夢を果たすために奥秩父「白泰山」「赤沢山」「大峰」 
                                          登山日2011年6月4日


白泰山避難小屋(のぞき岩)から赤沢山の双耳峰を遠望する


白泰山(はくたいさん)標高1794m埼玉県秩父市/赤沢山(あかざわやま)標高1819m埼玉県秩父市/大峰(おおみね)標高1062m埼玉県秩父市


白泰山は3月11日に行く予定で計画を立てていた。しかし、東日本大震災の発生で当然のことながら山行は中止となってしまった。本来なら残雪のある時期に登れば、それなりの展望も得られるのだが、まあ新緑の季節でも良いかなと考えた。まして、風邪で3週間ほどろくな運動もしていないので、体力も大幅に衰えているから、道のしっかりした山を登るのが良いとの考えもある。


6月4日(土)

***「白泰山」「赤沢山」***

秩父荒川源流に沿った大滝地区を目指す。群馬から秩父を目指すとどうしても地形がわかりにくい。何度か通っている内に何となくその様子がなんとかわかりつつある。約2時間で栃本に到着したが、まだどこから登るか決めかねている。とりあえず両面神社の登山口に向かうことにする。集落を抜けて細いが舗装された道を登っていくと、すぐに登山口の標識があり、反対側には墓地があり、狭いながら駐車余地も充分だ。近くの沢には塩ビパイプで水を引き風呂桶に流し込んでいる水場がある。まあ、表面水だから飲む気にはなれない。持参してきたポリタンクの水を使ってカップラーメンを作り食べながら、あらためて地形図を見直す。すると、現在地の標高870mより上部に林道が走っているのがわかった。読み取れば標高1120mなので、標高差は250mもある。これはそちらに向かうしかあるまい。外に出した荷物を再び車に積み込んで、その登山口を目指すことにする。


栃本広場という標識に従って、舗装された道を上っていくと、右に立派な駐車場が見える。これが栃本広場なのだろう。目で確認しただけでそのまま林道を上っていくと、不思議な大きな金網のオブジェが見えるが何かの遊具なのかもしれない。さらに進んでいくと今度は立派なヘリポートがある。この山の中で何でこんなものが必要なのか不思議な感じがする。林道は時折小さな落石もあるが、跨いだり、避けたりしながら走行すると、道幅が広くなる。標高1120mの登山口はここにあり、杉林の中に道は続いている。

ちょっと時間はかかりすぎたが、ともかく時刻は7時20分なので、十分な時間があり目的の一つであるゆっくりと歩くことができそうだ。登山口からしばらくは杉林の中を登っていく。道は幅広く何の問題もなくゆっくりと登っていくがちょっと単調だ。石組みの上部が崩れてしまっている炭焼き窯を通過し、歩き始めて20分ほどで杉林も途切れて広葉樹林になってきた。どうも杉林の中の道は、丹沢のヒルのことがトラウマとなって頭の中に残っているので、足下が気になって仕方がない。まあ、この辺ならそんな話も聞かないので問題は無かろう。ふと見るとこの広い登山道から10m程度右の斜面の尾根にビニルテープの目印が見える。なんとなくそちらの方が歩きやすそうだ。その尾根に登ってみるとハッキリした道がそこには付いていた。足元を見ながら登っていくと、20センチほどの細長い燈色に近い棒状の物体が目に入った。それはどうやらヘビのようで、真っ直ぐに伸びているので死んでいるのかと思った。ストックで何度か突いてみると、突然動きだしカマ首を持ち上げてこちらに飛びかかろうと臨戦態勢になった。ヘビ嫌いにはちょっとしたパニック状態。思わずストックで持ち上げて林の中に放り投げた。その道も10分ほどで突き当たりとなり、道が分岐してしまった。どちらもしっかりとした道だが、標識(地図)が劣化していてわかりにくい。しかし、白地の看板に書かれた「紅葉と黄葉」の説明板は原型を残している。その右上にフェルトペンで「←白泰山・十文字」の書き込みがある。しかし、何となく怪しい感じがして一歩がなかなか踏み出せない。いつまで考えていても仕方ないので、その書き込みを信じて左の道を選択した。



登山口の駐車余地

ヤマツツジ

ヘビが威嚇してきた

白泰・十文字の書き込みが読める

一里観音

明瞭な登山道(帰路この付近でクマに出会う)



すると、あの分岐で悩んでいたことが嘘のように数m歩くと幅広い登山道に突き当たった。どうやら当初から登っていた道を歩けばここに着いたのに違いない。立派な標識もあり妙な道には入り込まない方が無難だと反省した。ここから10分ほどで再び標識があるが、下に行く道を示す表示は、塗料も無くあとから付け足したらしく、文字もハッキリせず読み取ることはできなかった。それにしてもこのあたりは熊の生息域らしく、茶色の標識はことごとく破壊されていた。傍らには一里観音がたたずんでいた。ここからの道は標高差もなくひたすら歩くのみで高度がなかなか上がらない。この付近は東京大学の演習林ということで、おなじみの円形の標識がそれを示している。またポリバケツが数個置いてあるので何かと思い近寄ってみると、腐敗した雨水が溜まっていた。ネットで検索するとドングリの実の調査らしいが、底に穴でも開けておけば水も溜まらないと思うのだがどうだろうか。


