雪解けの増水と薮に阻まれた「檜倉山」
                                        登山日2014年5月2日〜3日




檜倉山(ひぐらやま・ひのきぐらやま)標高1744m 群馬県利根郡/新潟県南魚沼市




今年も大型連休は新潟県の清水集落から登る山に挑戦だ。それというのも刃物ヶ崎山に登りたいと言う課題があるからだ。去年も挑戦したのだが、あえなく敗退してしまった。しかし、全く同じ日にSKさんが体調不良ながらいとも簡単に登ってしまった。これはかなりショックだった。そこで恥ずかしながら、今年は同じルートを辿って刃物ヶ崎山に挑戦することにした。

5月2日(金)
清水集落に着くとあいにくの雨模様、テレビでは快晴の群馬県館林市の様子が映し出されている。予報を確認すると、このあたりは雨の心配はないとのこと。しかし、この降り続く雨では出発する気になれない。駐車してある2台の車の主も出発できずに待機しているようだ。
1時間待った、8時少し前に雨が小降りになってきた。他の車も動きが見られるので、こちらも忙しくなってきた。

65リットルのザックは荷物がはち切れんばかりで、重量は23キロに膨れあがってしまっている。背負うときも気合いを入れて持ち上げないとショルダーベルトに通せないほどだ。もしも転んだら立ち上がるのに時間が掛かるだろう。


雨の中で出発準備

サクラが霞んで見える

雨に打たれ新緑が眩しい


清水峠(朝日岳)に源を発する登川に沿って舗装された車道を歩いていく。道はほとんどが雪で埋め尽くされていたが、谷側の部分は雪が解けて歩きやすかった。おびただしいほどのフキノトウが顔を出して春の山道を演出している。登川は雪解け水で増水して大きな音を立てて水が流れている。その中の中州にあるヤナギの芽吹きは雨あがりであることもあり目に鮮やかだ。

雨は上がったとはいえ周囲の山々の上部はガスに覆われている。しかし、雨は再び降るような様子は見られない。それにしても今年は雪が少ないと感じる。関東では2月15日に大雪に見舞われ大変なことになったのに、この豪雪地帯では少なかったのかも知れない。あるいは気温の上昇で雪解けが早まったのかも知れない。

歩き始めて1時間半で車道は登川に入るように下っていく。河原は一抱えほどの石で覆い尽くされ流木が散乱している。この川の荒れ狂う姿が想像できる。そこを過ぎるとわき水のある水場があり、その先は東屋沢での光景に愕然となった。それは車道を横切るように大量の沢水が流れ込んでいる。流れ込む水は幅約5メートル、水深は30センチ程度で、流速が早いので中に入ったら膝くらいまで潜りそうだ。おそらく前日からの雨と早まった雪解けで増水しているに違いない。ここを徒渉するにはどうしたらいいだろうか?ちょっとだけ上流に遡ってみるが、沢の幅が狭まった分だけ流れが激しく水深も深くなってしまった。
ふたたび車道に戻って飛び石伝いに渡るために石を投げ込んでみたが、石は見事に水に流されてしまう。それならと流木を投げ込んだが結果は同じで足場となるような状態にはならなかった。
それならと40リットルのビニル袋に足を入れてゴム長靴のようにして見た。ところがあえなく膝上まで水没してしまった。30分ほど悩んだが、結局ここの渡渉は諦めざるをえなかった。靴を脱いで下着一枚で渡ることも考えたが、あまりの冷たさに実行には至らなかった。地形図を見る沢の上流に旧道の破線がある。ここまで行けば沢を渡ることが出来るかもしれない。そう考えて上流に向かうことにした。


東屋沢は増水している

東屋沢の上流を無理して渡る

旧道は荒れている

旧道の道形が無くなってしまった



水量の多い沢を横目に登っていくと30分ほどで旧道にたどり着いた。ところがここで愕然としてしまった。沢を渡るための橋などは見あたらない。それどころか沢は激流となって流れ落ちている。まして沢に降りるには、崩落した斜面を下降しなくてはならない。どうしようか考えながら沢を観察する。すると、灌木が沢に倒れ込んでいるのが見える。崖の高さは3メートルほど、その先の沢には中間に大きな石があり、対岸まで1メートル弱ほどだ。何とかなるかもしれない。慎重に灌木に掴まり沢に下降する。問題は沢の渡渉で、荷物を背負っていなければ問題ない距離だ。石の上は助走することも出来ない。なかなか飛び出す勇気がでないまま、石の上で考える。その石も水を被っているのでグズグズしてはいられない。

