上州武尊山」を最短距離で登る   登山日1997年6月15日


前武尊(まえほたか)標高2040m 群馬県利根郡/剣ヶ峰(けんがみね)標高2080m 群馬県利根郡/家ノ串山(いえのくしやま)標高2103m 群馬県利根郡/武尊山(ほたかやま)標高2158m 群馬県利根郡 
登山道より上州武尊山を望む
 上州武尊山は過去に何度か登っているが、いずれも藤原口からで南側からは登っていない。それに20年以上も前に、藤原口から川場村に縦走したのみで、あまり印象がない。そこで新しいコースを開拓しようと思った。

 6月15日(日)

 上州武尊山の南側にはスキー場が開設されて、その開発には目を覆いたくなるような光景が広がっている。しかし、そんなスキー場も、登山コースとして利用できる場所が多い。

 今回狙ったのは、「国設武尊スキー場」である。近くには武尊牧場スキー場」があり、夏山リフトを運行して、登山者を呼び込んでいる。実際にこちらはガイドブックにコースが紹介されており、上州武尊山に登るには最適と思われる。しかし地形図を見る限り、「国設武尊スキー場」のほうが登りやすい感じを受ける。

 さて、そのスキー場の入り口に着いてみると、ロープが渡されて入れないようになっている。そして看板には「これより牧草管理道、一般車進入禁止」と書かれている。これは諦めるしかないと、ロープの手前に駐車して出発の準備に取りかかる。ところがその間に5台ほどの車がロープを外して中に入っていく。どう見ても一般の人たちにしか見えない。そんなものだからこちらも心が落ち着かない。そこで意を決して自分も中に入ることにした。

 わずかに進むと今度は簡単な柵があり、「放牧中につき扉は必ず締めてください」と札が下がっている。みればジャージー牛が、長閑に草を食んでいた。柵を通過しても道は相変わらず快適でどんどん登っていく。途中に車が何台か駐車をしているところを見ると、どうやらここに入り込んだ車は、山菜取りが目的らしいと気が付いた。柵を通過してから10キロほど道なりに進むと、なんとコンクリート舗装の道に変わった。そして道の脇には標識があり「前武尊山頂3.2k←・→武尊スキー場駐車場1k」と書いてある。そしてコンクリート舗装の道が一直線に山に向かって延びている。

 そこでこの道に入り込むことにした。道幅は狭いが、対向車も来ることはなさそうなので、道の真ん中を通る事にした。ところがこの道はとんでもない急傾斜の道で、A/Tシフトは「L」レンジでやっと動いており、いまにもエンストで停車してしまいそうだ。総重量2200kgを超える車体を動かすには、2400ccのガソリンエンジンでは非力なのかもしれない。やがてレストランが現れ、さらに進むとこのコンクリート舗装道路は終わった。その場所は広い駐車余地があり、快適なスペースが広がっていた。しかし、駐車しているのは私の車一台だけだ。柵のあった場所からは、標高差400メートルほど登っているようだ。

 車を駐車した場所から、仕度をして歩き出す。すぐに標識があり「武尊スキー場駐車場2.8k←・→前武尊山頂1.4k」と書いてある。それに「水場0.2k」の標識があるので行ってみると、そこに1インチのバルブから、水が絶え間なく吹き出しているものだった。いままでこんな水場は見たことがなかっただけに、これならキャンプも可能と思った。

 ともかくスキーリフトの下を登っていくと、すぐに「武尊自然休養林川場谷野営場」からの登山道と交わることになる。ここで折しも、そちらの方面から歩いてきた登山者と出くわした。聞けば、ここまで1時間10分かかっていると言う。こちらはわずかに13分歩いただけなので、信じられないような時間短縮がはかられていた。

 その分岐からは、良く歩かれた道を辿って上部を目指した。ときおり現れる、ハクサンシャクナゲが、思わず息をのむような美しさで咲き誇っていた。そして背中に汗がにじむ頃に前武尊山頂に飛び出した。山頂には立派な鉄骨作りの社と、その中で日本武尊の銅像が南を向いて立っていた。以前来たときは、たしか朽ち果てそうな小屋の中に、金網に囲まれた銅像があったような気がしたのだが。それに周りはもっと灌木が刈り取られてさっぱりしていたような記憶があるが、いまではわずかに南側に展望が開けてるだけだ。