登山道はすっかり新緑に覆われて、展望は期待できず、樹林越しに隣の山塊の稜線を見る程度だ。しかし、ミツバツツジが今や盛りと咲き乱れ、まさに紫色の花のトンネルをくぐり登っていくという感じだ。こんな贅沢な時間を過ごせる道を歩けることはなんと幸せなことだろうか。標高1600m付近からはシャクナゲの花が多くなってきた。今年はシャクナゲの花の当たり年で、枝の先にはことごとく花が付いていた。そんなこともあり、登山道を離れて見に行くことも煩雑となった。この道は白泰山を経て武信国境の十文字峠まで続いているが、きっとあの付近は大変な混雑ではないかと想像できる。





やがて標高1700m付近で白泰山へ登る分岐点となった。ここの標識も見事に熊の爪と歯で破壊されている。ここからは標識に従ってほぼ直線的に登っていくことになる。苔むした倒木と泥岩の中の歩きやすそうな部分を選んで上部を目指す。分岐から約10分ほどで白泰山の山頂に到着だ。山頂からの展望はなく二等三角点が設置され、その周りを石が取り囲んでいた。ここでも浦和北高校が設置した標識は熊にやられて無残な姿となっていた。それに引き替え達筆標識は健在で輝きを持って三角点と対峙していた。裏面を見ると「0.6.21再」と書いてある。

「再」とはどんな意味を持つのだろう?後日、記録を探して見るとその意味がわかった。とにかく記念すべき山行であったが、それは苦難の山行となり思いを遂げられなかった因縁の山であるらしい。設置して10年以上経つのに全く色あせないこの達筆標識はこのまま輝き続けるに違いない。


さて、エアリアマップでは登山道から白泰山をピストンするようになっている。しかし、地形図を見ると山頂から避難小屋に向けて稜線を辿ることが出来そうだ。そこで山頂から稜線を西に向かって行くことにした。見れば微かな踏み跡もあるように感じる。実際に歩いてみると稜線は明瞭で、途中には岩場の展望台もあり、この道の方がピストンよりも快適だろう。



白泰山への分岐

苔むした斜面を登る

コミヤカタバミ(淡紅色は珍しい)

山頂付近の標識


達筆標識

山頂の三角点



避難小屋の前には、二里観音があり賽銭が供えられている。避難小屋の外観はちょっと古いようだが、内部を見ると清潔で薪ストーブもあり、避難小屋としては最高であろう。しかし、薪はどうやって調達するのだろうか。それに水場がないから利用する人はいないだろう。そんなこともあり、清潔さが保たれているのかもしれない。今日は天候が良いので、わざわざこのなかで休む必要もない。すぐそばにある「のぞき岩」と呼ばれる展望抜群の岩場で休むことにする。わずかに歩いてこの岩場に立つと大展望に感激する。眼下には新緑の森が広がり、その先には甲武信ヶ岳が見えている。さらにこれから行こうとしている赤沢山の双耳峰はかなり遠くに見える。さらにその奥には沢の残雪が白い筋になって見える八ヶ岳が遠望できた。しかしここであまり展望を楽しんでいるわけにも行かないので、早々に赤沢山に向けて出発だ。





避難小屋の外観

避難小屋内部

赤沢山の双耳峰



避難小屋からの道は一旦急降下してから小ピークをことごとく迂回して山頂を通過することなく、つけられているようでアップダウンは最小限となっている。これはありがたいことなのだが、目指す赤沢山のピークを過ぎてしまうのではないかと心配してしまう。GPSを取り出して見るとなんと測位していない。どうやら樹林帯の岩場でロストしてしまいそのままになってしまったらしい。仕方ないので登山道を離れて岩場を登り見晴らしの良い稜線に登ることにした。稜線に到達するとGPSも測位することが出来て、すぐ先のピークが赤沢山であることが判明した。そのまま稜線を辿り再び登山道に合流した。エアリアマップを見ると「登山道は北面を巻いている」と記載してある。たしかにその通りで避難小屋からここまで歩いてきて初めて北に回り込む道に入った。さらに進むと道は下りに掛かってしまった。その下降に向かう手前でピークに向かって登ることにした。踏み跡らしきものは見あたらず、普通の藪の中を歩くようである。ともかくこの斜面を上部に向かって登る以外に選択余地はない。


