八丁峠からの「両神山」と「諏訪山」 
登山日1996年5月11日


両神山(りょうがみやま)標高1724m 埼玉県秩父郡/諏訪山(すわやま)標高1207m 群馬県多野郡・埼玉県秩父郡
両神山山頂
 西上州の山から見る両神山はいつも憧れの的だった。いつかあの岩峰を連ねた稜線を伝い山頂に立ってみたいと考えていた。しかしなかなかその機会は出来なかった。それはこの山は季節を選んで登りたかったからだ。春のアカヤシオまたは秋の紅葉が見たかったのだが、いつもその時期になると決まって違う山に足が向いてしまっていた。


5月11日(土)

 上州と武州の国境にある「志賀坂峠」の下を貫く「志賀坂トンネル」を抜けてすぐに右折、「金山志賀坂林道」入る。この林道は狭いものの舗装がなされていてなかなか快適だ。しかし落石が散乱しているのでやはりそれなりの注意は必要である。やがて目の前に吃立した岩峰が目の前に現れ、そして八丁随道の入り口に着いた。ここは広い駐車場がありトイレも完備しており、さらに東屋が設置してあった。今日はその東屋の中にはテントが張ってあり、側で若い男女が食事の用意をしていた。女性はなかなかの美人で、やはり深田百名山なので若い人も来るのかと思った。落石の少なそうな場所に駐車していよいよ準備を始めた。

 大きな登山案内板の前でコースを検討していると、先ほどの若い男女がやってきていろいろと話し込んでしまった。昨日は「二子山」に登ったのだが強風でかなり苦労したとの事だ。それにこの八丁随道から両神山のピストンは、大変な事なので止めた方が良いとも言う。それよりもこの随道を抜けてしばらく行き、落合橋があるからそこから八丁峠に登り両神山を目指し、帰路は両神山から直接その落合橋に下りた方が良いと言う。なるほど言われてみればその方がはるかに楽そうだ。しかし地形図を見てもその下山道が記入してないので、当初の予定通りここから往復する事にした。

 案内板の先から登山道が延びており、急な斜面につけられた道はジグザグにゆっくり登っていく。傾斜が急なだけにどんどん高度が上がって行き、林道がどんどん眼下に小さくなってくる。途中鎖が設置してあったが、登るときにはさほど必要の無いものだ。やがて道は緩やかなトラバースの道となり登りだした。このあたりはヤブレガサやハシリドコロがかなり多くみられた。再び傾斜が急になってなってくると、上部で何やら話声が聞こえる。坂本への明瞭な道を左に分けて10分ほど歩くとそこが八丁峠だった。

 八丁峠は深田久弥は「八町峠」と記している。この辺の地名の変更についてはいずれの理由にしても面白いものだと思うが、胸突き八丁と考えると現在の地名のほうが良いと思う。ここは十字路で尾根の西側に続く道は通行禁止で「赤岩峠」に行くものらしい。更に下からは明瞭な道があり、おそらく随道の先の橋から来るものらしい。そしてナイスミディーが下からくる人に向かって「早くおいでよ」と呼ぶ声が聞こえた。これはたまらない、このルートは鎖場が多いのでナイスミディーの団体の後に付いたら時間はかかるし、石は落とされるで、ろくな事はないので休まずにそのまま出発した。

 先に進むとすぐに索道の鉄塔跡が錆びて土台だけを残しており、そばにはワイヤーが放置されていた。この付近のアカヤシオは少しは咲いていたので、気持ちがなごんだ。このあたりから鎖が多くなってきたのだが、相変わらず登るには不要だった。最初の岩峰に立つとまわりが開けて屏風の様に並んだ岩峰群が広がった。しかしどの岩峰も同じ様な高さで、どれが本峰なのか俄には分からない。

 さらに進むと今度は「行蔵峠」の標識のあるピークに出た。峠と呼ぶには無理がある場所でまさにピークそのものだった。ここで先行する私よりも年輩に見える男性登山者に追いついた。カメラのシャッターを頼まれたので、八ヶ岳をバックに撮影した。立ち話をしてから、あと数分で「西岳」に行けるので今度は私が先行して先に進んだ。一旦、岩峰を下ってから再度登り上げるとそこが「西岳」だった。地形図では標高1613メートルの記入のある場所だ。ここで初めてまとまった休憩をとる事にして、ザックを下ろして適当な岩に腰掛けた。展望はかなり良く、白銀の八ヶ岳が印象的で、さらに目を北に転ずるとそこには浅間山が山頂だけ白く雪を被って春霞の大気の中に浮かんでいた。

