奥秩父で20世紀最後の山を楽しむ 登山日2000年12月30日


武甲山(ぶこうさん)標高1295m 埼玉県秩父市・秩父郡/小持山(こもちやま)標高1273m 埼玉県秩父市・秩父郡/大持山(おおもちやま)標高1294m 埼玉県秩父市・秩父郡/武川岳(たけかわだけ)標高1052m 埼玉県秩父郡・入間郡

12月30日(土)

 武甲山は奥秩父の名峰であり盟主である。しかし、石灰石の採掘とともにその姿は変化していく山でもある。ひょんな事から、20世紀最後の山行を武甲山にしようという事になった。メンバーは猫吉さん.駄馬と私の3人である。

 前日(当日)は忘年会で、就寝が午前2時だったが、駄馬が自宅に迎えに来てくれたのは5時ちょっと過ぎだった。したがって睡眠時間は3時間、まだ酒が残っている状態で駄馬の車に乗り込んだ。

 猫吉さんと待ち合わせの場所である西武秩父線の横瀬駅に着いたのは、まだ薄暗い6時40分頃だった。待ち合わせの時間まで1時間ほどあるので、支度をしながら時間を過ごした。ここから見る武甲山は山肌が削られ、石灰石が白く見えるので、さながら雪が降ったように見える。それにしても21年間の採掘の結果を目で見ると、よく削ったと見るべきなのか、大きな山は21年でもすべてを崩すことが出来ないのか、感慨深いものがある。

 やがて、猫吉さんが到着して全員が揃ったところで、いよいよ登山口に向かうことになった。今回は武甲山だけでは物足りないので、小持山、大持山、武川岳まで足を延ばすことになった。車の回収を考えるとどうしても、生川地区の二の鳥居あたりから登ることになる。石灰石の粉塵が堆積した道を登りあげると、釣り堀の標識と大きな鳥居が、沢を挟んで右手にあらわれる。苔むした狛犬が4頭、鳥居の前にいるのだが、いつも見慣れたものとは違って、精悍な顔立ちで狼とも見える姿だった。
二の鳥居
 二の鳥居の付近の駐車余地に車を置いて早速歩き出す。今回は駄馬は一番若いこともあり、重い荷物を一手に引き受けて背負っている。45リットルザックに、宴会の材料と日本酒18リットル、ビール2本が入っている。猫吉さんと私は必要最小限のものを持ってまるで大名気分である。それもその筈で、昨日の酒がまだ残っていて、ちょっと足元が怪しいので、先行する二人に追いつくのが大変だった。

 沢の左岸に付けられた道は、釣り堀の敷地内を縫って登っている。30分ほど歩いたところで幅に広い道も終わり、山道に入りいよいよ山歩きの雰囲気が出てきた。道の傍らには丁目石が頻繁に現れ、この山が信仰の山であることがわかる。もっともこの道は表参道と呼ばれるから、これもうなずけるわけだ。

 道は杉林の中を稲妻のように右に左に折れながら、ゆっくりと高度を上げていく。時折Tシャツが木の枝に掛けられているのだが、何の意味があるのか不明だ。ともかく都会に近い山であるからなにがあっても不思議はないだろう。
 やがて大きな杉が落雷でやられたのだろうか?その杉は立ち枯れて表面は黒くなっていた。まるで大きなオブジェを何者かが作ってそこに置いたようになってる。しばらくこの杉を鑑賞してから先に進むと、すぐに大杉の広場と言われる露土の場所に着いた。この地点から山頂までは約50分と標識にあるから、山頂はもうすぐである。しかし、猫吉さんがまだこの場所に到着していない。下の方からせき込む声が聞こえるところを見ると、ヒマラヤの風邪がまだ抜けていないのだろうか。ともかくこの迷うことのないこの道ならば、心配することもないだろう。それに単独行の多い猫吉さんならば、自分のペースで登ることが一番良いだろう。そこで駄馬と先に行くことにした。
小持山へ分岐(十字路になっている)
大杉の広場から20分ほど歩くと、鬱蒼とした杉林を抜けてた。そして南側が開け日溜まりの気持ちの和む道に変わった。こうなると気持ちがウキウキしてくるから不思議なものだ。さらに道には丸太による階段まで設置されて、至れり尽くせりである。その階段を10分ほどで登り切ると標識とベンチのある大持山方面との分岐に出た。ここから山頂までは5分とあるが、今日の最長老である猫吉さんを待つことにした。

