静かな登頂コース「バラギ湖から四阿山」
登山日1996年6月1日


浦倉山(うらくらやま)標高2091m 群馬県吾妻郡・長野県須坂市/四阿山(あずまやさん)標高2354m 群馬県吾妻郡・長野県須坂市・長野県小県郡/茨木山(ばらぎさん)標高1619m 群馬県吾妻郡
四阿山山頂
「浦倉山」「四阿山」「茨木山」


6月1日(土)

 群馬県吾妻郡嬬恋村の「県立バラギ高原青少年野外活動センター」の管理棟前の駐車場でカッコウの鳴き声で目が覚めた。そう書くと聞こえがいいが、カッコウの声があまりにもうるさかったので、朝の5時に目が覚めてしまったのだ。昨夜はここで午前1時頃に眠りについたので、本当はもっと眠りたいと言うのが本音だ。隣のデリカの中で眠っている猫吉さんは、まだ起きてはいないようだ。猫吉さんが起きるまでの時間に着替えを済ませ、食事をとり、準備を整えた。そしてそれらをほとんど済ませると、猫吉さんが起きてきた。お互いに四阿山の方角の空を見ると、どうも中腹から上はガスが巻いて盛んに動いている。さらに頭上はどんよりと雲が覆っていた。しかし登るのを止めようとは、思わなかった。

 地形図をあらためてひろげてコースを検討する。その結果、パルコールつまごいスキー場の駐車場から浦倉山に登り稜線を辿って四阿山に向かう、そして下山は茨木山経由で下りる事にした。当日になってコースを決めるところなどは、計画性がないと言う事なのであろうか。

 車は二台を分けてそれぞれに配置する事として、まずは下山口である専大セミナーハウスに向かう。さすがにこの施設の駐車場に車を置くのは気が引けるので、そばの空き地に猫吉さんのデリカを置いた。それから私の車でパルコールつまごいスキー場に向かうことにする。スキー場に近づくにつれて、こんな山の中にはふさわしくないような、立派なペンションやホテルが次々に現れた。そしてスキー場のゲートを通過して中に入ると、とてつもなく広い駐車場に到着した。ここに車を止めようとすると、猫吉さんが「もっと先まで行きましょう」と言う。見ればその方向は道の入り口に柵が置いてあるが、そのすき間は車が通れるだけの余地がある。その言葉に従って車を先に進めると、そこは舗装のされていない道で、さらにその先に駐車余地がありそこに車を置く事にした。

 かなり強い風が吹く中を支度をして歩き出す。道は「野地平(やちだいら)」の標識があり、迷う事もなさそうだ。道はスキー場のゲレンデを離れて林の中に入る。歩き始めはなかなか調子が出ない。展望の無い林の中を歩くのは余計に調子が出ないような気がする。

 さしたる登りもなく沢にかかる小さな橋を渡り、先に進むと急に目の前がひらけた。そこが野地平で笹原と湿原が広がり、木道がその先に延びていた。以前ここに来たときはここは菖蒲が咲き、学生の団体が来ていたのだが、今日は全く人の気配がない。木道に腰掛けて早速休憩となった。

 野地平はその周囲を歩けるようになっているが、浦倉山に向かうにはこの入り口から西の山に向かって歩く事になる。ここのあたりの登山道は、ショウジョウバカマがかなり咲いており、それを踏まないように歩くのはなかなか難しい。この花の形は花火のようであり、雪解けの野山に咲く好きな花のひとつだ。

 やがて道は笹薮の中を進む事になるが、良く踏まれており歩き易い。傾斜も緩やかで地形図を見てこちらから登る事を選んで良かったと思った。しかし気になるのはその道に無数に赤い生き物が動いているのである。大きさは数ミリでクモのようでもあり、はたまたダニの様でもある。色からしてあまり気持ちの良いものではない。(この正体を知っている方はいませんか?)野地平から30分ほど歩くと標高1800メートル付近になったので、腰をおろして休憩とした。ほどなく後ろを歩いていた猫吉さんが到着して、なぜか申し合わせたように「胡麻大福」を頬張った。

 このあたりからガスの中に入ったので、見通しが利かなくなってきた。さらに雪が現れて、その雪が夏道を隠してしまうのである。そしてその雪が消えたときに夏道がわからなくなってくる。なぜ夏道を探すのかと言えば、笹薮がひどく夏道の踏みあとを歩かなければ、とんでもない苦労をするわけだ。こんな事ならば雪はあるか、無いかどちらか一方のほうが歩き易い。さらに今日はスパッツを忘れてきているので、雪の中に踏み込まないように歩くのはちょっと神経をつかった。

