「八海山」で意識を失う

登山日1998年9月5日

阿寺山(あでらやま)標高1509m 新潟県南魚沼郡、五龍岳(ごりゅうだけ)標高1590m 新潟県南魚沼郡、入道岳(にゅうどうだけ)標高1778m 新潟県南魚沼郡、大日岳(だいにちだけ)標高1778m 新潟県南魚沼郡
阿寺山直下より入道岳を見る
 JE1KQA/猫吉さんとは、何度か八海山の計画を立てたが、なかなか実行には移らなかった。それはやはり天候が大きく影響しており、今年の夏はそのために中止と言うことが多かった。今回も決行が決まったのは二日前の夜という慌ただしさだった。

9月5日(土)

 自宅を午前3時に出発、途中でコンビニに寄り道しながら、猫吉さんと待ち合わせた八海山スキー場の駐車場に向かう。天候は朝靄で見通しが悪かったが、夜明けと共に晴れて青空が広がってきた。

 六日町インターを降りて、無線で連絡を取ると寝ぼけ眼の応答があった。どうも前夜は眠れなかったようで、体調は万全ではないようだ。八海山スキー場に向かう道路の途中の路肩に、真新しいデリカスターワゴンが止まっていた。久しぶりの再会であったので、とりとめのない話しをして、猫吉さんの支度が整うのを待つことにする。

 やがて仕度も整い、車をそれぞれに移動、分散にて駐車する事にする。それは登山口と、下山口が異なる場所であるから、少しでも楽をしようという魂胆だ。まずは私の車を新開道の登山口に駐車して、猫吉さんの車で広堀川河原に向かうことにする。広堀橋を渡ると道はいきなり悪路に変わった。道の所々には深い溝が出来ており、悪路に強いデリカでも場所を選ばないと、アクシデントに見舞われそうな道だ。この道は広堀川の左岸をまっすぐに進むようになっていた。やがて、五竜岳に行く標識が現れて、道は林道から離れて広堀川に向かって登山道が延びていた。ここにデリカを駐車して、いよいよ登山開始となった。

 道は良く整備がされており、最近も草刈りが行われたらしく、まだ青々とした草が道に放置されていた。最初に枝沢を渡渉しただけで、あとは広堀川の左岸に沿って歩く快適な道だ。やがて標識が現れて、右手の斜面を登るように指示が出ている。急登の斜面を登ると、それだけで汗が吹き出る。

 やがて開けた場所に出ることになる。ここにはロウソクの燭台があり、その蝋が下草にまで垂れてくっついていた。標識には竜神碑と書いてあり、そばにはきれいな沢が流れ、良い水場となっていた。少し休憩を入れて、再び歩き出した。

 今日はロングスパッツを装着してきたが、それは正解だったようだ。登山道の下草が含んだ水ですっかりスパッツは濡れてしまった。それにしても展望も無い、変化に乏しい道で同行者でもいなければ、気が滅入るようだ。今日は猫吉さんがいるので、世間話をして気を紛らわす事が出来る。

 道は再び沢に近づいて、良い水場と成った場所に出た。ここは蛇食(ジャバミ)清水と言う場所だが、雰囲気は悪くなく、ここで食べ物を口に含んで休憩をとった。

 蛇食清水からの道も全く展望はなく、ひたすら樹林の中を歩くだけだ。時折、急登の道となるが、耐えられないものではなく、高度を上げる意味からは歓迎したいほどである。黙々と猫吉さんと前後で登っていくと、一人の初老の登山者が木の陰で休んでいた。何の前触れもなく突然現れたので、ちょっとびっくりして会釈だけをした。

 どうも朝方は猫吉さんは調子が悪いらしい。後ろを歩いてくる猫吉さんが見えなくなった。そして標高1480メートル付近になると、急に樹林から抜け出して周囲が開けた。そこは湿原状であり、眩しい光に満ちていた。そして南方面には巻機山が大きく迫って見えていた。そこから、一分も歩かない登山道上に標柱があり「阿寺山」と書かれていた。しかしどうも山頂らしくない。遅れてやってきた猫吉さんは、あっさり山頂はここではないと地図を見ながら言い張った。あいにく阿寺山が記載された「兎岳」の地形図が無く、エアリアマップを見ての判断だ。

