素晴らしい「景鶴山」からの大展望  登山日1997年5月10日


景鶴山(けいづるやま)標高2004m 群馬県利根郡・新潟県北魚沼郡/与作岳(よさくだけ)標高1933m 群馬県利根郡・新潟県北魚沼郡
景鶴山山頂

 5月2日に猫吉さんと目指した「景鶴山」は、私が雪を踏み抜いて水没するアクシデントで、中止となってしまった。早くから準備をしていただけに悔しさが残った。「景鶴山」に登るには、残雪の残る今をおいてほかにはない。あいにく赤地さんは5月10日は都合がつかず、単独で実行に移すことにした。

 5月10日(土)

 鳩待峠の車の中で目が覚める、時計を見ると4時20分、あわてて飛び起きた。予定では鳩待峠を4時30分に出発、出来ればもっと早くと考えていたのだが、予定がいきなり狂ってしまった。慌ててポットのお茶と、おにぎりを腹の中に流し入れた。

 わずか8日前と違って、鳩待峠の雪は極端に少なくなっていた。そして木道は溶けた雪が凍結して滑りやすいので、出来るだけ雪の残っている場所を選んで歩いた。出来ればアイゼンをつけて歩きたいところだ。

 雪の状況は山ノ鼻に到着したとき、その変化に自分の目を疑うほどだった。なにしろわずか8日で、尾瀬ヶ原の雪はすべて消えてしまっていたからだ。湿原は雪どころか乾燥している場所があるほどだ。従って今度は雪を踏み抜いて、水没するなんて事は全く考えなくとも良い。鳩待峠にスキーを持った人が多くいたが、これでは期待はずれに違いないと思った。木道上をすれ違う人は、三脚を構えたカメラマンがほとんどだった。そんな中でスパッツをつけて、ピッケルを持って歩いている者は、あきらかに浮いている存在に違いない。

 竜宮小屋と東電小屋の分岐(三叉路)に着くと、東電小屋方面には立て札が設置されていた。それによるとヨッピ橋と東電尾瀬橋は、5月15日まで通行止めとなっている。そうなると東電小屋には、どのルートを辿っても行くことは不可能な訳である。立ち止まって、しばらく考えたがいざとなればヨッピ川の渡渉もやむなしと、覚悟を決めて東電小屋に向かった。

 霜の降りた木道は、思ったよりも滑りやすい。つま先に力を入れるので、結構神経を使い疲れる。右手には竜宮小屋が、左手には今日の目標の「景鶴山」の岩峰が朝日に照らされて見えている。そして前方には、いよいよヨッピ橋が見てきた。不安にかられながら近づいてみると、その不安は一掃された。ヨッピ橋はなんの欠陥もなく、しっかりとしてヨッピ川に架けられていた。

 ヨッピ橋を渡り、東電小屋に向かう事にする。湿原の小さな水の流れの中では、早くも水芭蕉が顔を出していた。そして霜が白い苞の周りで、逆光を受けて輝いており、思わずカメラを取り出して、写真撮影をしてしまった。

 東電小屋は、まだ開業前のため、ひっそりとしている。しかし、小屋の玄関付近は除雪がされて、足跡も多く残されている。そして小屋から始まる尾根の入り口には、ロープが張り巡らされて、まるで「景鶴山」登山禁止の警告をしているようでもある。このまま尾根に取り付くのはうまくないと判断して、小屋から少し離れた場所から登ることにした。もっとも新潟県側は「立ち入り禁止区域」とはなっていないから、入ること自体問題ないのだが、無用なトラブルは避けるべきとの判断だ。小屋から少し歩くと、うまい具合に残雪の残る斜面が現れた。登る場所はここしかないと判断して、いよいよ尾根に踏み込むことにした。

 尾根上に到着したが雪は全くなく、笹藪が広がっていた。今まで経験した笹藪から見れば大したことはなく、鼻歌混じりに歩けるものだ。しかしこの笹藪はちょっと意外な感じを受けた。それは日本300名山のひとつである「景鶴山」、人気があるからきっと踏み跡があるはずだと思っていたからだ。それはきっと残雪期の短い期間でしか、登られる事がないからだと思われる。ひとしきり登ると1538mのピークに到達した。このピークは「笹山」と呼ばれるのだが、地形図にその記載がない。ピークには三角点とダンダラ棒、それに赤布と白いビニール紐が枝にくくりつけられていた。地形図に記載が無い以上、留まる必要もないので、そのまま通過する事にした。

