観光登山の落とし穴「木曽駒ヶ岳」
登山日1994年10月8日


駒ヶ岳(こまがたけ)標高2956m 
木曽駒ヶ岳山頂
 会社のバスハイクで木曽駒ヶ岳に行くという話しが出た。会費は大人3500円(子供2500円)と格安である。これは行かなくては悔いが残ると思い、早速、募集開始と同時に申し込みをした。

10月8日(土)

どうも先週の木曜日辺りから、原因不明であるが膝が痛い。平らな所ならば良いのだが、階段の昇降ではかなりの痛みがある。そんなわけで山は止めようかと思ったのだが、子供も楽しみにしているので、出かける事にした。その子供にしても風邪で発熱があり、体調がけっして良いとはいかない。とにかく行けるところまで行って見る事にした。

 今日は総勢約150名の団体である。朝5時の出発時間になっても来ない人がいるので、なんとバスで迎えに行ったものだから、予定よりも30分近く遅れてしまった。

 岡谷ICから入り、中央自動車道を南下する頃から、曇っていた空に青空の窓が開くようになってきた。どうやら雨は降りそうもないので、一安心といった所だ。駒ヶ根ICで降りて菅の台のバスターミナルに着いたのは8時過ぎだった。

 菅の台からは一般車は乗り入れ禁止となっており、それは観光バスでも同じ事だ。ここからは路線バスに乗換となる。ここは団体旅行の強み、待ち時間無しに、路線バスに乗り換える事が出来た。団体が乗ってから、一般の人が待つ停留所に行くものだから、一般の人は当然座る場所もなく悲惨なものである。なにしろこの菅の台としらびだいらの間は、ものすごい急カーブの連続で、おまけにバスが猛スピードで走るものだから、かなりの横Gを感じる。気分が悪くなる人がいても不思議はあるまい。この道路は狭くバスのすれ違いが出来ない。そこでバスがお互いに無線で連絡を取りながら、一台があらかじめ待避場所で止まると言う事をする。これは職人芸の域であるが、それだけ危険も多い訳である。冷や汗をかきながら、ひたすらバスが終点に止まるのを待つだけだ。しらびだいらに着いたときは、足元がふらつくようだった。

 しらびだいらからはロープウェイに乗換となる。ここでは61人乗りのロープウェイが2本、交互に約8分間隔で運行されていた。番号のついた整理券が配られて、その番号の順に乗り込む事が出来る。団体はここでも有利で、優先的に乗り込む事が出来たが、それでも30分以上は待たされた。

 しらびだいら駅から千畳敷駅までの標高差約千メートルを、秒速7mで一気に登っていく。窓ガラス越しに見る景色は、急斜面を流れ落ちる滝の流れが素晴らしく、また紅葉は二千二百メートル付近が最高と思われた。

 千畳敷駅に着くと、そこはもう標高二千六百メートルの地点だ。目の前には紅葉したナナカマドが目に眩しい千畳敷カールが広がり、宝剣岳が青空に吃立して天を指していた。登山道を見ると乗越浄土の稜線まで、人間が列をなして連なっているのが見えた。こんな人混みは富士山以来だ。いや、それ以上かもしれない。ここからは自由行動なので三々五々それぞれに散っていく。私と子供も暫くは職場の仲間と一緒にいたが、ほとんどが千畳敷カール散策なので、いつの間にか子供と二人だけになってしまった。

 いよいよ登山者の列に加わる事になった。ここはまさに無法地帯に等しい集団の列だった。狭い登山道を喘ぎながら登ると、下山してくる人たちは、登る人を遮るように降りてくる。また道の真ん中で立ち話をして、道を空けてくれない。年輩のご婦人は、ノロノロと道を遮り、後ろが渋滞しているのもお構い無し。時折、下の駅から拡声器の声が聞こえてくる。

 「本日は既に約千五百人の方が登山をしております。下山はたいへん混雑が予想されます。ロープウェイは場合によっては3時間程度の待ち時間が必要になりますので、早めのご利用をお願いします」

 これは大変だと思ったが、我々はまだ登り始めたばかりだ。その内に子供がお腹が空いたと言い出した。しかたなく端の広いところに避けて、おにぎりを出して食べさせた。なにか子供の顔色がちょっといつもと違うなと感じ始めた。

 また登山の列に加わる事になった。上部に行くに従って道端で休む人が増えてきた。なかには横になっている人もいる。ところが場所が非常に悪いところで休んでいるので、こちらが心配してしまう。道の上部を歩いている登山者が、浮き石を落としす事が十分に考えられる。その下で休んでいるのだから、たまったものではない。何人かは見るに見かねて注意をしてしまった。

 だんだん子供の様子がおかしくなってきた。足が痛いと言い出したのだ。しかたないので再び休憩を取る事にする。いつもなら、たった1時間程度の歩きで、こんな事を言うわけではないのだが。やはり、風邪と長時間のバスでの移動が、効いているのだろうか。それに考えてみれば、三千メートル級の高山を歩くのは初めてなのでその影響があるのかもしれない。ともかく子供の荷物の一部を移し変えて、再び歩きだした。

