7月16日(土) しまった、寝過ごしてしまった。 時刻を確認すると5時を回っている。 周囲はすっかり明るくなり、暑さを感じるほどになっている。朝食のカップラーメンを食べながら支度を整える。一ヶ月前痛めた尾てい骨が痛く、最近は足首まで痛みを感じるので、湿布を貼ったままの生活が続いている。当然、暑さも加わり運動らしきものは全くやっていない。こんな状態なので、たいしたところには行けないので、県内の谷川岳に安易な気持も働いて登ることにした。 この時期は、一ノ倉沢までの車道は通行止めとなっているので、白毛門登山口の駐車場が起点となる。当然、駐車場はほかにもあるのだが、なんとなくここが一番気に入っている。ロープウェイの駅は営業開始前と言うこともあり、閑散としている。登山者の姿も数人だけで、この2000mに満たない谷川岳は暑さゆえ敬遠されているのだろう。その登山者も西黒尾根で別れて、完全な一人旅となった。車の走らない一の倉沢までの歩きは快適で、このマイカー規制は大賛成だ。 実は、当初の予定は西黒尾根を登るつもりだったが、寝過ごしたことと、誰もいない一ノ倉沢をみたいと言うことで、予定を変更してこの道を歩き続けることにした。いつ見ても一ノ倉沢の岩壁は迫力満点だ。しばし、絶景に見とれながら上部を見上げて過ごす。さて、これからどうしようか?ふと思い立ったのが、まだ登ったことのない芝倉沢だった。用意してきた地形図には芝倉沢はないが、エアリアマップとGPSがあれば何とかなるだろう。 幽ノ沢を過ぎると、所々ブナの切り株が置いてある。おそらく、問題となっているブナ枯れ対策なのだろう。新潟県側では猛威をふるっているので、群馬県側も時間の問題で、景色が一変することが考えられる。芝倉沢は雪渓が豊富に残り、登れそうにない用に感じて、ちょっとだけ後悔をした。何しろその出合に行く道が崩落しており、おまけに崩れ落ちそうな雪渓が口を開けていた。仕方なく、雪渓の下に降りてから登り返すことにした。芝倉沢の出合は道に沢水が気持ちよく流れており、手を10秒も入れていられないほど冷たい。 さてここからいよいよ未知の世界への出発だ。何かわくわくしながら一歩を踏み入れる。
歩き始めは古くなり消えそうなマーキングを頼りにして、沢の左側を登り、そのまま雪渓の上を歩いていった。ところが雪渓はすぐに崩落した場所に突き当たり進路を絶たれてしまった。崩落場所は雪渓の塊が折り重なり、沢水がものすごい勢いで流れ下っている。それに上部から吹き下ろす湿気を帯びた空気が雪渓の下で冷やされて、雪渓の出口で霧粒の白煙となって舞い上がっている。それよりも雪渓は薄くなっており、いつ崩れ落ちるのかわからない。雪渓の下に降りて行ったり来たりルートを探して見るが、どうも前に進む決心がつかない。
よく観察すれば、沢を上部に向かって右側は雪渓が厚くなっているように見える。沢水は左側を流れているからだ。そこで、雪渓の下を潜って一旦下流に戻り対岸を目指すことにする。雪渓の下はものすごい冷気で、半袖ではとても耐えられない。素早く石を伝って対岸にたどり着いた。そこで見たものは明かな登山道だった。おそらく登山道は沢の上部に向かって左側から入り、途中で右側に渡る様になっているらしい。しかし、雪渓の上を歩いていたので解らなかったのだ。ここからは雪渓の上を黙々と歩くことになる。スプーンカットの雪渓は泥のついた干し草を敷き詰めたようになっており、景観は綺麗とはいえない。それにしても時刻は8時だというのにとてつもなく暑い。露出している腕がヒリヒリと痛むのが解るほどだ。
芝倉沢は出合から大きく左に曲がり国境稜線に向かっている。その国境稜線の先には茂倉岳があるはずだ。エアリアマップによればこの芝倉沢の途中から、堅炭尾根に登らなくてはならない。それが当面のルートハンティングの課題だ。雪渓は初めのうちは崩落を恐れていたが、だんだんと大胆になってくる自分が恐ろしい。おそらく崩落したとしたら、ただでは済まないだろう。運良く助かったとしても冷たい沢水の中では数分も持たないことは明らかだ。しかし、雪渓の上は歩きやすく書いてきてあることは確かだ。標高1200m付近でその雪渓も途切れてしまった。すると踏み跡らしきものが見え隠れして上部に続いているノが見える。そして沢の中に黄色のペンキで矢印が書いてある場所を見つけた。ここが堅炭尾根への登り口、つまり中芝新道の入り口である。
ここから尾根に登り上がると言うことは水場もこれが最後である。思いっきり沢の水を飲んでから登り始めた。ルートは迷うこともなく、踏み跡がしっかりとしているので意外な感じがする。まして新しいビブラム底の足跡が確認できた。高度を上げていることは確かだが、それに追従して暑さによる疲労が蓄積されていく。いや、そうではなく明らかに運動不足が響いていることは間違いない。終日デスクワークに明け暮れている身では、この状態は推して知るべしといったところだ。10分歩いては15分休むと言った状態となってきた。これでは国境稜線にたどり着くことは出来まいと、感じるようになってきた。
