桐生での忘年会と「三境山」「野峰」  登山日1994年12月9日


三境山(さんきょうざん)標高1088m 群馬県桐生市・群馬県勢多郡/野峰(のみね)標高1010m 栃木県安蘇郡
野峰山頂で記念撮影(JR1CFR局撮影)
 12月9日(土)

 桐生で行われる忘年会のために朝7時に自宅を出発する。昨夜降った雪の為なのかどうも渋滞がひどく、桐生に入ったのは3時間も経った10時頃になってしまった。桐生の市街地を抜けて、梅田に入り山に向けて直進する。梅田湖を過ぎたあたりから、道は急に狭まり車一台がやっと通行できる程度の幅になってきた。おまけに積雪があるので、緊張しながら運転する。更に対向車から分かりやすいようにライトを点灯した。やがて左の山側に三境林道が分岐した。その道は今まで抜けてきた道よりも広くて立派なものだ。その地点は直進すればあとわずかで根本山の登山口になる不死熊橋となる。

 三境林道に入り、雪で真っ白になった道を登る。今シーズン初めての雪道ドライブにちょっぴり興奮してしまった。途中で道が大きく右に分かれていた。これはどちらに行ったら良いものかと途方に暮れてしまった。そこで無線で誰か知っている人は居ないものかと「山ラン各局」を呼び出す。すると根本山移動のUGCが答えてくれた。事情を話したがあまり要領を得ない答だった。なぜならUGCは私が根本山を目指していたと思ったらしかった。その内TLL、FFYと言ったなつかしい声が次々に聞こえて来た。道の方は良く解らないので、右の山側に入ったがその道はすぐに行き止まりとなった。バックしてもとに戻り、再び道なりに舗装路を辿る事にした。


**三境山へ**

 舗装のされた立派な林道を辿ると、やがて「三境随道」の名前が掲げられたトンネルが現れた。起点から4キロほどの場所である。この随道の手前の空き地に車を止めた。ここに来るに当たって、パッキングを全くしていなかったので、車の中をひっかき回してなんとかそれなりの装備を整えた。

 随道の右側はコンクリートが吹き付けられており、全く登る事は出来そうにない。左側は木の伐採が終わり、裸地に近い状態なのだがかなりの急傾斜である。ともかく選択する余地はない、その裸地を登る事に決めた。道などあるわけもなく、適当に登りやすい所を選んで稜線を目指してひたすら登るのみだ。

 上部に行くにしたがって桧の植林の林の中に入った。そしてやっとの事で稜線に着く頃には背中はかなり汗で濡れてしまった。高度計で約110メートルを登るのに20分を要してしまった。稜線には明らかに道と思われるものが続いていた。それに所々には紐が枝にくくり付けられていた。それを頼りに踏み跡の無い雪の上を辿った。

 やがて顕著なピークの上に立つと標識が現れ「←三境山・屋敷山沢を経て石鴨→」と書いてあった。更になんとあの「井上昌子」の落書きも施されていた。しばらくこの落書きには出会っていなかったが、この山域は井上昌子の本拠地であるとも言われているので、出会って当然なのかもしれない。この分岐から新雪の上にハッキリとした登山靴の足跡が、三境山に向かって付けられていた。

 稜線伝いに忠実に道を辿るのだが、この道はとても今の時期で無ければ歩く事は薮で困難であろうと思われた。また所々にはイノシシの足跡もあり、その歩く様子を想像しながら歩くのもなかなか面白いものだ。やがて岩のゴロゴロしている場所を過ぎるとそこが三境山山頂だった。

 山頂にはかなりの数の山頂標識があり、どれも個性豊かなものだった。そして雪に埋もれかかった小さな石祠が南に向かって置かれている。山頂からはやはり目の前に見える根本山、熊鷹山あたりが大変に良く目立つ。しかし不思議なのは山頂には今まで付けられていた先行した登山者の足跡が無かった事である。ちょっと冷たいものが背中に流れてしまった。山頂で無線機を取りだしたが、なんと電池切れである。電池交換をして山ラン各局を430Mhz呼び出すが応答無し。それではと50Mhzに切り替えて見たがあまり聞こえてこない。それでも何とか仙人ヶ岳の7K1CVPとコンタクトする事が出来た。写真の腕前の見事なCVPと今夜会える事は楽しみのひとつである。再び430Mhzで呼び出すと今度は熊鷹山にいるUGCとQSOする事が出来た。話をしながら食料をザックの中から出そうとしたが、どうもおかしい。

なんと食べ物がない !!!!

