「魑魅魍魎の宴」の舞台を訪ねる「庚申山」   登山日2006年12月16日



庚申山荘


庚申山(こうしんざん) 標高1892m 栃木県日光市/駒掛山(こまかけやま) 標高1808m 栃木県日光市





私の山登りスタイルの転機となったミニコミ誌「山と無線」が創刊20周年になると言う。すでに廃刊になったとは言え、創刊時の寄稿したメンバーの情熱は衰えていない。その創刊時のメンバー3人が12月に集まった。時を同じくして今年は猫吉さんが日本300名山を完登したと言うこともある。そんな懐かしい3人が集まって、20周年記念誌を限定3部作成しようなどと言う話に発展した。当然、私も拙文を2題ほど寄稿しておいた。そんな中で、転機となった山と無線であるが、もう一つの転機となったのは「JA1JCA−RBBS」である.KUMOの標識で知られる通称「怪人」が開設したアマチュア無線によるパケット通信だ。これは、アマチュア無線を使って文字のやりとりをするものであった。ここの仲間の集まりが1992年1月4日に「庚申山荘」で開催された。この時の模様は猫吉さんの名作「魑魅魍魎の宴」として発表され、大きな話題となった。この時は当然、庚申山の登っているのだが印象があまりない。そこで、自分の転機となった場所を、この記念すべき年に登っておきたいと思った。

12月16日(土)

かじか荘の駐車場に着いたのは5時半頃だった。この時期は夜明けが遅く、周囲はまだ真っ暗だ。駐車場の街灯の下に駐車して支度を始める。かじか荘はひっそりとしていて物音ひとつなく静まりかえっている。夜明けを待って出発しようとしたが、6時を過ぎてもなかなか明るくならない。待つことは時間がもったいないので、業を煮やして出発することにした。

かじか荘の先の林道を昇るとわずかな時間で、船坂峠の道を分けその先にゲートで閉じられた道のまえに到着した。すでにゲートの前の道には車が一台停車してあったが、人気はなくすでに出発しているようだった。ゲートの横を通過してなだらかな道を昇っていく。道の左下は沢になっていてその音からして水量が豊富と思われる。道は大きく右にUターンするように曲がり、山襞を縫うような道になる。この辺には熊がいるらしく、熊棚がいくつか見て取れた。すこし緊張するが、まあ出遭うことはないだろう。

舗装路が終わり、ゲートがあるところまで来ると、周囲はすっかり明るくなった。空は青空が広がり、今日の天気は良さそうだ。かつてはここまで車で入れたが、ゲートが下方に新設されたために、ここのゲートは閉じる必要もなくなり、開いたままになっていた。ここまで、かじか荘から30分近くあるわけで、これが短縮されればかなり時間が節約できるのだが、もったいない話である。これでは、ここから皇海山に登る人はよっぽど変人と言うことになってしまうだろう。ゲートの先は未舗装になり、単調な林道歩きとなった。

林道ゲート

旧ゲートから30分ほど歩くと一の鳥居に到着する。朱に塗られた大きな鳥居はこの場所には不似合いな感じもする。帽子を脱いで一礼をしてこの鳥居をくぐった。鳥居から先は登山道と言うよりも参道なので良く踏まれてしっかりしている。水ノ面沢に沿ってどんどん登っていくが、なかなか高度が上がらないのが歯がゆい。この道の途中には、いろんな解説文があり、それなりに楽しませてくれる。「百丁目」「鏡岩」「夫婦蛙岩」「仁王門」などと賑やかだ。この道は14年前に歩いており、その時の印象はいまだに覚えている。鏡岩の付近では、猫吉さんと荷物を分担して登った記憶がある。一の鳥居から1時間ほどで旧猿田彦神社跡に到着だ。雪が一面に広がり、登山靴の足跡がいくつか残っていた。新しい物は無さそうなので登山者はいないのかなと思った。この神社跡からは道が分岐するが、左の庚申山荘に向かう。神社跡であるが、ここで祈りのために手を合わせた。

庚申山荘はいつ見ても立派な山荘だ。外観もさることながら、覗いてみると内部は清潔に保たれており、素泊まり2000円とは安い。かつて、ここで繰り広げられた「魑魅魍魎の宴」。その宴会場は当時のままで、座っていた場所まで思い浮かべることが出来た。外のトイレは○○が呑みすぎて吐きまくっていたっけ。そんなことが14年経っても忘れていない。それほど印象に残っているのだろう。山荘の中をちょっとだけ覗いてから外のベンチで、菓子パンを頬張った。山荘の裏に聳える庚申山の岩壁は荒々しく、円空仏の鉈彫りを想像させる。その庚申山の空は真っ青に透き通っていた。凍結防止のために出しっぱなしの水道に蛇口から水を飲んでいよいよ庚申山に出発だ



一の鳥居

再び、旧猿田彦神社の道を数メートル戻り、庚申山の標識に従って道を辿る。雨量観測機の脇を抜けて右に登り上げる。道はまっすぐに続いているようにも見えるが、これは間違いのようだ。ちょっとした水場を抜けて、左に直角に曲がり道なりに登ることになる。道から上方を見ると岩壁が覆い被さるように空に伸びている。場所によってはその上部から水が飛沫となって降り注いでいる。そんなところは、つららが大きく成長して下がっているものだから、下を通過するときは緊張する。実際に足元にはそのつららが粉々になって散乱しているものだからよけいに怖くなる。

