山頂で快適テント生活「上州武尊山」  登山日1987年5月17日


武尊山(ほたかやま)標高2158m 群馬県利根郡

上州武尊山(じょうしゅうほたかやま)は標高2158mの沖武尊を最高峰にい、くつかのピークを持つ山である。高崎付近からは大変目につく山であるが、其の存在はあまり知られていない。それは交通の便が悪い事、山頂までのアプローチが長い為と思われる。昭和16年まで武尊山には「深沢深明師」と言う行者が居て、この山を拓き修行を積んでおられたと言う事である。

 5月16日

 午前5時に自宅を出発する。

 利根の山に行くのは関越自動車道を利用するので昔からみると大変楽になった。水上ICで降りて宝台樹スキー場を目指す。登山口は西側のキャンプ場からもあるが、今回は行程の長いスキー場(上の原高原)より登る事にした。

午前7時
登山口に車を止めて歩き出す。暫くは車道を歩く事になる。車道と言っても車が通れる状態では無く、2輪のトライアル車向きと言った物である。この道はおそらく木材を運び出す為の物だったと思われる。ところどころに索道に利用したと思われる錆び付いたワイヤーが放置されている。

 道はやがて狭くなり登山道らしくなり、沢沿いの道を歩く事になる。雪解けで増水した沢は見るからに生き生きと活気に満ちている。日当たりのよい場所には「ふきのとう」が顔を出しているので、めぼしをつけておく事にする。下山時に採って家で好物の「蕗味噌」にして食べるためである。沢の上流に着く頃になると雪が深くなってきたのでスパッツを装着する事にする。固まっている雪の上はなかなか歩き易く快適である。尾根に出るのにさほど時間は要らなかった。更に尾根を進むと朽ち果てた避難小屋が見えてきた。ほとんど雪に埋もれており、屋根の一部が見えているのみである。

 小屋を見おろす場所に着いた。しかし、無人の避難小屋はあまり気持ちの良いところではない。小屋の傍らを流れている沢の水でコーヒーでも作ろうと、20m程降りた避難小屋に足を向けた。ところが足を踏み出した途端にスリップ、手をついた拍子に掌を岩角で長さ5cm程切ってしまった。見る見る血が吹き出してくる。慌てて傷口を押さえて沢まで降りて傷を洗った。絆創膏3枚で何とか傷口を塞ぐ事が出来た。この傷口は帰るまで少し力を入れると開いて出血するので困った。コーヒーを作り一口飲んだら何とか落ち着いた。ふと避難小屋を見ると入り口の戸が開いている。なにか不気味である。8年ほど前に友人3人と泊まった事がある。その時はあまり感じなかったが、一人でいると怖いものだ。早々に荷物をまとめて出発する事にした。

 小屋を過ぎるといよいよ雪が深くなってきた。体重が重いのと荷物が重いのとで雪が柔らかいところでは、何度となく雪の中に膝まで潜ってしまった。それと共に体力を消耗して疲労が激しくなってきた。踏み跡らしきものを頼りに登るのみである。しかしそのうちに踏み跡が無くなっている事に気づいた。迷ったかな?!と思ったが時折頂上らしきピークが見えていたのでこのまま進む事にした。目の前は雪の壁になっている。これを直登する事にした。

 しかしこれが大きな間違い。

 ピッケルでステップを切って足場を作り、ピッケルのブレードを前方に突き刺して身体を支えて登る事になってしまった。3分間動いて5分間休むそんな事を繰り返す。結局その雪の壁を越えるのになんと2時間も掛かってしまった。

 やっとの思いで上部に到着した。

 そうしたらなんと雪の無いしっかりした道が下から続いているのが見えた。がっかりすると共に、すっかりバテてしまった。それでもふらつきながら頂上を目指した。頂上まであと30分のところで展望が開けた。大宮のJQ1QUYを呼び出す。応答があり「もうだめだ」とこちらから泣き言を言ってしまった。ところがQUYの悪魔のような返事「上州武尊山はまだQSOしていないから、山頂で430MHZと1200MHZでサービスをよろしく」と言われてしまった。この疲れた身体にムチを打つ言葉。しかし励ましの言葉と思い又ふらふらと歩く事にした。しかし有り難いものだ日光連山に積雲があり雷の不安があると伝えると、各方面に問い合わせて雷の情報を集めて今日は心配無いと伝えてくれた。

 午後2時

 なんとか頂上に着く事が出来た。意外にも頂上は雪がなく土が現れていた。早速天幕の設営に取り掛かる。頂上の吹きっさらしの処に設営するために、天幕の出入口と張り綱には特に気を使った。設営を終わったところで一人の登山者がやってきた。彼もここに泊まると言う。まあ寂しく無くなるから、こちらもよかったと思う。しかし、その装備が凄い。ツェルト(簡易テントで床にシートがない)を張りシュラフが無いので、持ってきてあるものを着て寝ると言う。それにコンロも無いという。大丈夫かなと思ったが早々と彼はツェルトの中に潜り込んだ。私はビニール袋に雪を詰めて運んだ。夕食の支度に使う水を確保するためである。

 天幕の中でコンロに火を点けると暖かく快適だ。

 そのうち隣のツェルトからクシャミが2回続いた。やはり寒いのだろうと思い「こちらにきてコーヒーでもどうぞ」と言った。彼はいたく感激した様子だった。かわいそうになり、カップラーメンとカレーライスを思わず恵んでしまった。暫く雑談をした後、私は今回の目的の一つである移動運用の支度に取り掛かった。しかし、430MHZの呼出し周波数を聞いてびっくり。やけに賑やかである。今日は「オール群馬コンテスト」の当日だったのである。あまりの賑やかさに1200MHZでの運用に切り換える事にした。こちらは静かでのんびりとQSOを楽しむ事が出来た。

 その内に隣に座っていた彼もつまらなくなったのか、自分のツェルトに移る事になった。ところが、彼のツェルトは、はかなくも風のため崩壊していました。しかし、それにもめげず、根性で立て直して寝てしまいました。私は「寒くなったら、こちらに来て下さい」と言ったのだが、彼は朝まで頑張り続けました。時折クシャミは聞こえていましたが。

 私はQUYファミリーと11時頃までQSOして本日はQRTしました。

 翌朝はどうも天候が崩れそうなので早めに下山することにした。登るときに2時間掛かった雪の壁も、わずか10分程のグリセードで一気に滑り降りた。雪山はこの爽快なグリセードが実に楽しい。それから、例の「ふきのとう」は忘れずに採って帰りました。


                          群馬山岳移動通信/1987/