トラブル続き上越国境「柄沢山」   
                                        登山日2011年4月29日・30日







柄沢山の中腹から見る谷川岳方面

柄沢山(からさわやま)標高1900m 群馬県利根郡/新潟県南魚沼市




毎年の事ながら残雪期はどこに登ろうかと考える。しかし、野暮用や農作業で思うように行かないのが常である。去年はついに尾瀬周辺の日帰りで済ませてしまった。さて、ことしはどうしようかと考えていたら、月刊誌「山と渓谷」に行きたい山が記載されてしまった。仕方なく他の場所を物色していたが、数日前まで場所を決めかねていた。とりあえず上越国境周辺の未登の山に行くことにした。


4月29日(祝)


百名山である巻機山の登山口である清水集落の最奥の除雪地点までやってきた。ここから上越国境の「柄沢山」を目指すことにする。柄沢山は今から35年前に巻機山から白毛門まで2泊3日で縦走したことがある。印象としては終始展望にすぐれた稜線だったことが記憶に残っている。時刻は6時を過ぎているが、準備を整えながらお湯を沸かしてからカップラーメンの朝食だ。フト見るとスパッツのゴムが切れそうになっている。のっけからのトラブルでちょっと気落ちする。その間に2人組のパーティーが出発していった。こんな場所にも登りに来る人はいる物だとその人達を見送った。


除雪地点からは積雪が1m以上ある豊富な雪が一面を覆っている。先ほどの登山者の足跡が登川沿いの旧国道に沿って続いている。さすがに一泊の装備を背負うとかなりの重量となり、どうしても重心が上部になるので身体が不安定になる。まあ、余分な食料と着替えがネックなのだがこれらはなかなかけずる勇気がない。たちまち身体は温まり、手袋も必要ないのでパンツのポケットに入れて歩くことにした。国道の道形は見ることは出来ず、雪に覆われて沢筋では雪崩に埋められていた。


フト見ると、ポケットに入れておいた手袋がなくなっているのに気がついた。しまった!!どこかに落としたに違いない。予備は持っているが、手袋なしではこの先の行動は制限されてしまう。仕方ない戻ることにする。ザックをデポして歩いてきた道を辿ることにする。ひょっとしたら駐車地点まで戻るのかと思ったが、5分ほど戻ったところで雪の上に落ちている手袋を発見した。まずは一安心だが、往復10分の時間的なロスとなってしまった。気を取り直してザックを背負い再び歩き出す。程なく大きな堰堤がある場所にたどり着いた。はたして今自分はどのあたりにいるのだろうと、地形図を取り出して確認するとなんととんでもないことに気がついた。


柄沢山は除雪地点からそのまま上信国境に向けて涸沢川に沿って東に進んでいくのが正解なのだ。ところが自分は南に進んで清水峠に向かっているのだ。先行者はてっきり柄沢山に行くものだと思って、その跡をたどってしまっていたのだ。しかし、ここまで来ると戻るよりもここから尾根に取り付いて、柄沢山を目指す方が良いと判断した。(結果的にはこれが大間違い)


(実は自宅からここに来るまでに2度ほどポカをしてしまっているから最悪の状態だったかも)


登川に沿って登る

遠く清水峠が見える

堰堤があり、ここでルートミスに気がつく

仕方なくこの沢を登り、右の斜面に取り付く

取り付き点から登川を振り返る

急な斜面を登る

送電鉄塔は通過点

送電鉄塔から大源太山を振り返る



しばらくは雪崩のデブリを越えて沢を登ってから、右手にある尾根に取り付いた。残雪の部分を辿って、キックステップで高度を稼いでいく。斜度もあり、ストックでバランスを取りながら行くのだが、それでも重心が定まらない。カッターシャツを脱いで喘ぎながら登っていくとやっとの事で尾根にたどり着くことが出来た。尾根にたどり着けば、道はあると思っていた。その通りで薄いが踏み跡はあり、ちょっとだけ安心した。どうやらこれは鉄塔巡視路のようで、程なくたどり着いた鉄塔でその道は終わっていた。


鉄塔から先の尾根は薮が深く、ササとマンサクが隙間なく密生している。わずかばかり残った雪庇の名残は今にも崩れ落ちそうで、とてもその上に乗る気にはならない。背負ったザックを薮に引っかかりながら行くのだがなかなか進まない。たまらず崩れるのを覚悟して雪庇の上に乗ったが、気持ちの良い物ではない。それに名残の雪庇は途切れ途切れで、どうしても次の雪庇に移るのに、下降してから登るしかない場所がある。ところがどうしても登れなくなってしまい、雪庇の下を進む羽目になってしまった。そこは薮の枝が倒されてまことに歩きにくい。太い枝に乗った途端にバランスを崩して仰向けに倒れてしまった。幸い、枝を掴んでいたので滑落は免れたが、今度はザックが重すぎて起きあがれない。体勢を当て直そうにも枝に挟まれて動けない。最高レベルの窮地とはこのことかもしれない。勢いを付けて掴まっていた枝を頼りに何度か挑戦してやっとの事で立ち上がることが出来た。まるでカメが仰向けになり手足をバタバタしている様子に近かっただろう。