 山頂には初老の男性が休んでおり、なにやらポケット型のVTRを動かしている。話しかけると、旭小屋から登っているらしく、ここまで2時間30分かかっているようだ。こちらはわずかに45分なので、ここでもおもわずにんまりとしてしまった。前武尊は帰りも通過するので、休まずに先に進むことにした。

 縦走路の通過地点である剣ヶ峰は南側が崩落しており、通行禁止の処置となっている。そしてそのかわりに、東側にトラバースルートが切り開かれている。この道は木の根が多く、あまり歩きやすいとは言い難い。途中で若い学生のパーティーとすれ違い、数メートル歩いたところで呼び止められた。どうやら帽子を落としたのを見つけてくれたようだ。「ありがとう」とお礼を言って別れたが、今まで藪山を中心に歩いていたので、こんな出来事でも何となくいつもと違うなと実感した。

 エスケープルートは東側から今度は西側に移る事になる。これも岩稜を越える必要が無いので、何の不安もなく快適に歩くことが出来る。そして今度は家の串の登りにさしかかった。しかし、良く歩かれている登山道はなんと快適なのであろうか。なんの苦労もなく山頂に着いてしまった。ここまでたいした休みもとっていないし、静かな山頂なので、無線機のスイッチを入れてみた。すると調子よく沼田の子持山からCQを出している局がいる。そこで応答して、QSLの確保をしてまずは一安心と言ったところだ。

 ここからの道は、快適な稜線歩きとなった。前方には目指す沖武尊、そして谷川連峰、その奥には苗場山、右に目を転じれば尾瀬を取り囲む山々、さらに平ヶ岳を盟主とする奥利根の山が見えている。振り返れば奥白根山、皇海山、赤城山と言ったところが目立っている。ここからならば深田100名山のかなりの部分が、良く探せば遠望出来ると思う。道の途中にはシャナゲが咲き誇っており、その奥の山々の取り合わせが素晴らしいのでカメラのレンズを向けてしまった。そんなことをしていると、後ろから前武尊で出会った男性が追いついてきた。

 親しく話し掛けてくるので、その度に相づちを打っていたら、いつの間にか一緒に歩く羽目になってしまった。別に急ぐ理由もないので、覚悟を決めて沖武尊まで付き合うことにした。聞けばかなりの山歴の持ち主で、昨今の中高年登山者とは違うようだ。

 やがて道は武尊牧場からの道とぶつかることになる。ここからはとにかく人の数が数倍に膨れ上がった。その分岐から少し行ったところに水場があるのだが、そこの水場では列を作る始末。この上州武尊山の登山者の大部分は、武尊牧場経由がほとんどと言っても良いだろう。

 水場からさらに歩くと、残雪の残る鞍部に下りる。久しぶりに快適な残雪の斜面の歩行を楽しむことが出来た。その斜面、列をつくって登ると、眼光の鋭い日本武尊の銅像が昔のままで立っていた。前武尊の銅像と比べると、やはりこちらの方が威厳があるように思える。いつの間にか同行している男性は「怖い目をしていますね」とつぶやいた。ここからは、ほんのわずかな距離で沖武尊の山頂に着くことが出来た。時刻はまだ10時前なので、歩き始めてから約2時間30分程度しかたっていない。こんなに早く、この山頂に立てるとは思ってもいなかったので、なにかあっけない感じを受ける。

 山頂は既に50人は下らないであろう人でごった返していた。さすが100名山の人気は大したものだった。かつてこの山頂に一人でテントを張ったときは、裸地はほんのわずかだったが、今では裸地は数倍になっているようでもある。少しだけ腰を下ろしてみたが、どうも落ち着かないので、再び日本武尊の銅像の上の露岩の上で一休みした。ここの展望も最高で、今まで歩いてきた剣ヶ峰、家の串、の連なりを飽くことなく眺めて過ごした。

