水を3リットル飲んだ「越後駒ヶ岳」

登山日1998年7月19日

駒ヶ岳(こまがたけ)標高2003m 新潟県南魚沼郡・新潟県北魚沼郡
駒の小屋から見る山頂部分
 2ヶ月前の足の捻挫も徐々に回復、足首を固定すれば何とか痛みもやわらぎ、歩けるようになった。自分のペースを守ってゆっくりと歩けば、長時間の歩行にもなんとか耐えられる自信が回復した。そうなると山への思いは募る一方で、以前から気になっていた「越後駒ヶ岳」に行ってみることにした。

 7月18日(土)

 関越道の小出ICから奥只見シルバーラインに向かう。対向車もなく、暗いトンネルの中はヘッドライトの明かりだけでは何か不気味である。銀山平でトンネルから解放されて、ここから枝折峠に向けて、曲がりくねったカーブの連続の道に入る。道には「初心者はシルバーラインへ」「転落したら助からない」と言った看板がいたるところにある。しかし、カーブは多いものの完全舗装で、待避場所もいっぱいあり、それほどの危険は感じられなかった。

 枝折峠には22時30分頃に到着した。ところが、峠の駐車場は満車で、すでに路上駐車が始まっていた。ここに来るまでは、対向車に全く会わなかったので、この賑やかさは意外な感じがした。ともかく枝折峠に駐車することは出来ないので、峠から銀山平方面に下った所にある駐車余地にスペースを確保した。

 ビールを飲みながら、車の天井の窓を開けて空を見上げると、一面に星が広がっていた。星の数が多すぎて、すぐには星座を見分けるのが困難だった。それに近視の私が眼鏡を外しても天の川を確認できるのは、信じがたい事実だ。まして星明かりで十分に、車内のものが確認できるのも、初めての体験だった。そんな星空を眺めながら、シュラフの中にもぐり込んだ。

 7月19日(日)

 目が覚めて時間を確認すると、3時55分だった。近くに停車していた1BOXの団体は、すでに食事を済ませて後かたづけをしている最中だった。当初の予定は4時30分頃を予定していたので、慌てて身支度を整えた。準備にあたっては水分補給が大切と考えて、500ccのペットボトルを3本用意した。それは以前、近くにある丹後山に登ったときに大量の水を必要としたからだ。それにリンゴジュースとテルモスに氷を詰め込んでおいた。

 車を離れ、枝折峠の登山口までは歩いて3分ほどだ。登山口ではたくさんの人が出発の準備をしていた。登山口からは列を作って、移動しなくてはならない。こちらもいきなり団体の最後尾について、賑やかなナイスミディーの世間話を聞きながら歩くことになった。
しかし、この団体は一旦登りあげたところで私に道を譲ってくれた。リーダーの男性に礼を述べて、この団体を追い越して先に進んだ。
銀山湖の雲海
 奥只見湖のあたりは朝靄が低く立ちこめ、それがまるで生き物のように谷の中を動いている、そしてその上にそびえる荒沢岳が、日の出前の複雑な色と光線を受けて輝いていた。登山口にあれほど固まっていた登山者も、次第に列が疎らになり、それぞれが自分のテリトリーを持てるほどの空間が出来るようになった。

 足の捻挫は、テープで固定して湿布を貼っているので、とりあえずは無理をしなければ大丈夫だ。とにかく今回の山行では無理をせずに、ゆっくりと自分のペースを保って歩くことに心掛けた。それでも、登る途中では3組に抜かされ、帰りでは抜かれたのは全くなかった。灌木帯の道を徐々に登ると、道は分岐する。ここには明神堂があり、様々な祭事に使うものが飾られていた。ここからは急登になり、一汗かいたところで三角点のピークに到着した。標識には「明神峠」と書かれてあったが、峠と呼ぶにはちょっと無理がありそうな場所だった。

 明神峠から先は変化のない、灌木帯の中をひたすら歩くだけで、忍耐力の勝負となる。それに小さなコブを、数え切れないほど越えていくので、なおさらである。こんな時には道の傍らに、花でもあれば気分転換になるのだが、今回はどういうことなのだろうか。目に付くような花が見られないのだ。やはり春先の雪不足がこの時期にも影響しているのだろう。

