花と残雪を楽しむ谷川岳   登山日1999年6月12日


一ノ倉岳(いちのくらだけ)標高1974m 群馬県利根郡・新潟県南魚沼郡/茂倉岳(しげくらだけ)標高1978m 群馬県利根郡・新潟県南魚沼郡

(西黒尾根から茂倉岳を経由して土樽駅へ)
茂倉岳より一ノ倉岳とオキノ耳・トマノ耳を見る

 谷川岳は何度か登っているが、いまだに西黒尾根を登ったことがない。唯一、西黒沢経由でガレ沢をつめて西黒尾根に登り上げただけだ。なにかメインルートを登っていないので、ちょっと気になる存在である。

 6月12日(土)

 谷川岳登山指導センター前を過ぎて車道を歩くと、まもなく「西黒尾根登山口」にたどり着く。標識に従って登山道を上部に向かって歩き出す。道はブナの樹林帯の道は急登で、展望もなくかなりきつい。有名な道の割には、熊笹の葉が道に張り出しており、朝露が足下にかかりちょっと気持ち悪い。

 送電鉄塔に着くと、ちょっと樹林が伐採されており息抜きが出きる。しかしそこを過ぎると再び深い樹林の中に入る。ただひたすら登るだけで、ペース配分がちょっと分からない。なるべくゆっくりと歩くように心がける。

 樹林の中ではなかなか休む場所が見つからない。それでも歩きはじめて約1時間、午前7時になろうとする時刻なので、しばらく休むことにした。ブナの大木の根本に腰を下ろし、上を見上げると頭上を覆う新緑の葉がとても眩しい。目を閉じると、寝不足もあり睡魔に襲われそうだ。気を取り直して、再び歩きはじめる。

 休憩後、歩きはじめて15分ほどで樹林帯を抜けて岩稜帯に出た。展望が一気に開け、西黒沢の全景が見渡せロープウェイが運行しているのが見られる。足下の草地にはみずみずしい紫色のシラネアオイが風に揺られていた。この地点から道は再び樹林帯の中に入るがそれもすぐに抜けて、今度はマチガ沢の圧倒的な迫力に圧倒されることになる。

 荒々しい岩稜が視野一杯に広がり、上部はトマノ耳からオキノ耳の屹立した岩峰の稜線に延びている。残雪はまだ豊富に残り涼しい風が下から吹き上げてきている。さらに歩くと、今度は左の西黒沢の方面も展望が開けて、快適な尾根歩きを満喫しながら歩くことが出きるようになった。

 岩場には鎖もあるが、無雪期にはほとんど必要のないもので、歩くのにさしたる困難は伴わない。むしろ楽しいくらいで、鼻歌混じりに快適に歩くことが出きる。ラクダの背
のピークに立つと素晴らしい展望に思わず息を呑んでしまう。目の前の白毛門から巻機山に続く稜線が特に印象的で、25年ほど前に縦走したことが鮮やかによみがえる。あのときは本当に楽しい時間を過ごしていたと、いまでも思っている。しばらく休んでいると、男性が一人登ってきて、しばらく雑談に花が咲いた。男性は万太郎山経由で土樽に抜けるという。一昨年、万太郎山から吾作新道を下りた時の苦しさが思い出されて、「頑張ってください」と別れ際に声をかけた。

 ラクダの背からちょっと下ると、そこが巌剛新道からの合流点「ガレ沢のコル」だった。登山者が一人休んでおり、カメラのシャッターを頼まれた。見上げれば上部にも登山者がおり、ほとんどが巌剛新道から登って来た人たちと思われる。

 ガレ沢のコルからは、岩稜地帯で適当に岩場のルートを選んで歩く。黄色いペンキでルートの目印はあるのだが、あまり当てにしなくとも良さそうだ。なぜならば、この岩稜地帯は花の宝庫で、まともに歩いていられないのである。ハクサンコザクラ、ハクサンイチゲ、ホソバヒナウスユキソウ、キバナノコマノツメ、イワカガミ、知らないものも含めればかなりの種類が岩稜地帯を埋め尽くしていた。今まで知らなかったのだが、谷川岳は高山植物の宝庫だったのである。

