4輪スタック「雪道からの脱出」


やっと脱出した
 かねてから気になっていた、上野村と北相木村をつなぐ「ぶどう峠」の山に出かけることにした。この山域はかつて赤地さんが、とんでもないアクシデントに見舞われた事がある因縁の山だ。

 2月23日(日)

 「ぶどう峠」冬期は通行止めになる道だ。従って除雪は期待出来ないので、その状況がどうなっているのか不安がある。上野村からは、おそらく登ることは不可能と考えて、長野県側から攻めることにした。

 小海線の小海駅付近からぶどう峠に向かうと、いきなり積雪が多くなってきた。路面は圧雪状態なので、無理をしなければさほど危険はない。なつかしい「御座山」の登山口を過ぎてさらに先に進む。

 木次原と呼ばれる付近で道は分岐して、ぶどう峠に左折して進む。入り口にはゲートがあるが片側だけふさぐ様になっており、その脇には車の轍が二本の線となって、深雪の中につけられている。ちょっと迷ったが、「4WD+スタッドレス」ならば大丈夫と判断して、そのまま先行者にならって車を乗り入れた。

 深雪だったが、轍をたどっていくとさしたる不安もなく走行することが出来た。これなら順調に峠まで行けると簡単に考えた。

 ところが標高1450m付近の坂道で、先行車の轍の跡がが乱れ始めた。妙だなと思いつつも、かまわずに進んだ。しかし、なんとここで車は後方が右に流れ、谷側のガードレールに20センチまで近づいたので慌ててブレーキを踏んだ。その後、後退すればガードレールに接触するので前進にギアーを入れて車を発進させた。しかし、タイヤはむなしく空転するだけで全く動かない。

 運転席のドアは、ガードレールとの隙間が無いので開けられず、助手席から外に出た。状況は最悪、フロントバンパーは雪に阻まれ、タイヤはすべて深雪にめり込んでいた。
「どうしよう・・・・」
ともかく雪を退かさなくてはならない。緊急用として簡単な携帯用のスコップがあるのを思い出した。早速それを使って、4輪すべてのタイヤの前後の雪をかき出すことにした。雪は思ったよりも堅く、アスファルトに近い部分は完全にツルツルで黒く光っている。

 ある程度雪を退かしてから、再び車を発進させたが少し前進しただけで、直ぐに動かなくなってしまった。今度は後退してみたが、さらにガードレールに近づいただけで、さらに状況を悪くしてしまった。

 助手席から外に出て、状況を冷静に判断しようとした。

 ともかくスタッドレスタイヤでは無理があるようなので、チェーンを装着することにした。ここで困った、はたして4WDの場合、チェーンはどちらに着けたらよいのか?たしか後輪だったなと、勝手に解釈して行動に移ることにした。

 平地だったらなんと言うこともないのだが、接地面が雪だとうまく行かない。仕方なくジャッキアップすることにした。ところが坂道で、おまけに雪の上なのでかなりの困難を伴うことになった。ジャッキを設置する場所は不安定なので、除雪して軍手を敷いて滑らないようにした。さらにジャッキハンドルを回す空間を確保するのに、必要な場所も除雪した。しかし、手が思うように動かないので、チェーンの繋ぎの部分がうまく行かない。何度もやり直して、やっとの事で装着が完了した。

 落ち着いたところで、軍手を脱ぎガードレールに手をついたら、手がガードレールにくっついてしまった。それだけ気温が低いと言うことだ。今まで軍手で作業していたことが、ここで初めて無謀な事だと気づいた。そこでウールの手袋に替えて見ると、指が温まりかなり自由に動くようになった。それからズボンは裾が凍り付いて、バリバリになっていた。

 再び運転席に戻り、エンジンを始動させて前進を試みた。車はスタッドレスの時と違ってしっかりした挙動を見せて動いた。ところが今度は道に向かって、車体が横になってしまい、再びここで行き詰まってしまった。

 「もはや、これまでか!」半ば諦めながらも、缶ジュースを一本飲み干して外に出て、状況を確認した。

 状況は前輪が路肩の吹き溜まりに突っ込み、前進出来なくなったものと判断した。そこで、前輪は右に切った状態で、除雪して溝を作り、後輪は斜め右にやはり溝を切ることにした。再び雪との格闘が始まり、ただひたすら雪をブロック状に切る作業を進めた。もしここでスコップが無かったら、どうなっていただろうか。考えただけでも恐ろしいと思った。

 溝を切る作業を終了して、再び運転席に座った。どきどきしながらギアを入れて慎重に前進をする、すると思った通りに、横になっていた車体が正常な状態(?)のように、頭が上を向いた。思わずここで一区切りしたことで、気が少しは和んだ。

 ここで下から軽トラックが登ってきた。「ダメだ!」と頭の上で腕を交差させて軽トラックに知らせた。軽トラックは停止して、中から二人の男が降りてこちらにやってきた。そしてまわりの状況を見て、「かなり苦しんでいますね」と同情しながら声を掛けてきた。「ええ!もう2時間もここにいるんですヨ」時計を見ながら答えた。そして「この状況なので上には行けませんよ」と付け加えた。男たちは歩いて私の車の上の方まで歩いて行ってから、戻って来て「ダメですね、これは!」と話しかけてきた。聞けば男たちは行方不明人を捜しているという。なにか訳ありの様子なので、こちらもそれ以上は聞かなかった。

 「車を押しましょうか?」と何度も念を押されたのだが、自分一人でで何とかなると丁重に断った。軽トラックは何事も無かったように、後退してカーブの広いところで転回して下っていった。

 さてこちらも後退して転回出来るところまで行かなくてはならない。エンジンを始動してギアを「R」に入れて後退すると、なんとか動き始めた。ところが今度は全体的に左に寄りすぎてしまった。再び前進して切り返しをしようとしたが、再びタイヤが雪にめり込んで動かない。

 再び外に出て、除雪の開始である。さっきの人に応援を頼めば良かったかなと、ちょっぴり後悔をしてしまった。もう!こうなったら、一日かけてここにある雪を全部除雪してやる。そう思ったがそんなことは出来るはずもない。このまま春までここで過ごそうかな、「JAF」を呼ぼうかな、などといろいろなことを考えながら、痛くなった腕をかばいながらスコップを動かした。

 もう失敗は許されない!もう雪かきはイヤだ!

 慎重に何度も車から降りて状況を確認して、コースを選びながら後退した。その甲斐あってか、なんとか無事に転回可能な場所まで降りることが出来た。スタックしてから実に2時間半の苦闘となっていた。そしてこの状況にあっても、車が無傷であったことは奇跡に近いと思った。

 車を転回して落ち着くと、もうすっかり山に登る気力は萎えてしまっていた。真っ青な空と、その中に映える八ヶ岳連山を眺めながら帰路についた。

 今回の教訓「雪道はかならずスコップとチェーンを携行しよう、そして出来るだけ雪道は走らないようにしよう!」


                      群馬山岳移動通信/1997/


追記:明日からはしもやけで指がかゆくなりそうだ