暑さと水不足で遭難寸前「本谷山」  登山日1999年7月31日



本谷山(ほんたにやま)標高1860m 群馬県利根郡・新潟県南魚沼郡
本谷山から見る
左から中ノ岳・丹後山・手前が越後沢山


 本谷山は利根川源流の山で標高は1860m、近くにある丹後山や越後三山の一つである中ノ岳が目立つので、登るものは少ない。4年前に丹後山に登ったときは30キロの重装備で、ひどい目に遭った。今回はその教訓を反省して簡単な装備で、日帰りのピストン山行として、さらに出きれば本谷山の先の越後沢山も登りたいと考えた。

 7月31日(土)

 3時35分に十字峡登山指導センター横の駐車場で目が覚めた。前夜は暑くて窓を開けると蚊が侵入して、悩まされ寝付いたのは2時頃になってしまい、完璧に寝不足となってしまった。簡単にパンを腹の中に詰め込んで、ザックの中身を点検して出発だ。

 夜明け前の薄暗い道を、手持ちの懐中電灯で照らしながら林道を歩く。栃ノ木橋のあたりまでくるとすっかり周囲は明るくなり、気持ちのよい朝を迎えた。栃ノ木橋の先の丹後山登山口では、6人の学生パーティーが出発準備をしていた。幕営道具を登山口のあたりにデポしているところを見ると、前夜ここに泊まったらしい。さて丹後山に出発と思ったら、彼らは丹後山ではなく林道をそのまま歩き出すではないか。
「越後沢山ですか?」と声をかけた。
「いいえ、本谷山のピストンです。昨日は丹後山を登ってきました」
「本谷山の道の様子は分かりますか?」
「初めてなので、よくわかりません」
立ち止まった彼らは、再び振り返ってそのまま林道を歩いていった。実は彼らが今回の私の山行に、大きな役割を果たすことになるとは、この時点では想像もできなかった。

 ポストに登山計画書を投函して、いよいよ歩き出す。

 銅倉沢の右岸に付けられた林道は、所々山側から流れ落ちる沢水で冠水していた。この林道の維持管理は大変なものだろうと想像できる。快調に歩いていくと、目の前に県境の下津川山らしきピークが、雲一つない青空の中に遠望できた。さらに歩くと橋を渡り、すぐに左に林道が分かれた。迷うことなく左の道は無視して、まっすぐに続く林道を選んだ。すると道の右に標識があり、本谷山6.0kmと書いてある。妙なところに標識があると思いながらもやり過ごして、さらに林道を進む。

 しかし、すぐに林道は行き止まりとなり、沢には取水のための堰堤が設けられていた。そして、さらにここからつながる登山道を探したが、それらしき踏み跡が見られない。まして先行したパーティーがいるのだから、明確な痕跡があってもよいものだ。地形図を取り出して確認すると、完璧に道を間違えてしまったようだ。登山道は先ほどの橋を渡ってすぐに山に入るようだ。すると、あの標識があったところが入り口だったのだ。

 仕方ない、先ほどの内膳落合の標識まで戻ることにした。そして確認すると標識から林道をを挟んだ山側に細い道があるのがわかった。そして入り口には標識はもちろん、赤テープのたぐいもなく、下草が伸びればわからなくなってしまうことは確実だ。

 ここが標高600mだから、長い長い標高差1260mの登山開始である。道に入るとその急な登りにいきなり驚いた。なんと鎖が2本設置してあるではないか。そんな急傾斜の道は一向に緩まる気配がないので、すでに汗ダクの状態だ。まして展望もなく、同じような景色を眺めながらの登りはつらいものがある。変化があるものといえば、下から聞こえてくる沢の音が次第に遠ざかることぐらいである。

 標高900m付近で目の前の展望が急に開けた。それと同時に越後沢山の方角から太陽が昇り始めた。朝だと言うのになんと強烈な光なのだろうか。木陰に陣取ってしばし休憩を取る。GPSを取り出して位置の確認をするが、まだまだなんと距離の長いことだろうか。その証拠に県境稜線は遙か先に見えている。

