人跡未踏に近い「御巣鷹山(上野村)」
登山日1996年11月30日


御巣鷹山(おすたかやま)標高1639m 群馬県多野郡
山頂三角点と記念撮影
 御巣鷹山は、昭和60年8月12日午後6時57分の日航機墜落事故で、一躍全国的に知れ渡った。報道では当初「御巣鷹山」に墜落となっていたが、のちに「御巣鷹の尾根」と訂正された。しかし、それでも御巣鷹山の名前を使うのには無理があるかもしれない。今回の山行でもその現場を確認することは出来なかったからだ。

 11月30日(土)

 御巣鷹山は先日のマムシ岳と同じく、とても一人では登る気にならない山だ。なにしろ524人が遭難、その内の520人の魂が眠る所と言うだけで、恐ろしくて足が向かない。こんな山に一緒に登る物好きは猫吉さんしかいない。今年はなぜか猫吉さんとの山行は6回目となった。

 待ち合わせの浜平鉱泉の奥の林道に7時少し前に到着した。墜落事故の際に利用されたこの林道は今でも工事が行われており、送電線工事、林道開設工事と朝にもかかわらず頻繁に工事関係車両が通過していった。朝食も済んで車でさらに林道の奥に向かった。

 葡萄沢に沿って行く林道はゲートが下りている。そこから右折してさらに300メートル程行くと右に「中之沢林道」が分岐している。林道に入るとすぐに広々とした飯場の跡に出る。ここには工事の無事を祈ったのだろうか、赤い鳥居がひっそりと立っていた。さらにゲートがあったが、閉じられたことは無いよあだ。このあたりから「大蛇尾根」の取り付きなのだが、駐車余地がないのでさらに進んだ。ゲートから700メートル程進んだところで大きく右に曲がる所があった。ここはかなり広く、切りかけた材木が置いてあるところを見ると作業場としても使っているのかもしれない。ともかくこの標高1050メートルの地点から登り始めることにした。

 今回も読図能力に秀でた猫吉さんが先頭で登り始めた。いきなりの急登で息が弾む。ところが猫吉さんは今日は調子が良さそうであまり息が乱れていない。標高差約200メートルを主尾根にて向かってひたすら歩く。思ったほど藪はうるさくなく、意外な感じを受けた。

 汗が背中ににじむ頃、標高1240メートル大蛇尾根の主尾根に到着した。北の樹林越しに白くなった浅間山が望めた。さらに手前の山についてもエアリアマップを広げて山座同定をして楽しんだ。さてここからは西に向かって、この主尾根に沿って登っていくだけだ。

 まずは目の前に見えている1331メートルピークだ。所々に藪も現れたが、まずは無難にピークの直下まで到達した。ここで帰路のために残していく、白いビニルの荷造りひもが無くなったので、さらに30本ほどカットして腰に取り付けた。これもワンタッチでセロハンテープのようにカット出来るようにしたらベストだと思う。

 1331メートルピークを越えたあたりから藪が本格的になってきた。途中で杖の代わりに使っているストックのラッセルリングが、枝に引っかかったらしく紛失してしまった。愛着があるだけに惜しいので戻って探したが結局見つからなかった。尾根から見ると左右の沢にはそれぞれ道が出来ているらしく、この周辺の開発が急ピッチで進んでいるのがわかる。特に左下に流れる大蛇倉沢に沿って延びている林道は、この御巣鷹山に登るのに使えそうな感触がある。

 ここからは営林署の目印なのか、木の幹に赤ペンキの目印が続いていた。尾根上には時々踏み跡と思われる場所もあったが、総じて「けものみち」らしい。時には木の幹に黒い毛がこびりついていたり、土の上に現れた根には爪の跡さえも付いていた。これでは一人では間違いなく引き返しているだろう。それに奇妙なものとしては、ブナの大木に白いサラシのような布が巻き付けてあるものもあった。人が入るような山では無いだけに何とも気になるものであった。

 次の1546メートルのピークにはとてつもない急登となった。息を整えながら歩かないと、とても歩き続けることが出来ない。そしてピークの手前で、ついに先頭を歩く猫吉さんに休憩の提案をしてしまった。ともかく大休憩させてもらうことにした。目の前には御巣鷹の尾根が見えているが、あの大惨事のあった形跡は全く見られなかった。