そう思っていると、なんの前触れもなく足が石を踏み切ってしまった。自分でもアッと言う思いがよぎった。対岸に片足は着地したが残る左足は水中に残って空を踏んだ気がした。思わず身体を前に倒して上半身から対岸に倒れ込んだ。なんとか対岸に渡りきったことを確認したが、今度は帰路のことが気になってくる。しかし、今は前進することしか道は残されていない。

地形図に表記された旧国道は道形が残っているものの、廃道そのものだった。崩落した部分は地盤が軟らかく足を滑らせたら谷底に滑落しタダでは済みそうにない。それでも谷上の道を過ぎて尾根伝いの道にはいるとその危険もなくなった。しかし、今度は薮が多くなり余分な苦労を強いられることになった。そのうちにハッキリとしていた道形が消えてしまった。どこを探しても見つからない。キツネにだまされたような感じでどうもすっきりしない。

こうなったら道を探すのは諦めて、斜面を下降して登川に沿って続く車道に戻るしかなさそうだ。地形図とGPSで現在地を確認して、慎重に下っていく。なんと下りは快適なのだろう。笹の生い茂る斜面を滑るように車道に到着してしまった。

車道に降り立つと、そこは別天地だった。車道には陽光が降り注ぎ、アスファルトの路面は乾燥しているところもある。地面に突くストックの音もこころなしか軽い感じがする。そのうちに路面を流れる水が赤茶色く濁っているのに気が付く。土砂を含んだ水が上流にあるのだろう。道路を塞ぐ大きな残雪のブロックを過ぎ進むと、送電鉄塔にたどり着く。ここは整備された様子が見受けられ、路肩にはベンチも設置してあった。この先は檜倉沢で何段にも砂防堰堤が設置してあった。

この沢も水量が多く、どこを渡渉して良いのか解らない。東屋沢と同じように、上部に遡行してみたが沢幅が広くどこを渡っても同じ事だ。それでも飛び石伝いに渡れそうなところがあったので近づいてみたが、どうしても渡れそうにない。引き返す途中で足元が滑って前のめりに水の中に倒れ込んでしまった。なんとか体勢を立て直そうとしたが、荷物が重くて思うようにいかない。見事に前に部分はずぶ濡れになってしまった。もうこうなったらどうにでもなれとばかりに、堰堤の部分をジャブジャブと渡ってしまった。



車道に濁った水が流れる

車道終了地点の鉄塔

檜倉沢の流れ

この激流で転倒



すっかりペースを乱してしまったこともあり、疲労感が襲ってきた。しかし、対岸に渡るとそこの道はカタクリ、イワウチワ、ショウジョウバカマ、タムシバが咲き乱れ心が和んだ。そしてふたたび雪原に鉄塔が現れる。おそらくこの鉄塔に沿って道が続いているのだろうが、雪に埋もれて確認することは出来なかった。S・Kさんはここにテントを張り、翌日刃物ヶ崎山にアタックしたと言うことだ。疲れてはいるものの、天気も崩れる様子はない。それにまだ太陽は傾き始めたばかりだ。予定では檜倉山でテントを張ろうとしていたのだが、それは無理としても、すこしでも高度を稼いでおくことにした。



カタクリ

イワウチワ

ジョウジョウバカマ

タムシバ



尾根に取り付くと、いきなりの急登とシャクナゲの藪に阻まれた。大型ザックを背負っての藪漕ぎはとてつもない苦痛を味わうことになる。薮をかき分けて身体を前に出しても、ザックが引っかかって元に戻される。灌木の間に入ってもすり抜けることが出来ない。体力を消耗が激しく、何度も立ち止まっては息を整える。シャクナゲの薮もやがて笹が多くなり、ますます登りづらくなってくる。GPSを確認しても目標とする旧道にはなかなか達しない。

