因縁の山「船坂山」「ぶどう岳」  登山日1997年4月12日


船坂山(ふなさかやま)標高1446m 群馬県多野郡/ぶどう岳(ぶどうだけ)標高1622m 群馬県多野郡・長野県南佐久郡
船坂山の達筆標識
 猫吉さんの500回記念山行につき合ってから、週末の天気が今ひとつだ。その猫吉さんが400回記念山行で登ったのが「船坂山」と「ぶどう岳」だった。このとき彼は半死半生のきわどい体験をしている。私は今年の2月23日に、これらの山を目指したが、雪道で車がスタックして断念した経緯がある。従ってこのぶどう峠の山は、私にとっても因縁の山となっていた。

 4月12日(土)

**船坂山**

 上野村からぶどう峠に向けて車で上っていく。地形図と景色を見ながら慎重に登り口を探しながらゆっくりと走る。当初、猫吉さんに習ってぶどう峠から県境尾根を南下、途中から支尾根に移ろうと考えた。しかし、猫吉さんのトラブルの件とルートの長さを考えて、船坂山の北の車道から尾根を登って直接山頂に達することを考えた。

 結局、1180メートルの標高点の車道のカーブから、尾根に取り付くことにする。幸いに適当な駐車余地があったのでそこに車を置いて仕度を始める。山頂付近では岩場が予想されるので、40mザイルを携行することにした。

 車道を少し戻り、春の訪れを感じる沢に降りる。幸いに今日は、三週間ぶりの絶好の山歩きの天候だ。沢を渡り、灌木の斜面に取り付くが、人が踏み込んだ様子は伺えない。所々岩場があるので、左に巻きながら次第に上部に向かうことにする。かなり厳しい急登で、瞬く間に車道が眼下に小さくなって行く。

 次第に笹藪が現れて来て、初めはその笹藪を巻いていたのだが、ついに巻くことも難しくなって来た。仕方ない、笹藪に突入する事で覚悟を決めて足を踏み入れた。笹は私の身長を遙かに超えて2メートルくらいはあるものだ。笹藪の斜面の登り方は経験的に、直登で登ることだと思っている。そして両手で笹を分けるようにして、身体を中に入れながら行くのである。しかしこの作業はかなりきつい、なにしろ、周りが見えないことの不安感が一番である。時折立ち止まっては、立木の梢に巻き紙をくくりつけた。いずれはこれが役立つことになる。

 標高1310メートル付近で明瞭な尾根にたどり着いた。ここは笹藪が一部切れて、岩峰となっている。展望も比較的良いので、少し休憩することにした。目の前には、県境稜線から派生した支尾根に連なって、船坂山のなだらかな山容が見えていた。どうやら現在いるこの尾根を詰めると、支尾根の県境側のピークに到達するようだ。そのピークは黒々としており、石楠花あるいは針葉樹が多いためなのか、ここからははっきりとはしなかった。

 汗も引っ込んだので、再び身の丈を越す笹藪の中に踏み込んだ。笹藪の中は、けもの道がかなりはっきりしており、一筋の窪みが足下につけられている。そしてシカのものと思われる糞が、おびただしい量で残されていた。それもけもの道に沿って延々と繋がっているものだから、避けて歩くのが困難なほどだ。

 尾根はかなり明瞭で、笹藪でなければ素晴らしい展望の道となるに違いない。笹を分けては前に進むこの単調な作業の繰り返しはかなり疲れる。それに埃で喉がいがらっぽくなるし、笹ダニの不安もあるから気持ちのいいものではない。

 標高1360メートル付近で、傾斜が緩やかになった。そして今度は笹から一転して石楠花の藪となった。石楠花の藪も良いものではないが、笹藪に辟易していたものだから、気分転換には良いので歓迎だ。しかしこの石楠花の藪もあまり長くは続かずに、再び笹藪に戻ってしまった。そして手首のあたりは、汗が擦り傷に滲みてひりひりと痛んだ。