 なにしろ今回の山行は、彼が今世紀に思い残したことがあるというのが発端である。それは武甲山に過去3回登っているが、まだ無線運用をしたことがないので残念だと言うことだった。そこに我々が便乗したと言うことなのである。彼がここに到着するまでの間、青く霞んだ大持山方面を眺めて過ごした。
やがて、ちょっと疲れの見えた猫吉さんが到着したので、そのまま山頂を目指した。すぐに武甲山御嶽山神社の本殿があらわれた。昭和54年の石灰石採掘の4年前に山頂を追われて、ここに移設されたものだ。それから20年も経つと、それなりの古い雰囲気が出ている社だった。丁目石は五二丁目で終わっており、なにか中途半端であるとも思われた。

 本殿を右から巻いてさらに上部を目指すが、途中に鐘楼もありそれらを眺めながら猫吉さんを先頭に登った。すると突然目の前が開け、秩父市内が一望に見渡せる場所に着いた。ところがここには柵が設置されており先には行くことが出来ない。展望台の矢印の指示に従って左に折れてそちらに向かったが、そこもやはり柵があり展望もいまひとつだった。おなじみの山座同定の方向盤があったが、なんとそれが可動式(?)で当てにならない。ひときわ目立つ白い浅間山に合わせて、かろうじて同定をすることが出来た。

 それにしても。下から見るのと上から見るのでは武甲山の開発はずいぶんと違って見える。上から見る方が凄まじい限りで、かつての西上州の叶山とは違った印象である。なにしろ叶山は何のためらいもなく、山頂から徐々に削っていく事もあるし、登山の対象となっていないから違うのだろう。
御嶽山神社の本殿
武甲山の二等三角点
 ところで、三角点がどこにあるのかわからずにウロウロしてしまった。山頂は削り取られて40.7メートル低くなり、それに伴い三角点も移設されたはずである。GPSを取り出して地形図と合わせてみたが、そこまで読みとることは出来なかった。念願の無線運用も終了して、山頂を去ることになった。すると駄馬が「こんなところに三角点がある」と声を出した。見れば二等三角点が、大切に石組みをした台の上に置いてあった。場所は行くときに横目で見ていた鐘楼の傍だった。
武甲山からシラジクボの鞍部へ
 武甲山々頂を離れて、小持山に向かってもったいないほど高度を下げる。道は左側(横瀬町)が檜の植林、右側(秩父市)が雑木林となっていた。その境界は防火帯にもなっているのだろうか、刈り払いがされて歩きやすくなっている。駄馬は快調に先を急いで視界から消えていった。私と猫吉さんはあとからトボトボと、景色を愛でながらストックを使いながら下った。

 下りきったところがシラジクボで標高1088メートルだから、武甲山から200メートルほど下り、これから小持山までは200メートルを登り返すわけだ。しかし、道はよく踏まれており、特に難しいものではない。振り返れば武甲山が穏やかな姿で、冬空に浮かんでいた。道は相変わらず広く歩きやすく、ハイキングコースとしては最高である。
 シラジクボから30分ほど登ると小持山の山頂だった。先行した駄馬は無線運用の真っ最中であった。こちらも慌てて無線機を出して、八王子の移動と交信しておいた。さらに遅れて猫吉さんがあとから山頂に到着した。かなり疲れ気味で、体調も芳しくないようだ。それに時間が12時を回った事もあり、シャリバテ気味でもあるらしい。これから猫吉さんが無線運用をするまでの間、駄馬と先行して宴会場の場所探しをすることにした。なにしろ山頂標識のあるところでは、大騒ぎをすれば迷惑になるのが明らかだからだ。
小持山山頂
宴会の真っ最中(真ん中の人間が酔っぱらっている私)
 先行して10分も歩くと、西側が切れ落ちて開けた露岩の場所に着いた。展望もよく、両神山の特徴ある山稜も見えている。ともかくここを宴会場にして、落ち着くことにした。まずはコンロを出して、おでんを温めることにした。いい匂いがあたりに充満したところで、長老の猫吉さんが到着した。そしておもむろに焼酎をザックから取り出したが、まずはビールで乾杯となった。おでんは見る間になくなり、次はニンニクの芽のたっぷりと入ったモツ煮になった。ビールもすぐになくなり、次は日本酒となったが、さすがに一升は空けることは出来なかった。そのあとは、いろんな四方山話に花が咲いて、あっという間に2時間が経過していた。

 宴会が終わって立ち上がったら、朝よりも足元が怪しい。岩場のバランスがどうにもうまくいかない。これは困ったと思ったが、歩かないことには前に進まない。ちょっと遅れて大持山に到着した。展望はそれほど良くなく、三角点と標識が山頂であることを示していた。無線も面倒になり、奥の手QSOで猫吉さん、駄馬と交信して終了した。

