台風の中でビバーク「白砂山」
登山日1986年9月8日〜9月9日


白砂山(しらすなやま)標高2140m 群馬県嬬恋村・長野県下水内郡・新潟県南魚沼郡/堂岩山(どういわやま)標高2051m 群馬県嬬恋村・長野県下水内郡

 9月8日

 天候は曇りながら時折薄日が差していた。

 昨夜の天気予報では、天候の崩れは少ないとのことあった。しかし、小笠原付近にある熱帯低気圧が2〜3日前から停滞しており、その動きが少し気になっていた。

 白砂山は、群馬・長野・新潟の3県にまたがる2140mの山である。今回は山頂にテントで一泊、長野県下水内郡をサービスをすると言う計画である。

 野反湖に着いた頃より雨がわずかに降り始めてきた。若干いやな予感がしたのだが、駐車場に車を止めて歩き始めた。ザックの中は天幕、シュラフ、炊事用具、山頂では水が無いので3リットルを持つ事にしたのでかなり重い。

 登山口から少し登ると、すぐにハンノキ沢に向かって下り始める。ハンノキ沢はせせらぎの音も心地よく水が流れている。飛び石伝いに簡単に向こう岸に渡る事が出来た。(帰りにこの沢で大変な事になろうとは知る由もなかった)

 約1時間で「地蔵峠」に着くと、かなり雨が強くなってきた。登山道は展望が無く深い樹林が続くのみである。時折、霧が木々の間を動いていく。平日の山なので出会う人は全く居ない。動物も雨のためか気配も感じられない。

 堂岩山(2051m)に到着した時は雨が本降りとなった。

 ここから白砂山までは通常ならば、快適なお花畑の稜線歩きなのだが、今の周囲の状況からは全くそれは望めそうもなかった。


 午後2時30分

 何とか白砂山の山頂(2140m)に着く事が出来た。

 歩き始めて5時間30分を要した。

 いつもの事であるが幕営地を決めるのはなかなか苦労する。まして山頂となると良い所が無い。風がなく、傾斜がなく電波の飛びが良い、なんて矛盾する所を疑問に思わずに真剣に探すのだからよけいである。雨と風の中何とか設営を終わった。

 次にアンテナの設営に取り掛かる。430MHz・12ELE・YAGIだが山の上でそれもテントの中で組み立てるとなると大変だ。ポールを立ててアンテナをセットしたが風にあおられて今にも倒れそうになっている。

 テントの中に入り、早速ラジュウスに火をつけて濡れた物を乾かす事にした。カメラ、無線機はたちまちの内に湿気のために曇ってしまう。どうも私の無線機は錆びるのが早そうだ。簡単な食事の後CQを出してみる。

「CQ430 こちらはHXF/φ 長野県下水内郡白砂山々頂移動・・・・・」
一回の呼出で応答が切れ目無しに続いて来る。

 30分後ある局から情報を貰った。それは、「昨日まで停滞していた熱帯低気圧が台風となってスピードを上げている。明朝には伊豆半島に上陸するらしい」と言うものである。

 その頃よりテントが大きくあおられ始めた。そしてラジュウスの火をつけている事が困難となった。無線機のSメーターはアンテナが風で振れているために、S1から9まで小刻みにひっきりなしに動いている。

不安が高まるが、とりあえず応答してくる局が無くなるまでと思いそれから約30分運用を続けた。

午後6時40分

 無線機のスイッチを切り暫く考え込んでしまった。

 <1>このまま山頂にいたら風通しがいいので台風で吹き飛ばされるからも知れない。
 <2>明朝台風が上陸すると言う事はこれから風は強くなるばかりだ。移動するなら今のうちだ。
 <3>ここに居るよりは少しでも下に降りて風を避けるべきだ。

はたしてどれが最善の方法か考えた。

 そして結論として、これから一時間以内でテントを撤収して下山する。7時30分にここを出発すれば10時には駐車場に着ける。12時には家に帰って布団の上で寝られる。

早速、撤収に取り掛かる。アンテナのステーは結んだ所が解けないのでナイフで切断した。テントは畳まずにそのまま丸めてザックの中に押し込んだ。しかしなんとテントのポールを外すときに誤って熊笹の斜面の薮の中に落としてしまった。斜面は傾斜が強く、落ちたポールは山頂から一気に下に落ちたものと思われた。必死になって捜した。なにしろ8千円の物だから。眼鏡が雨に濡れて見にくいので外して上着のポケットに入れて捜した。
しかし見つからない。

 ふと気が付くと、なんとポケットに入れてあったはずの眼鏡がない!!!