やがて道は緩やかになり山頂が近いことが伺える。今登っているピークが赤沢山であることを祈りながら、期待を持って進んでいくと、そこには待望の三角点が待っていた。展望はなくその三等三角点の部分だけが開けていた。山頂から少し下には測量のために使った櫓が朽ちて転がっていた。標識のたぐいはなく、ブルーシートの切れ端に「赤沢山」とフェルトペンで記入したものがある。これって妙高山塊の「裏金山」にあったものと同じだとおもった。それに三角点の周りには板状の石が置かれ、「赤」「沢」「山」とそれぞれ書いてあったが判読も難しく消えそうだった。さてこの山頂は虫が飛び交い快適ではない。それに展望も良くない。時刻は12時前なので、時間はまだまだ余裕がある。あの展望の良かったそこで「のぞき岩」まで戻って休憩することにする。山頂からは登って来た道ではなく直接東に向かって藪の中を下降して登山道と合流した。



赤沢山の三角点

枝に下がったブルーシートの切れ端

石に赤沢山の書き込み



避難小屋の直下で単独行者とすれ違ったが、軽装だったので営業小屋にでも泊まるのだろうか。さらにのぞき岩に到着したときにやはり単独行者とすれ違った。軽く会釈しただけで、本日会った登山者はこの二人だけだった。これで「のぞき岩」は私だけが独占することとなった。コロッケパンをつまみにビールの口を開ける。目の前には大展望、静かな山頂にいることは至福の時間である。結局20分以上の大休憩となってしまった。あとは登山口に向けて一気に下るだけだ。しかし気になったのでザックを背負い避難小屋から中津川に向かう道を辿ってみる。北方面の両神山周辺の展望を期待したが、樹林に阻まれて全く見ることは出来なかった、


登山口まであとわずかになった。あの迷った一里観音からの道はヘビに出会うのが嫌なので脇道ではなく本道を行くことにする。

暫く歩くと大きな吼えるような唸り声がハッキリと聞こえた。好奇心と恐怖に怯えながら何だろうと周囲を見渡すがよくわからない。そのうちに登山道の10mほど下に動物の気配がする。見れば親熊と子熊が列になって、ものすごい勢いで走っていく。一瞬の出来事であっけにとられてしまい、カメラを出すことも出来なかった。おそらく腰に下げた越後湯沢で買った大きな音がする鈴が、親熊に届きそれを聞いた親熊が子熊に危険を伝えてようと吼えてから逃げたのだろう。このことから鈴の効果はかなりあるものと考えて良いだろう。その後は腰に下げたておいた鈴をストックのストラップに付け替えて、盛んに鈴の音を立てながら山道を下った。



登山口(1120m)07:19--(.49)--08:08一里観音--(1.18)--09:26白泰山分岐--(.12)--09:38白泰山山頂09:48--(.33)--10:11白泰山避難小屋10:25--(1.02)--11:27赤沢山北面--(.08)--11:35赤沢山山頂11:44--(.55)--12:39白泰山避難小屋(のぞき岩)13:10--(1.00)--14:10一里観音--(.26)--14:36登山口

【登山口から白泰山のルート】


【白泰山から赤沢山ルート】



****大峰****

車に戻ったのが14時半頃なのでまだまだ時間がある。そこで栃本広場から大峰に登ってみることにする。

栃本駐車場は広く、手入れが行き届いたトイレがある。なんと水道から水も出る。広い駐車場には車は一台止まっていた。駐車場には案内板があるが、なんだかさっぱりわからない。ともかく車が走行できるような広い道が続いている。歩き始めるとすぐにログハウス風の「栃本広場ふるさと館」が建っている。今日は開館していないようだが、窓から覗いてみると剥製などが展示されているようだ。道は広く立派で、所々にベンチや東屋、それに水道なども整備している。おまけに不釣り合いな標高1000m以下の場所に白樺も植えらて広場になっている。そのいずれもが利用率が低いのだろう。ハコモノに税金を投入して、放置すると言う典型的な例がこれなのだろう。


大峰山頂に至る階段を登ると三等三角点と、立派な高床式の東屋があった。東屋に登ってみたが展望は木々に遮られて見ることは出来ない。ともかく、ここの東屋のベンチに腰掛けて、お茶と揚げあんパンでゆっくりと近くで咲くヤマツツジを眺めて過ごした。それにしてもその近くにあるヤマウルシの木が気になる。整備されているはずの公園でヤマウルシはちょっと危険かな?


帰りは「大滝の湯」で汗を流してゆっくりと帰宅した。



栃本広場案内図

広い駐車場

ふるさと館(何のためにあるんだろう)

途中の東屋には水道が引かれている

カロリーの高い揚げあんパン

山頂の東屋とヤマツツジ



栃本駐車場14:50--(.26)--15:16大峰山頂15:26--(.16)--15:42栃本駐車場

この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)



群馬山岳移動通信/2011