尾瀬沼周辺の山を歩く「檜高山」「袴腰山」  登山日2003年4月26日〜27日


檜高山(ひだかやま)標高1932m 群馬県利根郡 /袴腰山(はかまごしやま)標高2042m 群馬県利根郡 ・福島県南会津郡
春の尾瀬沼と燧ヶ岳(4月27日撮影)

4月26日(土)

 前日に開通したばかりの車道を通り、大清水の駐車場に着いたのは6時半頃だった。相変わらず散在している道具を、車の中から引っ張り出してザックに詰め込んだ。GWの初日とはいえ、まだまだ喧噪はここまで来ていなかった。

 除雪された林道をゆっくりと歩くが、前にも後ろにも人影は見えない。静かな山行が出来ることはうれしいが、寂しいのも事実だ。林道は雪解け水が川のようになって流れ、春の到来を告げている。道の端の雪の消えたところから、フキノトウが顔をのぞかせている。

 変化のない林道を詰めると、やがて一ノ瀬休憩所に到着した。すでに10人ほどの団体が休憩しており、今まさにザックを背負って歩き出すところだった。この団体に後ろから追いかけられるのはたまらないので、ちょっと先の橋の上でやり過ごすことにした。ところが、ザックを背負っているのにいつになっても歩き出さない。業を煮やしてこちらが歩き始めることになってしまった。林道を離れて山道に入ると、踏みあとさえもはっきりしない雪道となった。
三平下
 三平峠の標識は雪に埋もれて上部だけしか見えていなかった。そんな三平峠からわずかに下ると三平下に到着した。ほとんどの山小屋は、一階部分が雪に埋もれていた。天候は曇りで、尾瀬沼はガスに阻まれて、雪との区別が出来ないほどだった。あたりは静寂に包まれて、鳥の声さえも聞こえない。水芭蕉の季節を考えると信じられない状況だった。

 三平下からは氷結した尾瀬沼に降りて、雪の上を長蔵小屋に向かうことになる。わずかな踏みあとが長蔵小屋に向かって、なんの迷いもなく続いていた。そのトレースを辿ってひたすら歩いた。場所によっては雪が融けて水の流れが見えるところもあった。曇っていた天気も徐々に回復している様子で、次第に雪の上に影が映るようになり、やがて雪の眩しさが気になるようになった。そして、長蔵小屋に着く頃には次第に、遠くが見えるようになってきた。

 長蔵小屋はやはり雪に埋もれていたが、営業小屋らしく玄関は除雪がされ、煙突からは煙が立ち上っていた。ビジターセンターは2階あたりまで埋もれていて、屋根に簡単に登れてしまうほどだ。長蔵小屋の裏に回り、尾瀬沼に再び降りて大休止をすることにした。大江湿原あたりの木々がガスに巻かれてぼんやりと見えた。そのまま腰を下ろして、ぼんやりと前を見ていると、突然ガスが切れて燧ヶ岳が目の前に現れた。大きな燧ヶ岳はやはり尾瀬沼には欠かせない存在だ。
長蔵小屋燧ヶ岳が現れた

 ザックを再び担いで行動開始だ。さてここから、小淵沢田代に向かうわけだが、方向はわかっても樹林の中への入り口が分からない。たまたま長蔵小屋の入り口で除雪をしている従業員がいたので声を掛けた。
「鬼怒沼方面はどこから入るんですか?」
その従業員は私を下から上まで見てから「そちらは誰も入っていませんし、行かない方がいいと思います」
「夏は歩いた事がありますか?」
「いいや、これが初めてでまったくわかりません」
「それなら、迷いやすいですから絶対に止めた方がいいですよ」
これは困った説得をされてしまった。
「途中まで行って駄目だったら、引き返します」
「その時はここに泊まります。何時までに入れば良いですか?」
「まあ準備がありますから、4時までにはお願いします」
あまり関わっても仕方ないので、早々にその場を引き上げて歩き出した。こんな事になるのなら聞かなければ良かったとちょっと後悔した。後ろから従業員の視線を感じながら小屋を離れて歩き出した。

