「金剛萱(西上州)」でKUMOの補修
登山日1995年4月1日


金剛萱(こんごうがや)標高788m 群馬県甘楽郡

 4月1日(土)

 「大崩山」から戻り、大通りに出て南に700メートルほど行くと、道の左側の対岸に大きなお寺が見えた。あれが地形図にある「金剛萱」に行く道にあるお寺と思えた。そこで適当なところにある、橋を渡り対岸に移った。お寺の入り口には「天台宗明照院」と書いてあった。そしてなにやらここは保育園も併設しているらしい。そのまま道なりに行くと、山に向かってコンクリート舗装の林道が延びている。おそらくこれが「金剛萱」に続いているものであろう。

 この林道は、おそろしく長い距離があるように感じられた。

 途中で林道が大きく分岐する場所があった。直進は「作業道桑原3号」と標識が立てられていた。右の山道に登るものは、なんの標識もない。しかしいつもの習性で、上に登る道を選んだのだが、あまり自信はない。バイクはちょっとオーバーヒート気味になってきて、パワーが落ちて、スピードがあまり出なくなった。まあ、FFY小林さんの車より動いているだけマシである。

 やがて道の右側に作業小屋があり、その先で林道は終わっていた。しかし山の中の小屋と言うのは何となく不気味だ。今話題の「○○○真○教、第7サティアン」の雰囲気さえある。林道終点は散弾銃の薬莢が散乱しており、登山者以外にもいろいろな目的のある人がいると思われる。

 林道終点から、道は更に桧の植林の中に続いているように見える。そこでこの道に入るが、すぐに道は消えて踏み跡も無くなってしまった。適当に目の前の斜面を登ることにする。しかしこれは最悪のルート、斜面は内部が凍っていて、表面が融けているものだから、滑ることこのうえない。あがいてみるものの、なかなか登れないのだ。なんとか潅木につかまり、上部に登った。するとそこは再び桧の植林された林の中だ。全く方向感覚が無くなりそうなので、なにか目印をつけたいところだが、なにも持ち合わせていない。しかたなく周りの風景を頭に入れながら先に進んだ。(実際はこんな事は何の役にも立たないのだが)

 やがて稜線につくと、ある程度明瞭な道がついていた。帰りの事を考えて、周りの適当な小枝を折って目印にした。稜線伝いに西に向かうと、赤い紐が木の枝に結び付けてある。これからは要所にはこの紐が見られた。そしてわずかな時間でひょっこりと山頂についた。

 山頂は石像が3体あり、石祠は6個あった。そして、石柱はその倍ほどが埋められていた。その中でも「三等三角点」はやはり目立つ存在だ。標識はG氏のブリキ板の山頂標識が傾いた杭につけられていた。そしてその下には「KUMO」が落ちて泥にまみれていた。わずか半月ほど前にここに立った、KQAは気づかなかったのだろうか?あのときは積雪があり雪に埋もれて、隠れていたのに違いない。気付けば「KUMO」研究家のKQAがこれを見逃すはずがないからだ。余りにもこれでは惨めなので、あらためて西側の杉の木にくくりつけて置いた。石像の下には10円玉がひとつ、その下の土の上には1円玉が落ちていた。(帰ってからYAMA520を読み返したら、怪人は100円玉も置いたらしかったが、それは見あたらなかった)

 展望は南方面がひらけていて、稲含山、赤久縄山、小沢岳が間近に見える。それぞれまだ雪があるらしく、中腹から上部は白いものが見えていた。そして麓の杉の林からは、黄色い煙が数カ所から立ち登っている。それはまさしく杉の花粉だった。我妻さんの子供が言った「オナラ色」という表現は、まさしくそれを言い当てている。おそらくMLQが見たら卒倒するだろうと、その光景を見ながら展望を楽しんだ。

「記録」

林道終点11:50--(.08)--11:58稜線--(.11)--12:09山頂13:16--(.10)--13:26林道終点


                        群馬山岳移動通信 /1995/