 どうやら車の中に置き忘れて来たらしい。そうなると途端に寂しくなり、季節風が妙に冷たく感じる。UGCに話すとこちらはコンロを忘れて、ほかの登山者にUGDが借りたとの事である。しかしこちらはほかの登山者さえ居ない。

 早々無線を切り上げて、食料の置いてある車に戻った。


「県立桐生青少年野外活動センター」

 この妙に長い長い名前の施設の広い駐車場には、まだ車は数台しかなかった。荷物をまとめて準備をしていると、ほどなく幹事のKXWとTQPが連なって到着した。TQPは車にちょっとしたアクシデントが発生していたが、顔はニコニコしているし、怪我もなかったようなので安心した。センターの建物からはAFRが早く着きすぎたので、昼寝をしていたと言いながら出てきた。

 センターの建物に入ると立派な施設に驚いた。私の県民税もこんな風に役だっていれば納めた甲斐もあると言うものだ。KXWの指示により部屋割りのクジを作り受付の席に座った。やがてなつかしい顔の人や、初めて会う人が次々と現れて賑やかになってきた。風邪をおして到着したFATは多数のおみやげを持参して来ていただいた。NNLは商売物を持ち込んでいる。つくづくこの会のメンバーは凄い人たちであると再認識してしまった。また最高令のGOGは足元もしっかりしており大した物だ。MLQはちょっと貫禄が出てきたようだ。HRT、HRAは、どうも今だもって見分けがつかないところが私には情けない。HBHはQSOばかりで会うのが初めてだったが、なかなか無線の声とは一致しないところが面白い。そのほか多数の人にお会いしたがどうも忘れっぽくて後は失礼させていただきます。

 若干の未到着者を残して5時から夕食になった。隣ではたまたま同宿となった「なかよし会」と称する子供連れの団体がクラッカーを鳴らしたりしてなかなか賑やかだ。この施設の本来の利用目的を考えればしかたあるまい。食事が済むと各自で食器を洗って返却していよいよアルコールの出番である。吾妻山で遭難し損なって遅れた子連れのJI3MBTは酒豪らしく、早くも自分の世界に入って居るようだ。FFY、CVPも酒豪である事には変わりはなく、なかなか笑顔が素晴らしい。

 9時を少しまわった所でJCAが拍手の中に到着した。大宮からこの建物の位置を迷う事もなく、まるで土地感があるが如く時間どうりに来るところは、さすがであると感心した。私は登山姿しか見た事がないので、普段着の怪人は初めてだ。加賀友禅のバンダナをバラのかたちにあしらって、ヘッドランプで現れて欲しかったのは私だけだっただろうか。先日の柿の木事件で痛めた足は、まくり上げた股引きの下でまだ腫れ上がっていた。

 10時までの入浴時間に間に合わせるために、急遽酒席を離れて入浴をしてから部屋に戻った。部屋にはJCA、KXW、そして遅れて来たVAJベートーベンさんと私という、メンバーで眠るまでよもやま話に花を咲かせて、いつしか眠りに着いた。JCA曰くHXFの寝息に悩まされたと言うが、当の本人は知るよしもなかった。


12月10日(日)

 一夜が明けて寝不足の身には朝の冷たい空気が、身に滲みる。同室のJCA、VAJは早々に仕事があるとの事で、慌ただしく発っていった。私は今日は何処に行くかはまだ決めかねていたが、どうも「野峰」の声が多いので、そちらに付いていく事にした。ほかには堂平山、大形山、鳴神山の声も聞かれた。


**野峰へ**

 野外活動センターを団体で出発する。車道を一旦降りて「閉籠里」の村落を北に辿ると道が分岐する。標識には「山の神様」と書いてあり、これが野峰に通じる道とは一人だったら全く分からないところだ。そして歩き始めると何となく順序が出来上がって来るところが面白い。

