ピンクに染まる「笠丸山」     登山日1994年4月30日


笠丸山(かさまるやま)標高1189m 群馬県多野郡
笠丸山山頂からの展望
4月30日(土)

西上州登山の適期である。
何しろこの時期を外すと、薮で歩き難くなるし、山頂での展望もあまり望めなくなるからだ。

 南牧村から上野村に抜ける、塩ノ沢峠で左に折れて、御荷鉾スーパー林道に入る。走り始めはダートだが、少し走るとトンネルがあり、その先はアスファルト舗装の道になる。スーパー林道も益々、観光道路の色彩を強めて行くのだろうか。途中でバイクの集団とすれちがった。皆、私が50ccのスクーターに乗っているにもかかわらず、それぞれに挨拶をしていく。なんだか私も彼らの仲間になった様な、妙な連帯感を持ってしまった。この林道も少し走ると、ダートの林道が右側に下っている場所がある。この林道の名称は「住居附線」と書いた標識が立っている。ダートの道をおもいっきり下って行く。やがてダートも終わり、再びアスファルト舗装の道に替わる。おそらく国道299号線まで、このまま舗装路が続いていると思われる。

 舗装路が始まってすぐに、右側から林道が取り付いている。「林道笠丸線」の標識がある。また「笠丸山→」の標識もある。バイクを止めて地図を取り出し、この林道がどこまで続くのか調べる事にした。すると林道の反対側の、朽ち果てそうな民家の雨戸がガタガタと音を立てて開いた。思わず振り返ると、

「泊まって行くかい!」と二人の男が声をかけてきた。

何の事だろうと、暫くは理解ができない。

「笠丸山に登りにきたもんで・・・」

「そうかい、それならこの林道よりも、もう少し下った所からのほうがいい」

「地元の方ですか?」

「いや出身がここで、年に数回来るんだ」男達はせっせと布団を運び出して干し始めた。
はたして、これは親切で言っているのか、金儲けで言っているのか、未だに解らない。ともかくそう少し下の登山口から登ると、言ってこの場を離れた。

それでも「帰りには寄って行きなよ」と後ろから声が聞こえた。

 数百メートル下ると、「笠丸山登山口」の標識が現れた。登山口の前はちょっとした広場になっており、バイクは勿論、車も問題なく駐車できそうである。

 登り始めからいきなり急登だ。道は尾根に登り上げて、そのまま尾根を歩く事になる。かなり登山者が入っているらしく、登山道は踏み固められている。木の根などは登山靴で踏まれているらしく、皮が剥かれている。人家がまだ近いのだろう、犬の声が後ろから聞こえてくる。前方の笠丸山のピークは、アカヤシオの花で埋められている。それを励みにひたすら登ると、岩壁に突き当たった。しかし赤テープに導かれて右に巻いて登ると、すぐに笠丸山南峰に着いてしまった。あまり印象の無い登りで何か物足りない感じがするほどだ。

 南峰には「笠丸山山頂」の立派な標識と、木の祠があった。祠には名称が良く解らないのだが、神社に良くある、円盤を合わせたような鐘が吊るしてある。側に金棒が置いてあったので強く叩いてみたが、あまり大きな音は出なかった。登山者・記帳ノートも置いてあったが、あまりにもボロボロなので、見る気にもならなかった。ここから少し歩いて北峰に向かう事にする。ここからの道は尾根上の道になるのだが、両側が気持ちいいほど切れているので気持ちが良い。

 笠丸山北峰は三角点があり、南峰よりも若干高い。山頂には既に久喜市から来たと言う中高年の団体が、賑やかに山頂を占領していた。しかし山頂は縦に長いので休むところに不自由はない。山頂からの展望は誠に素晴らしい。薮道を歩いて山頂で展望を楽しむ、これが西上州の楽しみのひとつである。それに山頂はアカヤシオの群落があり、まさに今が盛りでピンクの色で埋めつくされている。あまりの見事さに、言葉を失う程だった。

 山頂では先ほどの団体のオバサンが、コーヒーを入れてくれたので有り難く頂いた。それにお菓子も頂いた。まさに乞食みたいなものだったが、私はもらえるものは何でも頂く。これが山に来たときの、基本だと心得ている。その内に千葉からやってきたと言う、同年代の単独行の男性が来た。なぜか意気投合して、それから90分ほど話しに夢中になってしまった。

 男性が去ったので、ようやく無線機に手が伸びた。1200MhzはCQをかけても全く応答無し。このロケーションではしかたない。430Mhzでダイヤルを回して、適当な局を3局ほど呼び出してQSO、そしてQRTとなった。

