予定外の道(中央稜)を歩く「阿弥陀岳(八ヶ岳)」 登山日2007年8月18日


ヤマオダマキ
ミネウスユキソウ
タテヤマウツボグサイワオトギリ
ミヤマダイモンジソウヒメシャジン
トウヤクリンドウタカネツメクサ
イブキジャコウソウミヤマコゴメグサ
タカネヒゴタイタカネマツムシソウ
ミヤマアケボノソウタカネグンナイフウロ




御小屋山(おこや山)標高2137m 長野県茅野市・諏訪郡/阿弥陀岳(あみだだけ)標高2805m 長野県茅野市・諏訪郡

八ヶ岳南部の山に登ると、主峰である赤岳の横に聳える阿弥陀岳は実に魅力的に見える。標高は赤岳よりも94m低いとはいえ、2805mの高さを誇るその姿は立派なものである。群馬からのアプローチを考えると、どうしても八ヶ岳の東側を登山口として選んでしまう。日帰りを条件とすると、阿弥陀岳は西側から登ることが条件であるから、どうしても疎遠となってしまっていた。


8月18日(土)
例年8月と9月は野暮用が多すぎて山に行くことが難しい。これも会社勤めと農家の長男と言うことの宿命なのだろう。なんとか一日だけ山に登る時間を作ることができた。午前2時に自宅を出発、野辺山、清里をすぎて八ヶ岳横断道路に入ると空は白々と明けてきた。富士見高原を過ぎる頃には、夜はすっかり明けて朝霧がわずかに立ちこめてきた。登山口は「舟山十字路」と決めていたのだが、私のナビにはそれらしき場所が表現されていない。しかたなく、それらしき場所をセットして進んだ。まだ灯りのともらない別荘地の中に入り、舗装道路沿い登っていく。別荘地の中は複雑で迷路のようになっている。とりあえず高いところに向かって走ることにした。しかし、道は最高所地点に着いても登山道らしきものは見あたらない。結局、仕切り直しで元に戻って登山口を探すことにした。今度は美濃戸口の先を進んで同じように別荘地を抜けて高い地点に向かって行くと、舗装が途切れてとんでもない悪路となった。無理して進むと100m位で行き止まりとなった。そこには「阿弥陀岳→」の標識があった。車から降りて支度をはじめることにした。ところが、エアリアマップを見ると、ここから阿弥陀岳までの道は最短距離ではあるが、どうも気が進まない。時間はまだ5時なので、再度「舟山十字路」を目指すことにした。今度はエアリアマップを見ながら別荘地の中に入る。舗装路をほとんど直線的に上って行くと道が大きく左に曲がるところがある。ところが左に曲がらずにそのまま上部に進む道がある。この道は舗装されていないが、広くて整備もされているようだ。しかし、標識が無いのが気にかかるが、ともかくこの道を辿ることにした。松林の中を走ると、やがて駐車してある車が見えた。車は3台で、そのうちの1台は登山者が支度をしていた。道の先はしっかりとしたゲートがあり閉じられていた。しかし、「舟山十字路」の名前と違って、ここは十字路になっていないで、「┣」の字になっている。昔は十字路になっていたのだろうか?適当な駐車余地に停車して支度を整えた。


舟山十字路南陵方面分岐



林道のゲートをくぐって、鬱蒼とした針葉樹林の中を歩く。3分ほどで林道は直進と左に分岐することになる。標識があり直進は「南陵ルート(一般ルートではありません)」と書いてあり、左は「御小屋尾根ルート」とあった。ここは迷わず左のルートを選択した。林道は荒れ放題の様子で、ゲートが開いていたとしても車で入るのはちょっと考えてしまう様だった。林道の傍らにはホタルブクロやヨツバヒヨドリが連なっていた。

標高1800m付近で林道は終わって、いよいよ登山道に入ることになる。するとすぐに「虎姫神社(50m)」の標識がある。わずかな距離であるが、この先のことを考えると余分な寄り道はしたくないので、このまま進むことにする。鮮やかなマルバタケブキの花の脇を過ぎて道は針葉樹林の中を進んでいく。石仏が数体現れるところを見ると、この道は古くから使われているのだろう。それよりもこの道で一番目に着くものは「境界改 広河原山四区」と書かれた卒塔婆のような板である。毎年、確認がされているようで、何枚もの板が一カ所にまとめておいてあった。これが数十メートルごとに設置してあるものだから、目立つことは間違いない。どうやらこの標識はマツタケの利権が絡んでいるようなので、こうやって管理されているらしい。


