昭和天皇が登った「閼伽流山(佐久市)」   2005年1月29日


閼伽流山(あかるさん)標高1009m 長野県佐久市

閼伽流山(あかるさん)とは難解な名前だ。上信越道を走行すると「閼伽流山トンネル」と言う名称のトンネルに出会う。この名前に興味を持つものは少なくないと思う。私もこのトンネルの名前に惹かれてこの山に興味を持った。

1月29日(土)

 野暮用で群馬・長野県境の内山峠で用事を済ませた。せっかくだから、どこかの山に行こうと準備をしてきている。候補はいろいろあったが、結局はこの閼伽流山に登ることにした。

 佐久の西地地区に入ると、旧道とバイパスに分岐する。この付近からは目指す閼伽流山の垂直の岩壁が荒々しく見えている。その岩壁は草木さえも拒否するのか、赤茶けたその色彩は登るととを拒否し続けた証であろう。様子を見るためにバイパスに入ると、そのまま西地地区を通過してしまった。反対側から再び西地地区の旧道に入り直して、登山口をさがすが、またもや西地地区を通過してしまった。ここで落ち着いて地形図を取り出して眺める。どうやら、お寺の記号のある地点から閼伽流山に向かって破線が続いている。それならばお寺をさがそうと、西地地区の旧道に入る。

 500mほど進むと、右側に火の見櫓、その反対側の「天台宗閼伽流山明泉寺」の大きな石柱があった。その奥には立派なお寺が見えている。その細い道に入るとすぐに閼伽流山の説明板が概念図とともに設置してあった。概念図はこの明泉寺の境内の案内図と言ったほうがよいものだ。


 明泉寺の参道に入るとすぐに道は石段に突き当たる。左は明泉寺の駐車場で10台ほどの余地がある。しかし、参拝者以外の駐車は禁止とあった。道は右に折れて、狭い道となってさらに続いている。そのまま進んで左にカーブしたところで、積雪のために通行不能となってしまった。狭い道だが、そこは軽トラックの強みで何とか転回して、近くのしだれ桜のある余地に駐車した。近くを見ると、「貳丁目」の標石と、歌を詠んだ石碑が傍らにあった。
貳合目に駐車丁目石

 積雪があるのでスノーシューをどうしようかと迷ったが、結局は軽アイゼンを装着して出発した。道は車道そのもので、所々がコンクリート舗装となっている。積雪のない場所では、アイゼンがカツ!カツ!と静かな林の中に音を響かせた。この道は丁目石が一定間隔で設置されており、それは一般的に見られる「○合目」ではなく、「○丁目」というものだ。そしてその傍らには詠んだ歌を記した石碑が置かれていた。それに立派なお墓が、数える気もなくなるほどあった。

 静かなこの道は、雑木とアカマツの木で覆われている。GPSを取り出してみるが、「弱受信」状態で測位がなされていない。これはちょっとまずいかなとこのとき思った。単調な九十九折の道を詰めると、七丁目になった。車道はさらに続いているが、簡単なゲートがあり、そばには駐車余地もある。もし、無雪期に車で来たならば、ここに駐車するのが良いだろう。

 「閼伽流城跡」の標識があり、その方向を見たが岩壁が見えるだけで、その方向に進む気にはなれなかった。さらに進むと、銅葺きの立派な鐘楼台が目に入った。興味津々で急いで鐘楼に近づいた。どうやらここが十合目で、概念図にあった明泉寺の観音堂らしい。その境内に入るとその豪華さに圧倒される。石仏は崖下に100体以上あり、岩壁の中程には不動明王像が睨みをきかせている。鐘楼台はもちろん本堂も銅葺きで、まだ葺き替えて間もないのか、あかくひかり輝いていた。さらに境内には休憩所、トイレも完備されていた。
観音堂の鐘楼台観音堂

 境内をひとしきり歩いてから、本堂の裏手にまわった。そこには標識があり、「仙人ヶ岳←→芭蕉句碑」と書いてある、芭蕉句碑への道は境内から下がっている。仙人ヶ岳への道は岩壁の隙間を縫って上部に登っている。そして雪の上には踏み跡らしきものも付いていた。

