五十沢小PTAが切り開いた道「高倉山」
登山日2001年6月16日


高倉山(たかくらやま)標高1144m 新潟県南魚沼郡

ウラジロヨウラク
6月16日(土)

 高倉山は新潟県六日町の三国川の右岸に位置する山である。上流には三国川ダム(しゃくなげ湖)があり、そこのさらに上流は十字峡と呼ばれる場所で、中ノ岳、丹後山の登山口となっている。今日は猫吉と谷川岳に登る予定であったが、生憎の曇り空でこちらの山に急遽予定変更したのだ。そんなわけで、事前の下調べも出来ておらず、登山口を見つける事から始まった。

 地形図には小川地区から高倉山まで破線の道が記載されている。しかし、その小川地区に行く道がわからないまま車を走らせる。すると農作業の手を休め、畦に腰掛けている人を見つけた。車を止めて高倉山の登山口を聞くことにした。

 猫吉が広げた地形図を見るなり、この道(破線)は今はあるかどうか不明だという。それよりもその先の別荘地跡から登った方が良いと言うことだった。そこでその別荘地を目指して、三国川に架かる橋を渡り小川地区に入った。突き当たりの神社の前を右に向かうと、猫吉が無線で女性が居るからまた聞いてみるという。見れば妙齢のご婦人が家事の最中であった。しかし、高倉山の事を尋ねると、実に詳しく説明してくれた。それに昨日は八海山で事故があったらしいから、十分に注意するようにと付け加えられた。

 車は細い道を抜け、やがて「上越芸術村」なる地区に入った。どうやらここが別荘地のようである。名前は素晴らしいが、既に廃屋になってしまった建物も多く、その活動は停止しているようである。急坂を上り詰めると道は行き止まりとなった。そしてそこには高倉山の登山口を示す碑が、草に隠れながらの上の部分だけ見えていた。碑には「高倉山中之峰新道・昭和57年9月開設・五十沢小学校PTA」と刻んであった。このPTAの文字が気になったが、これは下山後に判明することになった。
登山口の石碑
 30分ほどかけて車の中の荷物を整理して歩き出す。空は曇りながら時折薄日が差し込むまでに回復していた。碑から先は道の形跡はあるものの、下草に覆われて露で瞬く間に着ているものは濡れてしまった。ところが、登山道脇は造成の名残なのだろうか、斜面を切り開いてある。そこでそちらに移り、斜面を歩くことにした。こちらの方が露が無い分気分的に楽になった。

 しばらく歩くと、大きな穴を掘った場所に到着した。おそらく別荘地の水源確保のために、貯水池を作ろうとしたのではないかと推測した。しかし、ここで道が寸断されてしまい、登山道を失ってしまった。穴の上部に渡り探すと沢沿いに道が確認できた。しかし、その入り口は藪に覆われて少し離れると見にくくなっていたのだ。

 その道に入ると灌木に覆われて、薄暗く感じられる。そしてすぐに一合目の白地に赤文字の看板があらわれた。どうやらこの道は開設当時、かなり整備された立派なものであったことが伺われる。

 急傾斜の続く道はかなりきつく、小学校の生徒が本当に登るのだろうかと疑問を感じてしまう。まして道は展望も変化もなく、忠実に尾根を辿っているのである。いつしか、後ろを歩いているはずの猫吉とは離れて、足音も聞こえなくなってしまった。変化のない急傾斜の道は、昨夜来の雨のために滑りやすくなっており、灌木に掴まらなければ、登れないような場所もあった。
おけさの木
 変化のない道と言うことで、「入道ぶな」「おけさの木」「ゾウのきば」というブナの木をそれなりのものに見立てた看板も見られた。確かに豪雪で鍛えられたブナは、様々な形をしており想像力をかきたれられる。しかし、このきつい登りで子供がどれだけ興味を示すのか興味があることも事実だ。もっとも子供に引率してきた大人が、休むための格好の口実が出来るからなのかも知れない。

 八合目付近からはギンリョウソウが道の脇に見られるようになった。後から登ってくる猫吉を少し待ってから、再び一緒に歩き出した。今まで花などには興味を示さなかった猫吉だったが、このギンリョウソウやウラジロヨウラクと言ったものにカメラを向けるようになった。これはちょっとした変身で、いままでの彼を知る者からは想像できない姿だった。

 ラクダの背と名前が付けられた場所は、ちょっとした露岩になっており、初めて展望が開ける場所となっていた。しかし、生憎の天候でガスによって展望は望めなかった。時折、ロックフェライトダムの三国湖の印象的な姿が、ガスの切れ間からわずかに見える程度だった。晴れていれば上越国境の山々が間近に見えるに違いなかった。
三国川ダム
 山頂部分は双耳峰になっており、三等三角点は北西のピークに設置されていた。三角点の横には何に使うのか、先端に立方体の物体を取り付けた2mほどのポールが立ててあった。山頂はそれほど広くはないが、団体登山でも十分に休める広さがあった。さらに地形図に記載された道を山頂から探したが、それらしき道はハッキリとはしなかった。おそらくこの中之峰新道の開設により、廃道となってしまったのではないかと推測できた。

 山頂では丁度昼食の時間となり、持参したビールの蓋を開けた。猫吉にも勧めたが、どうやら寝不足による体調不良でアルコールは受け付けない様子だった。その割には無線の方はかなり真剣で、真面目に取り組んでいた。その中で1局回してもらって、私も交信をすることが出来た。
高倉山山頂
 1時間以上も山頂にとどまったが、ガスに包まれて展望はあまりパッとしないものであった。下山は急傾斜の道を灌木につかまり、やっとの思いで転がり下りた。

 帰路の途中で上越芸術村の一角で、この五十沢小学校PTAが、中之峰新道を開設した経緯を書いた案内板が掲示されていた。この道がいつまでも存続することを祈りたいと思った。










「記録」


10:00小川地区(上越芸術村)--(.10)--10:10一合目--(1.19)--11:29八合目11:34--(.30)--12:04高倉々山頂13:12--(.54)--14:06小川地区


群馬山岳移動通信/2001/