そんな薮も、薄くなり周囲が開けてくると歩きやすくなり高度を稼ぐことが出来るようになった。そして尾根を登り始めてから1時間半を費やしてやっと旧道にたどり着いた。旧道は石組みも見られかつての往来をうかがうことが出来た。

日没まではまだ時間がある。ここでテントを張っても面白くないので、さらに上部を目指すことにする。笹薮は相変わらず行く先を阻んで苦しめる。休む回数も時間も増える一方だ。標高1400メートル付近まで行けば展望の良い天幕場があると言うことなので、そこまで頑張ることにする。時刻は15時半なので、あと1時間も歩けば何とかなると考えた。

旧道からは、わずかながら残雪がありこれを利用することにした。しかしながらこれも20メートルほどで終わり、ふたたび薮に突入することになった。薮から何とか逃げようとするのだが、逃げようがない。相変わらず木の枝がザックに引っかかり、タイミングが乱される。立ち止まっては呼吸を整える。この繰り返しが何度と無く続いた。旧道から1時間歩いた、16時半になっても薮は無くならない。そろそろ天幕場を決めないとまずいことになる。こうなったら、この笹薮の中にテントを張ってしまおうかと何度も思った。しかし、ササダニにやられるのも嫌なので、もうすこし歩いてみる。それにしても高度が上がらない、いっそのこと下山してしまおうかとも考える。なんとも弱気な自分が見えてくる。なんのために登るのか?なにをしたいのか?何度も自問自答しながら歩いた。


檜倉沢対岸の鉄塔から尾根に取り付く

シャクナゲの薮

シャクナゲの薮

旧道を横切る


テント設営にギリギリの時刻である17時半に近づいたときに突然視界が開け、目の前に雪原が広がった。標高1360メートルの地点で、ついに薮を脱出することが出来た。目の前には大烏帽子山、朝日岳JP、七ツ小屋山、大源太山、そして清水峠には夕日に照らされる送電線監視小屋の三角形の建物が見えていた。






1360mで展望が開ける

クマ棚もある

本日の天幕場

やっとのんびり焼酎をいただく

天幕場からの落日


大展望に見とれているヒマはない。急ぎテントを設営しなくてはならない。幸い、風も少なくテントは順調に設営することが出来た。雪を溶かしてお湯を作りコーヒーを飲む。簡単なつまみで焼酎を飲みながら大源太山に沈む夕日を眺めながらゆっくりと休んだ。






5月3日(祝)
朝、3時頃になると冷え込んできて寒さを感じるようになった。ストーブに火を付けてボーっとする。餅入りラーメンとコーヒーで豪華な食事をいただく。幕営道具はこのままにしておいて、そのほかをザックに詰め込んで出発だ。


朝はモチ入りラーメン

山頂に光が射し込む


清水峠の鉄塔監視小屋

檜倉山直下の薮

朝の光が薮の向こうから射す


周囲の山々が山頂から次第に光を帯びて明るくなってくる。雪原の登りは実に快適でどんどん高度が上がっていくのが嬉しい。標高1400メートル地点では大きなクマ棚を確認する。このあたりは彼らの縄張りであることは間違いない。それにしても大展望に後押しされながら登るのは楽しい。谷川岳東面の岩壁が次第に中腹まで見えるようになり、苗場山あたりまで確認できるようになる。


谷川岳東面


しかし気になっていた檜倉山山頂直下の薮に着いてしまった。地形図で見れば標高差100メートルほどのわずかな距離である。しかしその距離の長さがとてつもない時間に感じることになる。身の丈を越す笹が雪の圧力で押しつぶされ、全て下方に向かっている。天幕用具が無くなったとは言え、この笹薮の登りは堪える。何度も立ち止まってルートを見定めようとするが、笹に阻まれて見通しが利かない。おまけに太陽が前方にあり、眩しくて見ることが出来ない。目標としていた時刻は7時なのだが、とてもその時間に山頂に着くことは難しくなった。何度か左右にルートを取り直して、1時間以上掛かってやっとの思いで笹薮を抜けることが出来た。


