雲海を見おろす「日光男体山」
登山日1995年9月9日

男体山(なんたいさん)標高2484m 栃木県日光市
男体山山頂
 9月9日(土)

 群馬県と栃木県の日光をつなぐ金精道路は、夜間と朝6時までは料金の徴収がなされないと言う事である。それならば1240円をなんとか浮かせるためには、夜に料金所を通過するのがいい。そんな不純な動機で自宅を出発したのは21時だった。会社からの帰宅が20時少し前だったので、何となく慌ただしい出発となってしまった。

 今回は小学生の息子が第二土曜と言う事もあり、子連れの登山となった。息子は特異体質 ?なのか絶対に車酔いは起こさない。車のなかで本を読んだり、TVゲームをしても全く平気なのだ。今回も自宅を出てからなんと翌朝まで、後部の座席で横になって熟睡していたのだからなんとも羨ましいものだ。午前0時に日光に到着とりあえず、光徳牧場の広い駐車場に駐車して朝まで過ごす事にする。

 5時過ぎに寒さで目が覚めた。外に出て気温を測定すると、12℃程度で最近までの猛暑が嘘のようだ。コンロに火をつけて暖かいものを作る事にする。子供も眠い目をこすりながら起きてきたので、一緒に食卓を囲む事にした。

 いよいよ登山口である志津に車で向かう事にする。光徳から少し戻り「裏男体山林道」に入る。林道と言ってもアスファルト舗装されていて快適な道だ。ただ幅員が狭いのでそれなりの注意は必要である。湯殿沢橋の先で太郎山への道を分けると、林道は舗装も終わり荒れた道にかわった。それでも道筋を選んで行けば難なく走行出来るので、大した事はない。去年の「平ヶ岳・中ノ岐林道」から見れば全く問題のない道だ。

 志津に着くと適当な空き地は車がすでに駐車してあり、しかたなく路上に駐車する事にした。多少なりとも歩く事を気にしなければ、適当な駐車余地は林道脇にいくつもあった。いよいよ荷物をまとめて男体山に向けて歩き出す。林道を百メートルほど歩いた所で右に二荒山神社志津宮の入り口がある。ここからは笹薮の中の道である、少しは刈り払いされているから良いようなもので、これがなされていなければ歩く事は困難であろう。笹薮も数分で終わり、ログハウスのような志津小屋に着いた。ここはかなり整備されているようで笹薮もなく、なかなか休憩には良い。小屋の傍らには水場があったが、水はなく柄杓が場違いな感じで吊り下げられていた。(もし水があったとしてもここの水はおそらく飲む気にはならないだろう)志津小屋の東には二荒山神社志津宮があり、傍らには説明板があった。標高1785メートルのこの地点は表登山道の五合目にあたると書いてあり、これはもうけたような気がした。

 ツガとダケカンバの混在した林の中の登山道は、展望もなく変化もなくあまり快適とは言えない。ましてや木の根が登山道にむき出しになっているので歩きにくい。特に子供は足が短いのでつらそうで、早くも疲れた様子が見えてきた。登山道は一合目から順に区切られているようで、標柱と赤ペンキで表示がされていた。(時間を測定すると一合目毎は子供の足で10分程度なので、休憩がなければ計算上では100分で山頂に着く事になる)

 二合目になると右の谷側がわずかに開けて太郎山方面がわずかに見られた。山頂はガスがかかって流れていたが、頭上は青空が広がり秋の空が高く続いていた。三合目でひとまず休憩する事にした。梨を取り出し皮を剥いて子供と半分づつ食べた。子供はお父さんが梨の皮を剥けるので感心していた。考えれば子供に果物の皮を目の前で剥いたことはなかった事を思いだした。

 4合目でついに子供が肩が痛いと言い出した。「疲れたのか ?」と聞いたが頭を横に振る。それでも肩が痛いと言うので荷物を半分ほど引き取る事にした。これも予想していたことなので、やっぱりそうかと思った。

 七合目で道に少し変化が現れた。左の北側の斜面が崩壊して落ちていて一時的に展望が良くなったのだ。しかしこれからは相変わらず展望のない登山道を歩く事になる。そして八合目で再び休憩となった。今度はオレンジを半分づつ分けて食べてゆっくりした。しかしじっとしていると寒さで震えてくるので、持ってきたものを2枚ほど余分に着込んだ。八合目から出発すると初めて下りてくる登山者と会った。挨拶をすると「気をつけて下さい」と声をかけられた。ところが数秒も経たないうちに、その本人が滑って尻餅をついてしまった。子供と思わず顔を見合わせて笑ってしまった。人の不幸は栄養になるのだろうか、子供もすっかり元気になって、赤い砂礫の道を歩いていく。

 九合目からは潅木も少なくなり、ほぼ水平な道となった。火口の縁を歩いている事になるのだろうか。やがて山頂の標識が見えてきたので、ペースは更に早くなった。

 男体山山頂は一等三角点が設置されており、一段高い岩の上には大きな剣が打ち込まれていた。記念写真を撮り、更に先の小屋に向かった。小屋は二荒山神社奥宮社務所で、その一角は登山者のために解放されていた。しかしこの不気味な小屋に泊まる事はかなり勇気が必要なようだ。奥宮で子供は15円の賽銭を使って何を祈ったのか、ずいぶん何か言っていたようだ。

 小屋のある広場に居を構えて、早い時間ではあるが昼食にする。コンロでお湯を沸かして食べるが、暖かいものはこの寒さのなかでは落ちつく。目の前の南側は本来ならば中禅寺湖が見おろせる訳なのだが、あいにくガス(雲)がかかって見えない。しかし、頭上は青空が広がっているので雲海を見おろす格好になった。さらに目の前の雲はめまぐるしく変化するのでそれを見ていると飽きない。子供はそんなものは面白くないのだろう、立派な鉄の櫓に吊るされた鐘で遊んでいる。次第に登山者も増えてきて、鐘を打ち鳴らすものが増えてきた。どこから持ってきたのか、丸太で叩く者も出てきた。これでは大晦日の蕎麦が食べたくなる雰囲気だ。

 無線は子供と山頂で交信したのでQSLは確実だ。また1200Mhzで4局交信して無線の運用は中止して、山頂をあとにした。

 車に着いてから時間に余裕があったので、日光の観光地を巡って帰宅した。




「記録」

 志津07:01--(.05)--07:06志津小屋--(.29)--07:35三合目07:43--(1.07)--08:50八合目09:05--(.29)--09:35男体山山頂11:07--(1.40)--12:07志津


追記
 帰宅して新聞を見るとなんと10月7日より「金精道路」が無料化されると書いてあった。これからは群馬県側から日光に行くには、今までよりも安く行ける事になる。来年からは日光の二千メートルの山が近くなるので思う存分登れそうだ。

群馬山岳移動通信/1995/