 1546メートルのピークから再び歩き始めた。順調に歩き始めた猫吉さんが突然立ち止まった。「道が違う、北西に歩いている!」さすがに猫吉さんの読図能力は優れている。確かに御巣鷹山に続く主尾根は方向が違う。よく見ると目の前にこんもりとした、黒い木々で覆われた尾根上のコブが見える。ともかくそのコブを目指して方向を修正して進むことにした。ところがそこに続く斜面はとんでもない笹藪だった。笹は軽く背丈を越えて先を歩く猫吉さんの姿も消してしまうほどだ。唯一お互いの存在は熊除けの鈴で確認するのがやっとだ。急降下で笹の斜面を下りて鞍部に到着した。ここであらためて斜面を見上げてため息をついてしまった。なぜなら帰りのことを思うと、再びこの斜面を登る事がどれだけ大変なのか判っているからだ。

 ここでひとつの案が浮かび上がった。それは御巣鷹山からさらに先に進んで国境稜線を南下して事故現場の「昇魂の碑」経由で帰ると言うものだった。しかしそれは正午にに「御巣鷹山」に到着していると言う条件付きだ。しかしそれには今から30分しか時間がない。

 「御巣鷹山」らしきピークは目の前に見えている。しかしなかなか藪に阻まれて前に進むことが出来ない。そして、タイムリミットの正午になってなってしまったのだが、今いるところは笹藪の中である。これで完全に国境稜線を歩く計画は消えてしまった。それにしてもこの笹藪の中には、なんと刈り払いの跡があったのである。笹はおろか、立木さえも伐採してあるではないか。なんのためなのか判らぬがともかくこの道をありがたく利用させてもらうことにした。

 刈り払いの道を登ると道はひとつのピークを左に巻くようになっている。猫吉さんはそれを無視するようにそのピークを登ろうとしている。そこで「道はこちらですよ」そういうと「いや、このピークが御巣鷹山だ」と確信をもって答えた。いままで間違えたことはないので猫吉さんの後に続いて岩場を登った。ところがたどり着いたピークは藪だけで、三角点のある形跡は見られなかった。猫吉さんが、藪の隙間からその先にさらにピークがあることを見つけた。どうやらこのピークは手前の前衛峰らしい。そこでさらに先のピークを目指して最後の力を振り絞ることにした。(帰りに確認したのだが、刈り払いの道は御巣鷹山には続いてはいなかった。むしろこのピークを越えることが正解なのかもしれない)

 次のピークは素直に登ると、岩場に突き当たって登れない。右に巻いて立木につかまりながらよじ登った。さしたる距離では無かったが、とにかく疲れたのでこのピークが「御巣鷹山」であって欲しかった。そして先を登る猫吉さんから声が掛かった。「三角点の標識に使う、白い発泡スチロールの破片が見つかった」と言うものだった。それに元気づけられて頑張って登ると、すでに猫吉さんは三角点の標識のそばに立って記録を執っている。

 やったついに「御巣鷹山」の山頂に立つことが出来た。おもわず猫吉さんと握手をしてしまった。山頂には苔むした三等三角点があり、その様子から人が踏み込んだ形跡が無いことが伺えた。展望はあまり良くなく、松の立木に囲まれていた。それに国境稜線にはさらに高いピークが並んでいるので、それらに比べると見劣りすることは事実だ。しかしこのピークに名前が付けられて、三角点まで設置されていることについては紛れもない事実である。

 山頂標識はなく、今回取り付けた「達筆標識」が唯一のものとなった。これから後この標識が人間の目に触れるのはいつになるだろうか ?そんな感触を持たされる山頂だった。

 山頂での気温は0℃で林道から歩き始めた時と全く同じ気温のままである。さらに時折雪もちらつくほどの寒さだった。あまりに寒いので無線の移動運用もそこそこにして、足踏みをして寒さをこらえた。それに引き替え、猫吉さんはしきりにCQを連発して局数を延ばしていた。その姿には鬼気迫るものさえ感じた。

 下山は1546メートルへの笹藪の登りがやはり大変で、約30分間の地獄のような急登が疲れた身体にこたえた。それが響いたのか私は右膝が痛くなり、かなり苦しい下山となり、車にたどり着いたらあたりはすっかり暗くなっていた。


「記録」

 林道(1050m)08:33--(.34)--09:07主尾根(1240m)09:24--(.12)--09:36(1338m峰下)09:39--(1.11)--10:50(1546m峰)11:11--(.18)--11:29鞍部--(.31)--12:00刈り払い--(.19)--12:19前衛峰--(.22)--12:41御巣鷹山山頂13:57--(.40)--14:37鞍部--(.28)--15:15(1546m)--(1.42)--16:57林道


                      群馬山岳移動通信 /1996/