 確かに道の南に小高いピークがある。それならばそこに行ってみようと考えたのだが、道らしき物は全く見つからない。仕方なく手分けをして探しまくったが、見つからない。これでは仕方ない、覚悟を決めて藪の中に突入だ。ところがここの藪はなかなか手強く、蔓が絡まっているから、そこから抜け出すのにかなりの労力を使ってしまった。その上、右腕に痛みが走ったので見ると、なんとイガラの幼虫が腕に乗っている。慌てて払い落としたのだが、すでに遅くこの先ずっと痛みが取れることは無かった。

 なんとか一番高いところに立って、三角点を探すがなかなか見つからない。ふたりで藪をかき分けて探すと、傾いて笹に隠れた三角点を何とか発掘する事が出来た。ここが阿寺山の山頂に間違いなかった。

 山頂からは背伸びをすると中の岳が目の前に迫っているのが、迫力を持って見えた。無線は猫吉さんが144Mhz、私が430Mhzで運用した。するとどこかで聞いたような声が聞こえた。それは「ヤマランメンバー」のJA0LTH/鈴木エチゴさんだった。これでQSLは確実なので、早々に私は運用中止となった。

 阿寺山で1時間ほど過ごしてしまったので、時間が残り少なくなってきた。(先はまだ長いのだ)急ぎ下山に取りかかり、今度は猫吉さんが先頭に立ち、歩くことになった。すると猫吉さんの韋駄天ぶりは、もの凄く着いて行くのが困難で、どんどん引き離されるばかりである。さすがに猫吉さんは11時を過ぎると、とたんに元気が出てくる体質なのである。

 目の前には「五龍岳」と八海山の最高峰「入道岳」が屹立してそびえている。はたしてあそこまで行けるかどうか不安に駆られてくる。なにしろ阿寺山からの下りは、標高差100mをもったいないほど一気に下ってしまうのだ。そして五龍岳には180m、入道岳にはさらに200mの標高差を登らなくてはならないのだ。

 五龍岳への道には、様々な地塘が点在している。中には飲料水になりそうなものも見られた。猫吉さんからどんどん引き離されて、五龍岳へあと15分くらいのところで猫吉さんが心配して待っていてくれた。そこで少し休憩して、再び歩き出した。そして山頂直下の地塘と石碑を見送るとすぐに五龍岳山頂に立つことが出来た。

 ここで私はグロッキー気味で座り込んでしまった。猫吉さんは元気良く無線機を取り出してやる気満々である。その間を利用して、私は草むらに寝ころんだ。目を閉じるとそのまま意識が薄れ、再び意識が戻り時計を見ると10分ほど寝てしまったようだ。やはり寝不足というのは辛い。猫吉さんは相変わらず無線で交信中だ。私も430Mhzで未丈ヶ岳の移動局と交信をすることが出来た。

 たとえ10分だけでも仮眠をとると、気分的に楽になるから不思議だ。さあ、気分を新たに、入道岳に向かって歩き始める。このころから天候は一転してガスに覆われ、展望が無くなってしまった。そんな展望のきかぬ急登を、必死になって登る。今までと違って足下は岩場が多くなって来たように感じる。そして季節はずれのアカモノの花が時折登山道脇に咲いているのが目に付く。

 そして展望がはっきりしないのだが、ひとつのピークに到着した。おそらく八海山の最高峰「入道岳」に間違いないと思われるのだが、そこには「丸ヶ岳」と書かれた私製の標石が置かれていた。この標識には全くあきれてしまうので、二人で憤慨してしまった。なにしろ、山名が間違っている上、ご丁寧に名前まで彫り込んであるのだから許せない。いっそ、笹藪のなかに放り込んでしまおうか、などと考えてしまった。

 ともかくここが最高峰、猫吉さんはこの最高峰に登るためにわざわざやって来ているのだ。感慨を込めて無線機を取り出して運用を始めた。こちらは手っ取り早くCQを出している局を見つけて、QSLを確保してから休憩となった。その間には老夫婦がやって来て、私にシャッターを頼んで記念撮影をしてから早々に引き上げていった。