 そんな中を登り詰めると広い一枚岩の氷河の跡に着いた。まずはその上に乗って、仰向けになり大きく伸びをした。起きあがって下を見ると、ガレ沢のコルあたりから登山者が続々と登ってくる。さらに隣の天神尾根を見ると、ロープウェイ駅から登山者の列が既に形成されている。

 さて岩場はさらに続き、大きな岩峰に向かっている。その岩峰は「ザンゲ岩」で尾根上の突起のように見える。とてもその上には立てないと思ったが、何のことはない簡単にザンゲ岩の上に乗ることが出来た。ここからの展望も素晴らしく、なにか下を見下ろすというのは「お山の大将」的な感覚である。
肩の広場から万太郎山
 傾斜も次第に緩やかになり、天神尾根の登山者の服装までが分かるようになると、肩の広場の大きな雪田に到達した。雪田の向こうには万太郎山までの稜線が、魅力的な姿で横たわっている。雪田の上には肩の広場の大きなケルンが確認出来て、さらにその奥にはトマノ耳に群がる人々が見えている。

 雪田に差し掛かると、上部から女性を交えた5人ほどの集団が下りてきた。なんとも危なっかしい格好で、雪の上を下りてくる。しまいには下りられずに立ち止まって、どうしようかと考え込んでしまった。そんなに驚くほどの急斜面ではないので、ちょっと不思議な気がしたが、観光地谷川岳の一面であることは確かだ。キックステップで雪田を直登すると展望がひらけ、稜線上を人々が行き交う肩の小屋とトマノ耳・オキノ耳の銀座通りだ。

 そんな中を汗まみれの中年登山者が歩くのは、なにか異様な雰囲気であり場違いな感覚さえ受ける。さて、こんなところは早々に退散して、ご婦人たちの嬌声の響きわたるトマノ耳そしてオキノ耳は、横目で見ただけで通り過ぎた。オキノ耳を通過した先の岩場でザックを降ろして、ゆっくりと景色を堪能した。

 ところで、先ほどから身体の調子がおかしいことに気づいた。あまり食欲がなく、吐き気を覚えるのである。どうやら典型的な寝不足と疲れによる症状だ。ここのところの仕事疲れの上、昨夜は11時に寝たのだが、朝3時に起きて土合まで車で来ている。目を閉じると、そのまま眠ってしまいそうな感じさえする。それに今日は靴の中で足が固定できずに動いてしまい、つま先が靴の先端に当たっているのだ。どうやら靴下の選定を間違えたようで、これからの長時間の歩行、まして下りはかなりきつそうだ。

 さてここからルートをどうしようか? 体調が悪いことは紛れもない事実だ。このまま引き返すか、それとも目の前の一ノ倉岳まで行ってみるか。時間はまだ午前10時なので、時間はたっぷりある。

 とりあえず腰を上げて一ノ倉岳まで行ってみることにした。ところがどうだろう、靴の中の足は下りになったとたんに痛くて痛くて歩くこともままならない。つま先を先に付くと激痛が襲ってくる。それに歩く度に吐き気も襲ってくるのである。10分も歩いたが、ついにノゾキと呼ばれる地点でダウンしてしまって座り込んでしまった。

 南稜を登るクライマーを眺めながら時間を過ごしていると、後ろから来た男性が立ち止まった。男性はじっと立ったまま同じようにクライマーを眺めていた。
「これからどちらまで行きますか?」と声をかけた。
「土樽まで行きます。まだ時間も早いですから15時23分の電車に間に合わせます」
そう言って男性は一ノ倉岳に向かって歩きはじめた。

 その後ろ姿を見ると、何となく自分も土樽まで行けそうな感じがしてきた。そして振り返ると、オキノ耳までの急峻な登り、さらに長い西黒尾根の下りを考えると戻るのも大変と感じた。エアリアマップを見るとどちらも時間的には同じ様なものである。こうなると答えは決まった様なもので、可能性があるなら未知の領域を歩くことが基本だ。妻に携帯電話でこれからの行動予定を念のために知らせておいた。
一ノ倉岳より大源太山方面
 痛む足を引きずって、一ノ倉岳の山頂を目指して出発だ。不思議なもので登りは苦しいのだが、足はつま先が当たらないのでなんとかなる。何も考えないで、無心で登るとなんと簡単に一ノ倉岳の山頂に着いてしまった。山頂は標識のところだけであとは笹原になっている。過去2回GWにここに来たときはすべて雪の原だったので、ちょっと意外な感じを受けた。早速、無線運用だ! どんなに疲れていてもこれは欠かせない。スイッチを入れると運良く北佐久郡移動の局が出ていたので、なんとかQSLは確保出来た。