振り返ると、武能岳の尖ったピークが見えている、そしてその右を辿ると清水峠の特徴あるJR巡視小屋が見える。その奥は巻機山だろうか、霞んで見えている。そんな景色を眺めることを理由に何度も立ち止まって振り返った。もう衣類は乾いたところが無くなっている。まして帽子のツバからは汗がしたたり落ちている。当然水の消費も多くなり、典型的な熱中症の吐き気と手足の痺れを感じるようになってきた。一昨年、日帰り馬蹄形縦走をやった自分が信じられない。それほど疲れ切ってしまっていた。 なんとか、堅炭尾根にたどり着いたときは、限界に近い状態だった。しかし尾根についたときに見下ろした湯桧曽川に沿った景色を見てもう少し頑張ろうと言う気持になった。なにしろこの尾根からしか見えない、幽ノ沢、一ノ倉沢の恐ろしい岩壁を見てしまったからだ。なにしろ垂直に近い壁は、一木一草も拒絶し岩肌をむき出しにして太陽に向かって光を反射しているからだ、その神々しい姿に圧倒されるばかりだ。堅炭尾根の途中にはこの尾根のシンボルである堅炭岩がステゴサウルスの背中のような姿を見せていた。
屹立した堅炭岩の圧倒的な迫力はとてつもない威圧感を感じるが、その上部に行くに従って、なんとなくあそこまで簡単に行けそうな錯覚を覚える。しかし、無防備で疲れ切った身体であそこに行くのは、あまりにも無茶であることは確かだ。まして登山道さえもまともに歩けず、立ち止まってばかりである。少しでも日陰があるとそこで休み、風が吹くと涼しいと休み、雲が頭上を通過すると陽が遮られて休むと言った状態だ。
そのうちに下方でヘリコプターの爆音が聞こえてきた。見れば幽ノ沢と一ノ倉沢の周辺を円を描いて飛行している。ヘリコプターはブルーの機体に赤線が特徴の群馬県警の「あかぎ」だ。これはなにかあったとおもった。何度か旋回したあとで幽ノ沢の出合近くでホバリングした。そして救助の隊員が下降しているのが何となく解る。光景を岩場の上から30分以上も眺めて過ごしてしまった。時刻は正午にもうすぐだ。これで結論は出てしまった。帰るしかない。しかし正午まで行動してから戻ることにしよう。 まだまだ未練が残っていることは確かだった。しかし、その正午になってやっと見えた一ノ倉岳はあまりにも遠くに見えた。その距離は未練を断ち切るにふさわしいものだった。
引き返すノはよいが、敗退したときの下山はあまりにも過酷だった。何しろ尻餅をついたら治りかけた尾てい骨を再び悪化させるからだ。慎重に慎重に、ゆっくりとゆっくりと下った。芝倉沢についたときはよれよれ状態。自宅でとれたキュウリを沢水で冷やして丸かじりするとなんとか、身体が元に戻った感じを受けた。
さらに雪渓を辿って、芝倉沢出合でビールを飲みながら、一時間近くぼんやりとして時間を過ごした。目の前には朝日岳が大きく見えており、雪渓の中を吹き抜けてくる風は寒いほどだ。長袖のカッターシャツを着込んでいなければいられなかった。岩の上に座ると暖かくて気持ちいいのだが。まともに座ると、尾てい骨が痛むので、座布団を敷いて座るという情けなさ。まあ、無事に下山できたのは感謝するしかないだろう。
帰りは一ノ倉沢の混雑を考えて湯桧曽川の新道に下って土合を目指した。ところがこの新道はこんなに歩きにくかったのかと、暑さに耐えながらヨタヨタと歩き続けた。駐車場に着いたのは午後5時なので、行動時間は結局12時間、実行動時間はその半分くらいだったろう。 ともかく、気力が敗退の一番の原因であった。 この中芝新道は何かの時に利用価値があるので、一度は歩いておく必要があると感じた。 翌日の新聞では、幽ノ沢で雪渓が崩落して1名が死亡、1名が重傷と書かれていた。この時期の雪渓の怖さを帰ってからあらためて感じた次第だ。あの状況からすれば芝倉沢の雪渓も、いつ崩落してもおかしくない状況であったことは確かだ。 白毛門駐車場05:41--(.15)--05:56指導センター--(.29)--06:25マチガ沢--(.22)--06:47一ノ倉沢--(.19)---07:06幽ノ沢--(.33)--07:39芝倉沢07:46--(1.05)--8:51徒渉点--(1.09)--10:00堅炭尾根--(2.00)--12:00標高1740m--(1.28)--13:28芝倉沢徒渉点--(.35)--14:03芝倉沢出合14:59--(1.01)--16:00新道入り口--(.20)--16:20新道--(.20)--16:40車道--(.21)--17:01駐車場
群馬山岳移動通信/2011 |