 さてこれからはいよいよ下山である。
分岐点付近より大日岳(奥の岩峰)
 八海山と言えば、鋸の刃のような「八ツ峰」が最高峰ではないが核心部である。その一角である大日岳はこれから下山する新開道に通じる迂回路の分岐のすぐ脇にある。猫吉さんはすでに登ったことがあるから、興味は無いという。その代わりに大塚さんは簡単だから登った方が良いとけしかける。私はもう疲労困憊で、動くのも億劫なのでそんな元気は残っていなかった。しかし、ここまで来て登らないのも癪なので、ついに重い腰を上げて大日岳に向かった。

 大日岳は大きな岩の塊である。そこに鎖が設置されて登れるようになっている。かなり傾斜が強いので、息を整えて一気によじ登った。わりと足がかりが多くあり、思ったよりも簡単に山頂に立つことが出来た。山頂には燭台などの宗教関係の物が置かれていた。また鐘があったので、思い切り叩いてから山頂を降りることにした。

 迂回路の分岐では、猫吉さんが腰をおろして休んでいた。私も一緒に5分ほど休んでから、時間に追われるように行動を開始した。

 迂回路の下りはアルミの梯子と鎖の連続だ。疲れた身にはかなりこたえる傾斜であり、時折バランスを崩す事もあった。迂回路の途中からいよいよ新開道の道が始まる。しかし鎖の設置されたコースは相変わらずで、足下も滑りやすい湿った岩場なので、注意深く歩かなくてはならない。

 もう泣きたくなるような道で、高度計の数値を見てもなかなか変化がない。こんな道をエアリアマップでは3時間20分も歩くことになっている。この分で行くと車にたどり着く頃は、暗くなってしまうことが予想された。

 下りばかりと思われた道は、途中でカッパ倉と呼ばれる尾根上のピークに登ることになる。ここの登りは、疲れた体にムチを当てられているようで苦しみもピークに達した。ここで休みたかったが飲料水が無くなってしまったこともあり、この先の水場まで頑張ることにした。

 樹林のなかをひたすら下ると、沢音が近くなり、稲荷清水にやっと到着だ。沢までは登山道から少し歩かなくてはならないが、そんなことは言っていられない。PETボトルを持って、沢に向かった。沢の水は冷たく、一気に水を補給すると疲れが吹き飛んだ。PETボトルに水を詰め込んで戻ると、猫吉さんは悠然と座り込んで記録を整理していた。猫吉さんと私は水の補給に関しては対照的で、今回でも1リットルの水がまだ余っているのに、私はすでに1.5リットルを消費していたのだ。その分だけ汗の量も違い、猫吉さんは額に滲む程度なのに私は上半身ビショ濡れ状態である。もっとも猫吉さんは、この後のビールの事を考えて水の消費を押さえているからなのかもしれない。

 稲荷清水からの道は、相変わらすの急斜面だったが、それも次第に緩やかになり、杉の植林地に入った。ここまでくれば駐車した車までは近いと思われるので、安堵感が身体全体を包み込んだ。そして車道にひょっこりと飛び出し、そのまま一気に車まで急いだ。

 新開道の登山口に駐車した車に乗り、デリカが駐車してある広堀川河原に向かった。ところが悪路のために、私の車では手前の広堀橋までしか進入できない。仕方なく猫吉さんは、ここから徒歩で車を回収に向かい。約30分かけて戻ってきた。(ご苦労様でした)

 かなり疲れたが、六日町まで風呂を探して私の車で向かうことにした。ここでも猫吉さんがまめに情報を仕入れながら、案内してくれたおかげで「中央温泉」に無事到着。入浴料250円は格安で、清潔な風呂であり、機会があればまた立ち寄りたい場所となった。

 山口地区の空き地にもどり、清酒「八海山」を口に含んだとたんに、意識朦朧となり猫吉さんと今日の成果を話すこともなく、朝まで意識不明で寝込んでしまった。




「記録」
 広堀川河原6:48--(.31)--7:14竜神碑水場7:19--(.24)--7:43蛇食清水7:51--(2.08)--9:59阿寺山標識--(.12)--10:11阿寺山10:52--(.31)--11:23神生池--(.56)--12:19五龍岳13:06--(.29)--13:35入道岳14:26--(.29)--14:55迂回路分岐--(.04)--14:59大日岳15:00--(.03)--15:03迂回路分岐15:10--(.53)--16:03カッパ倉--(.39)--16:42稲荷清水16:51--(.28)--17:19車道--(.08)--17:27新開道登山口


群馬山岳移動通信/1998/