 再び樹林の中の急登に挑戦させられることになる。ブナの木が多く、これらの林が水源地としての役割を担っているのが良くわかる。しかし展望は相変わらず得られないので、休憩から30分ほど歩いたところで再び腰を下ろした。ザックから葛餅を取り出して袋を破ったとたん、手から離れて樹林の中を沢に向かって転がり落ちてしまった。悔しいので何度も草むらを透かしてみたが、見つかるはずもなかった。

 これに落胆したのか、これからのペースは極端に遅くなった。道は若干は緩やかになったが相変わらず展望はきかないし、朝だと言うのに猛烈な蒸し暑さとなった。持参してきたスポーツドリンクはすでに500mlは空になってしまった。さらにポットの中に入れてきた氷は半分近くがなくなっていた。今日は水分補給が第一と考えて、2リットルの水と、ポットの中に氷を入れて来た。山頂ではラーメンを作って食べるつもりだから、500mlは確保しておきたい。

 暑さと急登に喘ぎながら登ると、突然二階建てのコンクリートの建物が現れた。周囲を見回したが、この建物の名称が書いていないで何の目的であるのか判らない。近くにアンテナと自動雨量計があるところを見ると、気象観測のものに間違いはあるまい。
三十倉を過ぎて八海山方面を振り返る
 ここを過ぎて緩やかに登っていくと、ちょっとした高見に出た。三等三角点があり、ここが地形図の1296.8mのピークであることを示している。ここからの展望はすばらしく、振り返ると越後三山、眼下には水汲戸沢の雪渓と沢の流れが眩しい。目を転じると目指す本谷山の稜線が見えている。しかし、これから歩かなければならない、この中尾ツルネと呼ばれる尾根のなんと長いことか。おまけにこのピークからは一旦、鞍部に降りて登り返さなくてはならない。時間はエアリアマップの記載よりも、1時間近く余分にかかっている。これから先どうなるか不安になってくる事は確かだ。さて気分を変えて短パンに着替えて出発だ。

 せっかく稼いだ標高をもったいないほど下って鞍部に到着。重い体を再び持ち上げることになる。鞍部から少し登り始めるとすぐに右足に激痛が走った。痛いところはなにか蜂に刺されたような様子であるが、傷口は見あたらない。しかし、痛みは相変わらずだ。仕方ないので持参していた虫よけスプレーを使用してみた。時間の経過なのか、スプレーの冷却効果なのかはっきりしないが、痛みは次第に和らいで来たので、再び歩き始める事にした。

 道は再び灌木に覆われて、展望は無くなってしまった。

 標高1600m付近、鞍部から歩き始めて1時間ほどでやっとのことで森林限界に到達。目の前に本谷山、越後沢山の姿が大きく迫っており、さらに巻機山からつながる利根水源の山の稜線がはっきりと確認できた。ここで思わずザックを放り投げて、大の字になって深呼吸をした。かなりの疲労感を覚えた為に、この時点で越後沢山は断念する事にした。なにしろ本谷山だって行けるかどうかわからないのだから。水はこの時点であと700ml程しか残っていない。いかにこれから先で、水を確保できるかが重要な問題となってきた。高度を上げた太陽は、ジリジリと全てを焦がすような熱線を発していた。

 残り少ない水を飲んで、ザックを背負い今度は日射しを遮るものがない、笹尾根の登りとなった。エアリアマップではこの先の西本谷山(正式名称ではない)の手前に水場があると記載されているが、それらしきものは見あたらない。尾根の右側の沢の下方には雪渓があるが、かなり下の方である。そのうちに上の方から賑やかな声が聞こえてきた。先行していた学生のパーティーが戻ってきたようだ。しかし様子がおかしい、空身でバラバラになって先ほどの沢に向かっている。