 その隙間の斜面を数十メートル登ると、標識があらわれ、仙人ヶ岳には行くには、右の岩壁を登るようになっている。地形図を見ると、閼伽流山の山頂(標高1009メートル)は登り始めた、観音堂の北にあり、この仙人ヶ岳への道とは違っていた。そこで、仙人ヶ岳へは帰路に立ち寄ることにして、そのまま上部に向かうことにした。

 隙間の斜面を登りあげると、沢のようななだらかな窪みがさらに続いていた。GPSで現在地を確認しようとした。しかし雑木が頭上を覆っているためなのか、窪みに立っているためなのか、弱受信の表示が出たまま位置確認が出来ない。こうなるとGPSに頼りきった山歩きは、まったくダメだ。しかし、だいたいの位置は把握しているので、コンパスを振って、とりあえずはこのまま上部に向かい、稜線らしき場所に乗ることを考えた。

 なにも目標がないと思われたが、どうやらスノーシューのパーティーが通過したような踏み跡が見つかった。この踏み跡はこれから向かうべきルートに一致していたので、このまま跡をたどることにした。稜線のようなところまで来たが、その踏み跡は意に反して、右側に曲がっていた。右は三角点(標高1028メートル)の場所に向かうのだろう。山頂は反対側の左に向かうべきである。ここで再びGPSで測位を行うと、問題なく位置を確認することが出来た。

 どうやら考えた通りのルート上に居ることが確認できたので、閼伽流山山頂に向けてアップダウンのほとんど無い雑木林を進んだ。佐久市国土調査で打ち込んだ「地籍図根点標識」の杭が一定間隔で雪の上に顔を出していた。
佐久市の地籍図根点山頂の石碑 (露出オーバーで失敗)

 やがて山頂と思われる台地があらわれ、そこを登ると石碑がある場所に出た。その一角はちょっとした窪地になっており、なにか整地をしたようにも見える。あらかじめセットしておいた閼伽流山の山頂とこの場所は一致した。つまりここが山頂であることを示している。しかし、この石碑以外は標識もなく、さらに展望もなく山頂らしくない。石碑に何か書いてあるのかと近づいてみたが、長年の風雨でかすれて読めるものは何も無かった。とりあえず写真を撮ったが、なんと帰宅してみたら露出オーバーで、なにがなんだかわからない写真が出来上がっていた。

 寒い山頂だったが、缶ビールで今年最初の山に乾杯をした。

 時間も早いので、先ほどの三角点に立ち寄ってみることにした。往路に登りあげた稜線の地点に戻り、スノーシューの踏み跡をたどって三角点に向かった。なんと三角点はちょっとしたピークを下ったところにあった。立木に三角点と落書きがあり、ダンダラ棒が二本立っている。三角点を確認したいので、雪を掘り起こしてみたが、残念ながらその姿を確認することは出来なかった。展望もなく、早々に下山することにした。
仙人ヶ岳 昭和天皇の登山碑梵鐘

 帰路に仙人ヶ岳に立ち寄ってみた。岩場の上に東屋があり、そこに立つと雪に覆われた佐久平が一望だった。また、昭和天皇が摂政の時代にここに登ったと言う石碑が建っていた。「摂政宮殿下御登臨之処」とある。また、「十二丁目」の丁目石もあり、どうやらここで完結しているようだった。寒さが応えるので、わずかな時間でここも辞することにする。

 観音堂に降りて、気になっていた鐘楼台に上り梵鐘を打ってみた。予想以上に大きなその音は冬の空気の中でいつまでも響いていた。


「記録」


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明泉寺11:20--(.31)--11:45観音堂11:51--(.17)--12:08稜線--(.11)--12:19閼伽流山山頂12:36--(.25)--13:01三角点13:05--(.07)--13:12仙人ヶ岳13:17--(.04)--13:21観音堂13:26--(.12)--13:38明泉寺


群馬山岳移動通信/2005