 太陽もだんだん高度を増して、暑さが気になりだして来た時に標識が現れた。「道行山」と書かれてあったが、そこは登山道の途中で、ピークではなかった。よく見ると、ここで道が分岐して左の高見に登っている。そこで、シャクナゲの藪をかき分けて、踏み跡を辿ると、展望のよい場所にひょっこりと飛び出した。ここには標識はなかったが、三角点があり、道行山の山頂であることを示していた。灌木帯の中を歩いてきただけに、ここでの展望は気分転換になった。それにここから見る「駒ヶ岳」は、「小倉山」からの長い尾根を伸ばしている。これからその尾根を、歩こうとするものにとって、その長さは気の遠くなるような距離に思われた。

 道行山からの登山道はさらに展望はなく、灌木の中をひたすら歩くだけとなった。高度計はいつまでたっても、標高1300メートル付近を指しているだけである。その割にはアップダウンがかなりあり、効率の悪い道だ。時折現れる水たまりのような池には無数のオタマジャクシが黒い固まりとなってひしめき合っていた。

 やがて灌木の間から、「小倉山」が見えてくると少しは目標が定まり、気分が楽になってくる。そして登山道の途中に標石がある場所に着いた。そこにはここが、あたかも「小倉山」であるような印象を持たせるような表示だった。そこで「駒の湯」の方向の高台に行ってみることにした。するとピークと思われる地点に三等三角点があり、ここが「小倉山」の山頂であった。しかし灌木に阻まれて展望はなく、背伸びをして駒ヶ岳を見るくらいだった。

 「小倉山」からは一旦高度を下げてから、今度は徐々に高度を上げていくようになった。灌木も少しは丈が短くなったようだが、それでも展望はあまり良くない。時間と共に気温が上昇して汗が止めどなく噴き出してくる。これは水分補給が重要な意味を持ってくることは明らかだ。時折水を口に流し込みながら、意識的にゆっくりと歩くことにした。傾斜が緩やかになり、しばらく進むと標識があり、数人の人が休んでいた。標識には「百草池」と書いてあったが、池らしきものははっきりとは分からない。ヌマガヤの密生しているところがあったが、おそらくそれが池なのだろうと想像する事にした。ともかくここまではっきりとした休憩をしなかったので、腰を下ろして休むことにした。氷の入ったテルモスの中に、ソフトドリンクを入れてから飲んだ。その冷たい感触は疲れが吹き飛ぶようだった(これはなかなかいい!)。そのほかに水をたっぷりと補給して、木陰で涼をとった。

 休憩後は気分を一新、再びゆっくりと登りだした。ここに登り初めてやっと山に登る感じがするような傾斜の道だった。いままで高度計の数字がなかなか変化しないので、心配していたがやっと順調になってきたことに妙な安心感を覚えた。

 急な斜面を登り詰めると森林限界を越えて、急に視界が開けて冷たい風が顔に当たった。それはあまりにも突然だったので、驚きに似た感動を覚えた。目の前には駒ヶ岳の山頂部分から中の岳に続く稜線が、青空の中から迫っていた。さらに沢には雪渓が残り、遙か下を流れる沢音がここまで聞こえてくるのである。しばらくその場に佇み、その景色に見入ってしまった。

 森林限界からは岩稜帯になり、一部に鎖が設置してあったが、好天の時は必要の無いものだった。その岩稜帯は気持ち良く高度を上げて、あっという間に駒の小屋に到着してしまった。森林限界からは、遙か上部に見えていた小屋に、あっけなく到着したのでちょっと気が抜けてしまった。

 小屋の前にはノートがあり、記帳出来るようになっている。とりあえず住所と名前だけは記して置いた。小屋の前にある水場は、今年は雪が少なく雪渓から引くことが出来ずに枯れていた。水は小屋の下の沢まで行かねばならない。もっとも歩いて2分程度だから気にならない距離である。飲み干したペットボトル2本を持って出かけた。そして水場で十分に水を補給、さらにペットボトルにも詰め込んで小屋に戻った。ペットボトルの水はとても冷たく、手で持ったままでいると掌が痛くなるほどだった。

