栗原さんの案内で「弁天山(野反湖)」
登山日1995年7月30日


弁天山(べんてんやま)標高1653m 群馬県吾妻郡
弁天山山頂三角点
 7月30日(日)

 前日は村の盆踊りでちょっと疲れ気味。子供も「八木節踊り」の後遺症なのか眠そうだしかしこうも暑いとつい山に逃げ出したくなる。どうしても山の湖の冷たい水の中に足を浸してゆっくりとしたいと思った。行き先は野反湖周辺と決めて自宅を出発したのは9時少し前だった。車のエアコンを最強にしているのだが、それでも車内は暑い感じがする。野反湖への道を登り始めると少しは暑さが和らいだような気がした。430Mhzのメインを聞いていると、なつかしいJS1JDS/栗原さんの声が聞こえてきた。聞けば奥さんと八間山にいるという事で、まさに我々が向かっている先にいるので驚いた。

 野反峠の駐車場はかなり満車に近い、その一角に駐車して歩き始めた。栗原さんに会いたいのだが、八間山に行くと湖から離れてしまう。迷った挙げ句に選んだのは八間山とは反対の弁天山だった。何しろ湖の冷たい水に足を入れたいという気持ちの方が強かったからだ。

 歩き始めるとまわりの草原状の原は花が美しい。ニッコウキスゲ、ハクサンフウロ、イブキトラノオ、と言った花が目についた。無線機をとりだし栗原さんを呼び出す。

「大塚さん、弁天山は弁天様の石像があるところでなくて、その先ですから間違えないようにして下さい」

「良くわからないけど、とにかく石像があるところは弁天山ではない事だけは解った」

 そんな交信をしてとりあえず無線機のスイッチはOFFとした。

 歩き始めて15分くらいで最初のピークに立った。たしかにここには弁天様の石像があり、標識には「弁天山山頂」の文字が見えている。しかしここは山頂では無いと言うことなのでそのまま通り過ぎた。潅木につかまりながら、結構急な下り坂を降りると、土が露出した場所に着いた。その先に弁天山らしきピークが見えていたが、それに続く登山道は見あたらない。そのピークを巻くように右に明瞭な道があるだけだ。

 とりあえず、その巻き道を行く事にした。

 しかし何という事か、巻き道はその目指す弁天山のピークを通り過ぎてしまった。どこにもそのピークに登り上げる道は見あたらなかった。再び栗原さんを呼び出す事にした。すると答はこうだった。

「その時には土が露出した所から、刈り払いがされたルートがあった」

しかたなく、再び先ほどの場所に戻る事にした。

 そして、刈り払いがされた場所を探したが、さっぱり解らない。そこで初めて2万5千分の1の地形図を取りだした。(初めからこれを取り出せば良かった)そして改めて見直すと弁天山は、間違いなく目の前にあるピークだ。ところが登山道は全く記されていないではないか、これでは見つかるわけはない。こうなればしかたない適当に笹原を登り上げるしかない。子供と笹原の中に足を踏み入れた、それでも20mほど進んだろうか。子供の背丈程もある笹についに子供が音を上げた。それも無理はないことで、私も子供も短パンで、笹の葉が露出した肌に切り込んでくるので痛いのだ。

 とりあえず断念して元に戻った。しかしどうしても気がすまないので、今度は私が一人で登る事にした。子供は土が露出したこの場所で昼食をさせながら待機をさせる事にした。無線機を持たせ、430Mhzメインで連絡を取り合う事にした。

 笹原の急登は結構きついものがある。なにしろ笹が下に向かって生えているものだから、登る人間を拒んでいるようでもある。汗が笹の葉に傷つけられた肌に滲みて痛い。それでも何とか時間が過ぎると山頂が近くなってきた。そしてひょこりと砂礫の斜面に出た。そこで、何故この弁天山に登山道が付けられていないのか、その理由が解った。そして、これからもこの山には登山道は付けてはならぬと思った。

 砂礫の斜面から少し登ると、お馴染みの赤白の測量のダンダラ棒、そして待望の三等三角点が待っていた。山頂標識は無く、傍らには小さな石祠があった。ここで再び栗原さんと交信したが、生憎今日はこれで用事があるので、先に帰るとの事だった。楽しみにしていたアイボールは実現出来なかった。それから下で待っている子供と交信して、山頂をあとにした。

 昼食をすませてあとは野反湖に一目散にかけ降りた。

 野反湖の冷たい水に足を入れると、数分しか入れていられない。それでも子供と湖面を渡ってくる風に吹かれながら、水の中に何度も足を入れてはのんびりと時間を過ごした。

「記録」
(あまりにも寄り道をしたので細かい記録出来ず到着時刻のみ記録した)

野反峠11:25------12:13弁天山------13:10野反湖湖畔------14:10野反峠



                      群馬山岳移動通信/1995/