 下山は南峰と北峰の中間から北の斜面に降りて、地蔵峠経由で下山した。途中から振り返る笠丸山は、岩峰にアカヤシオのピンクの色が、へばりついて見事なコントラストだ。カメラを取り出して、何枚もシャッターを押してしまった。地蔵峠は道が十字路になっていて、名前の通り小さなお地蔵様が立っていた。ここからは沢沿いの道のためか、植生が賑やかだ。「エンレイソウ」「ハシリドコロ」などが道の脇を埋めつくしている。快適に道を下るとすぐに車道に着く事ができた。



「記録」

登山口09:40--(.45)--10:25笠丸山(南峰)--(.04)--10:29笠丸山(北峰)13:05--(.18)--13:23地蔵峠--(.13)--13:36林道笠丸線--(.03)--林道住居附線--(.04)--登山口(バイク駐輪地点)


                          群馬山岳移動通信/1994/



「笠丸山」今年はすごい人混み    登山日1995年5月3日


笠丸山(かさまるやま)標高1189m 群馬県多野郡
笠丸山のアカヤシオ
 5月3日(祝)

 一度登った山は、なるべく登らない様にしているのだが、その中でも例外はある。よほど印象に残った山、または山頂移動でQSLが確保出来ていないかのどちらかである。今回の「笠丸山」は、なんと言っても山頂のアカヤシオの群落が素晴らしく、どうしてもまた見たいと思ったからだ。

 塩の沢峠から御荷鉾スーパー林道に入る。いつもの事ながら、この林道の変貌ぶりには驚かされる。舗装路がどんどん延長され、ダートの部分は少なくなっている。これでは林道と言うイメージからは、ほど遠い感じがする。林道から住居附線の支線に入っても、ダート部分はわずかで舗装部分はかなり延びていた。

 住居附の村落に入ると、駐車余地にはことごとく車が入っていた。今年は大変な賑わいのようだ。「新ハイ」の最新号に紹介された事もその原因かもしれない。

 子供と山登りの支度を整えて歩き出す。今日はあいにくの曇空で、いつ雨が降り出しても不思議はない。昨日の天気予報では、今日は絶対に「晴れ」だったのだが、やはり当日になって見なければ分からないものである。

 登りはじめはいきなり急登なので、子供はかなりきつそうだ。なにしろ最近は花粉症の為に外出を控えていたので、体力が落ちて来たのかもしれぬ。それでもなるべく興味のあるような事を話ながら歩いた。どこかでキツツキが、木を叩いている音が聞こえる。子供はまだ聞いた事がないと言うので、立ち止まってその音に耳を澄ました。

 登山道はアセビの木のトンネルになっていて、なかなか面白い風景だ。そして最後の登りにかかったとき、下山してくる人を見て驚いた。なんと4月29日「諏訪山」の山頂で会った男性だった。お互い手を挙げて挨拶をした。聞けば今日は両神山にいく予定だったが、天候が悪くこちらに切り替えたとの事だ。お互い行くところは同じと思ったに違いない。

 歩き始めてから51分で、笠丸山南峰に到着した。山頂は展望の悪い南峰でさえも4人が休んでいた。ここから北峰に向かうが、ここからはアカヤシオの花の中をくぐる感じで道がずっと続いている。ピンクの花の回廊は、この山でしか味わえない体験だ。子供をモデルにして、撮影を繰り返しながら北峰に着いた。北峰には約20人ほどいて、大変な賑わいである。それも昔の若人ばかり、すごい騒ぎだ。去年来たときに、いちばん展望の良かった場所を確保したが、今日はあいにくガスで展望は全くない。子供と食事をして、あれこれと話をしながら過ごした。

 賑やかで、とても無線の移動運用を行うような雰囲気ではない。持ってきた無線機のスイッチは入れる事なくザックの隅に入ったままになった。

 帰りは周回コースで、地蔵峠経由で下山した。しかし、なんと地蔵峠まで来て驚いた。それは林道が切り開かれて、そこまで延びて来ているではないか。この山もいずれは観光地化されて、今よりも賑やかになるか、アカヤシオの盗堀で景色が変わるか変貌するかもしれない。

 帰りは沢沿いの道を歩いた。相変わらず周囲の花などに気をとられていたら、岩の上で滑って沢の中に転がり込んでしまった。運悪くお尻がすっぽり壷状の所に入り込んでしまって、もがいてもそこから脱出出来ない。身体をよじって少しずつずらして、やっとの事で抜け出した。そのおかげで全身ずぶ濡れ、右腕は擦過傷を負ってしまった。

 その顛末についてはしっかり子供の作文に書かれてしまった。

 ともかく来年も、この時期のこの「笠丸山」には来てみたいと思った。


                        群馬山岳移動通信/1995/


1996年家族で笠丸山