財産区境界改不動清水入口



6時40分頃古ぼけた標識のある場所に着いた。分岐を示しているようだが、その示す先にある道は草に覆われて使われていないように見える。エアリアマップで見るとこれは、諏訪神社奥社から破線で来ている道と思われる。この先はちょっとだけ展望が開けて木曽駒ヶ岳あたりの風景が遠望できる。しかし、それもピンポイントの地点だけで、すぐに樹林帯に入ってしまう。時間はまだ7時過ぎというのに、今年の猛暑を彷彿とさせるような強烈な日差しが樹林の隙間から差し込んでいる。この分だと今日は暑くなりそうだ。だらだらと歩いていると、再び大きな標識と道が分岐している場所に到着した。標識には「御小屋山」と書いてあり、分岐しているしっかりとした道には「美濃戸口」と書いてあった。おそらく今朝、一旦は登ることを考えていた場所から続いている道なのだろう。さらに進むと大きな大きな「財産区境界標識」が立っていた。先ほどの分岐よりもこちらの方が高いので、「御小屋山」の山頂はこちらが正解だろう。

歩いている割にはなかなか標高が上がらないもどかしさを感じながら歩くと、やっと登りになってきて安心する。ここで、下山してくる4人ほどのバーティーと出会う。おそらく赤岳あたりの山小屋に泊まったのだろう。そうでなければ、この時間に下ってくるのは無理に違いない。相変わらず展望のない樹林帯を上ると、「不動清水」の大きな標識に出くわした。とにかく、水場は確認しておこうと斜面を巻くような道を辿った。標識から2分ほどできれいな水場に到着した。ここで、ザックをおろして小休止にすることにした。流れる清水で、菓子パンを流し込んだ。

水場からは辿った道を戻らずに、上部に向かう道があるようなのでそれを登った。すると2分ほどで登山道に突き当たった。そこには青いブリキのプレートがあり水場を示していた。ここからはやっと山に登っていると実感できる道になった。振り返ると、針葉樹林から広葉樹林に変わった木々の隙間から下界が見えている。道の脇には花が豊富に咲き乱れていた。それらは秋の花が主となり、連日の猛暑であっても季節が移っていることを実感させられる。


御小屋山山頂木曽駒方面
御小屋尾根を振り返る森林限界から阿弥陀岳山頂



標高2170mのコブのような岩のピークを越えると、樹林帯は背が低くなり周囲の展望が開けてきた。しかし、あいにくとここに来て、山頂部分に掛かっていたガスが降りてきて周囲の視界を閉ざしてしまった。久しぶりの山行であるが、所詮こんなものだろうと、自分の運の悪さを思った。上部に進むに従って岩場が増してきて、それとともに道は荒れてきた。やがて、それは設置してあるロープや、ハイマツの枝につかまらなくては登れなくなってしまった。足場は悪く、ガレた岩が歩くたびに下に向かって崩れていった。これは、下から登ってくる人がいなくて良かったとつくづく思った。この崩壊地のような場所を登り切ると稜線に到着した。

ここには標識があり、右は「中央稜」左は「阿弥陀岳」を示していた。ここで休もうとも考えたが、GPSで確認するとガスで見えないが、山頂はすぐ近くであることがわかった。そこで、ザックを降ろすことなく、このまま山頂に向かうことにした。すると形の良い岩峰が立ちふさがり、一旦は躊躇したが設置してあるロープ、クサリ、ハシゴを使って難なく通過することができた。晴れていれば結構な高度感があり緊張したことだろう。ここからは、ハイマツと背の低いシャクナゲに覆われた中の道を辿ると、わずかな時間で阿弥陀岳山頂に到着した。山頂は裸地で広く山頂標識や石祠、石仏が多数置いてあった。山頂には2人の登山者が休んでおりお互いに雑談を交わした。時間を見るとまだ10時である。なんとなく赤岳に行ってみたい欲求に駆られてしまった。


阿弥陀岳最後の登り、崩壊地となっていた山頂部分はガス
阿弥陀岳山頂中岳を経て赤岳に続く道



とりあえず様子を見ようと、赤岳に向かって歩き出した。道は急傾斜で岩場を下っているようなものである。帰りのことを考えると、この傾斜は嫌だなあと思った。さらに下っていくと、ガスの切れ間から赤岳が見えた。ここで、下山しようとする足が止まった。中岳のコルはまだ遙か下にあり、そこから中岳の登り、そして赤岳に付けられた長い登山ルート。コースタイムでは片道1時間であるが、それ以上の距離に見える。おそらく赤岳に行っても展望は得られないだろうと考えると、足は再び阿弥陀岳に向かって登って行くのだった。

再び阿弥陀岳に到着すると、先ほどとは違う2人が休んでいた。二人とも話し好きで、山頂で賑やかな交歓会となった。そのうちに二人が山頂を離れたので、山頂の離れた一角に陣取って腰を下ろした。冷やしてきたビールの口を開けてゴクリと飲んだ。「うまい!!」赤岳に行かずに正解だった。ここでビールでも飲んでゆっくりしよう。時間はたっぷりある。