 登山者がまだ誰もいない小屋の前で記念撮影をしてから、いよいよ山頂に向けて出発だ。心地よい草原の道をゆっくりと登ると、眼下には今まで辿ってきた長い尾根道が見えている。ここでいつもと違う状態に気が付いた。それは極端に花が少ないと言うことで、期待していたお花畑にはほど遠い。見られるのはハクサンフウロ、ニッコウキスゲ、程度で華やかさに欠ける。これもやはり今年の異常気象で雪が極端に少なかったことが原因なのだろう。道は一旦稜線に突き上げてから、右に向かい山頂に至る。山頂での展望を楽しみにちょっと駆け足気味に、歩を早めて待望の山頂に立った。

 山頂は露出した土の上に、三角点と猿田彦の小さな銅像が置かれていた。展望は360度遮るものもなく目の前の「八海山」が雄大に迫っていた。また中の岳はこの駒ヶ岳の稜線の延長線上に位置して、その特徴的な鋭鋒を見せている。谷を隔てた荒沢岳の向こうには燧ヶ岳、平ガ岳が霞んで見えていた。また浦佐の町が眼下に見えており、周囲の田圃の中の対比が見事だった。山頂には10人ほどがいたが、皆それぞれに記念撮影を楽しんで、それぞれにシャッターを押し合った。話によれば、昨日はガスで全く展望が無かったとのことだ。今日の展望は全くの幸運としかいいようがなかった。

 持参した水でラーメンを煮込み腹の中に詰め込んだ。この時点で水を2リットル消費したことになる。昔は水を飲むと疲れると言われていたが、最近は水は飲めるだけ飲んで良いと言うことになっている。それも過剰に飲むくらいが良いらしいから、時代とともに常識は変わるものである。ラーメンを食べ終わる頃になると、山頂は後からやってきた登山者で溢れるようになった。そこで山頂を離れて中の岳方面に移動することにした。

 ちょっと移動するだけで、静かな場所を確保することが出来た。これならば無線の運用も遠慮なしに出来るので、無線機を取り出して、数局とQSOを楽しんだ。この時点でまだ10時だったが、これから足の故障も十分に考えられるので、早めの下山に取りかかることにした。

 下山は登ってくる登山者とのすれ違いの、待ち時間がかなりのウエイトを占めてくる。どうしても上り優先の考えがあるから、こちらはどうしても待つことになってしまう。もっとも捻挫した足を引きずる身では、この待ち時間は貴重な休憩時間となった。

 しかし、時間が正午近くになると、暑さが厳しくなり、下山の為に用意した水も底をついてきた。それにしても長い道のりで、特に「道行山」と「明神峠」の間はきつく、下山の時の方が15分近く時間を要してしまった。

 明神峠からの下りでは、登るときに言葉を交わした66歳の男性と世間話をしながら歩いた。その途中で高校生の丸顔の可愛い女の子に出会った。様子が変なので尋ねてみると、家族と登山中だったが、都合で自分だけ別れて下山しているという。見ればかなり疲れた様子で、顔には汗が出ていない。水を持っているのかと聞くと、それも無いという。そこでザックからペットボトルを出して、半分ほど残った水を全部渡した。その後は無事に下山する事を祈って先に下山した。

 枝折峠に着いてびっくりした。朝よりもさらに車が増えて路上駐車の列が延々と続いていた。そして、ふらふらしながら車にたどり着いたときは、思わず生還したと言う感じがした。気がついてみれば、今日は水に助けられた山登りだった。水はおそらく3リットルを越えて消費していたと思われる。

 捻挫の足だが、下山時につま先を立てるとアキレス腱の当たりに、痛みが走る。どうも足首に爆弾を抱えているようで、不安が残る。あくまでも自分のペースで、ゆっくりと歩くのが今のところ最善のようだ。



「記録」

 枝折峠04:39--(.30)--05:09明神峠--(.49)--05:58道行山--(.43)--06:41小倉山--(.39)--07:20百草の池07:32--(.31)--08:03森林限界--(.27)--08:30駒の小屋08:43--(.15)--08:58越後駒ヶ岳山頂10:10--(.08)--10:18駒の小屋--(1.07)--11:25小倉山分岐--(.38)--12:03道行山分岐--(1.03)--13:06明神峠--(.28)--13:34枝折峠


           群馬山岳移動通信 /1998/