甲子温泉から花咲く登山道を歩く
「甲子山」「旭岳」「須立山」
                                        登山日2016年5月21日


甲子山山頂から旭岳

甲子山(かしさん・かっしざん・かっしやま・かしやま)標高1549m 福島県西白河郡・南会津郡/旭岳(赤崩山) (あさひだけ) 標高1835m 福島県西白河郡・南会津郡/須立山(沼ノ峰)(すだちやま) 標高1720m 福島県西白河郡・南会津郡


2001年に福島県の西郷山岳会がまとめた「村界一周 福島県西郷村村界踏査」がある。表紙の写真は雪を被った旭岳(赤崩山)で、その姿は孤高の独立峰としての風格を持っている。この写真を撮影したのは私が所属している山岳部の先輩である。この西郷村の工場に勤務する部員の報告を見てから俄然興味を持った。





西郷山岳会2001年発行の冊子



5月21日(土)
午前3時に東北道那須塩原SAで仮眠から目が覚ます。高速料金の休日割引を適用するためにこのSAで泊まったわけだが、外は駐車中のトラックが発するエンジン音がすさまじく、あまりよく眠れなかった。気温は16℃で星明りが見えるので、今日の晴天は約束されたようなものだ。車内を片付けてエンジンをかけてエアコンで窓ガラスの曇りをとってから出発、白河ICで東北道から離れる。通行量の少ない道を通り、甲子トンネル手前で左に折れて大黒屋に向かう。大黒屋の駐車場は気が引けるので付近の余地に駐車する。

いつもの通りカップラーメンを食べてから出発だ。大黒屋の入り口にある登山ポストに計画書を投函して奥に歩いていく。建物の前で男性が二人休んでいた。
「どこに行くのかね?」
「甲子山です」
「甲子山は急だよ」と言って手の甲を上にかざして見せた。私のメタボ体型を見て心配してくれたのだろう。二人は大黒屋の夜警だと言っていた。大黒屋の庭を抜けて欄干の無いコンクリート橋を渡る。橋の下を流れるのは阿武隈川で東北で北上川に次ぐ2番目の距離がある。橋を渡るとすぐに白水滝の標識があり、この標識からも姿が見えている。滝は見事だが、その上にある堰堤がちょっといただけない。

さらに歩くと温泉神社があったので、登山の無事を祈願しておいた。杉林の中を進むと今度は甲子トンネル入り口の設備が間近に見えた。甲子トンネルの余地に駐車すれば、ここから登ることになり30分近く短縮することが出来るはずだ。しかしトンネルの余地は駐車できるのか不明である。この付近から登山道になってくる。急斜面なのだが、九十九折の道なのでほとんど平坦な道を歩いている感じがする。またよく整備されているので不安感は全くない。緑に囲まれた朝の登山道は清々しい。しかし、甲子トンネルを通過する車の騒音が何とも耳障りだ。

やがて道の周りにはミツバツツジとシロヤシオが目立つようになり、その赤白のコントラストは見事というほかない。ミツバツツジの華やかな赤紫の花も、シロヤシオの清楚な白もそれぞれにふさわしい雰囲気を持っている。前を見ても、見上げてもその花に囲まれて歩くのは幸せな気持ちになる。猿ヶ鼻と呼ばれる場所に着くと九十九折の道も終わり平坦な場所となる。

ほどなく道は甲子峠への分岐に差し掛かる。ここで10名近くのパーティーとすれ違った。この時間だと避難小屋泊まりの人たちなのかもしれない。道は土砂が流されて滑りやすい岩が露出するようになった。雨が降ったり凍結していたら嫌らしい道になるだろうと思う。トラロープや鎖が設置してあったが使うことなく甲子山の山頂に飛び出すことが出来た。





駐車場所


大黒屋


橋を渡って登山道に入る



白水滝


温泉神社



ウワミズザクラ









シロヤシオとミツバツツジ








甲子山山頂には標識と方位盤が設置されていた。山座同定しようとしたが、見知らぬ地域のためわかりにくく断念した。しかし、今日の目的である旭岳はなんと美しく見えているのだろうか。山頂付近の谷筋にはわずかに雪が残り、斜面は赤茶けた岩肌がむき出しになっている。赤崩山の別名のほうがふさわしいと思える。登山道は見えないが、この山を見て登高欲の湧かない者はいないだろう。