 乗越浄土に着くと、多くの登山者が休んでいた。振り返ると富士山と南アルプスが彼方に浮かんでいた。稜線の先には宝剣岳、そして中岳がほんのわずかな距離で見えている。しかし子供は調子が悪そうだ。宝剣山荘の辺りで足が痛いと、ついに座り込んでしまい、もう帰ると言い出した。これは困った、駒ヶ岳の山頂を目前にして、帰るのもしゃくである。

 結局子供のザックを父さんが持つ事で話しがついた。この状況からすると、なだらかに登り上げている中岳も越えるのは困難と思われた。そこで西側につけられた中岳のまき道を通る事にする。道の分岐を左に辿ると滑沢に落ちる斜面の木々が、色づいて広がっており、その先の雲の上には御嶽山が浮かんでいた。そして手前にはJAφQD/藤沢さんが雷のなかで、ホイップアンテナの先端からジリジリと音を立てながら運用した木曽前岳が見えている。

 まき道は平坦かと思ったが、さほど楽ではなかった。それは、結構岩場があり、そのアップダウンが子供の足の長さでは厳しいからだ。それに私の膝の痛みは岩場で降りるときに、足を付くと痛むのである。その時から下山の事が気になった。

 何とかまき道を通過して木曽駒本峰の最後の登りにかかった。しかしここでついに子供が道の脇に寝そべってしまった。しかしここで止める訳には行かない。ザックを置いて子供を背負ってここから往復しても良いから、何とか山頂に着きたいと思った。

 試しに千円やるから頑張れるかと聞いてみた。そしたら急に立ち上がり、頑張ると言って歩きだした。さすがに現金の力は大したものだ。まあ教育上良くないかもしれぬが、この際そんな事は言っていられない。ともかく山頂だけは踏んで置きたいからだ。

 人混みはいままでと違って格段に少ない、それでも何度も下山してくる人とすれ違いながら、登って行く。左手に子供のザック、右手は子供の手を引いての親子登山となった。しかし、思った程の苦労もなくあっけないほど簡単に木曽駒ヶ岳山頂(2956m)に着いてしまった。

 山頂はもう文字の消えかかった方位板が置かれており、また駒ヶ岳神社の社が積み上げられた石に囲まれて建っていた。まずは記念撮影を行い、それから休む事にする。岩陰に身を寄せてマットを広げて子供を横にして休ませる。そして持ってきた衣類を着せて保温をした。コンロに火をつけてお湯を沸かし、カップラーメンを作ったが食欲は無し。残りのお湯を飲ませると何とか飲める。次に梨の皮を剥いて出したら、わずかながら食べる事が出来た。ひとまずは安心である。暫くこのまま横にして休ませる事にした。体調不十分と高山病が重なったらしい。見れば怪人が厳冬期に彷徨の末ビバークをした、将棊頭山も間近に見えた。まさか今日はビバークはありえないと思うが、ともかく体調が快復する事を祈るのみだった。

 そんなわけで無線機を取り出してみたが、運用はままならなかった。430MhzでCQを3回ほど出したが無変調に追い回されてうまく行かない。なんとか霧が峰の移動局と交信する事が出来た。そんなとき神の助けか無線機を手にした人がやってきて、挨拶をしてくれた。思わず交信をお願いしてカード交換の約束をしてもらった。ひとまずは安心である。暫くそのJS2KHU/石田さんと山の情報を交換しながら話しをした。しかしこんな事ばかりはしていられない、団体で来ているので集合時間が気になるところだ。子供を起こして出発の準備に取り掛かる。何とか歩けそうなので、ひとまずは安心だ。

 ここからは自分自身も膝の痛みに耐えながらの下山となった。しかしながら、乗越浄土からの下りは相変わらずの大混雑、それほどのスピードも出せないので、なんとか人並には歩く事が出来た。

 予定としては、宝剣岳も登ろうとしたのだが、なかなかうまく行かないものである。観光登山と言っても、やはり標高三千メートルの高山である、アクシデントは大きな事故につながるとあらためて認識した。

 帰りに路線バスが急に止まったのでびっくりした。それはカモシカが路肩を歩いていたからだ。カモシカは逃げるどころかバスに寄ってきて、2分くらいそのままウロウロしていた。私自身も野生のカモシカをこんな間近で見た事はない。子供は大喜びで歓声を上げた。その元気な声を聞いて安心したのか、急に疲れが出たような気がした。



 駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅10:00--(.53)--10:53乗越浄土--(.35)--11:28木曽駒ヶ岳山頂12:20--(.52)--13:12千畳敷駅


                       群馬山岳移動通信/1994/


追記

帰ってから千円はしっかり取られてしまった。まあ無事を考えれば、安いものかもしれない。