 やがて先ほどの登山者が登ってきて、お互いにカメラのシャッターを切って記念撮影を行ってから、山のいろいろな話しをして過ごした。休憩後再び先行して西岳を後にして歩き始めた。今度は大きなキレット状の場所に出たが、足元がしっかりしているのでさほどの不安はない。キレットの上部の鞍部まで下ると手製の標識が立木に下げられて「風穴」と書いてあった。なるほど下からはひっきりなしに風が吹き上がって来ていた。再び登りとなり、小ピークに立つとそこには小さな祠が建っており、まわりには幣束が下げられていた。ここもなかなか気持ちが良い場所だった。するとキレットの向こう側で、先ほどの登山者がカメラを向けて写真を撮るから、こちらを向けと合図しているので、一応ポーズをとって見た。こちらも返礼の意味でここからその登山者を撮影をした。そしてこの登山者をこの祠がある岩の上で待った。

 やがて登山者が到着してお互いに住所と名前を交換した。登山者は羽村市のKさんで、この夏に北アルプスに挑戦するので今日はそのトレーニングでやってきたとの事である。休憩後再びここでKさんと別れ、いよいよこのコースの核心部と思われる「東岳」に先に出発した。この祠がある岩峰から少し進んだところで、このコースで一番自分では緊張した2メートルほどのナイフリッヂがあった。一応鎖はあるのだが、それにつかまったのでは効率が悪いので、そのナイフリッヂの上に乗って一気に渡った。再び道は一旦下り、それから登りとなった。

 「東岳」の登りは手前からみると、急峻でどこから登ったら良いものかと思ったが、取り付いてみると意外と登り易い。基部から上部に向かって連続的に鎖が何本も取り付けてある。この鎖は特別利用しなくとも岩がしっかりしており、ホールド及びスタンスが十分に得られるのでかなり楽に登れる。振り返ると今まで越えてきた岩峰が、掌を広げて指を並べたようになっている。遥か下方では芽吹きの始まった木々が淡い色で広がっていた。後方ではナイスミディーの声が聞こえる。つくづく今回は早めの出発をして良かったと思った。なにしろ鎖場で待ち時間があったら、思うように登る事は出来ないからだ。

 快調に登って行き、わりとあっけなく「東岳」の山頂に到着した。地形図で標高1660メートルの記載がある場所だ。ここにはベンチがあり、素晴らしい展望が広がっていた。しかし、目の前の「叶山」は石灰岩採掘のためにほとんどその姿が無くなっているのが痛ましい。その横の「二子岳」も同じ運命を辿らなければ良いのだがと思う。やがてKさんが到着したので、再び記念撮影の交換をして四方山話を楽しんだ。腰を上げて出発しようとしたところ、やはり単独行の男性が到着した。聞けば70才との事で、ここまで約1時間半だったとの事だ。自分も将来こんな風に山登りがしたいものだと思った。

 再び一人になって今度はいよいよ本峰を目指す事にした。今までとは全く様子が異なって、快適な尾根歩きとなった。アップダウンも少なく、まるで低山の林を歩いているような錯覚を覚えるほどだ。快適なので思わずジョギングの雰囲気で、一気に顕著なピークを3つ越えてしまった。そして道は標識に従って東側の斜面に少し下って再び登る事になる。そして短い鎖場を登るとそこが両神山山頂だった。

 山頂はとんでもない混雑で三角点さえも良く見えないほどだ。展望表示盤のまわりには人が群がりそばにも近づけない。しかしその展望は素晴らしいものだ富士山の姿も遠望できる。やがてKさんも到着したので、記念撮影をして早々にこの山頂から離れる事にした。山頂から北にすこし行ったところに適当な岩場があり、ここで風を避けながら腰を下ろして食事をすることにした。ところがさすがは有名な山である、妙な趣味の人もいる。なんと尺八を取り出して吹いているのだ。まあいいか・・・・・。こちらは無線機を出して430Mhzで一局お声掛けをしてから、メインに戻ると呼んでくる局がいる。なんとそれは7K1FAT/野田編集長だった。それも目と鼻の先「天丸山」移動とのことでありその声は明瞭に聞こえてきた。「天丸山」はなんと今やアカヤシオが満開、下の方にはムラサキヤシオが咲いていると言う。羨ましい限りである・・・こちらはそんな華やかなものは待ったく無い。小学生のリコーダーのような尺八とナイスミディーの声だけだ。なぜか無性に「天丸山」のその静けさが欲しくなった。いま深田百名山のひとつである「両神山」にいるのになぜか空しい気持ちになっている。深田百名山は必ずしも個人にとっては良い山とは言えないのだろう。ともかく野田さんとQSLの交換を約束したので、無線機はスイッチを切ってしまった。

