていると振られるのが気になる。あと数メートルなのだが、悔しい。

考えたあげくの、結論は断念だった。

「もう一度来よう」そう思って「しれいた山」から直接林道に向かって杉林の中を下降した。下降したところは登るときに気になっていて作業林道につながっていた。




しれいた山から見る「四ッ又山」「鹿岳」「落沢岳」

「記録」

08:25林道入り口--(.20)--08:45林道終点08:54--(.06)--09:00炭焼き窯跡--(.49)--09:49竹林の稜線--(.56)--10:45落沢岳11:05--(.35)--11:40尾根を離れる--(.36)--12:16沢--(.10)--12:26稜線--(.23)--12:49しれいた山基部12:57--(.23)--13:20休憩13:50--(.18)--14:08林道支線--(.04)--14:12林道--(.09)--14:21林道入り口


     群馬山岳移動通信/2006



この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)