甲子峠分岐


甲子山手前の滑りやすい道


甲子山山頂の方位盤




甲子山から見る旭岳




甲子山からいったん下ると新旧登山道の分岐となる。標識には旧道は通行できないという意味なのだろう×印がつけてあるが、構わず旧道に入って行く。笹は膝くらいまでで一般の登山道と変わらない。分岐から10分ほど歩くと水呑場の標識があったが、水場は何処なのか不明だ。この標識には「注意 旭岳への登山道はありません」と書いてある。文面をまともに読むならば、旭岳へは登れないという事だ。しかし、道形ははっきりしているので、そのような雰囲気は見られない。時折、崩れた場所があるが、トラロープが設置されているので問題ない。トラロープは老朽化しているが、問題はなさそうだ。

4畳程度の刈り払いがしてある場所についた。GPSで確認すると、ここが旧道と旭岳の分岐であることが分かった。ためしに旧道に進んでみると、藪がひどく廃道そのものだ。するとここまでの道は旭岳に登る人が辿ったためにできた道形のようだ。旭岳方面の立木には赤ペンキのマーキングがされていた。踏みこんでみると道形はしっかりしており、明らかに登山道に間違いない。それも上部に進むにしたがってハッキリとしてくるように感じる。急登もあるがそれほどのつらさも感じない。また両側が切れているところもあるが、積雪が無ければ全く問題ない。藪山を想定して残雪期を狙うよりも、この時期のほうが難易度は極端に下がる感じだ。この旭岳のコースは展望も良いので、整備すれば素晴らしいコースが出来るに違いない。ミネザクラやシャクナゲを愛でながら登るこの稜線は、素晴らしい記憶として残る道となるだろう。

上部に近くなると坊主沼方面から吹きあがってくる風が心地良い。また灌木も低くなり展望が開け、振り返れば甲子山は眼下に見え、その稜線の先には大白森山が続いている。ハクサンイチゲや芽が出はじめたコバイケイソウが密生する斜面を登ると最後の急斜面だ。トラロープが流してありそれに掴まってバランスをとりながら登ると、山頂に飛び出した。

山頂には四隅が欠けた三等三角点と黒羽山の会の山頂標識が転がっていた。三角点のある場所は裸地になっていたが、周囲はシャクナゲの藪に囲まれていた。しかし、三角点から離れると素晴らしい展望が眼の中に入ってくる。この地域の山に詳しくないのが残念だ。しかし、しばらくはその展望に見とれながら至福の時間を過ごすことが出来た。





新旧登山道分岐(旧道は通行止め


水呑場(水場は見られない)


滑りやすい道もある


旧道から離れる(二本の立木に赤ペンキ)


ミネザクラ


キスミレ


シャクナゲ、ミネザクラと旭岳の斜面


ショウジョウバカマ


ハッキリした登山道が続く


ハクサンイチゲ


藪に見えるが道はしっかりしている


山頂部分も形が良い


旭岳の三角点


坊主沼と避難小屋を俯瞰



須立山とその奥に三本槍岳



旭岳から坊主沼に直接下降することも考えたが、無理をしないで往路を戻ることにした。結果的には新旧登山道分岐の地点まで40分程度で下降してしまった。ここからは新道を辿って旭岳の山腹をトラバースしていく。このルートは整備されていて歩きやすいのだが、なぜか疲れる。これならば旭岳の登りの方が楽だとも思えてくる。なぜなのか考えると、それは樹林帯の中の道なので展望が無く変化に乏しいからなのだろう。

坊主沼と避難小屋の分岐に到着した。
どちらに進むべきか悩んだが、避難小屋に向かうことにした。階段状に整備された道を昇ると平坦になり、タムシバが咲く場所を過ぎると真新しい避難小屋が見えてきた。外観も立派だが、中に入るとこれまた綺麗に整頓されていてびっくりする。清潔に保たれている備え付けの布団は綺麗に畳まれていた。ノートは2冊有り、いずれもびっしりと文字で埋め尽くされ、この山の素晴らしさを書き留めていた。小屋の入口には「山小屋に寄せて」と題する一文が掲げられている。避難小屋に対する願いと想いが伝わる文章だった。
小屋の中で菓子パンとゼリー飲料を食べて出発することにした。




残雪も残っていた


タムシバ


坊主沼避難小屋


小屋内部


山小屋に寄せる(小屋建設の熱意が伝わってくる)


小屋の軒先にある鐘



小屋からわずか場rかりすすむと再び坊主沼と避難小屋の分岐となる。帰りは坊主沼経由で行こうと決めて先に進むことにする。ここからは斜面の笹(ネマガリタケ)を刈り込んだトラバースの道だ。刈り払いされた笹はその場に置いてあり、その上に乗ると滑って横に転びそうになる。転べば残った笹の切り株の上に倒れて、かなりのダメージを受けることだろう。ある意味この道が今回の山歩きの中で一番困難な場所だったかも知れない。その道の10分ほどかかってやっと切り抜けることが出来た。切り抜けたところで男性の単独行者とすれ違う。やけに軽装でトレランかとも思ったがそうでもなさそうだ。須立山の位置を確認させて貰ってそのまま別れた。

