ザイル祭りと「御岳(裏妙義)」  
登山日1996年11月16日


御岳(おんたけ)標高963m 群馬県碓氷郡
赤軍洞窟付近のモミジ
11月16日(土)

 今年も恒例により職場山岳部の「ザイル祭り」が、裏妙義山系の中木沢で行われた。これまた例年のごとく神主役で「祝詞」「祓詞」の進行を行った。なんと今年は「雪中梅」が御神酒として振る舞われる豪華さだ。そしてこの次が例年とは違って、山岳部で生まれたカップルの結婚の儀が執り行われた。今はやりの「ジミ婚」とやらで、披露宴は予定が無いと言うことでこうなった訳だ。我が山岳部は豊富な人材がおり、「牧師」となる人もいるのである(それもかなり本格的)。誓いの言葉から始まり、アケビの蔓に季節の花をあしらったリースが新婦の頭に置かれ、アカペラで歌う「アベマリア」が祝福する様は荘厳ささえも漂っていた。最後はライスシャワーでの祝福で締めくくり、今度はワインで乾杯となった。

 その後は思い思いに焚き火のまわりに集まり、豚汁をすすりながら山の話題に花が咲いた。今年は例年よりも人数が増えて35人ほどに膨れ上がっている。私などはあまり顔を出さないものだから、半数以上が初対面だった。そしてわざわざ東京や新潟から、この「ザイル祭り」のために集まってくれた人もおり、この行事の人気のほどが伺われる。夜遅くまで、焚き火のまわりで山の歌声が取り囲んでいた。私はあまり酒は強くないので、適当に切り上げて車の中でシュラフに潜り込んだ。

11月17日(日)

 朝あまりの寒さで目が覚めた。外を見ると車のフロントスクリーンは霜で完全に凍りついていた。やっとの事でシュラフから抜け出して外に出た。昨夜の宴の焚き火の場所に行くと、なんと野ざらしのシュラフが4体ほど転がっている。シュラフの上にはやはり霜が乗って白くなっている。どうやら若い人はこの状態で一晩過ごしたようだ。我が山岳部にも常識では考えられない事をする奴がいるものだと呆れた。

**御岳へ**
 天気も上々なのでこのまま帰るのは惜しいので、単独で裏妙義山系の「御岳」に登ることにした。(ここに来ても単独と言うのが、私の山行のあまのじゃく的なところ)「御岳」は標高が963メートルのために「きゅうろくさん」とも呼ばれる事がある。

 国民宿舎「裏妙義」の脇を抜けて籠沢に入る。少し額に汗がにじんだ頃に「赤軍洞窟」にたどり着いた。ここのモミジは絶品で、今が見頃でその美しさは筆舌に尽くしがたい素晴らしい色だ。まさに周囲が暖色で埋め尽くされ、その場にいると顔が火照ってくるようだ。

 籠沢をゆっくりと歩き、やがて上り詰めて稜線に出た。ここは「丁須の頭」への分岐でもある。今日はこの分岐から標識に従って「横川」に向かう事になる。「御岳」は実は20数年前に登っている。しかしそれからは「桶木沢」を何度か遡行した事があっても、ピークにはなかなか立つことはなかった。それは桶木沢の滝を登ることで、体力を使い果たしてそこまで行く気にならなかったこともある。

 稜線から横川方面の道は意外によく踏まれていて歩きやすい。ときおり気持ちの良い岩峰に立つことがあり、そこで振り返ると特徴的な丁須の頭の岩が青空の中にたっていた。眼下には妙義湖が碧色の水面を見せていた。先ほどの稜線よりも「御岳」は標高が低いのでなにかもったいないような気持ちになる。

 気持ちよく稜線歩きを楽しんでいるといきなり鎖場が現れた。設置してある鎖は遊びが無く固定されている。ここの鎖場は久しぶりに緊張してしまった。スタンスが少なく足下は谷底まで落ち込んでいるからだ。(鎖場は下降の方が緊張する、それが証拠に帰りの時はこの岩場は難なく登ってしまった)なんとかこの鎖場を下降して基部に立ったときは、ほっとしてしまった。

 さらにコース上には鎖場が一カ所あったが、傾斜が緩やかな分だけ楽だった。そこを過ぎると「御岳」山頂は間近だった。

 「御岳」山頂は立派な山頂標識があり、「御嶽神社」の石碑も建っていた。展望は360度あり、秋の青空のなかに白銀の谷川岳が遠望出来る。そして間近には浅間山が大きく聳えており、一時は火山活動が活発と言う報道があったが、噴煙はいつもより少ないと感じた。山頂にはすでに登山者が一人休憩しており、山談義に花が咲いた。

 その登山者も出発したので無線機を取り出し430FMで運用して下山した。

 帰りは再び「赤軍洞窟」のモミジを堪能してから、国民宿舎に向かった。



「記録」

国民宿舎07:25--(.36)--08:01木戸--(.47)--08:48稜線--(.33)--09:21御岳10:10--(.34)--10:44稜線--(1.01)--11:45国民宿舎

                        群馬山岳移動通信 /1996/