抜け出したところは池塘がある場所で、目の前には奥利根の山々が広がっていた。目指す刃物ヶ崎山は間近に見え、尾瀬の燧ヶ岳は若干霞んで見えている。国境に連なる柄沢山は穏やかに丸みを帯びている。時刻は7時半を過ぎている。まずは刃物ヶ崎山へのルートを見定める。稜線には崩れ落ちそうな雪庇が不安定な格好で乗っている。いや、実際に崩れて櫛の歯のようになっている部分もある。目的とした刃物ヶ崎山が手の届くところにあるのに、どうしてもそこに進むための一歩が踏み出せない。どうしたものかしばらく考えるが、あの雪庇の稜線が気になって仕方がない。



柄沢山

池溏

柄沢山と巻機山

檜倉山三角点

これって旨い

出した結論は、中止して帰ることだった

とりあえず檜倉山の三角点を踏んでおくことにする。笹原の中をGPSの縮尺を最大にして歩き回るとアイゼンに固いものが当たった。そこには土に埋もれた三角点があった。34年前に来たときは雪の下にあったので確認できなかったのだが、目的の山は諦めたが三角点を確認できただけでも収穫があったというものだ。時間は有り余るほどあるのでこの山頂で池塘を眺めながらゆっくりと時間を過ごす。



刃物ヶ崎山

雪庇が崩れてる

遠いなあ

檜倉山から見る大烏帽子山と朝日岳JP


8時半になったときに静かな山頂を発つことにした。あれほど苦しんだ笹薮も下降となると全く問題ない、快適そのものだ。2時間以上掛かった登りも半分の時間で幕営地点に到着してしまった。

さらに幕営地点から尾根の末端まで3時間以上費やしたのに、下降はわずか30分だった。もっとも雪のある斜面を選んだことも影響している。

沢の渡渉も昨日とは違って、極端な増水は無くなり、沢の中をかまわず歩くことが出来た。途中で単独行の男性とすれ違う。大烏帽子山を経て宝川温泉に向かうという。(後日メールで無事を確認した)さらに男性1人、女性2人のパーティーともすれ違う。このパーティーはなんと刃物ヶ崎山を目指しているという。このパーティーのその後は分からぬが、山中で2泊というから、おそらく成功しているに違い無いと思う。(後日敗退したことを知った)

ところで、帰りの林道歩きだが、左足首の付け根の靱帯の痛みは仕方ないが、今度は右足ふくらはぎが痛んで5分と歩けなくなってしまった。結果的には刃物ヶ崎山を諦めたのは正解だったと、自分を納得させるひとつの理由になった。


群馬山岳移動通信/2014

清水集落08:06--(1.19)--09:25東屋沢09:51--(.30)--10:21旧道(徒渉する)--(.42)--11:03道を失い尾根を下降--(.28)--11:31車道--(1.08)--12:39檜倉沢13:21--(.32)--13:53尾根へ--(1.39)--15:32旧道--(1.46)--17:18幕営地点(標高1360m)

05:17幕営地点-(1.03)--6:20薮に入る-(1.11)--07:31檜倉山山頂08:37-(.57)--09:34幕営地点10:09-(.29)--10:38鉄塔-(1.43)--12:21東屋沢12:55-(1.30)--14:25清水集落


「おまけ」
最後の林道歩きで路肩に「一番しぼり」のビールが横になっていた。
こんなところに空き缶を捨てちゃダメじゃないか (>_<)
拾ってみるとなんと未開封。
喉が渇いているだけに、これは有り難い。
誰かが落としていったのか?
思わずプルタブに手を掛けました。
しかし、何となく違和感・・・・

なんと缶ビールはお盆の上に置いてある。
更に見れば緑色のプラスチックの筒が・・・・

おそらく。ここで事故にあった人を供養するために置かれていたようです。
プラスチックの筒は生花を置いたもののようです。
雪に埋もれていたものが溶けて姿を現したと思われます。

ともかく、亡者のものを横取りしなくて良かった。
それにしても喉が渇いていたので、恨めしかった。


この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平16総使、第652号)

トラックデータ