須立山はピラミダルな山容でその中央部分を稲妻形に登山道があるのが見える。そのピークを目指して道を進んでいくが、登山道の上部には灌木の枝が低く被さっているので、何とも歩きにくい。前屈みになったり、四つん這いになったりしながら進むことになってしまった。振り返れば旭岳が大きく見えるので、あの山に登ったと言う達成感の余韻を残したまま歩いた。多少のアップダウンを繰り返して1638mの標高点の先が笠ヶ松と呼ばれる場所だ。ここにはクロマツが数本見られ、これが名前の由来となっているのかと思う。

須立山の最後の登りは標高差100mのガレ場の登山道だ。石ころだらけの道は歩きにくいことこの上ない。一歩踏み出すのだが足を置いたところがグズグズと崩れるのだ。ストックで身体を支えようと力を入れるが、それでもグズグズと滑ってしまうのだ。設置してあるトラロープは使わないで済まそうとしたのだが、そうも行かなくなってきた。おとなしくトラロープに掴まると足下の崩れは少なくなり、順調に登ることが出来た。

須立山の山頂は広い裸地になっていた。山頂標識がその真ん中にあり、ご夫婦が休んでいた。どうやらそのご夫婦もこのピークで引き返すとのこと。それにしても目の前の三本槍岳まで行きたいと思ったが、往復2時間を考えると無理だと判断した。無理をすれば何とかなるはずだが、再びこの周辺の山を登るときに挑戦しよう。ザックを下ろし、果物入りのゼリーを頬張っていると、なにやら賑やかな声が聞こえてきた。なんと14人の高校生のパーティーが到着したのだ。山頂に着くなりかけ声を出して全員でクールダウンの体操を始めた。彼らは坊主沼付近で幕営するらしいとのこと。彼らがここを出発する前に歩き始めなければ大渋滞に巻き込まれてしまう。山頂でゆっくるすると言う希望は諦めて荷物をまとめることにした。

景色を堪能することも出来ずにちょっと残念だ。振り返れば案の定、大集団があのガレ場の下降で渋滞しているのが見えた。





刈り払いされたネマガリタケのトラバースルート


須立山へ続く道が見える





歩きにくい


須立山


須立山から三本槍岳方面



須立山から旭岳方面



帰路は坊主沼に立ち寄っていくことにする。
沼の畔にはミズバショウが咲きかつての火口の雰囲気はなく落ち着いている。また旧避難小屋の場所には鐘が下がっていた鉄の櫓が寂しげに残っていた。

再び、甲子山の山頂に到着したのは14時ちょうど。予定時間を大幅に短縮しているので、焼酎を楽しんで大休憩をすることにした。もうここまで来れば後は下降するだけでなんの不安も無いからだ。腰を下ろして旭岳と須立山を眺めながら達成感を味わう。そのうちに元気な70歳の3人パーティーが到着。なにやら旭岳を妙なルートで周回してきたという。まあ元気な70歳で私なんぞまだまだ若いと感じてしまった。

下降を続けて大黒屋まであと30分と言うところで大粒のにわか雨に降られてしまった。
熱い身体にはちょうど良い雨となった。





坊主沼に映る旭岳


旧避難小屋跡


坊主沼のミズバショウ


やっと呑む気になった



*甲子山
  なんと読めば良いのだろうか?
  山と高原地図には「かっしさん」とある。
  今回の山で出会った地元の人に聞くと「かしさん」と答えた。ここは地元の意見を取り入れて呼ぶことにしよう。



2015.4.2 大佐飛山付近から見る旭岳も素晴らしい形をしていた

05:00大黒屋手前駐車余地--(.14)--05:14温泉神社--(.12)--05:26甲子トンネル分岐--(.43)--06:09猿ヶ鼻--(.30)--06:39甲子峠分岐--(.17)--06:56甲子山07:04--(.11)--07:15新旧道分岐--(.35)--07:50旧道分岐--(.43)--08:33旭岳08:58--(.38)--09:36新道旧道分岐--(.42)--10:18坊主沼・避難小屋分岐--(.08)--10:26避難小屋10:35--(.03)--10:38坊主沼・避難小屋分岐--(.39)--11:17笠ヶ松--(.24)--11:41須立山12:00--(.50)--12:50坊主沼--(.25)--13:15水場休憩13:19--(.22)--13:41新旧道分岐--(.41)--14:00甲子山14:21--(1.26)--15:47大黒屋手前駐車余地


沿面距離17.6km

群馬山岳移動通信/2016


この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平16総使、第652号)

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