 小屋を過ぎて暫く歩くと樹林の中にコテージが現れた。コテージは入り口が除雪されてGWの準備が出来ていた。ここからの樹林帯は踏みあとも標識もなく、上部に向かってひたすら歩くだけだ。県界を示す赤いペンキのマーキングが、シラビソの樹につけられているのがひとつの目印ともなった。雪はさほど潜ることもなく、問題なく歩ける程度だ。装備の軽量化を考えて、スノーシュー・ワカンは持ってこなかったので心配していたが、これは無用であった。
檜高山から西方面の展望
 やがて傾斜が弱まり樹林の中のコルに出た。GPSを取り出して位置を確認すると、檜高山とその北にある1911mのピークとの鞍部に居ることがはっきりした。樹林を通して檜高山の様子が伺えた。傾斜は急だがダブルストックを使って登れば意外に楽に登れる。いつしか樹林も疎となり、まぶしい日射しの中を檜高山の登りを辿った。

 ひとしきり登ると展望に優れた檜高山の山頂にたどり着いた。ザックを投げ出して、大の字になって空を仰いだ。やはり幕営道具の入ったザックは重く、このあたりになってバテ気味になってきたことは事実だ。檜高山は山頂を示すものは見あたらなかったが、雪の下にそれはあったのかもしれない。尾瀬沼方面は樹林で見えないが、反対の西側方面は素晴らしい展望に満ちていた。やはりこの付近の盟主である奥白根山、手前には三角定規の形をした四郎岳が目立った。

 さてこれから小淵沢田代に降りるわけだが、それは眼下に見えている。地形図を見てもなんの問題もなく下降出来そうだ。しかし、どうしても下降はトラブルに陥る可能性がある。少しくらい苦労しても、1911mのピークに一旦登り、夏道に下降するのが良いと判断した。
小淵沢田代から、「奥白根山」「燕巣山」「四郎岳」
 1911mのピークに何とか登り、夏道に向かって下降した。ところが夏道らしきものはいっさい見られず、一気に下降して平坦な場所に着いてしまった。周りは樹林ばかりで方向がわからない状況だ。こんな事なら檜高山から一気に小淵沢田代を目指した方が良かったと後悔した。こうなったら仕方ない、GPSで位置を割り出して方向を修正することにする。位置が分かったところで今度はコンパスで方向をセットして、コンパスの方向に歩く。コンパスのほうが行動中に確認するのが簡単でわかりやすい。

 小淵沢田代は小さな雪原になっており、木道や標識のたぐいは埋もれているのか全く見られなかった。期待していた踏みあとも全く見られず、本当に静寂の空間がそこにはあった。尾瀬のにぎわいから離れたこの場所は、おそらくシーズン中でも訪れる人も少ないだろうと感じた。

 小淵沢田代を離れて再び樹林の中に入り、ゆったりとした傾斜の中を静かに登っていく。深い樹林はいつしか疎林に変化して、ダケカンバが目立つようになった。標高1870m付近になると送電線鉄塔が遠望できるようになった。地形図に記載のある記念碑の方向と鉄塔の方向が一致するので、コンパスをセットしてその方向に歩き出した。気持ちの良い疎林の原で、気持ちよく歩くことが出来るし、なんの不安も抱くことはなかった。
電発記念碑
 送電線鉄塔に到着すると、雪原の中に黒いものが見えた。近づいて見るとそれは記念碑で「只見幹線 竣工記念」と記されている。記念碑はかなりの大きさであるのだろうが、今見えているのは頭の部分だけだった。この送電線鉄塔に着いたあたりから、眩しかった日射しは薄れて、鉄塔上部が見えなくなるほどガスが立ちこめてきてしまった。