妻坂峠から見る武甲山
 大持山から5分も歩くと、分岐に到着する。鳥首峠との道を分けて妻坂峠の道に入る。駄馬は相変わらず健脚で、ひとりで先行して先に妻坂峠に向かった。相変わらず私と猫吉さんは荷物が軽いにも関わらず、マイペースでその後を追った。

 妻坂峠への下りの道は、最初のうちこそなだらかで鼻歌まじりであった。しかし、下るにつれて俄に坂道は急になり、とてもまともには下れなくなってしまった。近くの灌木につかまりながら慎重に下ることになった。そのうちに登山道がおそらく雨で流されて、深い溝を作ったのであろう。その溝に沿って土嚢が延々と敷き詰められ、補修されている場所に出た。はじめは土嚢の上を歩いていたのだが、次第に歩きにくくなり、ついには端に避けて歩くことになった。これではイタチゴッコで、新たな土砂の流出を広げる事になるのだろう。武甲山の石灰岩の採掘も凄いが、登山者の踏み跡もなかなかな物だと思った。

 嫌らしい下り道を下りきると、そこが妻坂峠だった。妻坂峠とはなんと良い響きの名前なのであろうか。なにか素晴らしいところのようにも思うが、展望は武甲山の一部が見える程度で平凡だった。この峠は十字路になっており、お地蔵様がひっそりと枯れ草に埋まりかけていた。その傍には駄馬のザックが放置されており、空身で武川岳に先に登った事がわかった。標識に寄れば武川岳まで45分であるが、空身ならもう少しは早くなるだろう。猫吉さんを誘ったが、どうやら疲れて武川岳はパスして下山したいという。ともかく駄馬が山頂で待っているので、途中まででも登って見なくてはいけない。ここで猫吉さんとは別れて、単独で駄馬の後を追いかけた。(まあ、いざとなれば無線機もあるから連絡は何とでもなる)
武川岳山頂は広い 

 空身ではちょっとまずいので、ジャケットとカメラを持って登った。しかし空身に変わりはなく、快適に歩くことが出来た。妻坂峠から最初の肩までは、かなりの急登で一直線に近い鉄砲登りだったが、そこを過ぎると道はなだらかになった。あまりの快適さに鼻歌も出そうになった。このあたりは春になると、カタクリの花の名所になるらしいが、その様子を想像しただけでも楽しい。いくつかのコブを越えて歩くと、明るく切り開かれた武川岳の山頂がそこにあった。妻坂峠から22分だったから、空身と言うのはいかに楽なのかと実感した。

 山頂では駄馬がすでに無線の運用をはじめていて、ベンチに腰掛けてメモを取っていた。薄暗くなりかけた山頂からは南の方角が開けていたが、このあたりは全くの知識もないために山座同定は出来なかった。

 駄馬の交信が途切れたところで、こちらも奥の手で駄馬と交信して、QSLを確保した。その後、記念写真を撮影したら、デジカメの電池が切れ、メモリーもいっぱいになり、カメラはザックの中にしまうことになった。日暮れも近く、猫吉さんが下で待っていることもあり、早々に下山することになった。

 カモシカのごとく山道を駆け下りる駄馬の後を追って、這々の体で妻坂峠に降りるとそこには猫吉さんの姿はなく、すでに峠を降りたようだった。

 妻坂峠からはやはり幅の広い山道を下り、林道に突き当たった。その林道を左に向かいそのまま歩いていくと、大きなY字路に出くわした。はたしてどちらに行ったらよいものか、しばらく迷ったが、結局は右に緩やかに曲がる道を下ることにした。さらに進むとなにやら人影が見えるではないか。近づいてみるとそれは猫吉さんだった。なんでも林道に突き当たったら、そのまま突っ切って再び山道に入れば良かったとのこと。地図にない林道に結局は振り回された格好になった。休憩後ともかく、二の鳥居に着いたときはあたりはすっかり暗くなっていた。

 20世紀最後の山を、素晴らしい仲間と過ごしたことに満足しながら帰路についた。


「記録」

武甲山御嶽山神社二の鳥居08:01--(1.20)--09:21大杉の広場--(.36)--09:57大持山分岐10:14--(.07)--御嶽山神社10:21--(.04)--10:25武甲山山頂10:53--(.24)--11:17シラジクボ--(.36)--11:53小持山山頂12:08--(.10)--12:18(宴会)14:11--(.13)--14:24大持山14:33--(.49)--15:20妻坂峠15:22--(.22)--15:44武川岳15:50--(.12)--16:02妻坂峠--(0.25)--16:27休憩16:41--(.14)--16:55二の鳥居


群馬山岳移動通信/2000/