イワウチワが満開

笹藪あり

こんな藪も通過

左は密藪、中央は崩れそうな雪庇。
結局右に降りたら這い上がるのにひどい目にあった。

やっと1270mの標高点が見えた

1270m標高点から見る柄沢山



これに懲りてなんとか薮の中をかき分けて進むことにしたが、これまたスピードはカメよりも遅いのではないかと思われるスピードだ。こんなところになくても良いのに、アカマツの枝にも引っかかり、マツの葉が背中に入ってチクチクする始末。これでは涸沢川から登ったときの1270mの標高点にたどり着くことさえ危なくなってきた。しかしながら戻ることはできない。ひたすら大きなザックを背負って藪の中を登るしかない。ふと、出発前のアクシデントが「今日は登るのはやめなさい」と言われているようで仕方なかった。これ以上アクシデントが続くとなると、命の危険も考えなくてはならない。


腕時計の高度計は嫌になるほど動かない。思わず壊れているんじゃないかと、GPSの数値と照合するが問題なさそうだ。ただ右には終始急峻で雪が付かず黒い鋭鋒の大源太山の姿が美しくすばらしい。標高1160m付近になると尾根は広くなり、雪が多くなってきた。こうなると俄然スピードが上がってくる。しかし、傾斜が強いだけ息が上がってくるのがわかる。天気が回復し時折強い紫外線を感じる。思わずタオルで顔を覆ったが効き目は薄いだろう。


喘ぎながら雪の斜面をキックステップで登りあげると展望が開けた1270mの標高点に到達した。尾根に取り付いてから3時間も歩いてきたわけだ。その苦労が報われるように、ここからの展望はすばらしく、目指す柄沢山が眼前にそびえている。南方面は谷川岳が白く輝いている、その頂から派生してくる様に白毛門から朝日岳の山容が大きく、清水峠には特徴的なJR巡視小屋が黒く見えていた。本来ならばこの標高点まで、涸沢を辿って登りあげる予定だったのだ。みればかなり登りやすい様に感じる。帰路はこのルートを辿ることにしよう。ここでやっとスタートラインに立ったようなものだ。ともかくザックを放りだして、菓子パンとゼリー飲料でエネルギー補給だ。ところがここでザックの中にあったエアーマットと雪の上に出した。そうしたらなんとエアーマットを入れたスタッフバッグが足下から転がって落下して行くではないか。エアーマットが無くては地獄のテント生活を送らなくてはならない。必死になって追いかけると、運良く灌木の枝に引っかかって止まった。それにしてもなんとアクシデントが続くのだろうか。なにしろこれから柄沢山までは標高差600m以上あるので不安が頭の中から消えなかった。アクシデントを少しでも回避するために、急な斜面が予想されるので、アイゼンを装着してから歩き始めることにした。


雪庇は尾根から南に張り出し、所々大きな口を開けている。はじめはこんなところに乗るのは嫌だと思っていたが、だんだんと面倒くさくなり雪庇の上に乗ってしまうこともしばしばとなった。それにしても天気が次第に悪くなってくることが気になる。上部に近づくに従ってガスが多くなり周囲の展望も無くなってしまった。標高1500m付近からは広い雪の斜面で、おまけに腐り始めているからアイゼンがあまり効かない。相変わらずキックステップでせり上がっていく感じだ。一つの目標としていた1620mの標高点付近は平坦な棚のような場所で、おあつらえ向きに周りを笹で囲まれている。ここは幕営地点としては最高だと思った。標高差300mを約2時間掛けているから、山頂まではどう見てもあと2時間はかかるだろうから、16時近くになることは間違いないだろう。
さて、ここからどこを登ればよいのだろうか、地形図とGPSをひっきりなしに確認して、真っ白な闇の中を登りだした。ササと藪のミックスされた道はアイゼンが引っかかって歩きにくい。思わず脱いでしまおうかとも考えたが、これからのことを考えるとなかなか脱ぐことはできない。近くに見える小枝には霧氷がへばりつき成長しているようだ。風も吹き抜けているので耳が痛くなり、毛糸の帽子を被ってちょうどいい感じだ。このまま標高差300mはかなりきつい。この天候と、時刻を考えると、当初予定していた山は断念するしかないようだ。



