2018年8月の事 8月1日(水) 例年よりも早く稲の出穂が進んできた。このままにしていると雀が群がって、それこそ収穫量が一割近く減ってしまう。早めに対策をしなければいけないと、有人と田圃に膨張糸やら案山子を設置することにした。退社後の17時半過ぎから作業開始して30分ほど経過しただろうか、大量の汗と下腹部に異常な痛みを感じた。しばらく座り込んでみたが、一向に回復する気配は無い。この作業は友人に任せて這う這うの体で自宅に戻った。 痛みは増すばかりで、汗も止まらない。我が家は普段2階で生活しており、一階で家人を呼んでも一向に聞こえないらしく来てくれない。階段を昇る力もなくのた打ち回るばかり。熱中症を疑って、経口補水液を飲んだり、首筋、わきの下を氷で冷やしたが効果は感じない。 ようやく家人が気が付いて階下に降りてきた。あまりの苦しみ方であったので異常事態と感じたのだろう。救急車の手配をした。行き先は市内のかかりつけS病院だ。当日は最寄りの救急車は出払っていて、隣の市からやってくるとのこと。 救急車が到着して、トレンチャーに巨体を載せて救急車に運ぶことになった。この時に嘔吐したところなんとなく気分が落ち着いてきた。救急車内で血中酸素を測定すると100%で明らかに過呼吸の様子、血圧は180で痛みによるものと判断された。やっとのことで病院に到着するころには痛みもなくなり落ち着いてきた。結果的には、なにも処置を行わずそのまま帰宅となった。 8月2日(木) 何とか回復したので出社し一日を過ごして帰宅した。 18時ごろ入浴してさっぱりしたところで、再び下腹部に異常を感じて、その痛みは増していくばかり。19時頃、昨日救急搬送してもらったかかりつけのS病院に電話することにした。 「昨日、救急車で運ばれた○○ですけど、同じように痛みが出ているんですが診てもらえますか?」 「ちょっと待ってください、我慢できないですか?」 「我慢できないから電話してるんです。ひょっとすると尿管結石かもしれません」 「それでしたら、うちは泌尿器科はやっていないので、ほかの病院を探してそちらに行ってもらえませんか」 「ほかの病院なんて知らないですよ。いつもそちらで定期的に診察してもらっているんですよ」 「ともかくそちらで探して対応してください」 「−−−−−−。」 この対応にあきれるばかり。 仕方なく、ほかの病院を考える。そういえばT総合病院に24時間外来があった。 そちらに電話すると、 「すぐに来てください、慌てないでください」 との回答でかかりつけ医とは全く違う対応に驚く。 妻の運転でT総合病院に出向くが、その30分ほどが苦痛に耐える時間だった。 T総合病院では早速CTによる撮影となった。その撮影台の乗るのも大変な騒ぎで、じっとしていることもできなかった。結果は予想通り尿管結石で、とりあえず痛み止めの点滴を受けて23時半ごろ帰宅した。 8月3日(金) T総合病院の泌尿器科で専門医の診察を受ける。 「死ぬほど痛かったでしょう。まだ尿管に石が残っています、そうですね7mmくらいあります」 「そんなに大きい・・・」 「10mmになると手術ですが、とりあえず薬を出しますから3週間後に来てください」 「出ていなければ尿管から管を入れてレーザーで砕きます」 「三泊四日の入院で済みますよ」 不安を抱えたままでの経過観察となった。 しかし、これは単なる悪夢の始まりに過ぎなかった。
8月4日(土) ちょっとだけ畑で農作業行うが肩に妙な痛みが走り、動かすことが出来なくなってきた。 8月5日(日) お盆前の墓地の共同清掃。肩の痛みを我慢して草刈り機、ノコギリで枝の伐採をするが、帰宅後に行きつけのカイロプラスティックに駆け込むが、なんの回復も見られない。午後は倒れ込んで動くことが出来なくなってしまった。 8月6日(月) この日はやはりT総合病院で別件の予約外来を受けるが、待ち時間の長いこと。 ようやく終了し、今度は肩の痛みを見てもらうために整骨院へ出向く。そこでの診察は肩の筋肉の肉離れで全治1か月半から3ヶ月との診察結果。 「○○さんこれは長引きますよ」 これじゃ、農作業どころか山にも行けない、会社にも行けない。 一日中横になって過ごすことになった。