メンバーはENW、FDI、CHR、FFY、CFR、UGC、UGD、MLJ、HYP、そして私の10人となった。

 ENWはこの辺の地理には詳しいらしく、快調なペースで歩いていく。私はと言えば、最後尾で早くも汗をかきながらついて行くのがやっとだ。昨日の酒の影響か、それとも久しぶりの団体登山で、ペースが会わないのかもしれない。ほどなく山道は山の神様をまつってある小さな社に着いた。ここで道が分岐して、そのまま真っ直ぐ進んで下ると「梅田ふるさとセンター」であるらしい。野峰にはここから山道を尾根伝いに登って行く事になる。

 相変わらず団体の最後尾をかなり離れて歩く。私の後ろはFFYが「山の神様」の社を調査しており遅れているので、最後から二番目と言った方が正しい。次第に私よりも先行していた体格の良いCFRの熊よけの鈴の音が近づいてきて、ついに私と並んでしまった。それから少しの時間が経ったところで今度はFFYが追いついてきた。これでついにFFY、CFR、HXFがひとつのパーティーを形成してしまった。健脚組の姿は既に視界から消えており、雪の上につけられた足跡だけが先行している事をうかがえるだけだ。整然と並んで植林された桧の間を抜けながら道は続いていた。そんな樹林の間からは雪を被った男体山と日光の山が遠くに見えている。

 比較的日当たりの良い場所で先行したメンバーが我々を待っていてくれた。「あと十五分くらい」の言葉に励まされ、揃って行く事にする。揃ったと言っても相変わらず私は最後尾になり、今度はMLJが一緒になった。水の篠さんは健在で、今日も2リットルを持参しているとの事である。突然、そのMLJの懐からけたたましい音が聞こえた。それは移動電話の呼出音だった。この山の中にいても追いかけられるとは、MLJも忙しいものだ。

 やがて小さなピークを越えて、いったん鞍部に降りてから登り返すとほどなく山頂に到着となった。山頂は雑木に覆われてあまり快適な展望は得られなかった。皆それぞれに自分のやりたい事をやりだした。UGCは早速手際よく6mのダイポールをセットした。FDIは自作の1200Mhzのアンテナで運用している。ENWはデジタルスチルカメラを披露して皆の関心を集めた。CFRは素晴らしいズームレンズを装着したカメラで被写体を追っている。FFYはなんとハンディを取り出して無線をやる体勢だ。(しかしこれは不発に終わったようであった)そしてなんと女性陣のUGD、CHR、HYPからは食料の差し入れがあり、久しくこんな団体登山をしていなかった身にはなんともうれしかった。

 山頂で全員で記念撮影を行い、再びENWを先頭に下山する事になった。下山時には幻の野峰沼を見る事になった。赤テープを頼りにその場所につくと、二坪程のそれらしき水たまりが凍結していた。何やら人工的に作られたような感じがしないでもない。FDIがもうひとつ作れそうだと言ったが、全くその通りもう少し拡張する事も可能であろう。がっかりしながら登って来た道を再び辿って下山する事になった。

 来るときに出会った「山の神様」の社の所に、今まで気付かなかった標識があった。「野外センター近道」とあるので試しにその道を行く事にした。ところがその道は途中で分からなくなってしまった。それは有刺鉄線で囲われたタラの木の畑に着いてしまい、その迂回路探しに手間取ったからだ。そして決して近道とは言えない道を辿って無事にセンターに到着した。

 センターの駐車場では幹事のKXWに出迎えていただいた。OMは最後の酒瓶の片付けや、布団の片付けなどに奔走されて、あとは我々の無事を見届けて戴いたらしい。OMには楽しい忘年会と山行の計画と、今回はまことにお世話になりました。


***記録***


「三境山」

 三境随道11:01--(.20)--11:21稜線--(.13)--11:34分岐--(.20)--11:54三境山山頂12:31--(.32)--13:03三境随道


「野峰」

 野外活動センター09:00--(2.03)--11:03野峰12:01--(1.13)--13:14近道分岐--(.17)--13:31野外活動センター



                   群馬山岳移動通信 /1995/