病み上がりにはちょっとハードだった「一ノ字山(碓氷峠)」
                                        登山日2021年1月30日

安中市街地からの浅間山方面
一ノ字山(いちのじやま)標高1336m 群馬県安中市、長野県北佐久郡


入院生活が1月9日まで続き、何とか体力も回復傾向にある。なんとか山歩きが出来そうな感じになったが、世の中は新型コロナウイルスで不要不急の外出が自粛の対象となってしまった。県外はともかく市内の移動ならば許されるだろうと安中市内の山に出向くことにした。選んだのが安政遠足(侍マラソン)のコースをたどって一ノ字山の三角点を踏もうということだ。

1月30日(土)
安中市松井田町坂本宿の「峠の湯」駐車場に朝8時前に到着した。軽トラックで自宅から40分というのは地元の利なのだろうが、かなりゆったりとした時刻だ。今日は病み上がりの体力確認もあるが、新調した登山靴の具合を見るということもある。この年齢ではハードなところに行くこともないので、スリーシーズン用でワンタッチアイゼンが装着できることを加味して選んだ。それにしても寒い、靴紐を締める手が思うように動かない。やっとのことスパッツを取り付けて出発の支度が整った。

駐車場からいったん階段を下りて鉄道文化むらからのトロッコ電車の線路に沿って歩く。国道旧18号線の下をくぐってから右の斜面を登り、旧国道を左に折れて上がっていく。C−9カーブのところに旧中山道の入口があり、ここが登山口となるところだ。長年歩かれているためなのか道は凹状になりえぐられている。最も浅間の噴火によって堆積した軽石は崩れやすいからそれが顕著なのかもしれぬ。

暗い杉林の中の道をひたすら登って行く。サムライマラソンは去年中止となり、今年の開催も流動的だ。そのためか道の整備は進んでいないような感じを受ける。30分も歩くと柱状節理の地層が露出している場所に出る。この剥がれた岩を積み上げたケルンが昔より大きくなっているように思えるのは気のせいだろうか。このコースは説明板が多く飽きさせないが、よくこれだけ資料を集めたものと感心する。この旧中山道は浅間山の土石流が流れた跡を辿ったもので、アップダウンが少なく作られているという。確かに刎石山までは急登が続くが、それを過ぎれば比較的緩やかなルートとなっている。その急登の最後は「碓氷坂の関所跡」となっている。またこの付近は刎石山の山頂なのだがその場所の特定は今一つ分からない。今回もそれらしき場所を探してみたが、どうもはっきりとしない。ここまでは雪もなく順調に歩いてくることが出来た。これが夏の時期だったらヤマビルに悩まされるところだろう。ともかくここを過ぎると雪が多くなってきた。


新調した登山靴

「峠の湯」

旧信越本線

旧中山道入り口

柱状節理

風穴(手をかざすと生暖かい)

碓氷坂の関所跡

この付近刎石山


「堀り切り」では"豊臣秀吉の北条攻めで、北陸・信州軍を、松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとした場所で、道は狭く両側が堀り切られている"と書いてある。その当時の勢力争いを思うといろんなことが想像できる。ましてやここで合戦が繰り広げられたと考えると身震いがする。

「栗が原」に到着する。ここは道が分岐しており「めがね橋」に続いている。興味があるが、未知のルートでもあり、今日はここに踏み入るのは止めておこう。積雪も多くなり、ツボ足による歩行はだんだん辛くなってきたが回避する道がないから進まざるを得ない。

「山中茶屋」を過ぎると廃屋が目立つようになってくる。別荘らしきものは、中に誰かいそうな感じがするし、朽ち果てたドライブインと錆びたバスは不気味さを一層増幅させる。なるべくそこを見ないようにして先に進んだ。「陣場が原」は道が分岐して、右は安政遠足コースで車道、左は旧中山道で今は自然歩道となっている。どちらに進むか悩んだが、距離の短い旧中山道を辿ることにした。

はじめこそは水平に進んでいたが、「化粧水」と呼ばれる沢を渡ったあたりから急登が始まった。雪を踏みしめあえぎながら高度を稼いでいく。歩き始めて4時間近くなるので、そろそろ病み上がりの身体は音を上げそうになってきた。アニマルトラッキングをたどりながら、なんとか傾斜が緩やかになった時は正直ほっとした。安政遠足コースと合流し、すぐ先には熊野神社の売店の建物が見えている。ここは「思婦石(おもふいし)」と呼ばれるところで、ここが一ノ字山への道が続いている。