 一ノ倉岳からの展望はなんと言っても尾瀬と利根源流の山々だ。大パノラマにしばし感動だ。ザックを背負い、腰を上げるのと同時に二人の外人が山頂にやってきた。かなり日本語が堪能で、聞けば白樺小屋に一泊して大源太山を目指すという。あそこに見える三角形のピークが大源太山だと教えて歩きはじめた。すると背後から「ガンバッテ、クダサイ!」と声がかかった。振り返ってストックを挙げてそれに応えた。

 茂倉岳までの稜線は残雪の中を進み、それから快適なお花畑の中の漫歩である。まさに百花繚乱、見事なものである。特にハクサンイチゲ、シラネアオイは付近を埋め尽くしていた。距離は長いが、さしたる危険もないのでわずかな時間で茂倉岳の山頂だ。

 山頂からは眼下に関越道が白い線となって谷間を縫っているのが分かる。とにかくあそこまで4時間以内で下ればいいのだ。そうなるとちょっと気分的に楽になる。家の子供と無線で連絡して奥の手QSLは確保できた。しばらくすると蓬峠から3人の登山者がやって来た。聞けば6時間かかっているという事で、同行していた女性はその場に座り込んでしばらく動けないようだった。

 気になる山頂を後に茂倉岳を後にした。左手には今まで歩いてきたトマノ耳から一ノ倉岳に続く急峻な稜線が見えている。もしピストンだったら、あの稜線を歩かなくてはいけなかったのだと思うと、思わず目眩がするほどだ。

 茂倉岳の直下の避難小屋は大変立派なもので、これならしばらく住み込んでも良さそうなものだった。小屋の前には高校生・大学生らしきパーティーが宴会の真っ最中だった。元気が良さそうなので羨ましい限りだ。賑やかなのは同じなのだが、ご婦人の集団よりも明らかに好感を持てるのは不思議なものだ。

 避難小屋の近くの水場で水分を補給、おそらく1リットルほど飲んだのではないだろうか。小屋に戻り、フルーツゼリーとパンを腹の中に流し込んだ。しかし、相変わらず吐き気はそのままなので、せっかく持ってきたビールは飲むことは出来なかった。そこで賑やかな若者たちに提供する事にした。ビールを手渡した若者は驚くほど喜んで、お礼を言ってくれた。

 避難小屋からの下り道は、展望も良く快適な道なのだが、痛む足と吐き気のために地獄の責め苦に耐えながらの道となった。矢場ノ頭からは樹林帯となり、木の根や倒木が道に横たわりそれを越えるだけでも一苦労だ。いくら歩いても一向に高度が下がらない、関越道の車の騒音が聞こえる割には、いつになっても車道に突き当たらない。それに気になるのは電車の時間である。余裕はあるはずなのだが、少しでも早めに駅に行きたいと思うのが人情だ。
土樽より茂倉岳を振り返る
 なんとか、尾根から下りて車道を歩きはじめたときは本当に助かったと思った。これほど長い長い下山はいくつもない経験となった。

 土樽駅に着いたときは、電車の時刻の30分前だった。駅にはすでに10人ほどの登山者が電車を待っていたが一応に、無口でみな疲れ果てて居る様子だった。

 電車で土合に到着してから、登山指導センターまでの道はさらにさらに長い道のりとなった。落ち着いて足を確認すると、右足カカトに親指ほどのマメが。右足薬指の先は血マメで、動かすこともままならない状態であった。



「記録」

 登山指導センター05:37--(1.48)--07:25ラクダの背07:56--(.28)--08:24氷河の跡08:42--(.15)--08:57ザンゲ岩09:05--(.20)--09:25トマノ耳--(.11)--09:36オキノ耳--(.05)--09:41休憩10:07--(1.00)--11:07一ノ倉岳11:13--(.12)--11:25茂倉岳11:37--(.10)--11:47茂倉岳避難小屋12:00--(.50)--12:50矢場ノ頭13:00--(1.22)--14:22車道--(.31)--14:53土樽駅15:23++++++15:33土合駅--(.17)--15:50登山指導センター



              群馬山岳移動通信 /1999/