山頂でボケー!!としていると、突然メタボリックな男性が岩場を登ってきたらしく、突然現れた。言葉もなく会釈だけをしたが、その後問いかけた。「この岩場を登ってきたのですか?」汗びっしょりのメタボ男性は「南稜を登ってきました。帰りは中央稜を下ります」何という大胆な発言なのだろう。おなかのあたりを見ると、メタボは私よりも進んでいるように見える。その人が単独でここを登ってきたのか!!「南稜」「中央稜」と言うとどうしても谷川岳一ノ倉沢をイメージしてしまうから、大変な場所に違いないと感じた。谷川小唄では「♪ 行こうか戻ろか 南稜テラス 戻りゃおいらの 男がすたる・・・♪」と歌われているのだ。このメタボ男性は私の傍に陣取り、酒盛りをはじめた。「山は日本酒が一番。糖分がエネルギーに変わるんだ」そう言って私にも勧める。嫌いではないから、手を伸ばしてその酒をいただく。「旨い!!(ビールよりもいいかも)」一口のつもりが二口いただいてしまった。このメタボ男性は、茅野市在住のUさんで、年齢は私よりも一つ上だった。若いときに中近東を放浪してきたとのこと。今でも年一回はタイに足を運んでいるという。これからは幅広く人生観から政治論まで幅広く1時間も激論を闘わせてしまった。時間はすでに12時近いそろそろ下山しなくては。「どうですか、一緒に中央稜を下りませんか?」Uさんの誘いにちょっと考えた。中央稜と言う名前だけで怖そうである。しかし、このメタボ親父に出来て自分が下れないはずはない。妙な比較であるが、同じ道を下るのも能がないので、Uさんに付いて中央稜を下ることにした。

下山開始立ち入り危険の文字が
Uさんに続けこんなに開けた場所もある



山頂からは登ってきた道を辿り、御小屋尾根の道を過ぎて中央稜の標識の通りにまっすぐ進む。標識には「立ち入り危険(中央稜)」と書いてある。ちょっと不安が頭をよぎったが、Uさんは慣れた様子で先に進んでいく。標識から先は直線的に踏み跡があるが、標識から数メートルのところに、右に下る踏み跡があり、これを辿ることになる。知らなければ通過してしまうかもしれない。ハイマツの中の踏み跡はしっかりしており、よく歩かれているのではないかと思う。傾斜はかなり急と思われるが、周囲はハイマツに覆われて危険は感じられない。地形図で見ると岩場の表記が多いが、歩いている限りではそんな感じは全くない。むしろ普通の登山道と言った方がいいかもしれない。

ひたすら先行するUさんの後に付いて下山する。Uさんはこの辺の地理に詳しく、周囲の説明を途切れなく説明してくれた。やがて下山するにしたがってガスが途切れてきた、右は登りに使った御小屋尾根で、登っている人が一人確認できた。左はUさんが登ってきた南陵である。その南陵の一部が凹んでいるところがある説明によると「青ナギ」と言う場所で、阿弥陀岳の岩峰を眺めるのに良い場所と言うことだ。P1のピーク手前で小休止。Uさんは足首に持病があり、長時間の歩行はきついらしい。それが証拠に歩くのがきつそうだ。

P1ピークは左に巻いて下降する、その岸壁にはツリガネニンジンやミヤマアケボノソウが咲き乱れていた。道はこのあたりからなだらかになり、すっかり岩稜の姿は無くなってしまった。時には草原にダケカンバと言う牧場の様な場所も見られる、次第に針葉樹林帯に変化し、道も分岐したり怪しくなってくる。時折現れる赤テープも途切れがちだ。その赤テープを辿って下ると沢筋のような場所に出た。この先はマルバタケブキが群生する空間があり、その見事さに立ち止まってしまった。


南陵の青ナギを見るアサギマダラ
林道を辿る阿弥陀聖水



道はこの先はよく踏まれてしっかりしていた。枯れて石が累々とする沢を横切って山道に入り、再び沢を渡り返すと、そこには林道が延びてきていてちょっとした広場になっていた。ここでザックを降ろしてUさんと大休止だ。ふとUさんが「アサギマダラ」と叫んだ。その方向を見るとヨツバヒヨドリに留まっている一頭のアサギマダラが見えた。優雅に羽根を広げている様は宝石のようでもある。とっさには気がつかなかったが、アサギマダラは白いタオルを振り回すと寄ってくるそうだ。このときは忘れていて実験が出来なかったことが残念だ。

舟山十字路まではUさんと四方山話を楽しみながらゆっくりと歩いた。思いがけないUさんの案内で別ルートを辿ることが出来た。Uさんには舟山十字路から車で数分のところにある「阿弥陀聖水」案内していただき、旨い水を確保することまで出来た。本当に感謝する次第です。
  
帰りはホテル八峰苑の鹿の湯(500円)でゆっくりしてから帰路についた。


ところで気になっている事は阿弥陀岳南陵だ、近々歩いてみよう。


群馬山岳移動通信/2007



「記録」
舟山十字路05:33--(.31)--06:04林道終点--(.08)--16:12虎姫神社分岐--(.28)--06:40諏訪神社分岐--(.30)--07:10御小屋山--(.46)--07:56不動清水08:06--(1.05)--09:11森林限界--(.30)--09:41中央稜分岐--(.14)--09:55阿弥陀岳11:56--(.08)--12:04中央稜下山口--(2.23)--14:27林道14:37--(.48)--15:15舟山十字路




この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)