忘れられた寂峰「霧積山」
登山日1997年12月29日


霧積山(きりづみやま)標高1108m 群馬県碓氷郡
熊の爪跡
 霧積山は、霧積温泉付近の山としては最も登られることのない山である。しかし、鼻曲山などと違って、霧積の名前を持っているだけに、なにか登って見たくなる。ところが、この付近は未解決の殺人事件や、死体遺棄事件などが頻発しており、どうも気持ちが良くない。それに、ここは熊の捕獲情報がかなり報告されており、足が遠のいてしまう原因の一つにもなっていた。

 12月29日(月)

 坂本宿から霧積温泉に向かって車を走らせる。今年の10月1日に廃線となった、信越本線の線路の脇を抜けて霧積ダムに到着する。ここでは猿が群をなして移動しており、全く人を恐れる気配は感じられない。さらに進むと今度は場違いのような、北陸新幹線の架橋が現れる。新幹線はトンネルから抜け出て、霧積川を跨ぎ再びトンネルの中に直ぐに消えるように作られている。この架橋の下をくぐり、先に進むと霧積川上流ダムが見えてくる。しかしダムまでは行かずに、手前で橋を渡って右に折れる道に入る。この道は直ぐにゲートがあり通行止めだが、道は幅も広く車を駐車するには適している。

 今日は地形図に岩場記号が多いためにザイルを携行、熊が現れることも考えてピッケルを手に持つことにした。周りには雪が全く見あたらないので、なにか場違いなスタイルとなった。ともかく地形図の様子から、目の前の尾根を登って行くのが順当なようだ。

 コンパスを霧積山の三角点に合わせ、尾根に向かって歩き出す。薄暗い檜の植林の中をひとしきり登ると、左から派生してきた尾根と交わり、そのまま上部に向かうことになる。尾根の末端には新幹線の架橋があり、時折もの凄い轟音を立てて新幹線が通過する。轟音は新幹線が通過しても、トンネルの奥からしばらくは聞こえたままである。私がかつて霧積温泉に来たときには、電気もなくランプの宿だったのに、こんな最新鋭の新幹線が通過するなど想像も出来ないことだった。

 そして尾根を右に折れて上部に向かうと、なにやらはっきりした踏み跡が付いている。かつては登山道があったのかも知れないが、どうも様子からして獣道のような感じを受ける。それは地形図を見ても、この尾根上には破線が表現されていない事からも想像できる。獣道は、時折とんでもない場所に向かうことがあるので、あまり信用出来ない点がある。登っているときはよいのだが、下山の時にはとんでもない岩場の上に案内されることもある。そこで今日は巻紙を頻繁に取り付けて下山の時の目印とした。

 尾根は、かなりの急傾斜の斜面で、とても灌木に掴まらなければ登れない場所もある。それにしても新幹線の架橋が、いつになっても眼下から消えず、時折聞こえる轟音が気になる。やがて高度が上がるにつれて、霧積ダムの水面が視界に入るようになってきた。ここで、尾根は大きな岩場に突き当たってしまった。

 この岩場は、高さ5メートルほどで、とても直登は出来そうにない。それが証拠にイワヒバが密生しており、人手が入った事がなさそうだ。しばらくは巻き道を探してウロウロしてみる。いずれも周囲は急傾斜の斜面となっており、なかなか手強そうだ。そのうちに手がかりの少ない岩場を左の方に回ると、その先はツツジの灌木が上部まで続いていることが判った。どうやらルートはこれしかなさそうだ、いざとなったらザイルを出せば帰りは何とかなる。

 慎重に手がかりを探して、徐々に体重をかけて岩場をトラバース。そしてツツジの根っこに掴まって狭い隙間を登ると、展望の開けた岩場の上に出た。眼下にはやはり新幹線の架橋が見えていたが、轟音はさほど気にならない程度となっていた。

 岩場からは尾根は南西に向かい、やがて南に変わり小さな台地のピークに出た。おそらく標高1030メートルの尾根の突端と思われる。ここは丈の短い笹が密生していて、明るい広葉樹の林となっていた。その中の立木の一本に、目立つ痕跡が見られた。間違いなく、それは熊の爪あとで木の上部までそれは続いていた。上部には熊棚も見られないことから、この爪あとはかなり以前につけられたものと思われる。

 尾根は南西に向かいなだらかに続いている。このあたり尾根が広くなっているので、帰りのことを考えて巻紙のマークを頻繁に残しておいた。再び右から延びてきた尾根に合流して、南に方向を変えると顕著なピークが目の前に見えた。コンパスを取り出して方向を確認すると、間違いなくあれが霧積山だと思われる。

 霧積山の山頂は土に埋もれた三角点と、山頂標識が2枚あった。そのうちのひとつは久しぶりに見るKUMOであった。しかし見慣れたものとは違って、ペンキがはがれて(ペンキをつけなかったのかも知れない)無垢の板にフェルトペンで山名が書かれていた。そして、その文字はもう消えかかっていた。展望は立木に阻まれてあまり望めないが、近くの一ノ字山、留夫山は霧氷が掛かり輝いていた。そして浅間隠山の山頂部分は例年と違って、雪が見られない。暖冬と共に来年の水不足が気になるところだ。

 携帯電話で自宅に連絡、VZTと交信して、QSLは奥の手交信で確保した。その後は、伊勢崎レピーターのみなさんと今年最後のご挨拶をして下山となった。

 帰りは岩場の上で、眼下を通過する新幹線を眺めながら昼食。かなりゆっくりしたつもりだったが、車に着いたらまだ正午だった。



「記録」

霧積川上流ダム08:35--(.38)--09:13岩場--(.31)--09:44熊の爪あとの木--(.16)--10:00霧積山山頂10:57--(.20)--11:17岩場11:45--(.15)--12:00霧積川上流ダム


                    群馬山岳移動通信/1997/