 今度は3万円の眼鏡捜しだ。ヘッドランプの灯を頼りに熊笹をかき分けて捜した。しかし無駄に時間を費やすばかり。結局あきらめて風雨の強まる山頂を後にした。

 ところが、ヘッドランプを頼りに雨・風・霧の山を眼鏡無しで下るのは想像以上に厳しい。何しろ当局の視力は(0.1+乱視かなり悪い)1分も経たないうちに道を失った。それでも10分ほど夢中で帰る事を考えて歩いた。

 ふと冷静になって考えてみると、自分の今やっている事がどんなに危険な事なのか気づいた。現状での撤退は無理だったのである。

”遭難”この言葉が頭の中に浮かんだ。

 下山を諦めた私は再び山頂に戻る事にした。それはもしもの時に、山頂の方が無線で助けを呼ぶならば、電波の飛びの良いところの方が良いと考えたからだ。それに山の原則で迷ったら上に登ると言う事があったこともある。

 山頂に戻り風下になる北斜面の熊笹の上にうずくまった。ポールを無くした物だからテントを頭の上から被った。(もっとも風雨の強い山頂でテントを設営するのは不可能だった。)手元にはライト・食料・無線機を置いた。

 食べる事で少しでも体力と気力を維持することを努めようとした。

 無線機のスイッチを入れて誰か知っている局は出ていないかとワッチした。しかし誰も居ない。QUYや知っているローカルを呼んでみたが応答がない。

 午後8時20分

前橋の局がCQを出した。すかさず応答した。遭難しているのだが遭難となると大騒ぎとなるので、なるべく平静を保って次の事を依頼した。

「申し訳ないが、現在山頂に居るのだが台風で家族が心配していると思うのでTELをして欲しい」

其の局は親切に依頼の件は快く引き受けてくれた。それに天気情報をテレホンサービスで聞いてから教えてくれた。私としては大変にありがたかった。これでとりあえず山頂に居る事は家族には解ったはずである。もしも捜索するときにはだいたいの目安が付くはずである。

それからは安心したのか少し落ちついた。
しかし相変わらず風はものすごい勢いで山頂を吹き抜けていく。雨も凄い!
時々時計を見る。
15分経過
・・・30分経過
・・・・・・・・まだ40分しか経過していない・・・・
・・時間は遅々として進まない。長い長い時間をただうずくまったまま待つのみ。

 夜中0時

 一瞬空が明るくなった。稲妻だ!!!
 数を数える1・2・3・4・5・・・・・・20秒で雷鳴が聞こえた。約7km離れている。風と雨と雷鳴で恐怖心が増加した。雷鳴は約2時間続いた。しかしこちらに近づいて来る様子は無かった。稲妻は目を閉じても、目の前が明るくなるので其の恐怖感はその度に高まった。

 テントを被っているとはいえ、それは全く防水の役目をしていない。衣類はぐっしょり濡れて水の中でうずくまっているようだ。ライトをつけて掌を見ると白くふやけている。

 明け方になると寒さが加わり震えで歯がガチガチと音を立てた。

 午前4時過ぎ

 空が明るくなってきた。風は相変わらず強い。視界は約10m程度であろうか。
いよいよ下山準備に取り掛かる。2140mでの9時間30分に及ぶビバークであった。眼鏡とテントのポールは再度捜したが見つからなかった。雨に濡れたテントはザックの中でかなりの重量になっている。そのため岩稜上では強風と高い重心のために身体が度々横に流された。更に雨が強く顔に当たるので風下を向いていないと歩けない。そんなわけでしばしば耐風姿勢を取る物だから、前になかなか進めない。
岩稜帯をを越えて樹林帯に入ると風の代わりに雨が激しくなった。集中豪雨の中にいるようだ。梢に向かって口を開けると容易に水が飲めた。

 4時間歩いた。駐車場まであと30分の所まで来た。ハンノキ沢だ。
 ここで私は呆然と立ち尽くしてしまった。

 来るときは水深20cm程の沢がなんと増水のために、濁流と化していたのだ。流れはかなり早い。時々黒い濁流の中を木の枝が流れていく。音もかなり大きく不気味であった。

暫くの間其の流れを見つめるのみだった。

 何となく上流を見ると長さ5m程のダケカンバの木が枝を付けたまま、岩に引っかかって横になっている。岸まで1m程足りない。しかしこれしかなかった。沢の水が引くまで待つ事は山頂でのビバークでさんざん待った身では出来なかった。

 思いきって木につかまって沢の中に入った。水深は腰のあたりまで来ている。足は摺り足で進む。ザックを背負っているので転んだらそれまでだ。このまま流されたら野反湖の魚の餌になるしかない。ただこの木が持ちこたえてくれと祈りながら前に進んだ。そしてラスト1mで木の先端の枝が無くなった。

運を天に任せて岸の熊笹に飛びついた。そして何とか岸にたどり着く事が出来た。助かったのだ。それからその場に座り込んで暫く動く事が出来なかった。命拾いをさせて貰ったダケカンバの木に思わず手を合わせざるを得なかった。

 車に着いてからも大変だった。眼鏡がないので車の運転が思うように行かない。それに国道18号、254号、406号は大雨のため全て通行止め。かろうじて暮坂峠が通行出来たのでここを通り家にたどり着く事が出来た。


                          群馬山岳移動通信 /1986/