 笹山から鞍部に降りると、そこには雪がわずかに残っていた。先行者の踏み跡はないかと見回したが、それらしきものは全く見あたらなかった。コルからの登りは雪もなく、再び笹藪となった。どこから取り付こうかとルートを探すが、どこも同じようで選択する場所がない。そしてさらによく見ると、赤い荷造り紐が枝に結びつけられてるのが見えた。かなり高い位置に結び付けられているところを見ると、積雪の多い時期に付けられたことは間違いない。

 さて本格的な笹藪登りとなったが、笹は身長よりも高くなることはなく、今まで経験した「土鍋山」「コシキノ頭」「船坂山」からみればずっと楽である。尾根は割としっかりしており、コンパスを使用しなくとも、迷うことはなさそうだ。尾根の東側は比較的残雪が多く歩きやすそうだったが、尾根を外す危険もあるわけで、そちらを歩くことは極力避けた。

 尾根上に大きなシラビソの大木があるピークを通過した。おそらくこれが地形図に1653mの表記のあるピークであると思われる。ここからは傾斜も緩く、残雪も多くなり歩きやすくなった。しかし、このあたりは変化のない樹林帯で尾根が広くなっており、帰りの事を考えると尾根を外すおそれがあるように思われる。しかし今日は天候もよく、なんとかなりそうなので、たいしたマーキングもしないで先に進んだ。

 再び尾根が狭まり、笹藪が深くなりひとしきり登ると急に展望が開けて、雪原が目の前に広がった。振り返ると「燧ヶ岳」が大きく覆い被さるようにそびえており、温泉小屋あたりが思ったよりも近くに見えることに驚いた。目指す「景鶴山」はここから見ると鋭峰の独立峰で、なかなか近寄りがたいものがある。考えてみると、鳩待峠からここまで、はっきりした休憩をしていなかったことに気づいた。そこでこの展望を楽しみながら、腰を下ろしてしばし休憩とした。

 さてここから、県境に沿って目標のはっきりしない雪原を、北から西に大きく方向転換して「与作岳」に進むことになる。この地形は天候悪化の場合以外でも、迷う可能性は十分にある。そこで巻紙を立木に頻繁に結びつけて行くことにして、巻紙をビニル袋に入れて手に持った。また雪原が続くことで、ここでアイゼンを装着して足下を固めた。

 晴れた日の残雪期の山歩きは、なんと快適なのだろうか。確実に高度は上がるし、展望も素晴らしい。なだらかなドームのような、「与作岳」の一角に到着するのにさほど時間はかからなかった。与作岳の山頂は歩きながら探したが、三角点はもちろん雪の下で見つからないし、山名プレートも見あたらない。あまり時間をかけても無駄なので、そのまま立ち止まらずに通過「景鶴山」にむかった・

 「与作岳」と「景鶴山」の間の鞍部までの下りは、シラビソの木が密集している。従って、ルートもその立木を避けて歩くものだから、ジグザグに適当に歩きやすい所を歩いて降りる。巻紙のマーキングもここだけは途切れてしまった。ただし、コルに降りきった所には、帰りの登り口として巻紙のマーキングをしておいた。

 コルからさらにひとつ小さなピークを越えて、再びコルに降りた。ここからいよいよ「景鶴山」の最後の登りに向けて踏み出すことになる。前方には「景鶴山」の手前の岩場が拳を二つ並べた格好で控えている。ピークの南は急峻な岩場が切れ落ちており、北側は雪が残っているものの、急傾斜でかなり厳しそうな感触を受ける。その間の狭い尾根は、笹と石楠花の藪となっている。安全を考えて、その藪尾根を登ることにした。

 歩き始めると、ここで初めてはっきりとしたトレールを確認できた。やはりルートはこれしかないのかと、妙な安心感を覚えた。藪に掴まりながら少しずつ上部に登ったのだが、途中で大きな岩に阻まれてしまった。無理をすれば何とかなりそうだが、ほかにルートはないのか探してみることにした。右に巻くと残雪が上部に向かって、へばりついている場所が見つかった。ピッケルのピックを突き刺して、支点にして登ろうとしたが、足下の残雪が崩れてあえなく失敗、ほかには適当なルートが見つからない。しかたない、足がかりがないので、手の届くところにある笹に掴まって、一気に身体を持ち上げるしかない。しかし、帰りのことを考えると、どうやってこの場所を降りたらよいのか考えてしまう。足下は落ちたら最後、急角度の雪の斜面が広がっている。そうは言っても、ともかく「景鶴山」に立たなければなにもならない。