 聞けば水を探しているという。なんでもこれから先に水場はなく、本谷山の手前に池塘があるが飲むには勇気が必要との事だった。さらに本谷山から越後沢山への道はほとんどなく、西本谷山から本谷山への道もかなり薄いと言う。そのうちに先行している一人が、「水が流れている!!」と声を張り上げた。そこは水を求めに行くには、ちょっと下方過ぎる場所であったが、どうしても欲しければ行かなくてはならない距離だ。自分が持っている水はあと500ml、到底足りるものではない。彼らの見つけた水場を頭の中にたたき込んで、さらに先に登った。
西本谷山から本谷山を見上げる
 西本谷山にたどり着いた。ここは巻機山からの稜線と、登ってきた中尾ツルネの尾根が交わる標高1770mのピークだ。ここで、今日はじめて上州武尊山、尾瀬の山々を確認できた。さていよいよ本谷山にむけて最後の登りだ。先行していた彼らが言うとおり、道は踏み跡も消されたような心細いものだった。おまけに最初はゴジラの背のような、細い尾根となっていた。

 ここで、短パンで歩いていることを後悔する事になった。しかし、疲れている身体は着替える気力も萎えてしまっている。笹や灌木の枝に足を傷つけられながらも、気力でなんとか前に進んだ。傾斜が強くなると笹は腰のあたりまで達して、道はまったく確認できなくなった。先行した彼らの歩いた所の笹が、ちょっとだけ色が変わっているので、それを辿った。

 眼下にはいくつもの雪渓が見えて、そこから水が流れ下っているのが確認できる。あそこに行けば水がいっぱいある。しかし、あそこまで行くのはかなりの困難を要する。まさに目の毒としか言いようがない。

 やがて尾根の右下に池塘が現れた。上から確認すると飲めないことはないが、やはり勇気がいることは確かだ。緊急時には煮沸か、ろ過をして飲むしかあるまい。その池塘をやり過ごして、さらにフラフラになりながら本谷山の登りに集中した。

 傾斜が緩くなり、膝あたりまで伸びた笹を分けていくと、ほどなく山頂に到達した。まさにここが本谷山山頂だった。山頂を示すものは全くなかったが、何かの目印なのか小枝が地面に数本さしてあった。展望は360度遮るものがない素晴らしいものだった。しかし、やはり気になるのは目の前にある越後沢山で、ほんの1時間程度の距離と思われる。ところが、今ではそこまで行く気力もないし、水も底をついてしまっている。

 照りつける太陽の下では本当に暑い。腕時計の温度計はすでに体温を上回っている。やはりこうなると身の危険を感じざるを得ない。ミカンの缶詰を腹の中に入れたが、あとは疲労のために食欲はなくなっていた。無線は高崎の固定局と自宅の7N3VZTと交信して早々に撤退。山頂パノラマをカメラに収めて下山をすることにした。水も殆ど飲み尽くし、残りは250ml程度になってしまった。

 水を求めて下山の途中に、例の池塘に寄ってみた。PETボトルに汲んでみると、若干透明度が悪いし、それにヤゴや、小さな虫が中で泳いでいる。何も処理をしないで飲むことは出来そうにない。一応PETボトルに1リットルほど汲んでみたが、出来れば飲みたくないと思った。その後、池塘の廻りを見回してみたが水の流れは確認できなかった。
本谷山から鞍部の池塘を見る
 さて西本谷山に戻り、先行したパーティーが見つけた沢に降りることにした。しかし、その場所はかなり下方で時間がかかることは事実だ。しかし、水を持たないで下山する事は到底不可能だ。意を決して沢に向かった。

 沢に向かう草付きの斜面は意外に急傾斜で、立ち止まることさえ出来ない。さらに最後は耐えきれず沢に滑りながら落ちてしまった。やれやれ、今度はどうやって這い上がれば良いのだろうか? しかしそんなことよりも、足下には冷たい水が音を立てて流れているではないか。コップに水を貯めるのももどかしく、何杯も飲み干した。その他にPETボトルに5本(2.5リットル)水を詰め込んだ。ここで食欲は全く無くなっていたが、我慢をしてチーズ蒲鉾とサンドイッチを押し込んだ。

