先駆者に助けられた「大屋山」   登山日1994年4月9日


大屋山(おおやさん)標高1081m 群馬県甘楽郡
大屋山山頂標識
4月9日(土)

 今日は夜に村の会合があるので、なるべく簡単な山を求めて出かけた。ガイドブックを見ると、大屋山が「家族向けコース」として紹介されている。これは赤地さんがU/Lしたファイルがあったので、念のためにコピーして持つ事にした。これを持った事が、今回の山行では大変に役だった。

 ミニバイクで通い慣れた下仁田市街を抜けて、南牧村を目指す。周りは桜の花が3分咲きと言ったところだろうか。山腹には、アカヤシオの鮮やかな色が所々目立ち始めている。葉よりも先に花が咲く「桜」と「アカヤシオ」は美しい。南牧村役場を過ぎて六車の集落で右に曲がり、橋を渡る。ここには「黒滝山、九十九谷」の標識があった。道なりに進む。暫く走ると道がY字路になってしまった。どちらも同じ様な道幅で、果たしてどちらに行ったら良いのか迷ってしまった。右の角に「マルゲン」と言う雑貨屋があり、その向かいにゲートボール場があった。そこでは昔の若人が、熱戦の真っ最中である。そこに行って、尋ねると「あちら側の道ですよ」と昔の娘さんが答えてくれた。お礼を述べて再びミニバイクで六車からの道を左に辿る道に入った。

 道はアスファルト舗装がされたばかりの様で、まだ表面が黒々としている。林道をしばらく登ると舗装も途切れて、ダートの道になって、再び道が分岐した。やはりどちらも同じ様な道幅である。赤地ファイルを見たが書いてない。しかたなく、意を決して横にそれる道に入った。道の入り口には「林道/道場線/管理者/南牧村」と書いてあった。道は相変わらずダートである。カーブを2つ程大きく曲がったところで、青い屋根の民家が二軒、道の上と下に点在する場所に着いた。赤地ファイルを見ると、どうもここが蓼沼らしいが、あまり自信がない。道の上の民家には、なんとも無粋な建造物である送電線の鉄塔が大きくそびえている。

 登山口の標識が全く見えないので、ともかく民家に寄って道を尋ねる事にした。玄関に立って挨拶をすると、中から男の声がした。やがて、50才半ばの男性が出てきた。

「大屋山はこの道でいいのでしょうか?」

「ああ、裏の道を登って沢を渡って行けばいい」そう答えた。

 丁重にお礼をのべて、「裏の道を通らせてもらいます」と断りをいれて、裏にまわった。赤地ファイルがなければ、到底ここにたどり着く事は不可能だったろう。道は段々畑の中を上に伸びている。道端にはタンポポが咲き乱れている。確認してみると、明らかにカントウタンポポで、久しぶりにセイヨウタンポポ以外のタンポポを見た。段々畑を登りきると、杉と桧の混在した林に入る事になる。ここは道がY字路になっており、送電線の巡視路の黄色い標柱がある。それには「86/87/西群馬幹線東京電力高崎工務所」と記されている。ここは左に折れて沢を渡り、植林された杉林の中の道を辿る事になる。

 麓では桜の花が散りかけていると言うのに、この山は昨日雪が降ったらしく、木々の梢に白いものが乗っている。それが日中の陽射しで融けて、小雨の様に降って来る。雨具がちょっと欲しいくらいだ。道は淡々と続いている。赤地ファイルで気になる点は、途中標高900m地点で斜面を直登したと書いてある。高度計の数字を見ながら道を失わないように、注意深く歩くが道はしっかりしており、所々赤テープもあり、あまり不安感はない。やがて道の上の方が桧の幼木に変わって来た。そして私の高度計で895mを指したところで、赤い紐と黄色い紐が数本その幼木の枝に巻いてあるところに出くわした。そして道は上部に向かって続いていた。なにやら道はこれで良いらしい。ひとまずは安心である。

 桧の幼木の中の道は、あまり歩き易いとは言えない。枝がちょうど顔面に当たるからだ。それに雪が融けて、その滴が顔に当たるものだからあまり気持ちも良くない。道は所々分かれているが、赤テープが巻き付けられているので、さほどの不安はない。やがて耳に風の音が響く様になってきた。北斜面の風の音が聞こえる事は、明らかに尾根が近づいている証拠である。元気を出して道を急いだ。

 尾根に着くと、明瞭な道が上部に続いていた。雑木林の道は落ち葉が深く、歩くとフワフワ弾むようだ。振り返ると送電線の鉄塔の上部が丁度、ここの位置の高さと同じように見える。なんとも自然にとけ込まない構築物だ。ひとしきり登ると小さなピークに到着して、ここからは一旦下って、痩せた尾根を登り返すと大屋山山頂に着く事ができた。

 山頂からは一旦、西峰に移動したが展望も良くなく、測量ポールが一本立っているだけなので、すぐに引き返して大屋山山頂に腰を落ち着けた。山頂は狭く尾根の一部が高くなっているだけの様な所だった。山頂標識には「91ぐんま県民ハイク」の標識があったが、大人数がこの狭い山頂に立ったのだろうかと、疑問に思った。さぞかし窮屈な事だったと思う。それに今回、大変役だった赤地ファイルを書いた、本人の山頂標識が一本のビスで取り付けられていた。思わず裏面にマジックで私のコールサインを記入してしまった。
 無線の方は430MhzFMで、県内の2局とQSOしてQRTした。

 帰りは登って来た道をそのまま駆け降りた。まだ時間が早いので、次に登りたいと思っている山の登山口を二ヶ所、下見して家に帰った。



「記録」

 蓼沼登山口10:44--(.16)--11:00分岐--(.10)--11:10尾根--(.06)--11:16小ピーク--(.05)--11:21大屋山山頂--(.03)--11:24西峰--(.02)--11:26大屋山山頂12:33--(.19)--12:52蓼沼登山口

                          群馬山岳移動通信 /1994/