 意を決して、挑戦する事にした。何度かずり落ちる身体を必死に支えながら、やっとの思いで引き上げた。無理な姿勢で笹にしがみついたものだから、腕まくりをしていた腕は傷だらけになってしまった。ともかく上部に登ったことで一安心して、一気に先に進むことにした。下部から見た、拳を二つ並べた岩の間を北から通り南側に抜ける。さらに笹原の斜面を登るとそこが念願の山頂だった。

 山頂からは「至仏山」と「燧ヶ岳」が対峙して見えている。そして眼前には広大な尾瀬ヶ原が広がり、点在する池塘が光を反射して輝いているのが見える。この構図はこの「景鶴山」でしか見られないものだ。それだけにいつまで見ていても飽きることがない。しばしその光景に見とれて、立ちつくしてしまった。ましてこの絶好の好天の時に、登れたことはとてもうれしく、目頭が熱くなるほどだった。
景鶴山から見る尾瀬ヶ原
 山頂には、おなじみGさんの山頂プレートが立木に打ち付けられており、それをバックに記念撮影をした。そのプレートの後ろには大きな大きな「平ヶ岳」が白く輝いていた。無線機のスイッチを入れるとHIGが「赤沢山」から出ているので、早速お声掛けをした。なんでも今日はバイクで移動とのことで、その機動力をフルに活用しているらしい。今度はCQを出すと眼前の「皇海山」から声が掛かった。「しばらくぶりです」と言われたが、コールサインに全く記憶がない。相手の方からは「もう5回くらいQSOしてカードもいただいています」とも言われた。どうも最近コールサインを覚えるのが苦手になってきた。これも最近まじめに無線に取り組んでいない、結果なのだとも感じた。山頂では暖かい煮込みうどんを作って腹を満たした。

 山頂でゆっくりしたために、2時間近く滞在してしまった。正午前には山頂を出発しないと、鳩待峠に戻るのが遅くなる。あわてて荷物をまとめて、去りがたい気持ちの山頂を振り返りながらあとにした。

 さて問題の岩場であるが、あそこを降りるのはちょっと嫌らしい。場所を見つけながら歩くと、急傾斜ながら雪がへばり付いている場所が見られた。途中にクレパスがあり雪崩の不安もあるが、ステップを切りながら降りれば何とかなりそうだ。そこでピッケルを持ち直して、この急斜面を降りることにした。後ろ向きになって、何度も斜面に足を蹴り込んで一歩一歩ゆっくり降りる。ちょっと気を緩めると足下が滑って、バランスを崩してしまう。久しぶりにかなり緊張する雪の斜面の下りだった。

 与作岳とのコルで、今日初めて登山者と会った。「静かで良い山ですね」と言ったら「後ろから団体さんが来ますよ」と答えた。そしてそのうちに信じられない光景が飛び込んできた。なんとナイスミディの集団がこちらに向かってくるのだ。先頭の人に人数を尋ねるとなんと23人だという。「早く登っておいて良かった」と、あの狭い山頂のことを考えて身震いがした。

 さて「与作岳」でも無線の運用をしなくてはいけない。山頂を再び探したが、さっぱり見つからない。そこで一番高い所に陣取って無線機のスイッチを入れる。すると塩谷郡の「日留賀岳」からYLがCQを出しているので、コールすると直ぐに応答があった。今日はなんでも「山開き」で、後ろから賑やかな声が聞こえていた。その後、周波数を移動するとHIGが「稲包山」から出ている。ふたたびお声掛けして、QSLを確保、これで林さんのQSLで「景鶴山」または「与作岳」は間違いないと、安心して下山した。

 東電小屋では従業員が小屋の開業準備で忙しく働いていた。小屋の前の水道の蛇口から出る冷たい水で喉を潤すと、やっと生き返った気持ちになった。それからは、今後しばらくは訪れることもないと思う尾瀬ヶ原の木道を、ゆっくりとゆっくりと辿って鳩待峠に戻った。



「記録」

 鳩待峠04:50-(.43)---05:33山ノ鼻--(.35)--06:08三叉路--(.37)--06:45ヨッピ橋--(.08)--06:53東電小屋--(.22)--07:15笹山--(.41)--07:561653mピーク--(.40)--08:361800m付近08:51--(.29)--09:20与作岳--(.53)--10:13景鶴山11:50--(.40)--12:30与作岳12:52--(.51)--13:43笹山13:48--(.12)--14:00東電小屋14:13--(.56)--15:09三叉路15:23--(.31)--15:54山ノ鼻16:07--(.57)--17:04鳩待峠

   群馬山岳移動通信/1997/