 そして笹薮の中に「四阿山」を指している標識が現れて、そこを左に曲がると「浦倉山」山頂があった。なにか登山道の途中にある見過ごしてしまうようなピークだ。それが証拠にこの場所は「至米子不動・須坂」と書いた標識もあり、その方向には立派な道が延びていた。山頂にはGさんの山頂標識と群大WV部の標識があった。早速、猫吉さんが三脚をとりだしてカメラをセットしてくれたので記念撮影をした。それからはアマチュア無線業務の開始だ。猫吉さんは430Mhzのスイッチをいれて「ここは素晴らしいロケーションだ」と感動している。私は一応ピコ6+DPをセットしたあとに、1200Mhzを取り出し念のためにCQを出してみた。なんとすぐに応答があり、QSLの確保も出来てしまった。これでは6mで運用する気にもなれず、周波数のダイヤルをグルッと回しただけで、ザックの中にしまい込んだ。

 さて浦倉山をあとにして四阿山に向けて出発だ。いつしか天候は回復して、陽射しが暑いくらいだ。さらに展望もひらけて横手山の電波塔もわかるようになってきた。浦倉山から少し歩いたところで、いきなり雪が現れて夏道が消えてしまった。猫吉さんと道を探してわずかな距離を右往左往してしまった。そして斜面を下ったところにあるスキーリフトの終点の建物に出てしまった。立派な建物であるが、スキーシーズン以外はなんの役にもたたない建物だ。もっとも夏場の登山の緊急用の避難小屋としては使えるかもしれない。スキー場のゲレンデの縁を辿って進むと、さらに規模は小さいがやはりリフトの終点の建物に着いた。ここも裏をまわってさらにゲレンデの縁を歩いた。しかしこの縁を歩いていたのでは稜線から外れてしまうので、適当なところで稜線の尾根に戻らねばならない。こうなると地形図とにらめっこしてから、あとは勘に頼って行くしかない。そこで適当なところで尾根に入ったら、なんと数メートルで夏道が姿を現した。

 夏道は現れたが、すぐに雪に覆われてその道は消えてしまった。それでも暫くは立木に赤ペンキのマーキングがあった。しかしそれも肝心なところで、無くなってしまった。再び道を探して二人で右往左往しながら、広い尾根をウロウロしてしまった。それでも今日は天候も良く、目指す四阿山も見えているのでさほどの不安は無い。

 尾根は時折、地形図に表現されていない地形に出会う事がある、2183メートル峰の手前の登りもそうだった。疲れた身体にはこたえる急登で、思わずため息を漏らす程だった。こんな時はつくづくピッケル持参で良かったと思った。

 やっとの思いでその斜面を登り、上部に立つとなんとそこには階段状の登山道が雪の無いところで現れていた。これはこのコースは夏道の方がはるかに分かりやすく歩き易いと思われる。疲れを取るために、ここで猫吉さんと再び山座同定を楽しんだ。やはり目の前にある浅間山が際だち、それに連なる寄生火山が美しい。そして眼下にはバラギ湖と田代湖が輝いていた。

 再び歩き続け2189メートル峰を越えて再び登りあげたところで、先を歩いていた猫吉さんがそこにあった標識を見てなにかわめいている。そこには「四阿山4K」と書いてあった。これはおかしい、地形図を取り出して確認すると、どう見ても直線で500メートル程度しかない。明らかにこれはミスと言えるだろう。

 この標識から6分ほど登るとそこに再び標識があり「茨木山」に続く尾根を示していた。帰りはこの分岐から尾根道を通り帰る事になるのだ。ひとまず四阿山に向かって登り出す事にした。目指す山頂はあとわずかだ。

 鎖が設置された斜面をわずかに登ると、二等三角点の文字のあるピークに着いた。ここはあくまで三角点のある場所で、四阿山はその先である。再び鎖の設置してある斜面を登ると、そこが四阿山山頂だった。自分としては実に22年ぶりの登頂だった。(もっともこの時は菅平牧場から登ったのだが)