 標高1400メートル付近で、やっと笹藪から解放されて今度は岩壁に突き当たった。灌木もあるし、ネズの木の根っこに捕まれば何とか登れそうだ。それにザイルもあるし、いざと言うときにはこれを使えば良い。しかし猫吉さんの二の舞はご免だ、と言う気持ちが強く働いた。そこで岩壁の基部を、船坂山の方角にトラバースして登り口を探すことにした。灌木と木の根に捕まり、慎重にトラバースを進めるのだが、灌木は枯れたものが多くあまりあてにならない。

 そうするうちに、うまい場所が見つかったので一気に登りあげてみると、クラックになった岩の間に出た。そこには誰が置いたのだろうか、お茶の空き缶が3本捨てられていた。そしてその先は南側が一気に開け、大展望が明るい日差しの中に広がっていた。しばし、その岩峰の上に乗り松の木に捕まって展望に見とれてしまった。

 岩峰はかなり痩せていて緊張するが、さほど困難ではない。そしてついに岩峰の突端に到達した。ここで猫吉さんは進退窮まり、残置されたトラロープに救われたと書いている。ところがどうだろう、何のことはないトラロープなんていらない。直ぐ北側のところは適当な灌木と足がかりがあり、降りてみると簡単に降りることが出来た。

 ここからはさほどうるさい藪もなく、穏やかな日差しの中を船坂山に向かって歩いた。山頂は尾根を詰めたピークでなくて、そのピークから右に向かったところにある。

 苦労して着いた「船坂山」山頂は、その一角だけうるさい灌木もなく、休憩にはもってこいの場所だった。展望は南東に開けており、両神山を取り囲む山々が霞んで見えていた。そして三等三角点の近くの立木には「達筆標識」が輝いて見えていた。そしてそこには誇らしげに「400回記念」の文字が踊っていた。もっともこれを取り付けたときは、時間的余裕もなく不安感に襲われていたと思われるが。

 山頂では3局とQSOがやっとだった。430Mhzは土曜日も使いものにならないようだ。

 帰路は忠実に巻紙のマークを頼りに車道に戻った。背中のザイルは全く使わなかったので妙に重たく感じた。

**ぶどう岳**

 ゆっくりと昼食をとり、ぶどう峠に向かう。ぶどう峠にはお地蔵様が立派な祠に入っていた。道中安全を祈って、5円玉を賽銭箱に入れて手をあわせた。峠からは取り付く場所がないので、佐久側に下って笹藪が途切れたところから山に入った。笹が無いとはこんなに歩きやすいものかと、快調に県境尾根に登りあげた。すると、いきなり岩峰が現れてドキッとした。しかし左に巻き道らしき踏み跡があり、そこを利用すると簡単にその先に抜けることが出来た。

 県境稜線を歩くと、船坂山が眼下に見えていた。そして登った尾根が穏やかに見えている。ここから見ると、身の丈を越す笹藪は伺い知ることは出来ない。やがて顕著なピークが現れ、その先にさらにピークがある。どうやらあれが「ぶどう岳」のようだ。

 「ぶどう岳」山頂はさしたる展望もなく、間近に「御座山」が大きく見えているのみだ。そして山頂にはM大のプレートと、達筆標識があった。達筆標識を入れて記念撮影をして、無線運用に移った。430Mhzに嫌気がさしたので、1200Mhzのハンディー機のスイッチを入れた。心配をよそに一回で応答があったが、その後が続かない。まあこの一局は確実そうなので、これで山頂を後にすることにした。

 「ぶどう峠」に戻ったが、時間は午後1時まだ早い。無理をしないで佐久経由で自宅に戻った。


「船坂山」
 車道(標高1180m)07:13--(.30)--07:43尾根(休憩)07:49--(.18)--08:07石楠花の藪--(.15)--08:22岩壁基部--(.17)--08:39岩峰--(.11)--08:50船坂山09:55--(.52)--10:47車道

「ぶどう岳」
 ぶどう峠11:43--(.24)--12:07ぶどう岳12:41--(.22)--13:03ぶどう峠

            群馬山岳移動通信/1997/