 さて、立ち上がろうとすると目の前が暗くなり、目眩がするようになった。身体は何か両腕がしびれるようになった。おそらく疲労と暑さによる体温の上昇が原因と思われる。頭から水を被り、背中にも水を注ぎ、何もできないまま水場の石の上に腰掛けて、時間の経過を待った。5分ほど経過すると気分も落ち着いた。見上げる草付きの斜面の上は青い空が広がっていた。

 さて草付きの斜面に取り付いたが、草につかまって身体を持ち上げようとしたが、草がすぐにちぎれてしまう。おまけに足下は草の為に滑って踏ん張りもつかない。これではまさに蟻地獄に捕らえられたようである。ここから脱出は不可能なのであろうか?

 幸い水場にいるから、ここでビバークしてもなんとかなるさ。しかし、それは最後の手段で、ここで気力が失せたらおしまいだ。なんと言っても遭難するか否かは、気力が大きく左右することは事実だ。諦めたらそれでおしまいなのである。

 再度、気力を振り絞って斜面に挑戦する。今までよりも多くの草をつかんで慎重に身体を持ち上げる。それでも何度か滑ってしまうが、ゆっくりとその作業を繰り返す。ふと気づくと左の斜面の方には笹が密生している。そちらの方がおそらく根本がしっかりしていると思われるのでそちらに移動した。予想通り笹はちぎれることなく、私の体重を支えることが出来た。しかし、今度は笹の藪こぎが待っていた。息を継ぎながら中間地点で一休み。

 ところがここで急に吐き気を覚えた。そして耐えきれずに嘔吐してしまった。吐いたものは先ほど飲んだ水が殆どで、なんと本谷山で食べたミカンも混じっていた。これで胃の中には何も残っていないことになる。嘔吐したものはズボンから足にかかってしまい、せっかく汲んできた水を500ml使って洗い流した。

 さらに稜線までは気力を振り絞って何度も立ち止まっては、上を見上げて足を踏み出した。水場にはわずか7分で降りたのに、登りは30分以上かかってやっと到達した。稜線に着いても食欲はなく、ただ頭から水を被り、水を飲んで座って時間を過ごすだけだった。残りの水は2リットルとなった。

 長い長い下山はこれからが本番だ。猛烈な暑さによる熱中症、睡眠不足、疲れ、エネルギー不足、まさに気力だけが生死を分けるような状況となった。

 そのうちに、腕を流れる汗が少なくなった。危険な状況には違いない。それに腕を舐めてみてもしょっぱくないのである。これは完璧にミネラル分が不足しているのだが、食欲が全くない。ザックの中を見ると胡麻塩が入っていたので、それを水に溶かして飲み干した。しばらくすると発汗が見られて汗がしょっぱくなってきた。

 長い長い急傾斜の道を水場の稜線から3時間かかって、やっと内膳落合の林道にたどり着いたときは、本当に助かったと感じた。水も全て使い果たしてギリギリの状況だった。

 林道に流れ落ちる沢に、服のまま飛び込んで熱が溜まった身体を冷やすと、ようやく人心地がして落ち着いた。しかし、ここで再び急激に水を飲んだ為に嘔吐してしまい、完璧に胃の中を洗浄してしまった。

 車にたどり着いて、着替えてから最初に向かったコンビニで買った、冷たい牛乳がほんとうに旨かった。




「記録」

 十字峡04:15--(.35)--04:50栃ノ木橋--(.14)--05:24内膳落合--(.10)--05:34発電所取水口--(.05)--05:39内膳落合--(2.10)--07:49観測所--(.21)--08:10三角点(三十倉)8:30--(1.44)--10:14西本谷山--(.30)--10:44本谷山11:33--(.07)--11:40池塘11:57--(.15)--12:12稜線--(.07)--12:19水場12:43--(.32)--13:15稜線13:30--(1.43)--14:43三角点(三十倉)--(1.55)--16:38内膳落合--(.14)--16:52水浴17:21--(.46)--18:07十字峡



              群馬山岳移動通信/1999/