雪が増えてきた

登山道は雪の吹きだまり

廃バス

陣馬が原の分岐(左は旧中山道・右は安政遠足)

急傾斜と積雪

思婦石

思婦石は一ノ字山の入り口


とりあえず一ノ字山を目指して進むことにする。積雪のためルートがはっきりとしないところがあるが、青色のテープを頼りに登って行く。高度を上げていくと凹んだ道らしきものがはっきりしてきたが、そこは吹き溜まりになっているので、ここは避けて歩くことにした。GPSを確認しながらルートを外れ雑木林の中に踏み込んでいく。GPSがあるとはいえ、ピンポイントで三角点を探すのは難しい。うろうろしながら周辺を探しまくると赤テープが見えた。これは間違いないその場所に行きGPSのマップを最大にして、その示す場所の雪を退かすと足に三角点の感触があった。みごとに三角点を掘り出したことは文明の利器のなせる業だ。この一ノ字山は南北に長く1336mの三角点は南にあり、一ノ字山の最も高いと思われる1419mの標高点は北端にある。地形図では一ノ字山の表記は1336mの三角点に記載してある。腑に落ちないところはあるが、展望もないこの場所にある三角点を一ノ字山の標高としておこう。

一ノ字山を辞して思婦石に戻った。時刻は午後1時になろうとしている。帰ることを考えるとあまり時間に余裕がないが、ここでお湯を沸かしてカップラーメンを食べることにした。寒冷地用のガスカートリッジをもって来なかったのでいらいらしてしまった。仕方なく温まったお湯をコッヘルの蓋に入れて、その中にガスカートリッジを沈めると火力がアップしてやっと沸騰したお湯を手に入れることが出来た。



一ノ字山に向かう

登山道から離れたところにある

一ノ字山の三等三角点


ここからわずかな距離のところにある熊野神社はどうしようかと考えたが、とりあえず行ってみることにした。熊野神社までは車で来ることが出来るので観光客がにぎやかだ。参拝しようと思い財布を探したが見つからない。途中で落としたことは考えられないので、車の中に置き忘れてきたのに違いない。一緒に携帯電話も入れておいたので緊急時には連絡する事もできないので、一気に不安になってしまった。しかたない神社の鳥居の前で引き返すことにした。

思婦石からは往路を辿らず、安政遠足コースを歩いてみることにした。この安政遠足コースは車道なので歩きやすいはずなのだが、積雪があるとそうはいかない。ツボ足で歩くものだから、往路の自分のトレースを辿ったほうがよかったかなと感じた。霧積温泉への道を分けると道幅は狭くなったので、ちょっと不安になり一旦引き返したが、間違いがなさそうだ。


熊野神社まで行く

熊野神社

帰路は思婦石から安政遠足コースに入る

霧積温泉への道を分ける

裏妙義の岩峰群

やっと駐車場にたどり着く


帰路は日没の時間が気になってくる。そんな中で午後3時過ぎに初めて単独行の男性とすれ違った。聞けばこれから日没までに熊野神社に行きたいという。男性を見ると登山者の姿ではなくカメラを首からかけて、足元はスニーカーである。私の足でもここからだと3時間近くかかりそうだ。そうなると日没まではちょっと難しいと思った。
さらに刎石山の下りにある「覗」と呼ばれる場所で軽装の男女に出くわした。見れば金属探知機を持っており、彼らがいた場所が掘り返されている。私が近づくとそそくさとそこを離れて別の場所に移動していった。

駐車場に戻ったのは午後4時過ぎで沿面距離は17.6km、病み上がりの身体にはちょっとハードだったかもしれない。



「記録」
峠の湯08:12--(.08)--08:20旧中山道入口--(.55)--09:15碓氷坂の関所跡--(.51)--10:06栗が原--(1.05)--11:11陣場が原--(.50)--12:01恩婦石--(.41)--12:42一ノ字山12:45--(.11)--12:56恩婦石13:25--(.05)--13:30熊野神社13:32--(.44)--14:16陣場が原--(.34)--14:50栗が原--(.39)--15:29碓氷坂の関所跡--(.32)--16:01旧中山道入口--(.12)--16:13峠の湯

この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平16総使、第652号)

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