 鉄塔を過ぎると再び樹林の中に入る。夏であれば藪がうるさそうな感触を受ける。それに尾根が広すぎて、方向がはっきりしない点がある。登るときは高いところを辿れば何とかなるが、帰りは注意が必要だと感じた。頻繁にGPSで位置を確認して先に進むことにする。そろそろ時間は15時、幕営地を考える時間になろうとしている。

 袴腰山の直下になるとガスも多くなり、なにやら冷たいものを空から感じた。どうやらこのあたりで幕営にしようと考えた。幸いにも樹林の中で、風は強くなさそうだ。それに獣の足跡が皆無だったのが気に入った。標高は1970m地点、袴腰山山頂までは70mの標高差だ。

 雪の上を整地してテントを張り、中に入って横になるとすっかりと落ち着いてしまった。持参したビールを飲み、ウイスキーのポケット瓶を半分ほど空けると、睡魔が襲ってきた。日没は18時半、ラジオを聞いて時間を過ごし、周りが暗くなるのを待ちかねて寝袋の中に入った。
樹林の中の天幕場
4月27日(日)

 Tシャツ、カッターシャツ、セーター、フリース、ジャンパーを着込んで寝袋に入ったのだが寒さで2時頃に目が覚めてしまった。今回は軽量化の意味で夏用の寝袋を持ってきたのが悪かったのかもしれぬ。日の出は5時頃であるから、まだまだ時間はある。しかし、眠ることも出来ず、意識のあるままで4時半まで横になった。

 4時半になるとさすがに明るくなり、起き出してストーブに火を点けるとテントの中が一気に暖かくなった。テントの中から顔を出して外を見ると、外はガスがかかってあまり天候が良いとは感じなかった。ラジオの天気予報を聞いてみると、午前中は曇っているが午後は回復するという。ゆっくりとコーヒーを飲みながら、今日の予定を考えた。出来れば黒岩山まで行きたかったのが、どうしても気分が乗らない。それはこの天候のせいなのかもしれない。結局テントを畳んで出発したのは7時少し前だった。今日は袴腰山に登り、そのままゆっくりと往路を下山することにした。

 袴腰山へのルートはコンパスをセットして、高みに向かって登るだけだ。シラビソの葉は霧氷で表面が白くなっているい。つまでたっても変化のない登りで、ガスの中に立木が浮かんでいる光景がいつまでも続いていた。やがてその登りも左側が切れ落ちたような尾根に着いた。この下は深い谷になっているのだろうが、ガスに阻まれてそれは確認できない。そのまま尾根を登り詰めるとわずかな時間で山頂にたどり着いた。山頂を示すものは発見できなかったので、念のためにGPSで位置を確認して置いた。展望はガスに阻まれて、何も見ることは出来なかった。袴腰山山頂付近の霧氷

 帰りは登ってきたルートを辿って帰ったが、尾瀬沼に着く頃にはすっかり天気は回復して、眩しい日射しの中で燧ヶ岳を見ることが出来た。それにしても前日と違って、とんでもない賑わいの観光地と化した尾瀬沼は妙な感じを受けた。しかし、時間も十分にあるので沼の周囲をゆっくりと散策したり、立ち止まったりして時間を過ごした。

 この次はあらためて、ルートを考えてこの周辺を歩いてみようと心に誓った。








4月26日
大清水駐車場07:05--(1.02)--08:07一ノ瀬休憩所--(.45)--08:52岩清水09:05--(.36)--09:41三平峠--(.10)--09:51三平下(尾瀬沼)--(.25)--10:16長蔵小屋10:42--(1.41)--12:23檜高山12:41--(.48)--13:29小淵沢田代--(.53)--14:22送電線鉄塔--(.45)--15:07幕営(袴腰山直下)

4月27日
幕営06:44--(.26)--07:10袴腰山07:20--(.33)--07:53鉄塔--(.18)--08:11小淵沢田代08:23--(.59)--09:22尾瀬沼10:36--(.17)--10:53三平峠--(.46)--11:39一ノ瀬休憩所11:50--(.39)--12:29大清水


   群馬山岳移動通信/2003/