道はしっかりしており、迷うこともない。しかし、道が崩壊している部分もあり、注意が必要だ。14年前は雪の吹きだまりにはまって、もがき苦しんだ思い出がある。最後尾を歩いていたものだから、だれも気がつかずに放置されて、5分間くらい必死に這い上がろうとしたが、駄目で結局まわりの雪をピッケルで全部取り除いて、独力で這い上がったのだ。

道は高度を上げる度に険しくなり、ハシゴが頻繁に現れる。時にはキャットウオークのような場所もあり緊張するが、鎖があるのでさほど無理はない。やがて、お山巡りの道と合流、庚申山まで0.7kmの標識に出会う。このあたりで、本日初めての単独行の男性とすれ違った。庚申山荘に一泊して、庚申山に登り帰るところだという。庚申山から先の様子を聞くと新雪が乗った枝が胸のあたりにあり、それが煩わしくてとても行けるものではなく断念したと言う。これは困ったと思ったが、今日は無理をしないで、時間制限で帰ることにしようと心に決めた。

ハシゴが掛けられている
キャットウォーク
岩場を過ぎると今までの登山道とはうってかわって、笹原のなだらかな道となった。しかし、ふかふかの新雪は始末におえない。身体にまとわりつくようでどうにも始末が悪い。すれ違いの登山者が言っていたように、胸元に垂れ下がったシラビソの枝の雪はストックで取り払うのが本当に煩わしい。雪で道も不明瞭になり、赤テープを目印に歩いた。そして何のことはない登山道の途中に庚申山の山頂標識があった。なにも見るものはなく記念撮影のみで通過した。

庚申山の先にある展望台に向かうことにする。樹林の中の雪道を辿るとわずかな距離で、その展望台に到着した。ここからの目に飛び込んできた皇海山の勇姿に思わず息を呑んでしまった。大きくどっしりとしたその山容は、山の神が座しているようにも見える。風格はこの地域の盟主にふさわしく、山深く入らねば見られない神秘さを備えていた。皇海山の左には鋸山、さらに真っ白な浅間山を遠望、袈裟丸山の稜線が近くまで迫っていた。皇海山の右には尾瀬の山、さらに笠ヶ岳、錫ヶ岳、奥白根山は白く天に突き上げている。そして男体山まで飽くことのない展望が広がっていた。


左は鋸山、右は皇海山
奥白根山
男体山
さて、これから鋸山までの尾根はどうだろうか。しっかりした尾根のようなので迷うことも無さそうだ。とりあえず帰りの岩場通過を考えて、11時30分まで行動することにした。庚申山から先も、すれ違った男性のものと考えられる踏み跡が残っていた。しかし、踏み跡が乱れたところに大きな岩があり、雪が吹きだまりになっていた。どうやらここで断念したのだろう。確かにここは薮も深く、通過はなかなか難しそうだ。こんな時は思い切って踏み込むしかあるまい。腰のあたりまで雪に浸かって一気に突破した。この先はずっと下りの斜面が広がっており、くるぶしあたりまでの積雪であった。一気に斜面を下ろうとするのだが、新雪というのはなかなか歩き難いものである。あっという間に尻餅をついてスリップしてしまった。その時になにやらお尻の下で鈍い音がした。みると左のストックが見事に折れていた。私の全体重が乗ったものだから折れるのも無理もない。思い出深いストックであるが、最近はストッパーも緩みがちで調子が悪かった。まあ、買い換える時期に来ていたことは確かだ。しかし、このことで一気に前進する気力が萎えてしまった。とにかく歩き難いのだ。いかにいままで歩くことに対してストックが大きな力をもっていたかがわかった。

折れたストック

なんとなく、片肺運転の機械のようにぎくしゃくしながら歩く。途中「御岳山」の標識を見たが、なんの感慨もない場所であり通過して次に進んだ。そして鞍部に出て登ろうとして驚いた。なんと笹藪でルートが消えているのだ。迷ったかなと思ったが、赤テープもしっかりと付いている。ほんとうかいなと思いつつも、薮を漕いでその場を切り抜けた。尾根道は明瞭であるが、樹林のために展望が悪く現在地も確認が難しい。GPSで確認するのも面倒なのでそのまま進んだ。そして顕著なピークに到着したところでGPSで確認すると1818mの駒掛山であることが確認できた。標識類はここでは見られなかった。樹林の隙間から鋸山を見ると、まだまだ遠くにあり時間は掛かりそうだ。設定した戻る時間まではあと30分だ。もうすこし行ってみるが、しかし、新雪に阻まれてもがくだけでなかなか進めない。結局、11時5分に断念して敗退となった。とにかく悔しいが、無理をしないのが一番である。

再び山頂に戻ると、粕川村の70歳の男性と出会う。じつに元気な方で、登山口のゲートまでご一緒することになった。意外に岩場の通過は時間が掛からなかった。これならもう少し行けたかなと思ったが、冷静になって考えると判断は間違っていなかったと思った。

かじか荘の風呂に入りゆっくりと帰路についた。

新雪が良いのは見るだけのようです。
退却地点から見た鋸山と皇海山
「記録」


かじか荘06:13--(.02)--06:15ゲート--(.24)--06:39旧ゲート--(.35)--07:14一の鳥居07:24--(.31)--07:55鏡岩--(.31)--08:26旧猿田彦神社跡--(.07)--08:33庚申山荘08:47--(.47)--09:32猿田彦神社分岐--(.35)--10:07庚申山10:07--(.04)--10:11展望台10:21--(.35)--10:56駒掛山--(.09)--11:05撤退--(.52)--11:57展望台12:23--(.47)--13:10庚申山荘13:46--(.50)--15:36かじか荘

この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平16総使、第652号)
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  群馬山岳移動通信/2006/