 まだ正午前だったが、あまりに空しい山頂に嫌気を感じて早々に下りる事にした。

 ところがまだまだ登ってくる人がいるので、しばしば鎖場ですれ違いのために待つ事になった。まして落石には十分な注意を払わなくてはならないので、慎重にならざるを得なかった。そしてここで初めて鎖を設置してある理由がわかったような気がした。それは鎖は登るためではなくて、降りるために必要なのだと。この両神山の鎖場はたしかに距離も長くスケールも大きいのだが、妙義山と比較するとレベル的には妙義山のほうがはるかに高いと思った。登ってくる人も「西岳」までで、その後はのんびりと木々の芽吹きの眩しい山道を下った。


「諏訪山(中里村)」

 八丁随道まで降りて車に着いたが、なにか充実感がない。それは地形図を見ながら静かな山を登り、静かな山頂に立った時の感激が無いのだ。地形図を見るとこの近くに「諏訪山」がある。たしか「群馬の山歩き130選」には志賀坂トンネルから登るような記憶がある。ところがこの山は地形図から見る限り、八丁随道から志賀坂トンネルまで林道を少し戻った、標高1610メートル付近から登るのが簡単そうだ。早速実行に移す事にして、荷物はそのままで車でその地点に向かう事にする。

 標高1610メートル付近の地点はすぐに解った。(青い大きな看板が立っていたのだが、文字を書き写すのを忘れたために、ここにその文字を書く事が出来ないのが残念だ)標識はもちろん無いのだが、何やら道らしきものが尾根に沿ってあるようである。ともかくこの道を辿る事で問題はなさそうなので、ザックを背負い歩きだした。まずは標高1212メートルのピークである。なんと目指す「諏訪山」よりも5メートルほど標高が高い。

 1212メートルのピークはさしたる展望もなく道は左(北西)に向かう。途中に珍しい標識があり「水源かん養(兼)公衆の保健 保安林 群馬県」と書いてあった。なんと凄い目的を持った山なのであろう。さらに進むと道は今度は右(北東)に折れた。やや下りとなり。右側は杉の植林、左は雑木林になっている。地形図で確認すると植林された方は埼玉県であり、今歩いているのはまさに県境の尾根であった。

 小さなピークを越えて、一旦鞍部に降りてから再び登る。このあたりはアカヤシオが満開で、その美しさはこの薮の中の道のアクセントになっていた。しかしこの道はそろそろ疲れの貯まってきた身体にはこたえた。やはり無理はきかない年齢と言う事だろうか。

 そして疲れもピークに達しようとしていたときに、傾斜が緩くなり目の前に祠が現れた。まさにここが「諏訪山」山頂で、錆びた鉄の標識が立っていた。また祠には「諏訪山」と書いた札がそのまま下がっていた。展望はあまりなく、雑木の間から「叶山」の採掘場所が間近に見られる。さて無線機の電池を交換してスイッチを入れて、いつも世話になっているJL1FDI/村上さんを呼んでみた。なんとラッキーな事か、すぐに応答がありカード交換の約束が出来た。村上さんは御荷鉾スーパー林道走行中で、この標高の低い山からではこんな事でもなければQSLの確保は難しい。

 思いがけなく登った「諏訪山」で静かな山頂を味わい、今日の山行は初めて充実したような気持ちになった。



【記録】


「両神山」

 八丁随道7:38--(.38)--8:16八丁峠--(.31)--8:47行蔵峠--(.06)--8:53西岳9:07--(.07)--9:14祠9:26--(.17)--9:43東岳10:10--(.17)--10:27両神山山頂11:29--(.15)--11:44東岳--(.33)--12:27西岳12:32--(.33)--13:05八丁峠--(.28)--13:33八丁随道


「諏訪山(中里村)」

 林道1160m地点13:58--(.29)--14:27諏訪山山頂14:42--(.23)--15:05林道



                       群馬山岳移動通信 /1996/