それも仰向けは痛くてだめで、右肩を下にして横向きに寝るだけだ。夜も熟睡することが出来ず、ほとんど眠らない日が延々と続くことになった。食事をしても座っていることが出来ず、一口食べてはすぐに横にならないと我慢できない。素早く食べるために、インスタントのお茶漬けでサッサッと片付けることにする。 8月9日(木) どうしても作成しなければならない資料があり、夕方会社に自分で車を運転して出社、なんとか作成して帰宅。 8月10日(金) 朝方、下腹部が痛くなり、坐薬の痛み止めでなんとか凌ぐ。 (痛み止めは筋肉注射が一番で、坐薬は2番目なのだそうだ) 午後は、憎たらしいS病院で定期検診。S病院は13人の医師が居り、その中の一人が私の主治医だ。 そこで、この前のことを報告して、ひどい対応をされたと訴えた。 「ひどい対応で申し訳ない、私に言ってくれれば・・・」 「先生が肝心な時に居ないから、本当にひどい目に遭った」 カルテを見て 「救急搬送された時の病名は熱中症になってるけど、聞けば尿管結石を疑わなくちゃいけないなあ」 たしかにあの時の研修医は見たことない若造だった。 思いっきり文句を言って憂さを晴らした。 実は、母親が7月25日に、この病院に入院している。胃からの栄養はもちろん、腕からの点滴ではカロリー不足。そこで静脈からの高カロリー輸液になっている。その手術が8月6日だったので妻はてんてこ舞いだった。 この晩は頻尿となり5回ほど起き出してトイレに行く。頻尿と肩の痛みで眠ることが出来なかった。
8月10日(土) 横になっているなら良いのだが、立ち上がると数分しか持たない。 高校野球もまったく見る気なし、ニュースも関心、「山の日」なのに山の情報を知りたくもない。 食欲もなし、アルコールも全く要求しない。 8月12日(日) 妻の母親の新盆で、妻は実家に手伝いに出かけたが、私は寝たきりだ。 8月13日(月) 私のところのお寺はお盆に檀家を集めて供養を行う。 しかたなく起き出して、お寺に向かう。つらい2時間を過ごしてから、何とか運転をして妻の実家に新盆に出かける。早々に帰宅して再びダウン。 8/16(木) 整骨医がお盆の休みで8/11〜8/15まで休診だったので、この日にやっと出むくことが出来た。 8月21日(火) 痛みのために夜中3回ほど起きていたのが、1回起きただけだった。 まあ、回復はしているのだろう。 調子がいいので前橋まで所要で出向く。 しかし、左腕が痺れるようになってきた。 整骨医に聞けば、炎症を起こしているとのこと。 道のりは長そうだ。 8月23日(木) この日は会議のために出社して何とか一日過ごす。 8月24日(金) 再び会社を休む。 病欠の診断書はこの日までとなっている。 8月25日(土) 妻の好きな木村拓哉の映画に付き合う。 8月26日(日) 明日からは職場復帰、そのために出社して今までの残務をこなす。 しかし、肩から腕の痛みはかなりひどい。 8月27日(月) 左腕の痺れと肩の痛みは残ったままだが、この日から通常に出社することにする。 8月29日(木) 尿管結石の再確認のため、T総合病院に出向く。 超音波診断、レントゲン撮影、尿検査を行ってからドキドキで結果を待つ。 1時間ほど経過した15時頃に診察室に呼び込まれる。 超音波とレントゲンの画像を見ながら「結石は見えませんね」 「結石が出た感覚は無いのですが・・・」 「まあ、レントゲンでは解らない部分もありますので、CT撮影すればはっきりとわかるんですけど」 「じゃあ、CTをやってください」 「それでは9月26日に検査しましょう」 そんなわけで再検査となったが、とりあえず結石は無くなったようなので、手術だけは免れたようだ。 とりあえず一安心 藤岡市の「柿乃木」に姫ラーメンを食べに行く。
8月31日(金) 左肩の痛みと痺れは和らいでいる感じはするが際立って良くなった感覚は無い。 体重は2キロほど減少、これは寝たきりが続いていたので筋肉が落ちたものと思われる。 8月の総括 会社病欠 8/6〜8/24、整骨医院 20日間通院、T総合病院 3回診察、S病院 2回診察
9月も左腕のしびれは相変わらず。 完治するのに3ヶ月・・・・・・11月まではこのままかもしれない。 群馬山岳移動通信/2018 |