 さていよいよ辿った道を戻ることにする。今度は同行者もいないので、思い通りにペースがあがる。良い調子になったら、雪の斜面でもんどり打ってから尻餅をついてしまった。何しろ私の軽登山靴は底が擦り減って、スリッパのような状態になっていることもあるからよけいに滑るのだ。あとで気がついたのだが、どうやらここでベルトに挟んでおいた帽子を紛失したらしい。登りはじめに学生に拾って貰ったのだが、よくよくこの帽子は縁がなかったものと思われる。

 さて家の串を過ぎて、剣ヶ峰にさしかかった。ここはまだ体力に余裕があるし、時間もたっぷりあるので、巻き道は通らずに馬の背の道を歩いて見ることにした。下部から見るよりもホールド、スタンスが豊富にあり、簡単に岩場を登ることが出来る。馬の背の岩稜は実に気持ちが良く、下の登山道からは「あんな所に人がいる」などと声がかかるものだから、よけいに調子にのってしまう。岩稜のひとつひとつのピークには石祠があり、この山が信仰の山であることを伺わせる。

 岩稜も一旦終わって、鎖を伝わって岩場を下りて再び登山道に出る。さて、ここからいよいよ剣ヶ峰の登りに向かう事になる。いきなり岩場となるのだが、ここにはロープが横にかけられ、岩壁には「閉鎖」の文字が書かれている。しかし、岩壁には鎖が下がっており、十分に使えそうだ。それにたとえ鎖がなくても登ることは容易に見える。

 案の定、取り付いてみると簡単に登ることが出来る。それもそのはずで、かつては立派な登山道だったのだ。鎖だけでなく梯子もあるので全く登るのに問題ない。快適に登るとやがてGさんの山頂標識が現れ、さらにその先に石碑と石祠のある気持ちの良い高見についた。まさに360度の大展望がそこには広がっていた。ザックを下ろし、コンロを取りだして昼食の用意をはじめた。ところが、なんとこんな所に単独行の男性が現れた。年齢は70歳に近いと思われるが、なかなかの健脚で息も乱れていない。それからなんだかんだと話し掛けられて、無線機のスイッチを入れるタイミングを完全に失ってしまった。

 その登山者と別れたのが、約1時間後やっと無線運用と思ったら、今度は団体が押し寄せてきた。仕方ないので山頂から少し離れたところで、やっと運用となった。CQを出すとすぐに応答があり、なんと目の前の前武尊からの応答であった。ちょっとがっかりしたが、とにかくQSLの確保が出来たのでまずは一安心。

 さて下山は、元に戻らずにこのまま崩壊地を下ることにした。しかしそのまま崩壊地を歩くのは危険なので、崩壊地の縁を灌木に掴まって行くことにした。実際に取り付いてみるとさしたる危険もなく、簡単に下りることが出来た。しかし、最後は藪漕ぎとなってしまい、このルートが閉鎖されてから、かなり時間が経っているものと思われた。

 前武尊に着くと山頂は、子供を含めた団体が占拠していた。その中に先ほどQSOした人がいて、しばらく話し込んでしまった。その団体から離れて、無線の運用を行った。今日は思うように無線機のスイッチを入れることが出来ないで、こんな形の無線運用が多い日となった。

 下山は、その団体が先に下りたために追い越すことも出来ずに、つかず離れずでちょっとイライラしながら歩いた。

 ともかく今回は、上州武尊山に登る最短ルートを歩いたと思うが、なにか釈然としない思いが最後まで残った。それに帰ってから調べたら、中ノ岳はコンサイス記載の山であった。今回は運用できなかったので、また登る楽しみが残っているようだ。さらに調べてみると、赤地さんは今回私が登ったルートを逆にモンキー利用で下ったらしかった。


「記録」

 車道終点07:27--(.13)--07:40分岐--(.33)--08:13前武尊山頂--(.37)--08:50家の串山頂09:02--(.26)--09:28武尊牧場分岐--(.27)--09:55沖武尊山頂10:20--(.20)--10:40家の串山頂--(.34)--11:14剣ヶ峰山頂12:33--(.09)--12:42前武尊山頂13:03--(.23)--13:26車道終点


                 群馬山岳移動通信/1997/