雪庇がものすごい

1620m付近からホワイトアウト

とても歩きにくい笹藪

大きな霧氷の花

山頂間近の笹藪

柄沢山の石柱



我慢、我慢そればかり考えながら白一色となっている前方を目指して行くしかないようだ。天候が良ければ適切なルートを辿ることもできるのだろう。高度計をたびたび見るのだが、1800m付近から全く動いてくれないような感じがする。吹き付ける風には細かい氷の粒を伴っているので、頬に当たるとチクチクする。高度計が1900mとなると、やっと傾斜が緩やかになり山頂が近いと感じる。しかし、ホワイトアウトの世界では目視による山頂の特定はできない。GPSを取り出して山頂を特定しようと動き回るが、大きなクレパスが口を開けている場所もあり緊張する。そのうちに石柱が雪の中から姿を出しているのが見つかった。三角点ではないが、このあたりが最高点であることは間違いないだろう。


山頂は不思議と風が無く快適であった。ここで幕営しようかと思ったが、天候のことを考えるとこれ以上先に進むこともできない。そこで目的とする山は断念して、この柄沢山を終点として戻ることにした。幕営地はとうぜんあの標高1620mの地点だ。面倒なので、下降もアイゼンを取り付けていたら、草に引っかかって前のめりに前方に藪の中に突っ込んでしまった。幸いにもケガはないようだが、起き上がるための精神的ダメージは大きかった。


標高1620mに到着すると、なんと柄沢山山頂が確認できるほど展望が開けてきた。「まあ、こんなものだろう」この山行の不運を象徴するようだった。テントを設営して中に入って横になるとやっと一息つくことができた。濡れたものを着替えて、ストーブに火をつけるとたちまちテントの中は暖かくなった。まずは熱燗でチビリチビリと時間を過ごすが、こんな時間はとても幸せだ。食事を済ませて、午後8時には深い眠りについてしまった。



天幕を張ったら柄沢山に残照が当たった

最高の天幕場



午前1時半に寒さで目が覚めた。しかし再び爆睡モードとなったが、3時頃に再び目が覚めた。あまりの寒さに、ストーブをつけると再び眠りにつくという危険な状態。危険を感じて4時にはシュラフから抜け出した。テントの外に出ると雲一つ無い快晴となっていた。ラジオをつけると今日の予報は午後から天気が崩れるとのこと。まして南風となると言うから、春山にとってはあまり良い条件とはいえない。なんだかんだと時間を浪費しながら過ごす。結局荷物をまとめてザックを背負ったのは午前6時半過ぎになってしまった。



朝日が柄沢山から昇る

定番の朝食(モチ入りラーメン)


谷川岳の勇姿が間近に

下降はこんな斜面を駆け下りる



下降はなんと楽なのであろうか。快適に斜面を一部グリセードで下降してすぐに1270mの標高点に着いてしまった。ここからは涸沢川に向かって一気に下っていけばいいのだ。下降は細心の注意を払いながら地形図を確認しながら雪の斜面を下っていく。当初の計画ではこの斜面を登るはずだったのだ。そうすれば・・・・後悔をしながらひたすら斜面を下っていった。沢音が近づくと涸沢川の雪解け水が音を立てて流れているのがわかった。流れの中にはフキノトウが淡い緑を輝かせて咲いている。何とも雪国の春を感じさせる姿だった。スリット型の堰堤の上部のスノーブリッジを渡り対岸を歩くことにする。このスリット型の堰堤は初めて見るので、堤体の上を歩いてみる。すると「一等基準点」と書かれた円形のプレートが埋め込まれていた。このような人工物に基準点を設置するのはなにか特別の意味があるのだろう。
地形図を見ると堰堤からは林道が通じているが、あるくにはロスが多いので、適当にどんどん下っていくとやがて駐車地点に到着することができた。この山域はなんとかルートもわかったので、再び挑戦してみたいと思う山となった。



堤体はスリットが入っている

堤体上部

涸沢の流れにフキノトウ

ダムの堤体に一級基準点(初めて見た)



4/29
清水集落除雪地点06:31--(.43)--07:14林道を離れる--(1.03)--08:17尾根に乗る--(.26)--08:43送電鉄塔--(.47)--11:30 1270m標高点--(2.10)--13:40 1620m標高点13:57--(1..37)--15:29柄沢山山頂15:33--(.38)--16:11 1620m標高点(幕営)

4/30
幕営地点06:48--(.55)--07:43 1270m標高点07:48--(1.28)--08:16涸沢川堰堤08:21--(.41)--09:05駐車地点



この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平16総使、第652号)

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