 まずは記念撮影と思い信州祠のところにある標識の前で腰を下ろしたが、ひっきりなしに登山者がやってきてそれどころではない。しかたなく上州祠の方に移動して、食事と無線を先に片づける事にした。そこで上州祠の風よけの石組みの上に陣取って腰を下ろした。

 すると気になる行動をしている女性がいる。なんと一人で4メートル程度のポールを立てて、ダイポールを張っているではないか。どうやら6mの運用をするらしい。山の上で無線の移動運用を行うYLは見た事がない、興味が出たので声を掛けてみる事にした。
「6メーターですか?」
「そうです」
「それでは山と無線の事は知っていますか?」
「知っていますよ、タヌキですけどHPも見ています」
「私はHXF、あちらはKQAです」
「あの方が猫吉さんですか」(やはり猫吉さんは有名だった)

あとで確認するとそのYL局は練馬で、かなりベテランの局であった。根子岳から来て鳥居峠に下ると言う。そして山頂滞在30分ほどで、時間が無いとアンテナをたたみ慌ただしく下山して行った。

 こちらはあいかわらず、素晴らしい展望を楽しみながら、1200MhzでのんびりとQSO。ここで430Mhzで運用していた猫吉さんが、HIG/林さんとQSO出来た。私も時間を空けてもらい林さんとショートQSOとなった。その後猫吉さんは眠いと20分程度枯れ草の上で仰向けになり、眠ってしまった。しかしこんな事ばかりしてはいられない。山頂での展望を再び目に焼き付け、やっと人の少なくなった山頂で記念撮影をして下山にとりかかった。

 下山はほとんどの全ての人が鳥居峠に行くようで、茨木山方面に向かうのは猫吉さんと二人だけになってしまった。登って来るときもそうだったが、下山もどうやら人に会う事はなさそうだ。登って来る時に通過した分岐点に着いた。しかし標識の方向がおかしい事に気付いた。地形図を取り出しコンパスで確認すると明らかに違う。そこで地形図に書いてある尾根に沿って下る事にした。するとすぐに夏道の一部が見えて、標識を信用しなくて良かったとこの時は思った。この先は恐ろしい程の急斜面を下る事になった。

 2185m峰の地点に着いたところで、疲れて早々にザックを放り投げて腰を下ろした。猫吉さんが持参したグレープフルーツをいただいてなんとか体力が回復したようだ。さて下山なのだが、なぜか疲れるのである。それは単調な道だったからかも知れない。途中で「村指定天然記念物・鬼岩」の標識が現れた。これは地形図とは明らかに異なった場所にある。道はこの鬼岩の基部を巻いているので、その道からこの鬼岩を見て驚いた。まさに鬼が巨大な岩をいくつも積み重ねて作ったようになっている。そして最上部の岩は今にも落ちるかのようになったいた。

 鬼岩から長い道をいくつかのピークを越えて歩いた。つくづく今回はこの茨木山経由で四阿山に登らなくてよかったと思った。これだけの距離と急登を登ったら、きっとバテていたに違いない。

 ツツジの花が多くなり、カラマツの芽吹きが始まった林を抜けるとそこが茨木山山頂だった。山頂から少し下がったところに三角点が設置してあった。ここでも記念撮影をしてそれから無線機を取り出した。しかしお互いに無線を気合いをいれてやる元気がない。結局は奥の手QSOで済ませてしまった。

 疲れた身体に鞭打って茨木山山頂をあとにして、下山開始だ。今度の道は広くてしっかりしており、それだけ利用が多いのだろうと思う。そして沢音が大きくなり、宇田沢左俣に着き若干水分を補給した。

 これからは林の中を一気にデリカを置いてある、専大セミナーハウスまで急いだ。この前の「小出俣山」と違って、今回は日没までになんとか車に乗り込む事が出来た。

 その後、気になっていた日光周辺の山の情報を猫吉さんから貰い、充実した山行を振り返りながら家路についた。




「記録」

 スキー場駐車場07:23--(.30)--07:53野地平08:07--(.30)--08:37休憩08:50--(.46)--09:36浦倉山10:32--(1.17)--11:492183m峰--(.37)--12:26分岐--(.28)--12:54三角点峰--(.06)--13:00四阿山14:43--(.42)--15:252065m峰15:38--(.16)--15:54鬼岩--(.48)--16:42茨木山17:13--(.16)--17:29宇田沢左又--(.27)--17:56専修大学セミナーハウス



                   群馬山岳移動通信/1996/